第365話 彼女は大司教と知己を得る
第365話 彼女は大司教と知己を得る
「できれば、悪党と組討するような状況は避けたいわね」
『……まあな……』
検討の結果、リリアル女子は対人接近戦の練習は行わない事になりそうである。普通に、斬り殺せばいいという結論に達したからだ。組み伏せてまで命大事にするより、下手に近寄らせて不意打ちや毒など暗器による攻撃を受ける方が困ると判断した為である。
悪党は余程のことがない限り、生死を問わないとリリアルでは考えている。無理に殺す必要はないが、殺さないように配慮し過ぎる事も不要という考えであり、そもそも、リリアルが関わる時点で重罪・死罪でもおかしくない相手となる場合がほとんどである。騎士団の手に余る案件を『強制依頼』としてリリアルに振ってくるからだ。
「最後は派手に決めて欲しい」
「うーん、それは無理?」
「今までの傭兵とは少々レベルが違うかもしれませんね」
完全に観客目線の三人娘。彼女もそれは同じく感じる。『どうすんだよ』という『魔剣』の誘いに、彼女は反応し魔法袋からポーションを取り出し、茶目栗毛に見えるように手に持って振る。
「手加減無用よ。後は任せなさい」
『そういうんじゃねぇよな……』
茶目栗毛は「お任せを」とばかりに深く頷く。彼女の意思は本人には伝わったようだ。
最初の騎士と比べれば背は少し高い程度だが、体の厚みがまるで違う。恐らく、胸回りは1mを大きく超えるだろう。大きく張り出した四角い顎にその顎よりも太い短い首が肩につながる。腕は彼女のウエストほどもあるだろうか。下半身はさほど大きくはないが、しなやかな筋肉が見て取れる。上半身の筋力で武器を振り回し、下半身は軽快にその動きを支えるといったところだろうか。
そして、目に見えて魔力による身体強化も行われているようだ。
実戦と異なり、捜索も気配の隠蔽も不要な決闘において、身体強化だけに魔力を集中できるのであれば、元となる体の大きさ、身に付いた武技の差が能力の差となる。遊撃・奇襲がメインの茶目栗毛に対し、目の前の傭兵は戦場で正面から傭兵団の先頭で長柄やメイスを振るうタイプだろう。
『噛み合わせ悪いかもな』
「ふふ、そんな事はないわ。それに、応用のきく子だもの。問題ないと思うわ」
「始め!!」
ギルマスの掛け声とともに、最後になるかもしれない模擬戦が開始される。
最初、力任せに襲い掛かって来るかと思った傭兵は、剣を構えジリジリと間合いを詰めるように動き始めた。剣は斜め右上に掲げ、攻撃も防御も行いやすい位置にある。
茶目栗毛は剣を下に降ろし、打ち下ろしからのカウンター狙う位置に剣を構える。ここまでは、相手の出方に沿った構えなのだろう。
「死ねぇ!!」
一気に間合いを詰め、剣を茶目栗毛の頭上に叩きつけようとする傭兵。体を躱すが、降ろした剣を横薙ぎに振り、更に連続で突きを放つ傭兵。
「「「おおぉぉ!!!!」」」
今までの模擬戦が一方的なものであったこともあり、傭兵の剣技に観客が驚きの歓声をあげる。
『盛り上がって参りました……って奴か』
「少しは見せ場がないとね。それと、彼は手加減しないつもりなのだから、相手を加速させる方を選んだのでしょうね」
彼女はその後呟く。「その方が、カウンターの効果が倍増するのよね」と。
初手の攻防、小柄な少年が大男の傭兵に一方的に攻撃されるたび、男共の歓声と、女性の悲鳴が大聖堂前の広場に響き渡る。しかし、三十秒、一分と攻撃が続く中、傭兵の一撃は決まる事が無く、逆に時折、動きを止める事に何人かが気が付き始めた。
「パントマイム」
「何かに当たっているようです」
「持病の神経痛とか?」
三人娘の見立ての中で、「何かに当たる」というのが正しい答えだ。
『魔力が少ないなら、少ないなりに使い方があるってことか』
『魔剣』の呟きに彼女が無言でうなずく。茶目栗毛が行っているのは、身体強化ともう一つ、『魔力壁』の応用である『魔力煉瓦』をさらに小さくした『魔力賽』と思えるほどの小さな魔力の壁を傭兵の剣の軌道上に置き、受け止めていることが一つ。
「可愛い振りしてあの子、割とやるもんね」
『ああ、お前よりエグイな』
カウンターに打ち込まれる魔力賽は、傭兵の喉元や顎先、剣を握る指先に向けて撃ち放たれる。あるいは肘の手前、膝上。腕が痺れ、脚に力が入らなくなり、最初はしっかりした踏み込みを行っていた脚もいまではフラフラとし始めている。
いつ来るかわからない不意の攻撃と痛み、そして、痛みを補い動く為にさらに魔力を消費する。五人目である茶目栗毛に対し、傭兵は初めての相手という事で魔力も体力も余裕があったはずなのに、いつの間にか傭兵がじり貧となっていく。
剣を打ち合わせる事なく、一方的に剣で切払われ刺突される茶目栗毛は、不用意な刺突が来る事を待ち構えていた。
「いい加減!! 刺されろぉ!!」
やや甘い刺突、伸びきった腕を剣を捨てその手首を握り、腕に飛び掛かり踵で背と胸を思い切り叩き、体重をかけて前のめりに倒す茶目栗毛。
バキッ!!
