第383話 彼女は『乞食党』と合流する
第383話 彼女は『乞食党』と合流する
オラン公の軍は『乞食党』と呼ばれる。これは、少し前に原神子派貴族が先の総督マルガリータ公妃の前に意見を述べるため集まった際、その騒ぎを聞き咎めた公妃に対して侍従が「あれは乞食共が騒いでおるのです」と伝えたことに始まったとされる。
その後、原神子派貴族達も自虐の意味で自らを『乞食党』と称することになるのだが、実際、ネデル総督府に異端審問され、その身分や所領・財産を根こそぎ奪われたことを考えれば、あながち『乞食』と呼ばれてもおかしくはない。自らよって立つ場所もなく、他所に寄生する姿はその通りでもある。
南の乞食党軍を率いるのは、デンベルク伯ヴィルムである。伯爵はオラン公の妹の夫で、コロニアの西にあたる地域にデンベルク伯領を持つ伝統的なネデルの貴族であった。勿論、その所領は今は総督府により統治されている。
オラン公の義弟であると同時に、南ネデルの帝国内に逃亡した貴族の中で高位の存在という事で軍を指揮することになったとされる。だが、実際に軍を統率するのは、デンベルク領に隣接するヴィルラの領主であるモンテ男爵だという。
男爵は、リジェ司教領で四百の兵士を集め、主に騎乗の戦力を参加させることに成功した。寄せ集めの軍の中では最大勢力と言えるだろうか。彼の目的は自領の回復にある事は言うまでもないのだが、それは相当難しいと誰もが分かっている事だろう。
オラン公からの書状を携え、彼女たち六人が南乞食党軍に合流したのはディルブルクを辞した一週間後のことであった。寄り道をしなければ数日掛からず合流できたのだが、その軍勢に対する周囲の評価など少々調べてから向かったために時間がかかったのだ。
「軍はロモンドを目標に行軍するようです」
ロモンドはコロニアの北西50㎞程の場所にあるネデル南東部の主要な都市である。二重の城壁を有する帝国自由都市であり、司教座を有する帝国から最も近いネデルの主要都市と言えるだろう。また、いくつかの川の合流点にも近く、河川交通の要衝でもある。
「ですが、今回の遠征を主導しているのはデンベルク伯ではないようです」
オラン公の義弟デンベルク伯が南ネデル遠征の指揮官なのだが、実際に軍を主導しているのは、ロモンド近郊に領地を持っていた異端審問により国外に離脱した領主たちなのであるという。その急先鋒は、ロモンドの西にあるヴィルラの領主モンテ男爵。
「伯爵はお飾りってことか」
「そこまでではありませんが、オラン公の名代というイメージが強いようです」
オラン公との会談で彼女なりに理解したことは、今回の作戦が軍事的な意味をさほど重視していないということである。出兵を希望するネデル南部の領主たちに名目を与えて出陣させる。
その上で、手ひどく負けて幾人か命を失ったとしても、その後に続く北部の私掠船を用いた長期的な作戦に賛同するようになれば問題ないと考えているのだろう。実際、武力で領地を奪還できると考えているものはさほど多くなく、貴族としての面子や体面を気にしての行動だろう。神国国王の代理人程度に父祖の地を奪われて反撃しないわけにはいかない。
軍を起す必要性は共通だが、その目的はオラン公と領主たちでは全く異なると言えるだろう。
「私達の仕事は、吸血鬼を始めとする魔物討伐に……」
「義弟の命を助けるまで」
「戦争の負けは必至ですもんね」
女子三人が言葉を重ねる。そうとなれば、伯爵と信頼関係を築き、ネデルの領主層の干渉を排除する辺りに最初の目標を設定するべきだろう。
コロニアの南、ベルク公領に駐屯地を設けていた。ここから西に進めば目的地のロモンドまで数日の距離でしかない。
「こんな場所で兵を集めていたら、総督府軍にまるわかりではありませんか」
灰目藍髪が「何をかんがえているのだ」とばかりに呟くが、茶目栗毛はそれとなく反論する。
「兵士の練度や糧秣を考えると、長期の行軍は難しいでしょう。それに、ここから三日ほどの距離でしかないロモンドまでまともにたどり着けるかどうかも怪しいものです」
食料を自弁で持つとは言え、精々二日分程度に過ぎない。それに、途中で村落を襲って『騎行』をすることもネデルの領主であったものが率いる遠征軍では行う事も出来ない。
村や町を略奪して回って、領主に戻れるとは思えないからだが、略奪しなくとも難しいだろう。集まっている兵士の装備を見ても、あまり優れた戦力……優れているかいないか以前に質は問えない数だけ集めたように思える戦力である。
「とても攻城戦ができるとも思えないわね。確か、ロモンドは城壁を持っているそれなりの規模の帝国自由都市であったと思うのだけれど」
僅か三千の寄せ集めの軍で攻め落とせるような街ではない。内部から兵を引き入れる約定でも成立しているのならともかく、この戦力で向かってどうなるのだろうかと彼女は疑問に感じていた。
