第26話 彼女は祖母と再会する
第26話 彼女は祖母と再会する
レンヌ大公国は、彼女の曽祖父が生まれたころ、王国に帰属した。その前は連合王国の一部というか、同盟であった。連合王国の王家は、以前、王国内に領地を持つ貴族であり、婚姻により後継者がいなくなった連合王国に招かれたものであった。
つまり、元々王国の貴族が婚姻関係で連合王国王家の血筋が入り、その結果、直系が絶えた連合王国王家を継いで、両方にまたがる王家となったのである。その後、現王家を代表とする集団と、連合王国の後押しを受けた集団が王国の覇権を争った時期が長く続き、王家が勝利したのだが、組した王国内の勢力のうち、最後まで王家と対立していたのがレンヌ大公なのだ。
「そうかい。お前が王女の侍女にね。本当の話になるとは思ってなかったけど、まあいい機会だから、作法を覚えていきなさい」
「……承知いたしました。今日からお願いいたします」
侍女は使用人とは異なり、半ば話し相手と護衛、そして、お茶出しや着替え、入浴の手伝いなど身の回りの世話がメインである。とは言え、王家の女性をお相手するには作法があるのだ。
「ではまず、挨拶からだね」
普通の挨拶、目上の者が同席した場合の挨拶、その際の主人からの命令の受け方。誰に何を指示すればいいのかの確認……侍女というのはいうなれば女主人の秘書役も兼ねているのであり、その辺りの把握含めて彼女の仕事であるということが……理解できていなかった。
「まあとはいえ、侍女頭が別につくはずだから、最初はその人の指示通り動けばいいさ。お前の仕事の大半は王女様が心安らかに公太子に会って過ごせるように助ける事だろうからね。勿論、護衛もだけどね」
「はい、心しておきます」
気分を変えるなら、伯姪の内海や法国に関わる話が聴けるであろうし、タロットも奨めてみようかと思う。ハープを奏でながら三人で歌うのも良いだろう。
「それと、レンヌのことはどのくらい知ってるんだい」
「過去には敵国側であったことと、家系としては王家と対等の家柄であることくらいで、この後調べるつもりです」
「そうかい。そこの本が、レンヌの風土や歴史に関しての記述が分かりやすく書かれているものだよ。王国とは言え、元々は別の国だったところだから、こちらの流儀を押し付けるともめる原因になるからね。よく様子を見て、王女様にもその辺り、弁えてもらわないといけないからね」
「……はい……」
10歳の王女様に可能かどうか……不安ではある。
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お茶の用意は久しぶりであったので、何度かダメ出しを貰うことになる。お茶の温度を見るのは当然だが、茶葉の種類により時間や温度を調整するあたりが上手くいかない。
「まあまあだけど、王家の侍女としては不合格だね」
祖母曰く、侍女頭にお願いして誰もいない時にはお前が淹れなさいという話になる。伯姪の方が上手かもしれないと思い、そうしようと内心思う。
軽食の作り方も確認する。
「私が勤めていたころとは時代が違うからね。とはいえ、先代の国王陛下が食したものだとお話すれば、興味を持たれるかもしれないから、覚えておいて損はないだろうさ」
「はい。そう思います」
カナッペは先代国王の御代に流行した軽食で、外征好きの国王であったことから、その会議の合間に食べるために考えられたのだそうだ。
「最近、あまり流行ではないようだけどね」
「夜会や茶会で出されることもありますが、女性にはあまり人気がないと姉が申しておりました」
「そうだろうね。でも、甘いものばかりでは体に良くないからね。とくに、あの場所は海も近いし、畜産も盛んだから、食材は豊富さ。上手く使えば、王家と大公家を結び付けることもできる料理なんだけどね」
王都には様々な各地の食材や料理が手に入るものの、郷土料理と言われるものは少ない。勉強の余地があるのである。
侍女としての作法の勉強の合間に、レンヌの歴史についても学んでいく。
元々、王国の建国初期の頃、既にレンヌは3つのその地方の王国が建国されたのち、レンヌ公国により統一された。そして、王国と幾度かの戦いを行ったものの勝利することができず、王国は独立を承認した。
「公国と王国は対等であった時期が長く続いたのさ」
そう、祖母は話をする。レンヌの都市が王国側に集中しているのは、昔の国境線沿いに作られた砦の後が発展してできた街が多いためであり、領都はその最大のものであるのだそうだ。