肘をへし折り、頭から広場の石畳にそれを叩きつける。一瞬でその腕を解き放ち、剣を拾いなおしギルマスの反応を確認する。
「意識はないと思います。続けますか?」
首の後ろに剣を叩き落とす事も出来ないではないが、彼女から殺す事は許可されていない。慌てて駈け寄るギルマスによって、傭兵騎士の意識がない事が確認され、この模擬戦は終了という事になった。
「これをあちらの方にどうぞ」
「……む、気を使わせてすまんな……」
先ほど魔法袋から取り出した回復ポーションをギルマス経由で傭兵に渡す。骨の位置などを修正しなければならないが、それでも元の形に回復できる可能性があるポーションを無料で渡されるのだから、多少の反発を抑える効果があるだろうか。
「リリアル男爵から、彼にポーションの提供があった。男爵の配慮に感謝する!!」
と、ギルマスが声を上げると、ギルド職員を中心に拍手が始まる。やがてパラパラであった拍手が大きなものとなり、五人に同行していた傭兵の一人がポーションを受け取ると、その拍手は歓声に包まれるのであった。
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「王国で『聖女』と呼ばれるリリアル閣下。戦った相手にも慈悲を掛け、回復ポーション迄渡すとは……噂以上の慈悲深さです」
「恐れ入ります大司教様」
『ヘイトを躱す為の必要経費だよな』
『魔剣』の言う通り、リ・アトリエとリリアル男爵のヘイトを躱す為の偽善でしかないのは、彼女も十分理解している。だが、偽善であっても善行は善行だ。でなければ、この大司教との面談も微妙なものとなっていただろう。
表面的にも、悪意を向ける者を許さず、されど慈悲を掛ける程度の優しさを持っていると多くの者たちに知らしめる必要経費としてポーション一本は格安であったと言えるだろう。
メインツは宗教的な都市であるが、帝国の主要都市であり、商人を始め人の交流の盛んな場所でもある。王国からの噂話には眉唾な帝国人も、メインツの知り合いから聞いた話であれば、リリアルというものがどんな存在であるか理解できるだろう。
この事は、オラン公の依頼で帝国に赴いている事を告げる際にも必要な手順であったと言える。
「しかし、王国の珠玉とも言える男爵一党がメインツにどのような目的で来られたのか、当地を預かる者として、教えて頂けると有難い」
「勿論でございますわ。王都にて、オラン公から魔物討伐の依頼を受け、参じた次第です。ただ、時期が不確かでありますので、その間、こちらで冒険者として活動を行おうかと考えております」
「ほぉ、オラン公か。確か、末の弟君が王国に留学するとか……」
近隣の貴族の動向を大司教は当然のように把握していた。彼女は掻い摘んで、王国では騎士学校へ留学し、王国の騎士に叙任されるのではという情報を伝えておくことにする。
「……つまり王国は、神国の統治に反対する勢力に手を貸すと?」
「いいえ。ネデルでの神国の統治には興味はありません。ですが、ネデル・ランドルから王国に亡命してくる市民たちを管理する必要性は感じております」
原神子教徒が王国に移住し、そこで、ネデルで起こしたような問題を再び行うなら、捕らえてネデル総督の元に送りつけるという法令が王国で公布されることを伝え、あくまで王国民として宗派争いに加わるのでなければ居住を認めるという説明をする。
「確かに、あの者たちがメインツにも現れるので、メインツの教区内では原神子の教会を一切認めておらんのだ。コロニアの状態を見ると……とても認める気にはなれない」
コロニアは、ネデルに似た状況になっている。そこに神国兵はいないのであるから、早晩、大司教座のある都市が原神子派の市議会に掌握されるのは時間の問題となるだろう。コロニアは、戦場になりかねない。
今回は、顔合わせということで彼女だけがお茶会に呼ばれたのであるが、次回は是非リリアルの騎士を晩餐に招きたいという事を告げられた。勿論、彼女に否はない。但し、リリアル生にはテーブルマナーの再特訓が必要になるだろう。
