第370話 彼女は傭兵相手に喧嘩を売らせる
第370話 彼女は傭兵相手に喧嘩を売らせる
彼女が灰目藍髪に明日の「傭兵達からの胡乱な挑発への対応」を指示したのは、寝る少し前のことである。
「ギルドと同じようなことが起こるのであれば、敢えて売られた喧嘩は買えという事ですね。望むところです」
灰目藍髪、見た目に違わず気の強い女性である。
「その場合、一度公爵閣下に勝負を預ける形にしようと思うの」
灰目藍髪はなるほどと頷く。一々相手にするのも面倒なので、御前試合のような形で腕試しをするというこなのであろう。その場で飛び入りの可能性もあるだろうし、喧嘩を売るまでではなくとも様子を見ている他の貴族・傭兵へのアピールにも丁度良い。
「ですが、先生は出られないのですか?」
いつもなら、彼女が我先にと手を挙げる状況だろうと言いたいらしい。勿論、日頃から彼女にそんな気はないのだが、過去の武勇伝が拡大解釈されているのだろう。原因は……姉と伯姪だと推測する。あと、ジジマッチョ。
彼女の望みは灰目藍髪にはここで名を売り、実力を示させたいというところだ。
彼女の中にある今後のリリアル拡大の計画。彼女と伯姪以外にも、指揮の取れるメンバーが必要となる。一人は茶目栗毛、今一人は灰目藍髪が候補となる。
魔力量こそ少ないものの、その出自と自分自身の将来に対する展望を考えると、十分に担えると彼女は考えていた。何より、彼女には微力ながら『水』の精霊の加護があるのだ。これは、今後育てるべき才能だと彼女は考えていた。
水路の多いネデル遠征において、出来るなら精霊使いでもあるオリヴィに指導してもらい、才能を開花させたいというところでもある。
サボアの修道女の四人がリリアルに滞在している時、灰目藍髪に精霊の加護がある事を彼女たちは知った。
アンナリーザは灰目藍髪を見て「貴方には水の精霊の加護が付いています」と告げる。アンナリーザの家は水の精霊の加護を代々受けているフォンテマーレという家名を持つ。その意味は『海の如き泉』である。
「貴方は、水に話しかけたり、感謝の言葉を述べたりしたことはありませんか?」「……一人で水仕事をする事が多かったので……話しかけるのが癖になりました……」
灰目藍髪は意志の強い少女であり、生来のものであった。その為、自分のいた孤児院では年上の孤児やシスターにも少々疎まれる存在であり、人が嫌がる仕事を進んで務めさせられたという。人一倍真面目な彼女は、文句も言わず重たい水汲みの仕事も「体を鍛える為」と割り切り、日々これを重ねて行った。
水仕事も冬は寒く、手も荒れるので辛かったが、小さな子供たちにはできない仕事であるので、進んで自分が務めた。
とは言え、年下の子と一緒にいるわけでもなく、助けてくれる者もいなかったので、本人は架空の友人を作り話しかける事にした。イマジナリー・フレンドとでも言えばいいのかもしれないが、空想のお話である。
やがて、挨拶をし、日々の出来事を語り将来の夢の話をし、なりたい自分になる為には何を為すべきか考え、話をするようになると、ふとした時に、誰かが彼女にアドバイスしてくれるようになった。一人の時に限って、灰目藍髪にだけ聞こえる声で話してくれるのだ。
「それって精霊と会話していたんだと思います」
「……精霊?」
「最初は水場にいる、水の妖精だったんだと思うのです。あなたが毎日話しかけることで不確かな存在である妖精が、水の精霊に成長したのではないかと思います」
架空の友人に話しているつもりが、身近にいる見えない妖精に語り掛けることになり、やがて妖精は力を得て精霊となり、彼女の友として傍に侍るようになった。
「リリアルに居られる理由も、それがきっかけで良い方に向かった結果ではないでしょうか」
疎まれていた彼女は、勉強する時間も少なく、またそのための教材も触らせてもらえなかった。だが、彼女の耳には、その書物に書いてある内容を読み聞かせる声が、毎晩聞こえてきた。てっきり、孤児院の誰かが声に出して読み上げているのだと思っていたのだが、消灯時間以降にそんなことが許されるわけはない。
とは言えその当時は「だれか特別に許可されているのだろう」と考え、その声を必死に聞き、内容を記憶した。
「神様って本当にいるんだとその時は思いました」
「神様じゃなくって妖精様だったわけだ。それが今では精霊様か」
恐らく、どの世界の神も信じる者の心に応えた妖精がやがて力を得て精霊となり、多くの人に加護を与え、その人たちの信仰心を得て神となっていったのだろう。
『どこぞの聖典に出てくるヤヴェだって、最初は小さな妖精だったんだろうぜ。それが、やがて言葉を重ね精霊となり民族を作り出すまでの神になったと考えれば、あの性格の悪さもやたら人を試すところも納得だ』
