第227話 彼女はロマンデのゴブリンと遭遇する
第227話 彼女はロマンデのゴブリンと遭遇する
ロマンデは一日の間に風向きが頻繁に変わる土地でもある。そして、夜の闇もまた、形を変えていく。
遠征隊本隊と別れ、別の野営地で二人だけの野営準備を始める。その最中、ふと疑問に思う事が頭に浮かぶ。
「この辺りのゴブリンって、農家を襲わないのかしらね」
「いいゴブリン除けでもあるんじゃないの?」
散在する農家にゴブリンが集団で襲ってきた場合どう対応するのかということだ。
「ああ、ゴブリンの生首を門から吊り下げるとかでしょ」
「……聞いてないわよそんな魔除け……」
ロマンデの農民は土地柄武装している者がほとんどで、家族で冒険者のパーティーの様な活動ができるレベルなのだという。故に、十匹ニ十匹程度の並のゴブリンであれば、容易に討伐するという。
「で、その証を家の周りに飾るのよ……お爺様に聞いた話なんだけどね」
「ニース領では行っていないわよね」
「勿論! あ、でも脳みその掻き出し方とか聞いたわ」
「……話さないで良いわよ。あまり愉快な話題ではないもの……」
伯姪曰く、ミイラを作るやり方に通じているらしく、鼻の孔や耳の孔から細長い耳かきの様な工具で掻き出すのだという。だから……や・め・て!!
「お客を出迎えるのがゴブリンの干し生首とか……やはり野蛮ね……」
「そういうの気にしないのが、狩猟民って感じするよね。やっぱり、民族が違うってことなのかな」
暗くなってから絶対に他人の家を訪れたくない地域だと彼女は思う。
ゴブリンは二人だけの女性の旅人が野営しているということで、恐らくどこかで確認しており、時間を見計らって襲ってくるだろうと二人は予想している。
「どこかの冒険者が『ゴブリンは馬鹿だが間抜けじゃない』って言ったらしいけれど、あながち間違っていないと思うわ」
「明らかに誘ってると思われない?」
「王都近郊ならともかく、この辺りで私たちの存在は知られていないでしょう?
問題ないわ」
女二人の旅人に何度もゴブリンが殺されれば、奴らは警戒する度合いを上げてくるだろう。つまり、少数だからといって安易に襲い掛かることが減れば、警邏の回数を増やすより良い効果が生まれると彼女は考えている。
ゴブリンの痕跡はそこかしこに有り、街道沿いにも小鬼の足跡は散見された。また、野営している旅人が襲われた跡も見つかっている。少なくとも、この辺りで大規模な商隊でもなければ村や街の敷地の中で野営するべきなのだろうが、最近、王都近郊ではゴブリンの討伐が進み、旅人の中にも安易に野営する者が増えているのかもしれない。
「どう思う、この後の展開は」
「夜中過ぎでしょうね。朝課の時間の少し前辺りが怪しいわ」
朝課は午前二時に相当する。人間の脳が一番眠い時間であり、錯誤や混乱を起こしやすい時間でもある。
「幽霊ではなく出て来るのが小鬼というのは情緒が無いわね」
「あは、じゃあとっとと寝ましょうか」
彼女たちは『猫』とテントの周囲に張った結界(兎馬を繋いだ木を中心にテントと結界を展開)でゴブリンの出待ちを行う。それまでは任せて睡眠をとることにする。暗く成れば野営で出来る事はほとんどないのだから。
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幸いなことに、今日は満月であり空も晴れ渡っていた。明るい月の光に照らされた森の際に近い大木の根元に狼の毛皮で作られた小さなテントと兎馬が繋がれている。森の中からは、手に手に粗末な武器をもった見た目の醜い肌の緑色をした小鬼が音を殺して歩み出てきた。
既に満月は中天を過ぎており、あと小一時間もすれば空の端が明るくなる時間でもある。人間なら、一番眠りが深い時間だ。
いつものように間抜けな人間がすっかり寝込んでいる時間に、ゴブリンはテントを襲う……筈だった。
『Gyeeeee……』
『!!Gyo……!!』
手に武器を持ったまま、突然仲間の一匹の胸が大きく斬り裂かれる。断末魔の叫びを残し、錆びたダガーを手にした小鬼が倒れる。胸からはドクドクと血が噴き出す。
『GyaGya!!』
周囲を確認するゴブリンの中でまた一匹がゴロリと首を落とし、ゴトリと倒れる。何があったのかわからず、テントに向かい走り込むゴブリンを結界がバシッと跳ね飛ばす。
『GyaAaaaaaaa!!!!』
跳ね飛ばされたゴブリンが怒り狂い大騒ぎする。が、テントは全く何の反応もしていない。