特に、ドレスを着慣れていない三人娘には「黄金の蛙」亭での夕食会が何度か必要だろうと彼女は考えていた。
「それを考えると、前回の訪問の時に何着か仕立てたことは都合がよかったかしらね」
『ああ。だが、ありゃ昼間の訪問着みたいなもんだから、練習用はともかく、大司教に呼ばれた晩餐にはもっと豪華なものでないと……』
「侍女に間違われるわね」
『……その通りだ』
彼女には用意があるものの、三人娘には晩餐用のドレスを仕立てるため、その後、前回頼んだ工房へと足を運ぶことにする。
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翌日、ドレスを仕立てに工房へと足を向けると、マダムは笑顔で出迎えてくれた。
「アリサ様……いえ、リリアル閣下とお呼びすればよろしいでしょうか。昨日の模擬戦の勝利、おめでとうございます」
「それはありがとうございます。今回は、大司教様との晩餐用のドレスを三着と、男性用の礼服を一着お願いします」
「……お急ぎですわね?」
恐らく半月以内くらいではないかと彼女は想像している。が、拠点もあるわけで、いきなりオラン公が出征しない限り、メインツにはいつでも立ち寄れるので、それほど急ぎではないと考えられる。大司教様はお忙しいのだ。
色目はリリアルの青を基準に、やや明るい色の赤目銀髪、小柄な体を膨脹色で補うといった意味もある。灰目藍髪は、濃い目の青、碧目金髪は発色の良い透明感のある青を選ぶ。
「グラデーションも考えて……上手に作れそうですわね」
三人のドレスの基調となる色を他のドレスの装飾などに流用し、三人のドレスの素材を上手く組み合わせて作り上げるという。
「それは素敵です」
「ええ。恐らく、こういう事は中々出来ないと思いますので、仕上げは腕に縒りを掛けて務めさせていただきます」
貴族であれば、他のドレスに使った素材を別のドレスに使うという仕立ては喜ばれない。三人娘のドレスの端切れを用いた装飾というのは、やりたくても中々できない。だが、プレタポルテならありなのだが、揃って着せる事は難しい。
「お揃い楽しみ」
「素敵でしょうね」
「ドレスでお揃いはリリアルっぽいかもですね!」
完全なお揃いでは制服になってしまう。少しずつ異なるが、色は三人とも同じものを使うというのは楽しいお揃いなのかもしれないと彼女は思う。
「そういえば子供の頃は、姉さんと色違いのドレスを着せられたわね」
彼女は、姉と同じものが欲しくて悲しい気持ちになった事を思い出した。姉は赤やオレンジといった暖色系が似合い、彼女は青や白といった寒色系が似合う雰囲気であった。同じ黒目黒髪なのに何故だろうかと彼女は考えたのだが、身に纏う色と性格の問題は変えようがないと悟るのは少し大きくなってからのことであった。
『青色似合うのは王国の貴族としては良い事だろ? 王家の色なんだからよ』
今となってはそれはそれでいいかと思うのである。
晩餐用の服を仕立てるための採寸を終え、彼女たちは昼食をとるためにアジトに戻ってくることになる。何故なら……
「昼飯……今日は抜きじゃねぇんだな」
「文句があるなら自分で作る」
「……まあな。だが、外食したくても鍵とかねぇのかよここの家!」
昼間に家を空けている場合、狼人は昼飯抜きとなる事が何度かあり、少々不満が溜まっていると言える。今後は、お金を少し渡しておいて、目立たない程度の外食は許そうかと彼女は考えていた。
「そう言えば、あなた帝国語は話せるのかしら?」
「おう勿論だぜ!! なにせ、大山脈を東から西に横断するのに、帝国語が使えないとどうもならなかったからな」
帝国語も一つではなく、低地帝国語、高地帝国語など、方言と言うべきような言葉がいくつかある。ランドルとネデルは王国語の方言を話しているので、言葉がいくつか錯綜する地域でもある。
「そう言えば、客が来ているぞ」
狼人曰く、オリヴィとビルが来ているのだという。昼食より大事な話を先にしろと彼女は言いたかった。