聖典に出てくる神の名を正確に発音する事は難しい。仮に『ヤヴェ』と呼んでいるに過ぎない。確かに砂漠の如き荒野を連れまわしたり、他人の住む城塞都市の壁を破壊したり、信仰が失われそうになると他民族に捕囚させたり、ヤバい神様だと思われる。
一々恩着せがましいのも気になるのだが、御神子様はそれを神の愛だと考える、この人も真正のヤヴェ人である。
そう考えると、神国の原理主義者も、原神子教徒の聖典至上主義も鏡合わせのヤヴェ人に過ぎないのかと思わないでもない。喧嘩というのは、同じレベルの者の間にしか成り立たないのだから。
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翌朝、城の中庭で朝の鍛錬をするリリアル生。これは、日課であると同時に、昨日の夜に話をしてあった「喧嘩を買う」ための伏線でもある。最前の訪問でリリアル=リ・アトリエの冒険者に関してそれなりに認知しているオラン公・ナッツ伯配下の騎士・兵士は半ば感心するような視線を投げかけてくるものの、当然、非友好的な存在もチラチラと見て取れる。
「はあぁぁぁ!!」
「どうしたどうした!! もっと鋭く、もっと早くだぁ!!」
対峙しているのは狼人と赤目銀髪。魔力を用いず、素の身体能力だけで木剣にて立会をしている。胸の高さほどしかない群を抜いて小柄な少女が、必死に剣を振るう姿は少々演劇のようでもある。
また、その先では、茶目栗毛に灰目藍髪が片手剣での剣技を教わっており、ゆっくりとした流れで木剣を交わらせている。これも、見物人からすればおかしな行為に見えるのだろう。
魔力で身体強化した場合、相対的に剣を振る速度は遅く感じられるようになるので、実際の体感ではこのような動きに感じられるのだ。魔力を用いた身体強化を複数同時に行える魔剣士であれば二人の立会はおかしなものではない。
また、剣を打ち合わせるような操作を行わないこともリリアルでの剣技では必要な事でもある。後の先を取る、一撃必殺が基本であり、武器の破損につながるような回避方法は乱戦においても避けるように身に染みさせる。
武器が壊れました、倒されましたとならないようにするためである事と同時に、魔力壁や魔装鎧を用いた防御を行う事を優先とするからだ。
「おいおい、朝から子供が剣術教室開いてんな。なんか、勘違いしとりゃせんかのぉ~」
「ばっか、ヤメロ……」
「いやいや、俺はホントのこと言っとるだけだぁ。こんな子供らを誰が招いたんだ。オラン公やナッツ伯の御子息たちではないだろう。女の子ばかりだしな」
一番奥で、碧目金髪に銃の使えない距離での剣による自衛の方法を確認していた彼女は待ってましたとばかりに声の主に話しかける事にする。
「おはようございます。自己紹介を。今回の遠征で同行する冒険者のリ・アトリエと申します。私は星四の冒険者でアリーと申します。お見知りおきを」
彼女が高位冒険者であると名乗りを上げたので、ざわっと中庭が騒がしくなる。中でも星四の冒険者は帝国内にも数えるほどしかいないはずであり、その割に名前を聞いたことがない『元冒険者』の傭兵達から「誰だよ」という声が漏れ聞こえる。
「オラン公から指名依頼をいただきましたので、馳せ参じた次第です」
「……依頼? あんたらも戦争するのか」
止めに入っていた傭兵が問いかける。彼女はそれには直接答えない。
「ネデルには奇妙な魔物が増えているそうです。その魔物を軍に同行し討伐することが依頼の内容になります」
「はっ、ゴブリンとかコボルドくらい俺達で討伐できるだろぉがよぉ」
先ほどからしきりに挑発してくれる傭兵が、冒険者など不用だとばかりに大きくがなりたてる。恐らく、オーク程度までなら問題ないだろう。だが、オーガやワーウルフ・吸血鬼やワイト・リッチ辺りになれば、かなり難しい。
損害を度外視するならともかく、野営中や行軍中に襲われた場合、傭兵はそれほど役に立つわけではない。彼女たちのように、何でも魔法袋に収納し、魔力走査を常時発動し奇襲を受けずに臨戦態勢で移動する傭兵等いないからである。
「戦争には戦争の専門家が、魔物退治には魔物退治の専門家が当たる方が効率が良いでしょう。無駄な損害も出ませんし」
「だが、俺達が魔物を討伐できれば、お前さんたちの存在も不要になる。そっちの方が効率がいんじゃないのか?」
吸血鬼、特にノインテーターを倒せるのであれば特に問題がなくなるのだが、それはおそらく難しいだろう。吸血鬼の率いるオーガレベルに強化された配下の傭兵達が狂戦士のように襲い掛かってくることが推測される。
槍を並べ、押し合いへし合いし、その中に割り込んで矛槍や剣で相手を刺突し戦列を崩すような戦い方をする傭兵であれば、一気に飛び込まれて集団は崩壊するだろう。同じ程度の人間の集団がぶつかり合うから成立する戦い方であり、傭兵隊長らは腕も必要だが人を集め動かす企業家としての要素が大きい。