『主、上位種がいます。恐らくはホブゴブリンです』
『猫』は森に潜むゴブリンの中に、ホブゴブリンの存在を確認し報告してくる。この群れは一匹のホブゴブリンに率いられた九匹ほどの群れであり、装備も劣悪で余り良い生活ができていないようである。この規模では、ロマンデの農民を襲う事は出来ないのだろう。
『Gwooooo!!!』
右手に鉄製の剣を持ったホブゴブリンがテントに向かい突進する。夕方見かけた人間の女がいるはずのテントに向かい全力で体当たりする。テントが倒れ、中から泣き叫ぶ女が出て来る……筈であった。
ガンと弾かれたのち、体に巻きつく何かにより絡めとられ、勢い余ってホブは倒れてしまう。腕にグルグルと絡みついたその紐は、先端に金属の塊が結び付けられており、胸と背中を強か打ちのめす。
『Gya!』
倒れたホブの周りに手下のゴブリンが集まり、紐を引っ張り噛みちぎろうとするのだが、反対に歯が折れる。どうやら、虫歯であったようだ。
「さて、小鬼は皆殺しね!!」
「大きいのは朝まで生かしておいて、研修材料にしましょう」
闇の中から現れたのは二人の若い女……襲うはずであった女たちであった。手下のゴブリンの首をあっという間に斬り落とし、自分の右足首を簡単に斬り落とす。
「まあ、二三時間生きてくれてればいいから、こんなものよね」
「周りの魔力の反応も消えたから、ゴブリンはいないわ。いても狼くらいね」
魔力を持つ魔物の存在は『走査』で確認できるが、獣に過ぎない狼は魔力走査ではチェックできない。
「では、このままもう少し仮眠しましょうか」
「そうね。とは言うものの、ゴブリンの血の臭いの中ではあまり気分が良くないわ」
明日の朝、学生騎士団がテントの周囲を確認し、ゴブリンの襲撃方法を学習する為に倒した死骸はそのままにしておく必要がある為、テントの場所を移すわけにもいかない。痛し痒しである。
翌朝、テントから少し離れた場所で朝食をとることにする。軽くパンにサラダ、ベーコンを焼いたものに紅茶を添える。魔力持ち故に、簡単に調理も給湯も可能なのは嬉しいところだ。
「今晩は普通に泊まれるのかしらね」
「そうね。明後日はカトゥで一泊のはずだから、今晩もまた野営でしょうね。そういう予定よ」
「昼は盗賊、夜は小鬼討伐ですかそうですか」
「まあ、朝と夕方はオフってことで良いのではないかしら」
と、街道を眺めながら朝食を済ましていると、遠くから騎馬の接近する音が聞えてくる。本隊が到着したようである。今回は、ゴブリンの出没パターンを実地に見せる事も一つの課題となっている。
教官が二人に近づいてくる。
「お疲れだな」
「いいえ、待伏せしただけですから。いつもよりも楽でした」
「そうね~ 」
と愛想もなく切り返す。良く考えると、王国副元帥にゴブリン狩りの仕手を委ねるのはとても贅沢な采配である。二人はテントのある位置へと移動し、森から出て来るところからゴブリンの行動に関して確認していく。
「斥候職などの場合、足跡を残さないように踏み場所や履物にこだわりますが、ゴブリンの場合裸足なので、割としっかり足跡が残ります」
と、ゴブリンの実際の足跡を見せつつ進行方向やおおよその数について把握できることを確認する。勿論、冒険者であった騎士達には屋上屋だが、騎士以外の経験がない者にとってはたかがゴブリンされどゴブリンである。
「昨日の群れはホブゴブリンの率いた九匹の群れで、夜中過ぎに森から現れたわね」
おおよその襲撃時間、その手口、武器や行動に関しても実際の死体のある場所を移動しながら、説明していく……二人が。教官も一緒に聴講する側に回る。
「武器は粗末なダガーやクラブ? 石斧や木の棒のような槍が精々ね。でも、ここにいるような上位種はちょっと違う」
「……なにこれ……」
「ゴブリンよ。ホブゴブリンと言われているわね。経験を積んだゴブリンで、特別剣技や魔術が使えるわけではないのだけれど体は大人の男性ほどもあるかしら」
「「「……」」」
失血死しかかっているものの、今だ息のあるホブゴブリンを囲んで、騎士達は神妙な顔をしている。
「これは拾った片手剣を装備していたわね。手入れしていないから切れ味は悪いでしょうけれど、力まかせに叩かれれば下手すると致命傷ね」
「ゴブリンも子供と同じとは言え、それでも防護の無い部分を傷つけられるとかなり危険です。数も多いですから」
