第187話 彼女はデビュタントの先の準備を進める
第187話 彼女はデビュタントの先の準備を進める
久しぶりの実家でゆっくりとしたい……などという我儘は通用しない。
「なんでも、お父さん『宮中伯』にそのうちなるみたいなのよー。それで、南都に転勤することになるんだって。美味しい料理はどんなものがあるのかしらー」
母親、完全に観光気分である。
「南都はニース商会の大きな支店もあるし、法国の商人・商会も沢山あるから、結構料理はおいしいよ! あと、ファッション的にも王都より情報が早いね」
「卵を使った料理、鶏肉料理が多いかしら。川魚も美味しいわね」
「そうなのー なんだか楽しみだわー」
恐らく子爵のポストは『南都統監』のはずである。財務関係の責任者であり、南都を統治する市民会や評議会のカウンターパートナーを務める王家の代理人というポストである。
「……大丈夫なのかしら……」
「ああ、王太子殿下と共に赴任し、当初は殿下御自身の親政で始まるので、事務方に専念できるから問題ないと思う」
「その後は、ノーブル伯爵家に私が陞爵するから、バックアップも万全だね。王太子領の中からノーブルが切り離されるだけでも変わるしね」
最終的にはノーブル伯家が世襲で南都の統監を務めることになるのかも
しれない。
「ああ、夫君が務めるはずだよ! お父さんの宮中伯の爵位下取りして、代わりにニース辺境伯領の別邸を一つ貸すみたい」
「南都の次はニースねー それも楽しみだわー」
完全観光気分の母である。
「そういえば、公爵令嬢のカトリナちゃん、妹ちゃんと同じタイミングで騎士学校に入るらしいよ。ほら、女子が少ないからまとめるみたい」
「……それは確実なのかしら」
「一応ね。騎士学校の関係者からの情報だよ。妹ちゃんはニースの令嬢ちゃんと一緒になるけど、向こうもお付きの貴族の娘が近衛騎士見習で一緒について行くと思うから、問題ないだろうけれどね」
問題あるわよ!! と彼女は確実に何か問題が起こるとしか思えない。雨降って地固まる……的なことを王家が期待しているのかどうかは不明だが、接触させたいという事なのだろうか。
「王太子妃候補筆頭みたいだから、丁度いいタイミングだね」
「そう。では事を荒立たせずに済ませるようにしましょう」
「でも、殿下はあなたをエスコートするじゃない? 公爵令嬢からすれば、何か思われるかもしれないわね。お母さん心配だわ」
そこは言わないでも本人も心配です。ドレスから装飾品までいただいて……それが伝わればあまり良い結果になるとは思えない。デビュタントだけでなく、騎士学校での対応も考える必要があるのだろうかと、ますます気が重くなるのであった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
騎士と言う場合、『職業』としての騎士と『爵位』としての騎士になる道がある。職業であれば、どこぞの貴族の騎士団の採用試験を受けて仕えれば騎士となることができるだろうし、騎士の装備を整える(がとても高価である)ことで騎士を『名乗る』事も出来る。
騎士とはワンマンアーミーであり、その戦力は兵士数人分となり、騎乗しての突撃となれば更に効果は倍増する。故に、常時雇うにはコストが掛かり、『雇われ』で済めば長期的には安くつく。騎士の側も仕えるべき主人を探して浪人している放浪中の者もいる。いわゆる『黒騎士』と呼ばれる騎士で、その名の由来は仕えるべき主の紋章を持たず盾を黒く塗りつぶしていることから称される。
騎士団に所属するか自前で装備を整えることができれば『職業』として騎士を名乗ることができる。
では、身分としての『騎士』はどうなるだろう。
騎士の身分は世襲されない一代貴族である。騎士爵の子が騎士爵である場合もないではないが、それは親から継いだものではなく、自ら手にしたものである。男爵以上の爵位は王国を形成する為の官吏・支配階層として必要とされるため、世襲することでそのノウハウを受け継ぐ層を確保している。識字率の低さから文字の読める貴族が官僚や聖職者の重要な供給源となっており王国を維持する重要なツールとなっているからだ。
では騎士はどうか。騎士=騎乗した戦士であり、その昔、鞍や鐙の無い時代は子供の頃から騎乗する訓練が必要であり、古の帝国以前に置いては騎士=貴族の子弟というのが当然であった。
騎士の装備が重装化した現在、その重さを身に着け戦場で動き回れる能力を有するかどうかが一つの基準となる故、『騎士爵は世襲できない』ということが建前となっている。が、実際は異なる。
第一に、男爵家以上の家に生まれた男子は嫡子であろうが庶子であろうが全員成人を迎える十五歳の時点で『騎士爵』に任ぜられる。貴族の男は全員最低でも騎士爵なのだ。
跡を継げば親の爵位と騎士爵と両方を持つことができる。貴族の男子は全員敬称が『卿』であるのは騎士爵故である。これは一代限りなので、貴族の孫が必ずしも貴族とは限らない。親が男爵以上となるか自ら騎士爵とならなければ平民となるからだ。
