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第385話 彼女は明日の戦場を鑑みる

第385話 彼女は明日の戦場を鑑みる


 神国軍の連隊規模の駐屯地がある拠点。ロモンド救援の兵はマストリカから派兵された。竜騎兵三百に、騎兵三百、歩兵千六百の合計二千二百の戦力。


 指揮官はサンチョ・ダサイ大佐。ベテランの戦場指揮官であるとされる。 竜騎兵は従兵を騎乗させたもので、純粋な騎兵ではなく索敵陽動などの任務を任せる部隊。指揮官はペドロ隊長(大尉)。千六百の槍兵はニコロ隊長が指揮する。騎兵三百はサンチョ大佐の直卒。


 ここまでが、デンベルク伯の収集した情報である。兵を展開しやすい地形というのは、騎兵にとっても有利な地形である。仮に、戦列が崩され潰走することになったとすれば、騎兵が追撃し殺戮されることになるだろう。


 兵士はまとまっていなければ戦力として発揮されない。この辺り、リリアルの魔術師たちと大いに異なるところである。


 



 ロモンドはムース川が西から、ルルル川が南から流れ合流する地点にある都市だ。そのルルル川に沿って移動した遠征軍はダンヒ(Danheim)という街の郊外に陣を引いている。


 ダンヒムから東に丘陵地帯を抜ければ、一日半程度でコロニアに辿り着くことができる。戦って負けた場合にも、なんとかなりそうなネデルとコロニア大司教領の境目にほど近い場所である。


 既に明日の朝にはこの地で野戦を行う事になるとみられる。


「思っていたより落ち着いているな」

「遠征もまだ数日ですから。初めての会敵なので、緊張感と高揚感があって士気は保てているんでしょうね」


 戦争で死ぬのはごめんだが、かといって全く戦わないのも不満なのだろう。

その辺り、各傭兵隊長が兵士に話しかけ、明日の戦いについて注意事項や

ありがちな失敗について面白おかしく語っているのが聞こえてくる。


「あ、明日は本当に戦争になるんでしょうか」

「なる」

「まあ、俺達は後ろから見ているだけだろ? 何なら、前に出てみるか」

「駄目、絶対ダメ。命大事に!」


 魔物の討伐は準備に時間を掛ける事はあるが、実際の戦闘は小一時間程度に過ぎない。しかしながら、この手の戦闘は、前日から準備をし、お互いに銃や大砲の射程外に対峙しておいて戦列を整え、大砲の射撃を合図に互いに前進した上で弓や銃で射撃を行いつつ接近。長槍同士で押し合う形から、剣で斬り合う白兵迄突き進む事になる。


 つまり、敵を視界に捕え乍ら準備を進めているのである。緊張しない方がおかしい。


 向こうは向こうで既に野営の準備に入っており、水煙が上がり始めている。敵を前にして携行食であるだろうが、生水を飲めば下痢をしかねないので、飲料は湯かそれを冷ましたものになるだろうか。


「街が見えてるのにね」

「どっちもお断り」

「はぁ、アジトに戻ってゆっくりしたいです」


 リリアルでの遠征は連続して野営することはまずない。精々二日程度なのだが、今回の遠征は兵士と同じ行程なので、そろそろ疲れが溜まって来ているのだろう。


 彼女はロマンデ遠征で何日か野営した記憶があるものの、五日連続というのは記憶にない。狼人だけが唯一元気であり、戦場の空気を楽しんでいる様子さえ見える。


「あなたにとっては、慣れた景色なのかしら」

「懐かしい……だな。まあ、今の主の様子から二度とこの景色を見る事はないと思っていたんだが。正直ありがたかった。この遠征に連れてきてもらってな」


 戦士として長く『伯爵』に仕えていた男にとって、この風景こそが日常であったのだろうか。


「この状態で相手は攻撃してこないのですよね」

「まあな。戦争ってのは、手順に則って進められる要素が多い。それは、冒険者の魔物討伐とは相当違うだろうな。人数も多いし、従えなければならない人間も多い。どうしても……人を動かすのに時間がかかってしまう」


 例えば、行軍中に少数の騎兵で攻撃したとしても、途端に長槍を構えた兵士の方陣が作り上げられ、弓や銃で反撃される。夜陰に乗じて襲撃するとしても、お互いに暗闇の中では同士討ちを起しかねない。少人数なら手間の割に大した戦果にもならない。


「乞食党と総督府軍で初めての会戦だ。オーソドックスにぶつかるのが互いにとって意味がある。だから、今日は何も起こらないだろうな」


 総督府軍は、小さく戦果を得たとしても主力に逃げられるのでは意味がない。原神子派貴族の何人かを捕らえ、若しくは戦場で討ち果たしたいだろう。遠征軍としては、反総督府の勢いを得る為にもある程度互角に戦ったという実績が欲しい。人も金もそうでなければ集まらなくなってしまう。