ある時期は連合王国からの侵略に対抗し、ある時期は王国から派遣された公王家ゆかりの管理人との権力争いを潜り抜け、長く独立を保ってきた矜持が彼らにはあるのだというのである。
「私が子供の頃に終わった連合王国との戦争の際は、両方についたり離れたりを繰り返したものさ。でも、王国が連合王国の勢力を追い出した後、最後に帰順してまだそれほど経っていない。ほんの3世代前には敵だったんだから容易じゃないよ」
王女様の孫の代くらいにならないと、戦争を経験した人たちの記憶が消えることはないだろうというのだ。その為の、王女様の輿入れなのだと祖母は考えているようである。
「とはいえ、10歳の王女様にはわからないだろうし、不安じゃないか。なら、そこはお前が受けとめるしかないさね」
ダメ出ししたお茶を飲みながら、祖母はそう語ってくれたのである。恐らく、祖母が王宮勤めをしているころは、戦争の空気を纏った年配の騎士や貴族も多くいたであろうし、その代の王も戦時の気風を持っていたのであろう。祖母の厳しさというのは、当時の空気のせいなのかとも思うのである。
それは、前辺境伯の纏う空気とも似通っているのかもしれない。今とは時代が違うからねという言葉も、納得できるのである。
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さて、レンヌはどんなところなのだろうか。大公家には連合王国の姫と王国の姫が何度か嫁いでいる。海を挟んだ連合王国の影響をそれなりに受けていると考えてよいのかもしれない。王国にとってはずっと敵であった国だが、彼らにとっては王国と連合王国は同じ程度の距離感なのかもしれない。
「レンヌはシードルで有名だね。リンゴ酒さ」
「美味しそうですね」
彼女は、果実の入ったワインにハマっていたが、リンゴのお酒は興味をそそられるのである。
「口当たりがいいし、さっぱりしているね。まあ、飲み過ぎには注意さ。気が付いたらフラフラさね」
「気を付けます」
危ない危ない。王女様にもご注意申し上げねば。過ちがあったら……ないか。いかに美少女とは言え幼女だもの。
「土地が貧しいからね、菓子も小麦じゃなくって蕎麦を使うものがあるね」
「蕎麦の菓子ですか、想像できませんわ」
蕎麦の菓子……ガレットとかクレープと呼ばれるもので、前者は塩味、後者が甘いお菓子風なのだそうだ。
「それに、王国とは元々ルーツが違うのさ」
王国に住んでいるのはゴール人の系統、レンヌに住むのは連合王国にも住んでいたブルト人であるのだそうだ。連合王国にはその後、様々な周辺からの移住者が入植したため、「連合」と名乗るほどルーツの違う民族が混ざって住んでいるのだが、ブルト人は海を挟んだ両岸に住んでおり、その民族性から連合王国と近しいのだ。
内海とは異なる海には、オマルエビや貝類を使った郷土料理も豊富である。
「大きな真っ赤なエビさ。ハサミなんて人の手のひらほどもあるんだよ」
「見たこともないですね。美味しいのでしょうか」
「ああ、好き嫌いはあるだろうけど、深い海の味さ」
あの内海とはまた違う海が見ることができるのだろうか。彼女は少し楽しみになってきたのである。
「どうだい、少しは楽しみになってきたのかい」
「ええ。最近、ニースで海を見ましたので、どう違うのか気になります」
「まあいいさ。それで、王女様だって不安だろうから、どう違うのかってことと、その場所その場所で食べるものが違い、それぞれ楽しみ方も違うってことを知ってもらい、楽しんでもらえばいいのさ」
祖母曰く、違いが争いの元になるのだが、違いを認めることが相手を理解し慈しむことにつながるのだというのである。
「違うことは楽しいことさ。そうじゃないかい?」
つい最近まで、何故姉と自分は違うのだろうと悩んでいることがあった。今は、違っていることに感謝したい。姉の性格、生き方、在り方と、自分は全然違うのだ。だから、違う育てられ方、役割を与えられたことで比べられず、自分は自分のままでいいと今思えるのである。
王都とレンヌは違っていいのだ。そして、その違いを知る人が、二つの街を繋げればいい。ニースと王都を姉と令息がつなぐように、王女が王都とレンヌを繋げるようになれば……二つの街の民は幸せになれるのではないだろうか。
「美味しいものを食べたら、幸せになれる。人間なんて単純なもんさ。だから、美味しいお茶を淹れ、美味しいカナッペを作れるようになりな」
