第382話 彼女は公女の父と会う
第382話 彼女は公女の父と会う
緑灰色の城壁を持つ廃城塞。いつ放棄されたかは不明だが、少なくとも聖征の始まった時代以降にその城壁は建設されていることになる。古の帝国時代の遺構を除けば、石造りの城壁は聖征から戻った貴族たちが職人を連れてきた後始まるからだ。
多くの石造りの城塞は規模が小さい。領主が領民に掛ける賦役により建設されるのであれば、余程の大領主でなければ街を取り囲むような石壁を築くことはできない。
ネデルの都市や法国の都市が立派な石壁を持つ城塞都市となっているのは、都市に住む商人たちが貿易により富裕であったことによるだろう。王都もそうだが百年、二百年、三百年とかけて城壁は作られている。つまり、放棄されたとしても、歴史的に見れば過去には名のある街であったはずなのだ。
「デンヌの森の中にあって、石造りの城壁を築けるほど富裕な都市であったけれど放棄された場所というのは、調べればある程度特定できるのではないかしら」
『確かにな。王都で調べる事もできるんじゃねぇか』
聖征の時代の少し後、王国がネデルの南部に影響を及ぼしていた時代がそれなりにあった。当時の街を記録した古地図があれば、現在のものと比較して見つける事も可能だろう。世界のどこかにではなく、デンヌの森の中で、ロックシェルから馬車で半日程度で到達可能な位置関係なのだ。
魔導船であれば朝にメインツを出ても夕方にはディルブルクへと到着することができる。既に、彼女たちの存在は城でも知られている為、前回のように城下に前泊することなく、そのままオラン公の元へと向かうことにした。
城では受け入れの準備は整っており、むしろ歓迎する雰囲気であった。恐らく姉が何かしら上手く立ち回ったのだろうと彼女は想像する。
「リリアル男爵と、騎士団の皆さん。この度は娘マリアが大変お世話になりました」
「有難く存じますわ」
既に、オラン公の元にいたネデル諸侯は軍を発するためにそれぞれの拠点へと移動しており、ディルブルクにはオラン公・ナッツ伯の一族が残るのみであった。今回は体面を考えることなく、彼女たちを賓客として迎えてくれたようで、公夫妻とナッツ伯が出迎えてくれた。
夕食も、諸侯を交えた晩餐とは異なり、城主とその一族、そしてリ・アトリエメンバーとの会食となった。主な話題は、今回の遠征の話……ではなく、メインツで流れているリ・アトリエとリリアル男爵の噂の話や、マリア嬢を救出した際の出来事、帝国の印象やネデルの風土など四方山話であった。
予想通り、姉はオラン公・ナッツ伯を焚き付け、自らが同行し安全を護ると約束したのだという。
「リリアル閣下の姉上は……随分と印象の異なる方でしたわね」
「……お恥ずかしい限りです……」
「いや、確かに王国でも知られた賢女だと感じたな。流石、ニース伯の麒麟児が妻にと望んだだけのことはある」
オラン公夫人が姉を褒め、さらにいつもは寡黙なナッツ伯が相槌を打つ。オラン公は何時もは寡黙なのだそうで、兄が話す時は敢えて弟ナッツ伯は黙っているのだそうだが、家族の中では役割は本来逆なのだという。
それにしても、あの義兄が「麒麟児」と呼ばれる程、帝国でも知られた逸材だと彼女は知らなかった。
「ニースの聖エゼル騎士団の軍船を指揮し、サラセンの軍船に囲まれたマレスの港に突入し、大いに活躍されたと聞いている」
そういえば、姉が婚約者がしばらく王都を離れると珍しく落ち込んだ時期があった記憶がある。その当時、男爵に陞爵する以前でもあり、学院に掛かり切りであった多忙な時期の記憶の為あまり定かではないが……そんな時期であったかと彼女は腑に落ちた。
聖エゼル騎士団は、聖母騎士団同様、聖王国・カナンの地を訪れる巡礼者の医療を担う目的で設立された騎士団であるが、サボア公国出身の教皇が出た時期にサボア公爵家に預けられた経緯がある。ちょうど、聖王国がサラセンにより領土を失い、やがて聖王国の王位がサボア公爵家に婚姻の結果もたらされた時期と一致する。
海を持たないサボア公家は海軍・軍船の扱いに困り、隣接する友邦であったニース公国に聖エゼル騎士団海軍の軍港を求めたことから、海軍に当たる支部のみニース領に移管されたのだという。
代々、ニース公国の領主の家系から騎士団長が選出されており、三男坊は姉と結婚するまで騎士団長の職務を務めていたのだという。今は還俗し、『元騎士団長』として、聖エゼルの「傭兵」として艦隊の指揮官任務のみ務めているのだと聞いた記憶がある。麒麟児は初耳だが。
『お前の姉ちゃん、意外と旦那のこと褒めないようにしているからな。恥ずかしいんじゃねぇの』
姉夫婦は『おしどり夫婦』とされているが、終始お互いにボケをかましているダブルボケ夫婦だと彼女は考えていたりする。おしどりであることには異論はないのだが。