 結局、戦う事をしなければお互いに得たいものが手に入らないという共通の利害関係がこの場を支配していると言えるだろう。


「この野原を挟んで数千のおっさん同士が野営を楽しんでいるというわけですね」

「楽しんでいるわけではない。明日が楽しみなだけ」

「生き残れるかどうか……楽しみでしょうか? いやだなぁー」


 三人娘の会話を聞きながら、彼女は初めての野戦体験に少なからず心が高揚している事に気が付く。ワクワクしているわけではないが……恐らく、この先何度も戦場を経験することになるだろうと思いつつ、その始まりの日を迎えようとしていることに感慨深くなっているのだ。


『ゴブリンを初めて殺した日と比べてどうだって話だろう?』

「そうではないわ。私、これでも王国副元帥の地位を賜っているのよ」


 軍におけるNo.3ではあるが、実権があるわけではない。だがしかし、その地位に見合った責任を求められる日が来るかもしれない。その日の為に明日の戦場体験が意味のある物になれば良いと真面目な彼女は考えているのである。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 伯爵の幕営に彼女は呼ばれ、明日の陣立てに関する会議に立ち会うことになったのは、簡単な夕食の後であった。


 参加する諸将の顔色は緊張で食事が喉を通らなかったであろう者と、カラ元気で気勢を上げる者とで二極化していた。幸い、逃げ去る兵士も今のところ目立っておらず、会議の空気はさほど重くなかったと言えるだろうか。


「明日はいよいよ、神国軍と対峙するわけだが……」


 指揮する槍兵の部隊を貴族たちに割り当て、騎兵はモンテ男爵が指揮して歩兵の戦列後方に配置、ネデル総督府軍の騎兵と相対するように移動することになった。盾と槍で装備する時代であれば盾を持たない背列の左側が弱点となる為左に配置したものだが、その役割は今の時代銃兵や弓兵に担われている。


 ひとしきり配置の件を確認した上で、明日の懸念材料について確認することになる。まず、こちらには野砲の備えがない。反面、総督府の正規兵、特に神国兵や法国兵の部隊であれば軽量の野砲を装備している可能性が高い。


「それに関しては、明日の時点では問題ありますまい」


 騎兵や行軍装備を最小限にし移動力重視で機動してきた敵軍は、本来帯同する砲兵を置いてきているようだという偵察の報告を受けている。船を用いてマストリカからロモンドまで砲を移動したとして、その後はルルル川の上流に向けて移動したので、馬の背に乗せて分解して移動するか、馬で牽引するしかなかったと考えられる。


「一両日あれば砲も揃うと考えれば、明日一撃した後、日暮れを以て戦闘終了し、そのまま夜を徹してコロニア領にはいるとしよう」


 聞いているだけで明日は疲れそうな一日である。午前中から戦闘がはじまって夕方まで数時間闘い続けるつもりなのだろうか。明日のことは明日考えるとしたい。


「神国兵は日中戦った上で隊列を整え夜間行軍は難しいでしょうからな」

「我らは身一つで逃げ出す……いや、退却すればよいのだからその辺りは気楽なものでしょう」


 会話自体が気楽すぎる。鎧袖一触、こちらの傭兵が神国の精兵に蹴散らされ潰走した場合どうなるのだろう。夜を徹して追撃されるとは思わないのだろうかと彼女は考えていた。


『コロニアに逃げない方がいいだろうな』

「どうせなら、ロックシェルに向かいましょうか」

『それはいいが、お前の姉ちゃんもいるだろ?』

「……やめましょう……」


 敵も追撃を行うとすれば、撤退する統率の執れていない集団に同行する事はかえって危険かもしれない。進路を東ではなく北に向かい比較的道の険しい場所を選んでメイン川の下流に向かう。その後は、魔導船でメイン川を遡り、ディルブルクに帰還する。


 彼女は戻り次第、リ・アトリエメンバーに明日の夕刻以降に行動する内容を確認することにした。


 軍議の焦点は、神国兵の練度・マスケット銃の装備に対しどう対応するかというところにあった。兵の数はこちらは上であり、その分戦列を厚くすることができる。結論から言えば、接近するまでに撃ち殺される兵士が多いとしても、戦列の厚みで対応可能だという判断が下された。


 同じ正面で展開するならば、兵数が多いこちらの奥行きは深くなる。とは言え、古の帝国時代の『斜線陣』のような戦い方をするわけでもなさそうだ。


 多少損害が多かったとしても、相手は神国の精兵、こちらは帝国やネデルの傭兵であるのであれば、失った兵の補充は総督府軍の方が困難であり、継続して戦争を続けて困るのは相手の方であると結論づける事になった。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




「未来への逃避行!」

「前方に向けて速やかに退却せよか。一度俺も言ってみたいセリフだな」


 前方に向けて退却する案は、正面に存在する『ノインテーター』の部隊を粉砕し、そのまま総督府軍の戦列を突破して敵の本陣を掠めて北に逃走するという案に確定した。


 その基本は、ミアン包囲戦で彼女が単騎で東門前のスケルトン兵を蹂躙した魔力壁を展開した騎乗突撃を素案としている。本来、ミアンでもリリアル生を何人か従えて行う腹案もあったのだが、スケルトン兵だけの除去であれば、聖性を帯びた彼女の魔力壁に触れることで浄化されると判断し、一騎駆けを行うに至った。


――― けして目立ちたかったからではありません!