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オラン公から遣わされた冒険者であることを告げ、デンベルク伯への取次ぎを依頼する。その際、紹介状も渡しておいた。暫く営門で待っていると、遣いの者が戻ってきて、早速、伯爵にあって頂きたいと彼女たちを駐屯地の最奥へと案内する。六人は二頭に騎乗し、二頭に引かれた馬車で移動する。少女が馬車に乗って現れたのを見て、兵士が視線を盛んに送って来る。
「あまり良い気分ではありませんね」
「おっさんばっかりだから、目立っちゃってるね」
「私は大丈夫」
赤目銀髪は顔立ちこそ美少女だが、子供子供しているのでそういう視線ではなく、「なんで子供が軍営に」といった懐疑の視線を受けているのである。
ひと際大きな陣幕に案内された六人のうち、彼女と従者の役割を担う茶目栗毛だけが伯爵と面会することになった。四人は幕前で待機している。
「おお、待っておりましたぞリリアル男爵」
「……恐れながら閣下、この場では冒険者アリーとお呼びください」
「む、そうでしたな。義兄からの手紙拝見いたしました。神国の代理人共は、魔物を軍に潜ませているとは……これはアリー殿のお力をお借りする他ありません。どうぞ、そのお力を我らがためにお使いください」
オラン公の義兄弟故か、ネデルの高位貴族が全てそうなのかはわからないが想像以上に腰の低い御仁であった。彼女は掻い摘んで『ノインテーター』に関する情報を伯爵に伝え、その脅威に関して速やかに理解するに至ったように見える。
「なるほど。それは少々羨ましいですな」
単純に戦場での勝利を目指すだけなら、不死者に率いられた狂戦士の部隊は戦力として魅力的ではある。だが、今回の遠征の目的がそうではないことをオラン公の義弟は熟知しているはずなのである。
「……戦場で勝利するだけが、戦争の勝利ではございませんでしょう」
「はっ、これは一本取られましたか。お若いのに、中々の軍才があるのですな」
オラン公の軍が今の時点で戦場で勝利する意味はあまりない。端的に言えば、長期戦に持ち込み、ネデルの駐留する神国兵とネデルの民衆の間に齟齬が生まれ、やがて駐留する費用が集める税金を上回るようになれば、神国国王はネデルの完全支配を諦めることになるだろう。
その為には、この戦いで軍が壊滅し伯爵を始めとした多くの貴族が討取られなければ軍を派遣しただけで目標は達成したことになる。存在を誇示し、軍を動かして多少でも費用を発生させればよい。ネデルから神国兵を追い出すには長い時間がかかるのだ。
紹介状にあった『吸血鬼』の話を伯爵は気にしているようで、彼女に対して何か対策があるのかと率直に聞きただしてきた。
「通常のアンデッドで実体がある者は首を刎ねる事で無力化できる場合が多いのですが、ノインテーターの場合、それでは死にません。死なないために、影響下にある兵士はそのまま『狂戦士状態』が継続し、死を恐れない兵士となったままです」
「死兵とは厄介だな」
『死兵』とは死を覚悟した兵士のことで、命を顧みずまた生き残る事を考えずに戦うため、相手をする側としては非常に厄介である。例えば、聖征に参加していた修道騎士団などは、異教徒との戦いで死ぬことで確実に天に召されると考えている為、むしろ死ぬことがご褒美と考えられていた。
ノインテーターの精神的支配下にあるとはいえ、同じ効果を与えられた支配下の兵士が命尽きるまで負傷とそれに元づく痛みを感じる事無く戦い続けると考えれば、並の傭兵では恐慌状態をもたらせかねないと考えられる。
「魔物は魔力を多く保有しているので、我々には見つける事は可能です。戦列のどこかに紛れ込んでいるとするならば、これを討ち果たす事は不可能ではありません。ですが、そうすると野戦の戦列を大きく乱すことになるので、避けるべきかと思います」
横一列でお互いに対峙して歩兵同士が長槍を突きつけ合う状態で、彼女達が割って入る事は中々に難しい。戦列に隙間は無いからだ。
「……それでは、吸血鬼に戦列を突破されそうになるまで君たちは後方で待機してもらい、見極めた時点でその場所に急行しノイン某を討ち果たせば良いというわけだね」
「はい。但し、戦列に何箇所もノインテーターが入っている場合、同時に複数を対処するわけにはいかないので、どうしても時間差で戦列が破壊される可能性があります」
六人を分散して配置することで対応できるかと言えば不可能だろう。三十の狂戦士を従えた吸血鬼を確実に仕留めるには、六人でもかなり厳しいと
言えるだろうか。
「同時に複数個所は無理だね。ならば、こちらの本営に近い場所から守備してもらおう。私の首がかかっているからね」
それは当然だろう。最悪、デンベルク伯さえ助け出せばオラン公に面目が立つ。ノインテーターを討伐し、伯爵を無事ディルブルクへ帰還させることができれば依頼達成と見なせるだろう。