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最終的には愛娘自慢が延々繰り返される頃に食事は終了した。リリアル生のテーブルマナーには問題なかったものの、狼人はなれないカトラリー使いに四苦八苦していたのが今後の課題かもしれない。
食後、彼女だけがオラン公兄弟と別の席を設けられた。遠征の話であろうと彼女は心づもりをする。
「既に諸侯はそれぞれ募兵に向かったのだが……」
オラン公は名目上の『盟主』ではあるが、当然一枚岩というわけではない。ネデルに豊かな領都を持っていたとはいえ、既に総督府に接収され、今はナッツ伯に寄宿する身である。
それに、一朝一夕にネデルに軍を派遣すれば自分たちの領地が取り戻せる等と考えてもいなかった。
「だが、全員が理解して納得しているわけでもない」
オラン公はネデルを割る事を構想していた。今までのロックシェルを中心とした政治的支配、経済的にはロックシェルの北40㎞程にある商都アントブルペンやランドルのブラへが中心となっている。この地を押さえた総督府は、十分な軍資金を得て数万の軍をネデルに展開している。
数万とは言え、それぞれ支配下にある都市や街道を押さえための砦などに分散されている面はあるが、オラン公が編成できる数千の軍ではネデルの原神子派諸侯の領地を全て取り戻す事はできない。だが、できるできないでは納得できないのが人の心理だ。特に、代々領主を務めてきた南ネデルの貴族は顕著だという。
「私掠船を増やしているんだがな。その根拠地になる北ネデルの港湾都市を幾つか押さえられれば、経済的には総督府支配下の都市に流れる商人の動きを抑制できる。荷も奪える」
「今の段階で、原神子信徒が多い商工人は総督府の支配の厳しい大都市を離れ、新興の都市や連合王国へ逃れている。ランドル経由で王国へと逃れる者も少なくない」
総督府支配下の大都市の商工人の受け皿をネデル北部の港湾都市に作り、また、私掠船で貿易船を襲いネデルに入る商人・商品を奪い経済的に衰弱させる。その結果、ネデル総督府は軍を維持できなくなり、支配するための高圧的な政策、原神子派信徒の弾圧を避けるようになる。
この策は直接的に戦争を行うことをせず、経済面で闘争を行う事になるのだが、一日も早く所領を取り戻したい貴族や、南ネデルを放棄する政策に納得できない諸侯は賛同することは考えられない。
「それで、今回の遠征なわけですか」
「ある意味、短期決戦派の顔を立てつつ戦力の違いを実感させ説得に応じさせる意味がある」
「何人か死ぬだろうが、それも考慮の内だ。ただ、我等も準備を整え秋にはネデルに侵攻する」
帝国内では十分に募兵も出来ないため、ネデルを抜け王国ないし連合王国に潜伏し、時を待つということになるのだという。軍を起すが、それはあくまでもネデル総督府に対する意思表示にすぎないという。
彼女はオラン公の説明を聞き、彼女自身の問題となるいくつかの点を指摘することにした。
「まず、帝国からネデルを抜けて王国に軍を率いて移動することになるわけでしょうが、王国に入る時点で武装解除しない場合、王国軍と戦闘状態になる可能性があります」
数千の軍が王国に入って来るのであれば、当然、その兵士が王国の街や村を略奪しないとも限らない。王国はランドルに面する地域に近衛連隊を中心に相応の軍を駐留させている。まず、オラン公の率いる軍は迎撃されるだろう。
「事前に王国に連絡をし、王国に迷惑を掛けない段取りを決めておくべきでしょう」
「……そうか。では……」
王都に滞在するエンリを通じ、秋のネデル遠征後の取決めを行うことにする。その時期の前に、一度彼女も王国に戻り、直接話をする事も否はない。
どうやら今回の目的は、彼女を通じて王国の軍にとりなしてもらうための席を設ける事にあったようだ。近衛連隊と騎士団の駐屯する大隊規模の戦力であれば、一万足らずの寄せ集めの軍を生かすも殺すも自在だろう。
「それで、今回の遠征ですが。実際はどのような形で行われるのでしょうか」
オラン公曰く、『春の遠征』に関しては、南ネデルに向かうオラン公の義弟である『デンベルク伯』が中心となる軍と、北ネデルに向かうオラン公の実弟ルイとアゾルが率いる軍で行われる。
オラン公の本命は北に向かう軍であり、その目的は港湾都市を一つ支配下に納め、今後の戦略の起点とする事にある。
「実は、異端認定された貴族のうちロックシェルや領地から逃れた少なくない人数が既に私掠船を仕立てて海の上に逃亡している」
陸に残れば、異端審問をするために捕り方が派遣され、強引にロックシェルへ連行され碌に裁判もなされないまま刑死することになりかねないと判断した貴族達の多くが、船を仕立て私掠船となって活動しているのだという。
いくら海上では神国の支配下にはないと言え、永遠に海の上を彷徨う訳にもいかない。水や食料は必要であるし、荒れた天気ともなれば沈没を避けるために寄港する必要もある。その為の拠点を北ネデルに求める事が遠征の目的なのだという。