 この戦闘で仮にネデル総督府軍が圧勝し、遠征軍が壊滅したとしても正面からわずか四騎の騎兵に戦列を粉砕され、本陣を襲撃されたのち突破され逃げられたとなれば、戦功を誇るわけにもいかないだろう。


 また、遠征軍が壊滅したとしても、神国の精兵に正面から一矢報いた乞食党軍の活躍は国内外に大いに喧伝されるであろうし、北部への遠征軍にも付帯的効果が発生すると考えられる。目立ちたいがためではなく、今後のオラン公の活動に勢いが生まれると考えての作戦である。


「メイン川で魔導船に乗るまではゆっくりできそうにもないわね」

「伯爵も連れて離脱するのでしょうか?」


 伯爵の傍近くで戦闘の経過は確認するつもりだが、最終的な判断は伯爵自身が下す事になるだろう。ノインテーターの部隊を殲滅し、そのまま本陣を掠めて北に逃げるつもりの彼女にとって、伯爵が同行を希望するかどうかその時になってみなければ何とも言えないからだ。


「一応声かけてあげるべき」

「なにから目線なのかな、その言い回しは?」


 秩序だった後退ができる状態ならば伯爵とは別行動になるだろう。反対に、潰走となれば有無を言わさず彼女たちの馬の後ろに伯爵を乗せ、敵陣を突破し、メイン川を目指す事になるだろう。





 その夜は夜遅くまで眠ることは出来なかった。周囲のざわめく雰囲気も同じ心理であることを物語っている。


「戦場というのは不思議な空間ね。目に見える場所に明日殺し合う敵がいるのに、今は恍惚と不安共に我にありといった雰囲気がするのよ」

『のぼせちまってるんじゃねぇのか。まあ、この緊張感は中々に体験できるものではないと思うがな』


 攻城戦・攻囲戦の最中、壁一枚を隔てて敵がいる状況を味わったことがあったが、ここには布一枚しか遮るものはない。殺気や覇気がダイレクトに伝わってくる。敵の存在が、気配が直接的に感じられる。彼女自身が最前列に並ぶことはないのだが、銃口や槍の穂先を向けられる最前列の兵士の心理を考えると心臓を握りしめられたような感覚を感じる。


「何事も、初めての経験というものはあるのよね」

『まあな。習うより慣れろだ』


 一晩中、うつらうつらするものの、眠りは浅くすぐに目覚めてしまうことを繰り返しているうちにやがて朝となった。三人娘は爆睡していたのを見て彼女は自分自身が小心であると悟らざるを得なかった。





 翌朝、食事らしい食事をとる事もなく朝露が乾かぬ時間から兵士は戦列を組み始める。食事をとらないのは、内臓を傷つけられた際に、胃の内容物がこぼれだし腹膜炎などを起して重篤な傷としないための配慮でもある。


 そもそも、戦場に立つに際し空腹を感じるようなものは余程の人間だけであろう。


「お腹がすきますね」

「晩御飯はしっかり食べたい」

「……無理でしょう。あなたの望む逃避行の最中でしょうから。メイン川に到達するまでは干し肉でも噛んで空腹は我慢してください」

「腹が減っては……なんてのは前の晩までの話だな。実際は、空腹なんて感じねぇんだ」


 彼女も空腹など感じはしない。目の前では傭兵隊長らしきベテラン兵が槍兵を並べていく。その背後にはハルバードを持った古参らしき兵士が並べられていく。長槍を持って並ぶのは、この戦場が初めての者ばかりのように見える。


『後ろの古参兵が両手剣や矛槍で逃げ出す槍兵を叩きのめせるように配置されているようにしか思えねぇな』


『魔剣』の表現はその通りなのかもしれない。やがて、対陣する総督府軍も同様に戦列を組み始めるが、テキパキとしてあっという間に戦列を組み上げてしまっている。


 前列と陣の弱点となりうる左右の端に大きな銃兵の集団が配置されている。その外側に騎兵が配置されているようだ。


『お、あれがノインテーターの集団じゃねぇか』


 彼女も同時に気が付いた。戦列の両端、銃兵の塊の更に外側。騎兵との間に歩兵の塊が見える。槍を装備せず、全員矛槍か剣と盾を装備しているように見える。神国では『剣盾兵(ローデレロ)』という兵科も存在していたはずだ。


 どうやら、指揮官は狂戦士の部隊を戦列を維持するためには不都合と考え、その中に加えず遊軍として重装騎兵のように用いるのかもしれない。その場合、左右の両端が破壊され、そのまま中央に向けて衝撃が伝わり一気に戦列が崩壊するかもしれないと彼女は感じていた。




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