「出そうなところ、出そうな時間、襲われるパターンが分かれば危険はないのよね。見張を立てている騎士の集団は避けて女二人の方を狙うくらいの知恵はあるのよ」
という事で、ゴブリンの武器を土に埋め、ホブゴブリンに止めを刺して遠征学生騎士一行は次の目的地に向かう事になった。
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その日は海沿いになる漁村の傍で野営をすることになった。ゴブリンと盗賊は少なくともその日の日中は襲って来なかった。漁村はかなり小さなもので、村というよりは集落といった程度のものであり、特に柵などで囲われるような事もされていない。
ある程度の規模の村であれば領主館か酒場兼宿が存在するのだが、この程度の漁村の場合は当然何もない。少なくとも、集落の中で安全に野営でき、水場もあるというのであれば他の場所に野営する必要は感じられない。
その夜の哨戒に関しても、前日ゴブリン討伐を行ったという事で、二人は免除され狼の毛皮テントで休んでいた。
「この漁村ってなんでこんな辺鄙な場所にあるのかしらね」
彼女は漁村の空気が少々緊張していることが気になっていた。騎士達が急に現れ、村の中で野営する事になったからではないかとも思えるが、昨日討伐した連合王国の偽装兵たちがどこを利用していたのかということが気になっていた。
「あー ここも人攫い村じゃないかって……思っているのね」
「そうね。空気が似ている気がしたのよ」
村の代表者以外はほとんど顔を見せない。特に、子供に関しては全く接触してこない。騎士が村に来て、その中に若い女性も含まれていれば、子供はたいてい話しかけてくるものなのだが、誰一人子供が出てこない事が不自然に感じるのである。
「それに……男ばかりじゃない? 女性もいるにはいるけれどお年寄りしかいないわね」
「……騎士団?」
「そう、兵隊と賄いのお婆さんの組み合わせと言ったところかしらね」
とは言え、いきなり家探しすることも難しく……警戒して全員で夜通し起きているということも対応が難しい。人攫い村の場合、村人も含め主だった人間は殺す前提であったし、夜中に包囲して撫で斬りにすることができた。事前の準備も行っていたし、不意を突いて各個撃破できた。
「ここでは無理よね」
「そうね。厳しいわね……」
この村で野営すること自体が……飛んで火にいる夏の虫のように思えるのである。
『主、探って参りましょうか』
「お願いするわ」
各家の様子を伺いに『猫』を放ち、彼女と伯姪は教官に相談するかどうか考える事にした。
しばらくして戻ってきた『猫』は……連合王国の協力者であるが、妻と子供を人質に取られている本物の漁師だが、この場所はあくまで仮の集落であり、連合王国兵の補給と海上移動する為の拠点であることが分かった。
「……村長しかいない村みたいなものではないのね」
『本来はロマンデ半島の人間のようです。ここには出稼ぎのようなもので連合王国に協力しつつ漁師をしているということです』
この場で漁師たちを捕まえる事も難しいし、失くしたとしてもまた別の場所に設ける可能性を考えると、気が付かぬふりをして通り過ぎるのも選択肢の一つであると言えるだろう。
「これって、今解決すべき問題ではないわよね……」
「あ! ルーンの騎士団に差出人不明の投書をするというのはどうかしら」
「……採用しましょう。先は長いのですもの。教官の負担にもなるでしょうし、ここは弁えるべきね」
と考えていると、彼女はふと思い出した。昨日捉えた偽装兵の指揮官から教官たちは何を聞き出したのであろうかという事を。本来の予定では、昨日同様今夜も野営のはずであったのが、急遽この漁村での宿泊となったのだ。
つまり、二人には直接告げなかったものの、知り得た情報からこの場所に潜入工作用の漁村(仮)が存在することを実際確かめ、その住人たちと接触し真偽を確かめたかったのであろうと思い至った。
「教官たちは聞き出したのでしょうね」
「ああ、昨日の……」
翌朝、二人は何も言わずに他の騎士達と連れだって漁村を後にしたのであるが、一睡もしていないであろう代表者と、天候も波も穏やかにもかかわらず、誰一人漁に出ていない村人の姿を見て確信したのである。
村から離れた後、教官からその旨を伝えられ「やはりそうか」と二人は納得したのである。漁民は勝手にあの場所を離れる事も出来ず、かといって抵抗してもほぼ切り殺されるであろう騎士の集団に手を出す事も出来ず、悶々と一夜を過ごしたのだろう。




