第301話 彼女は『行商人アリサ』となる
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第301話 彼女は『行商人アリサ』となる
ヴィーが感心したのは、王都の民の表情の明るさである。特に、貧しい者や孤児院の子供たちが屈託なく生きていると思われる姿にとても感じ入った。
救護院での治療の効果で、貧しいにもかかわらず仕事のできない体の大人が減り、その家族が明るくなった。孤児たちも将来に繋がる勉強や、やがて設立される中等孤児院に進んで、一人前の王国民になれるという希望がある。
「帝国で孤児っていったら、男は破落戸のお先棒担ぎか傭兵の使いすての駒、女は売笑婦になるしかないのよね。孤児院はあるし、道端でゴロゴロ子供が死んでいるまでは……今は無いわ。でも、将来は無いのよね」
それを知っている子供たちの目は仄暗いのだという。孤児院を運営している者たちもそれを知っているが、如何様にもならないと諦めるか進んで孤児を食い物にするのだという。
「王国はまともだなってそれだけで思うわ。帝国の人達がこれを知ったらさ、帝国を出て王国の民になろうと街単位で下るでしょうね」
それが帝国の冒険者から見た王国の姿なのだという。どこぞのアンデッド伯爵も王国というか王都から動く気がサラサラないことからも想像ができる。
「だから、王国にちょっかいを出すのでしょうね」
「とても迷惑ね。自分たちの住む場所を変えていく努力が必要なのに、なぜ人から奪う事しか考えられないのかしら」
「……文化習慣、それから風土の違いだね。王国は有数の穀倉地帯をたくさん抱える。山野の恵みも豊かで温暖。帝国には川こそ多く流れているけれど、まあ、森ばかりで開墾も進んでいないし、土地が痩せているから小麦は育たないし採れる量も少ないかな」
だからといって、豊かな土地に住む者から奪うというのはまるで蛮族そのものの行動原理なのではないか。
「蛮族そのものだよ。奪い殺すことが当たり前。今まではそれを異教徒に向けていたのを、異教徒がいなくなったので宗派の違いで暴れるようになっただけでさ」
王国も百年戦争以前はそうであった。多くの貴族の血統が絶え、王家を中心とした集団が形成されて今の世が出来上がっている。それを考えると、長期にわたる戦争の後、まとまった国家が形成される可能性はある。
「今、俄然きな臭いんだよね。だから、潜り込める余地はある」
「王国から傭兵たちも移動しているようですし、それはその通りでしょうね」
帝国への潜入、吸血鬼の潜伏先を討伐する敵地侵攻を彼女は帝国の冒険者の力を借りて為そうとしている。
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直接ネデルの神国軍に接触するのは難しいと、ヴィーは考えていた。
「商都であるコロニアか大司教座都市のメインツで冒険者登録をして、依頼を重ねる中で信頼を重ねて……神国軍関係の依頼が受注できるように持っていくというのはどう?」
長期の滞在は望ましくはないというものの、いきなり神国軍の指揮官の周囲に潜り込むのは無理があるだろう。相手は皇帝の意向を受けて出兵しているとはいえ、帝国人ではない。
「まあ、あては有るけど……危険が及ぶから利用したくないんだよね」
「ええ、それは十分理解できます。王国の問題は、王国人が解決するべきですもの」
「……いや、帝国人である吸血鬼を神国軍から見つけるのは難しくないよね。傭兵か、皇帝の遣わした参謀か……そいつを殺しても解決になるかどうかわからないから、直線的に目標を捉えることにこだわらないようにした方が良いと思うの。背後関係とか、協力者を探し出すにも、相手に使われてみることが必要じゃないかな」
冒険者として吸血鬼に利用され、その中で相手の仲間を探し、一網打尽にするのが上策であるとヴィーは言う。しかしながら、相手は吸血鬼化させ支配しようとするのではないだろうか。
「うん、可能性があるけど、成功するのは困難」
「……何故ですか?」
「私もアリーも加護持ちだからね。狙われるのは私たちではないの。吸血鬼の支配下に置かれるのは魔力や加護のない人が多いんだ。だから、リリアルのメンバーが吸血鬼化される可能性は少ない。間に魔力無しの知人・友人を巻込む方が危険だよ」
確かに、吸血鬼化やグール化した者たちに魔力を有するような者は
いなかったかもしれない。
「吸血鬼なら、相手の欲しがる『モノ』を与え魔力持ちを懐柔するよね。永遠の命とか、地位や名誉、財産とかね」