魔物と対峙して討伐するには、荷が重いというものだ。
彼女は鼻で笑い「できるのであれば……ね」と言い返すと、それが面白くないのか、引っ込みがつかなくなったのか解りかねるが、何人かが腕試しを希望するように名乗りを上げた。曰く「稽古をつけてやる」だそうだ。
『まあ、いつものことだな』
「ええ、丁度いい御方がお見えね」
そこに現れたのは、オラン公・ナッツ伯の弟ルイであった。彼女とは一回り程年上であるが、最初にあった時の末弟エンリまでではないが、彼女たちの腕前に少々疑問があるという雰囲気を漂わせている。
「おはようございますリリアル閣下」
「……おはようございますルイ様」
「……閣下……」
「然様、冒険者アリー殿は王国のリリアル男爵閣下だからな。お忍びでネデルに来られているわけだ」
「「「……」」」
あくまでも冒険者として入国しているので、特に問題はない。個人的な事情で他国の貴族が戦争に参加する事がないわけではないからだ。
「それでは、尚更ですな。高名な『妖精騎士』殿の腕前を見せて頂く絶好の機会です」
「その通り!! 良い話のタネとなるでしょう」
等と言われてはいそうですかと立ち合うほど彼女は必要性を感じない。という姿勢を見せる。
「私たちが鍛錬をしていたところ、『稽古をつけてやる』等と口にされたので、どうしたものかと思っております」
「なるほど。稽古をつけてやればよろしいではありませんか」
「……お断りします」
「なっ、に、逃げるのか」
「馬鹿ね、見逃してやると先生はおっしゃっているのよ。身の程を弁える事も出来ないのかしらね帝国の傭兵は」
後ろで黙って頷く赤目銀髪、そして、段取りが分からずアワアワとする碧目金髪。空気を読んで黙って静観する茶目栗毛に「俺の出番来た!」と勘違いする狼人というてんでバラバラの反応であるが、灰目藍髪の言葉に、「稽古をつけてやる」と声を掛けた傭兵が苛立ちを隠さずに言い返す。
「なに、男爵閣下はそうそう下賤な傭兵とは立ち合ってもらえないだろうから、何なら代わりにお前が相手をしてもいいんだぜ」
「その耳の穴は飾りか? 先生はお断りになった。勿論私もお断りだ。ここにはオラン公の依頼で必要であるから滞在しているのであって、傭兵と腕試しをするという要件は含まれていない。だから断る」
文句があるなら喧嘩を買うにしても、公爵の許可なくは買えない。私闘であり、処罰されかねない。
「ルイ様、折角ですからあなたからオラン公に立ち合いの許可を頂きたいとお伝えいただけませんでしょうか。こちらは、許可があるならば構いません」
「……ならば、兄に確認してみるとしよう。それまでは、双方、揉め事を起さないように願いたい」
「承知しました」
「も、もちろんです。ナッツ卿」
因みに、ナッツ伯の次男がナッツ伯を継ぎ、三男以下は『ナッツ伯の息子』という事で『ナッツ卿』と呼ばれている。
『いい感じで話が回せたな』
『魔剣』が危惧していたのは、勝手に立ち合って怪我でもさせれば別の問題が発生すると考えていたからだ。王国であればそれほど遺恨にならないが、帝国・それも傭兵相手であれば最悪殺し合いに発展しかねない。相手にはちょっと痛い目に合わせてやろう程度の思惑であったとしても、面子を潰され黙って引き下がるとも思えない。
「木剣での模擬戦を二三熟せば大人しくなるでしょう彼らも」
灰目藍髪が思っていた以上に良い立ち回りをしたことは、彼女の中で満足感をもたらせていた。単に喧嘩っ早いだけの可能性もあるのだが。
背後では打ち合わせを知らされていなかった碧目金髪が「え、そうなの」とか「それなら最初に教えておいてよ!」と傭兵と一触即発と思って大いに慌てた故に、周りに愚痴を垂れ流している。
「ドキドキするのも冒険」
「先生が何の伏線もなく話に割って入らせるわけありません」
「俺の出番はないのかどうかが大事だな」
個々人の理由は別にして、一人を残して誰も心配していなかった模様。
朝食を終え与えられた部屋でくつろいでいると、オラン公からの伝言を携えた従者が現れる。
「オラン公が、傭兵と冒険者の模擬戦を見たいという事でございます」
弟からの話を受け、オラン公も少々乗り気となったようである。公爵閣下も傭兵から突き上げられるのは面白くないという事なのかもしれない。幸い、本日午後からの会議の前の時間は特に予定はないという事で、再び、城の中庭で参集した貴族・傭兵の前で試合をして見せろと言うのだ。
『負けたらどうすんだよ』
「負けたら負けたでいいじゃない。勝つか負けるかではなく、腕を見せて黙らせることが目的なのだから」
正直、リリアルの戦い方で傭兵に負けるとは思わないのだが、負けても特に困る事はないと彼女は考えていた。