「はい!」
祖母は多分、これが言いたかったんだろうと彼女は理解した。難しいことを王女様に自分に周りに望む事は無いと。美味しいもので心をつないでしまえばいい。それは、争った時代を知らない若い人間なら、容易にできるそう思うのだ。
さて、レンヌは深い森と湖も多いらしい。王都周辺とはかなり地形が異なるようなのだ。ということは……
「魔物が多いね。気を付けな」
「森や湖で隔てられていると、潜んでいる魔物も多そうです」
組織的に人を襲うオークの類もいるのではないかと想像できる。冒険者ギルドでレンヌの情報を集められないかと考えてみたりするのである。
近衛はどの程度魔物に対応できるのか不安である。オークなら人型であるから問題ないかもしれないが、魔狼や動物型のものは厳しいのではないかと思う。
「王女の護衛に関する情報提供と言えば、ギルドも協力するだろう。レンヌにも支部はあるはずだから、時間を見つけて依頼しておいで」
「そうします」
冒険者なら魔物から王女を守るのも仕事として大切だろう。討伐依頼から、凡その魔物の系統も把握できるに違いない。
「王宮にはもっとたくさんの資料があるだろうね。元敵国だろうし、王女様の輿入れのための準備に必要な情報もあるだろう」
王宮の資料は王宮の資料で、彼女が利用できそうなものがどの程度あるのか不明ではある。あとは……
「姉さんに社交の場にレンヌの貴族が出ていないかどうか聞いてみます」
「時間がないから、今回の護衛の件では役に立たないかもしれないね。だが、この先、レンヌに知り合いを育てるという意味では価値がある。お前の姉もレンヌに知り合いができれば、婿さんの実家の役にも立つだろう」
外海と内海では海の文化も違うだろう。交易するなら、面白いことも起こるのではないだろうかと彼女も祖母に同意する。
季節的には一番暑い時期になるのだが、レンヌはどうなんだろうか。それに、領都の環境も知りたいものだと彼女は思う。
因みに、レンヌ大公領には複数の領都が存在する。いくつかの名家が大公を務めていた時期があり、その為、大公が変わると領都が遷るのである。現在の領都は半島の西端、ロワレ川が海にそそぐ手前にある丘を中心に建設された古の帝国の時代の街が発展した場所にある。
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冒険者ギルドに立ち寄り、レンヌの件を相談してみる。とりあえず、受付ではなんなんでということで、ギルマス室に案内される。
「おう、またまた活躍したみたいだな。早速、吟遊詩人が新しい話を広めているぞ」
「……お恥ずかしい限りです」
やはり、妖精騎士に関しては山賊討伐と誘拐商人の話が広まっている。
「それより、どうだった辺境伯様との立ち合いは」
「前伯様です。御強いですね。恐らくマスターより」
「はっ、まあ、仕方ねえよな。近衛騎士団長並みだってんだから、歯が立つとも思えんな」
そんなジジマッチョといい勝負をしてしまった自分はどうなるのかと思わざるをえない。正面切って戦えば、歯牙にもかからないのだろうけれど。
「実は、内密でお願いしたいのですが」
「騎士団から話は聞いている」
「……そうですか……」
隠すより、堂々と知らせて動くのを確認したいのだという。この話は、大公家も王家も乗り気なので、邪魔する勢力を早めに駆逐したいのだそうだ。恐らく、連合王国辺りがチョッカイを掛けてくると予想しているのであろう。
「大役だな」
「ええ、残念ながら、外堀から埋められています」
「適任者が他にいないだろうしな。騎士爵様だから仕方ないだろう。とは言え、冒険者ギルドも協力は惜しまねえとなった。グランドマスターのお墨付き、持って行ってくれ。情報収集はもう少し時間を貰えるか、向こうからの報告待ちだな」
彼女は、討伐依頼のある魔物の情報や、護衛依頼の件数と相場あたりも知りたいと伝えた。王都のそれと比較することで、危険度が算定できると考えたからだ。
「王都近郊は最近治安改善しているから、そこと、森と泉に囲まれたレンヌを比べるのは酷だろうけどな」
ギルマスの所感はもっともなのだが、王女の安全を考えると、打つべき手を考えねばならないと考えるのである。
彼女と、伯姪と王女様の装備を考えると……魔法袋を早急に大容量のものに変えたいと思うのであった。野営の装備含めて、念には念を入れて確保しようと彼女は思ったのである。