「……吸血鬼化しにくいのではないの? 魔力持ちは」
「はは、あなたの友人の『伯爵』のようにエルダーリッチにする事とかね。吸血鬼は難しいかもだけれど、貴種・原種なら可能かもしれない。とは言え、従属種は自分の上に優秀な魔術師上がりの吸血鬼なんて育てさせたくないから、それは直接目を付けられないと難しいかな」
地位や名誉や財産……欲しいとは思えない。永遠の命も『魔剣』や『伯爵』を目にするとそれほど憧れはしない。生まれ育った環境を含めて人生であり、彼女の家族やリリアルの仲間たちのいないその後の人生を永遠に生きる気にはとてもなれないからだ。
――― 彼女はとても寂しがり屋でもある。
ヴィーの話を聞き、彼女は計画を立て始める。冒険者として経験の多いメンバーと彼女で行商人とその護衛という態で帝国に入る。彼女自身は『アリサ』という商人名で冒険者登録と商人の登録を帝国で行う。
『アリーからアリサにジョブチェンジかよ』
「いいでしょ? 呼び名が変わりすぎるといざという時に誤魔化せないじゃない」
リリアル男爵の冒険者名が「アリー」であることを知る者がいた場合、敢えて呼び掛けて確認する可能性もある。潜入中に身バレするのは好ましくない。
冒険者として学院生には「名乗り」を与えてあるので、引率するメンバーはその名称をそのまま使い、ランクも横滑りで帝国での活動を開始する。
パーティーランク的には星二程度にはなるはずなので、護衛や輸送の依頼を積極的に受ける。出来れば……危険度の高いものが好ましい。名が売れれば、神国軍や帝国軍もしくは、敵対するネデル諸都市からの指名依頼が来る可能性もある。
「ゆっくりとしてはいられないけれど、遠征組もリリアル組もしっかり準備をしなければね。私の専権で済ませられる組織ではなくなりつつあるもの」
彼女は、長期遠征と学院運営を両立させる為に一工夫する必要があると考えていた。
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さて、彼女はヴィーの発言を確認しようと考えていた。吸血鬼の回復は彼女の魔力を注いだポーションでも問題なく回復する。しかしながら、魔力を有する者の血液は吸血鬼にとって好ましくないということは、一体どういう事なのだろうか。
「ふーん、それで実験する気なのね」
「サンプルがいるのだから、試す価値があるわ」
彼女は自分自身の血液を小皿一杯ほど採血し、吸血鬼の置かれている射撃演習場にやってきていた。定期的に鶏や豚の血液を与えているので、顔色は……悪いが弱っている程ではない。
「お久しぶりね皆さん」
『Gaaaaa! ナ、ナンノヨウダ……』
『ヒヒヒヒ』
『ヤ、ヤメテ、ユルシテ……』
ちょっとおかしくなりつつあるが、肉体的には健全である。伯姪と彼女、そして、狼人が立ち会っている。学院生には刺激が強いかもしれないという事での配慮である。
小皿の血を先ずは従属種の傭兵隊長に差し出す。本来なら大喜びで吸い始めるのだが……
『……イ、イヤダ……ゼッタイ、イヤダ……』
『お前、随分と嫌われているな……』
自覚はあるが、言われるのは腹立たしい。残りの隷属種二匹の女吸血鬼も抵抗し、飲みたがらない。
「じゃ、私のも飲ませてみようかしらね」
伯姪は彼女よりかなり魔力量が少ないが、それでも魔力はそれなりにある。中程度に今はなっている。
『ム、ムリダ……』
「我慢して飲みなさい。ほら、体にいいわよー」
何故か姉が参入。そう言えば、王国内の行商人のダミー登録を姉に依頼していたのである。
「……その血は、姉さんの血なのかしら」
「そうそう。フレッシュなピチピチな淑女の血液よ☆」
「でも、処女じゃないから、駄目なのではないかしら」
「む、そこは否定できないわね。夫の名誉の為にも、白い婚姻というわけないからね。もう大変だよ!」
何がどう大変なのかは敢えて聞かない。
姉が、ほらほらと口元に皿を近づけ、一気に注ぎ込む。そして……傭兵隊長吸血鬼が暴れ出した。それはとても苦しそうである。
「あー やっぱりそうなるのか。そりゃ、血を吸わないわけだわ」
姉の背後には帝国の美魔女が立っていた。
ヴィーも何度か吸血鬼に接触された経験があり、魅了を弾き、吸血される事も無かったのだが、その理由が『魔力』と『加護』のどちらにあるのか気になっていたのだという。
「こんなに吸血鬼のサンプルを確保しているとか、ちょっとあり得ないから。お陰で、長年の疑問が解消したわ」
「それは良かったわ。それで……何故なのかしら」
「結論から言うと、血が『濃すぎる』というところじゃないかと思うわ」