彼女は、今の時点で想定される『ノインテーター』を用いたネデル総督府軍の戦い方について二人に説明することにした。二人の顔がみるみる青ざめる。
「不死の軍か。まるで、古代の帝王のようではないか」
古の帝国よりさらに昔の時代、東方を統べる帝王が持つと言われた不死の軍は、その実、死んだ分だけ即補充される軍でしかなかったのだが、指揮官以外は不死ではないノインテーター率いる小隊規模の部隊はその通りなのかもしれない。
「ネデル総督府に十数人が配置されていると聞いております」
「……ノインテーターの情報はどこで手に入れた?」
彼女は微笑んで「ご想像にお任せいたします」と言いつつ、今回の誘拐未遂事件の討伐の過程で判断したことを伝えると、「なるほど」と納得してもらえたようである。
ノインテーターの問題は、その戦力の展開能力に大きく比重がある。即席で攻防に信頼のおける精兵が作り出せ、その戦力は僅かな『吸血鬼』の移動により実行が可能なのだ。問題は、一度支配下に置いた人間はノインテーターが死なない限り支配下に置かれることになるのだが、これは傭兵であれば時間の経過とともに使い潰されるので大きな問題ではないだろう。一会戦で、ノインテーター以外は全滅するような戦い方をすればよいとも考えられる。
「南ネデルには確実に現れるでしょう」
「ロックシェルの目と鼻の先迄進軍するのだからな」
「北部への遠征に関してはどうだろう」
ロックシェルから長駆、遠征軍を迎撃するのであるから、進軍により隊列の乱れない神国兵か法国兵の部隊を送るだろう。育成にコストの掛かっている部隊を吸血鬼の支配下に置く必要性は低い。故に、北部にはノインテーターは現れないと予想できる。
「今回の遠征、デンベルク伯の南部遠征軍に随行してもらおう」
「では、その内容で伯爵宛に紹介状をいただきましょう」
「独立した魔物狩りの冒険者を私が個人的に義弟の為に送る……という内容でしたためさせてもらおう」
増援ではなく、あくまでも『対吸血鬼用』の義弟の護衛であるとオラン公は認証を発行するというのである。
「ノインテーター対策は万全なのだな」
聞きにくいことをズバリ聞かれ、彼女は内心こころざわめいたが、表情に出さずに「もちろんです」と答えた。但し、この場では明かせないと付け加える。
『そんな妙策あるのかよ』
『魔剣』のつっこみに「あるわけないでしょう」と即座に応える彼女である。
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彼女はノインテーターに関してそれほど深く悩んではいなかった。所詮、魔力を持つ『魔物』の一つに過ぎない。魔力走査を用いて彼女が広範に戦場で対峙した際に確認し、範囲を絞って討伐すればよいだろうと見当をつけていた。
問題は、彼女達だけで行うこれまでの討伐と異なり、周囲には兵士が千人単位で存在するという事だろうか。
「机上で考えても仕方がないわね」
『俺も戦場に立った経験はほとんどないから何も言えねぇな』
『魔剣』は現役時代、研究職であったこともあり戦場に出た経験がない。また、五百年以上前の戦場と今では規模も戦い方も様変わりしている。
戦列を並べ最前列にマスケット兵、その後方に長槍兵、最後列にハルバードやツヴァイハンダーのような装備を持つ兵士が並ぶと考えられる。それ以外にも、偵察や追撃用の騎兵が存在する。これは、戦列の左右もしくは後方にいて、警戒や戦闘終了後の追撃に参加する。おそらく、彼女たちの居場所も同様、戦列後方の指揮官傍で騎乗で警戒する役割となるだろう。
「戦列の要の部分にノインテーターが率いる堅い守りの小隊が配置される
とすれば、ぶつかり合えばこちらが先に潰走することになるわね」
『そこにノインテーター率いる『狂戦士』どもが飛び込んでくるとなれば、ひでぇことになるだろう』
「そこが私たちの仕事場になる……で良いのでは?」
初めて経験する人間同士の戦場で、まして彼女たちは傭兵ですらなく魔物を狩る冒険者として参加する。混戦に巻き込まれず、尚且つ、目的であるノインテーターを狩るには、今までのような気配隠蔽をして接近し、一撃で魔物を刈り取るという戦い方は困難だ。
「銃で撃ち殺せない敵でもあるわね」
『周りの狂戦士はそれで殺せる。露払いを頼んで、あとはお前が飛び込んで首を刎ね、胴体は袋詰め……って感じか』
恐らく、ノインテーター率いる狂戦士の小隊は戦場で一丸となってオラン公の軍を蹂躙するだろう。魔力走査で居場所を特定し、六人がその群れに接近しノインテーターを中心に狩り取るという対応になるだろうか。
「馬用の魔装鎧を用意しておいてよかったわね」
今回の戦いで、馬で狂戦士の集団に乗りつける事が前提となるだろう。馬を失えば危険度は相当増す事になる。そう考えれば、馬を守るための装備はとても大切だと思えるのである。
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