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彼女達を歓迎するため、また、伯爵の周囲にいる遠征軍の幹部との顔合わせを兼ねて、同じ幕舎で簡単な夕餉を共にする事になった。一応、ディルブルクで彼女は顔を合わせているはずなのだが、軍の幹部にオラン公直々の指名で依頼を受けた『魔物狩り』の高位冒険者として招待するためである。
司令部直属の冒険者であり、戦争に直接かかわらず魔物狩りを主に担う役割であると立場を明確にするためでもあった。
「随分と若い冒険者たちですな」
「確か、王国流れのリ……某といったような記憶がある」
遠征軍の幹部はネデルの中下級貴族であり、領主としては街一つ持つ程度の男爵程度の身分の貴族であった。彼女の実家である子爵家と同じ程度かそれ以下の位階の貴族達であった。
吸血鬼の存在を伯爵が説明し、その存在がある場所は文字通り『死兵』
と化した集団がいるので、十分気を付けるようにということを伝える。
幾人かは『ノインテーター』の存在を知っており、また、オラン公の元で『ジロー』の存在を見聞きした者もおり、半信半疑な者から否定的な参加者もいたが、注意すべしという警告は伝わったようであった。
「しかし、実際、そのようなものを神国の総督府が利用するとは……」
「やはり奴らは御神子様の名を騙る悪魔の手先に相違ない」
「左様左様。なにしろ、万の異端審問を行い、千のネデル市民を生きたまま火炙りにするような者たちですからな。とてもまともな考え方とは思えません」
吸血鬼を用いる事は悪魔の所業とこちらが考えるのであれば、相手は、毒を持って毒を制する程度に考えているのだろう。数万の大軍を擁するネデル総督府の神国軍と言えども、数万を全てこちらに振り向けられるわけでもない。
支配下の都市は大小数十以上あり、その場所に少なからぬ兵士を配置しなければ、昨年起こったロックシェルでの市民反乱のような事件がネデル各地で発生し、収拾がつかなくなるからだ。
反乱を起こしたがゆえに、異端審問にかこつけて反乱分子の首謀者となりえる貴族・富裕層を狩り取っていると考えた方が合点がいく。蛇の頭を潰してしまえば、胴体はどうとでも処理できるからだ。
言うなれば、ここに集まった貴族たちは折角逃げ出したにもかかわらず、ネデル総督府からすれば頭を踏みつぶして下さいと自ら戻ってきた蛇に思えるだろう。そう考えると、目標とされるロモンドの街は釣りだす餌なのだろう。
幕舎の中にいる貴族たちの中で、ひと際声の大きな男がいる。体格が良いというよりは太っているだけに見え、中年だろうか顔色はあまり良いとは言えない。目の下には黒い隈があり憔悴しているようにも見えるのだが、その言葉だけは勇ましい。
この男がヴィルラの領主モンテ男爵。遠征軍の音頭を取っている人間だ。
「既に、ロモンドの街の主だった者とは話が付いている。我等が軍が街に寄せれば、門を開いて導き入れるというのだから問題あるまい」
ロモンドは表面上、総督府に恭順しているように装っているのだが、元は帝国自由都市、そして商人同盟ギルドにも加盟している裕福な都市である。過酷な神国総督府の課税に対して思うところがあり、反総督府の諸侯軍を受け入れるつもりがあるというのである。
「既に、中に我らが同胞が入り込んでいるのだろうか」
空手形という可能性を危惧し、誰かが疑問を口にする。
「いや、総督府の関係者に伝われば、その送り込んだものの存在こそが良い情報源となってしまう。街の住人の全員が全員、我等の味方ではない」
「では、ロモンドの街の決定を信用することが前提なのだな」
別の誰かが皆の気持ちを代表して言葉にする。
「わずか数日でこちらに戻れる場所にあるロモンドだ。万が一、街が直前で心変わりしたとしても、我らがネデルの地に足を踏み入れた事実は残る。それだけでも、ネデルに潜む原神子派の信徒たちを勇気づけることになるではないか。成功すればよし、成功しなくとも軍を率いてネデルに侵攻した実績もまた良しだ」
男爵の言い分を聞けばそれはそうかと思わないでもない。今回の南遠征軍の仕事は、ロモンドを反乱軍側に導くという事と同時に、北に派遣する遠征軍の助攻の意味もある。
総督府軍の関心を南ネデルに引き付け、その間に北部にある帝国との領境にある港湾都市を占領し、拠点とする作戦を達成しやすくするためのいわば『囮』の役割も担っている。
とは言え、仮に、ロモンドが最初から総督府に協力するつもりであり、オラン公を中心とする原神子派軍をおびき寄せて討伐することを前提としているとすれば、神国兵や法国兵のベテランがロモンドに向けて進撃してくる可能性も高い。
彼女は、メインツとコロニアで手に入れた『メインダレン』地方の地図を確認し、コロニアまでの退路を良く把握しておこうと心の中で考えていたのである。