例えば塩。少し入れることで美味しく感じ、また、人間が必要とする成分でもある。塩が手に入りにくい地域では通貨として利用された時代もある。だが、必要以上に使用すれば、風味を損ない毒にもなる。
「血液だけで十分な栄養になるのに、魔力が大量に含まれていると……毒になるというところかしらね」
「何で魔力があると駄目なんだろうね」
「恐らく、自分自身の『土』の精霊に起因する魔力と反発するからではないかしら。不協和音のようなものね」
自分の魔力と異なる魔力を直接体に入れると、自身の魔力を乱す毒になる。しかしながら、ポーションのように薬草を通し、ろ過された魔力であればそれは栄養として効果を発揮する……と言ったところだろうと推測される。
「まあ、こいつらにはポーション上げないけどね」
「いいえ、これ不味いわよね」
激しく暴れる傭兵隊長の従属種の顔色が……どす黒く変色している。
「姉さん、どうせもっているのでしょう?」
「あはは、バレたか。私の血液由来の魔力を相殺するなら、私の魔力を注ぎ込んだこの特性ポーションが一番だよね!」
姉は、「こんなこともあろうかと」とどこぞの技師長のような事を言いつつ、ポーションの小瓶を吸血鬼の口に押し付け、中身を口内に流し込んだ。
『ゲハッ、ゲッ……Gwa……Guuu……』
一応、状態は落ち着いたようだ。
「あまり気にしないでもいいわよ、こんな出来損ないの吸血鬼とか。幾らでも湧いてくるんだから」
ヴィー曰く、どうやら聖征が失敗に終わり、逃げ帰ってきた騎士たちの中に、それらが混ざっていたことも影響しているらしい。鎧兜に日光を遮蔽させて日中でも肌をさらさない騎士は、吸血鬼にとって便利な地位であったのだという。
「聖王国では騎士崩れでも腕っぷし一つで騎士が男爵に従士が騎士に即成れたから、吸血鬼になる奴は沢山いたと聞いているわ」
「えー 誰に聞いたの?」
「捕まえて殺した吸血鬼どもよ。まあ、下っ端の破落戸どもだけれどね」
やがて、帝国や内海沿いの騎士団領に舞い戻った吸血騎士たちは、一部は帝国騎士団に加わり東方辺境領で異民族相手に残虐な征服戦争を行い、その陰でこっそり、吸血鬼としての活動を行った。
また、その結果大きな財産を獲得し、また、吸血鬼としての能力を高めた者たちが高位貴族として帝国に潜り込んでいるともいう。
大半の吸血鬼は、時に有名な傭兵隊長であったり、商人となって歴史に姿を現す事もあるという。
「法国の有名な傭兵隊長、百年くらい前の奴は、吸血鬼だそうよ。まだ、どこかで眠っているみたい。本人は死んだことにしているけどね」
傭兵隊長で、やたらと部隊の戦死率が高い者がいるという。その場合、戦場で吸血鬼の本能を解放し、敵味方関係なく殺し回る結果、戦果は大きいものの、それ以上に自分の部下を死なせる傭兵隊長となるという。
「まあ、死んだ、逃亡したなんて言い訳は出来るのよね。貢献しているし、手柄も立てているから後払いの報奨ももらえるし、事実『強い』から、雇い主にも困らないし、勇名を聞いた下っ端も集まる。それに……魅力もあるわけだから、ちっとも困らない」
帝国内で騒乱が無くならないのは、一つの権力の下に秩序を形成するより、互いに牽制し合って力の均衡を保つ方が領主にとって自己の権力基盤の確保に有利であるという判断の他に、吸血鬼たちの使嗾もあるという。
「戦場が無くなれば、彼らの狩場が無くなるから困るじゃない? だから、適当なところで手を抜いて、決定的な勝利にならないように……敵味方構わず損害を出して終結させる。それが、戦場に何人も潜んでいれば、勝敗なんてどうとでもなるでしょ」
互いに大戦果を挙げ、尚且つ、継続不能な程度の損害を与えあうのだから、適当なところで痛み分けとなる。どちらも勝ったつもりだから、金と人さえ集まれば、また戦争になる。帝国内は、思うが儘……という事なのだろうか。
「ヴィーは吸血鬼を討伐しないのは何故?」
「……依頼もないのに勝手に吸血鬼を殺す事は出来ないわ。冒険者はそう言うものだからね」
依頼を受けて捕まえ、殺したことは有るというが、守るもの助ける者も存在する。何より、ビルと二人では限界がある。そう言う理由で、ヴィーは彼女とリリアルに目を付けた。
「もしかして、帝国の工作ってあなたの差し金なのかしら……」
王国に吸血鬼が現れ始めた時期とこの出会いは、何の関係もないとは言い切れない。ヴィー本人は「さあ、それはどうかしら」と話を逸らしたのである。
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