第二に、『宮中伯』や『宮廷魔術師』は騎士爵の爵位を与えられることになる。これは、十年間それぞれの地位を勤め上げた者が与えられる恩給のようなものである。前者は相応の資金が必要であり、後者は相応の魔力が必要であることから、王国に縛り付ける方便でもある。
第三に、騎士団に正騎士として十年間勤めあげたものが騎士爵を与えられる事になる。これは『宮廷魔術師』らと同様の恩給であり、騎士団を退団した後も『騎士爵』として扱われることになる。
正騎士になるのは、騎士団に入団して従騎士になる叩き上げの平民か、継ぐべき爵位を持たない騎士爵の子供が幼年学校を卒業した後に、『騎士学校』に入校し卒業することが要件となる。
幼年学校卒で従騎士として騎士団に配属され一年から三年、平民で騎士団に十五歳で入団した場合、見習・従騎士として働いて七年から八年ほどで騎士学校への入校資格を得ることができる。
入学し、前者なら十六ないし十八歳、後者であれば二十二ないし二十三歳ということになる。そこから半年の入校期間を経て卒業し十年となると三十代半ば、もしくは幼年学校卒なら二十代半ばになるころ『騎士爵』となることができるのだ。
そして最後に、『騎士として相応しい功績を立てたもの』が騎士爵となる。つまり、魔物や山賊を討伐し民を守ったもの……彼女や伯姪、リリアルの魔術師がそれに相応する。爵位を持たない者と貴族や王族が会うわけにもいかないのでと言う意味もある。
どこぞの東の由緒正しき帝国では、皇帝が会いたいがために『象』に位を贈ったという。それも……王国で言えば子爵か伯爵位である。象伯爵……とんだ笑い話である。
騎士としての身分を持つという事は、戦時には動員されることが当然であり、予備役のようなものでもある。
騎士団を退団した元平民の騎士は、商会専属の護衛隊長などになる事が多い。分隊長くらいまでは経験しているので、護衛を教育する程度の仕事は簡単である。商会は、本来は依頼のできない黒等級の冒険者をその護衛隊長である元騎士にスカウトさせ教育し護衛にする。
黒等級の冒険者はギルド経由で護衛依頼を受けることはできないのだが、直接商会が雇う分にギルドは文句を言えない。商会は安く護衛を雇うことができる。若い冒険者は割のいい護衛の仕事を受け、更に元騎士団の騎士である護衛隊長から直々に手ほどきを無料で受けることができる。護衛隊長は手足となる若者を得ることができ、体力を温存できる。全員笑顔である。
騎士の装備には取得にも維持にも金がかかる。故に、商会護衛などを熟しながら必要経費を確保するのが『辞め騎士』の典型的な生活なのだ。勿論、平民相手に剣術を教えたり、読み書きを教える『師匠』をする者もいるが、それは代々騎士爵を持つそれなりの家の者であったりする。先立つ教室が用意できる時点で平民上がりとは言えない。
ともかく、騎士学校には今回、『騎士団』の従騎士上がりの平民、近衛騎士見習、魔装騎士見習に彼女たちリリアルが加わることになる。近衛と騎士団はあまり仲が良いとは言えないこともあり、リリアルは騎士団よりの組織なので、そのあたりで巻き込まれそうな気もする。
とは言え、既に騎士として半ば一人前として認められた者たちが集められるのであるから、教わるのは下級指揮官としての内容となる。故に、剣の腕を比べるようなことはないだろう……と思いたいのだが。
『騎士学校は……決闘推奨だぞ』
『魔剣』の言葉に彼女は「やはり」と頷く。貴族同士、騎士同士の諍いが発生した場合、法に則って話し合う事も可能だが、騎士同士であれば『決闘』で決着をつけることは少なくない。これは、正しい者を神が味方するという発想から、勝者=神に祝福された者=正しい者という理屈が正当化されるからである。
「……揉めたら決闘ね。幸い、男爵だから騎士爵まではお断りすることはできそうね」
『そんときゃ、相棒が狙われるだろ? それも考えた方がいい』
近衛騎士は貴族の子弟がほとんどであり、成人した時点で一代のみの騎士爵に任ぜられる。勿論、高位貴族であれば、複数ある爵位の一つを次男以下に継がせることから子爵男爵の近衛騎士も存在するだろう。
故に、近衛と相対する場合、貴族の当主である彼女が騎士団を代表して相手をする可能性も……かなりありそうなのだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
翌日、子爵家を重い足取りで立つと、一路リリアルに向かう。子爵家には王宮から王妃様のお呼び出しが届いており、一旦その準備もある為に早々に戻る事にしたのだ。
「おお、アリーちょっといいか」
老土夫が工房から現れ学院に戻った彼女に声を掛ける。どうやら、蒸留器が出来たようなのである。
そこには赤みがかった輝きを放つ銅製の蒸留器が収まっていた。
「これでどの程度の蒸留が可能なのかしら」
玉ねぎ型の上部と甕型の下部を組み合わせるとひょうたん型の蒸留器が組み上がる。
「今までのサイズの十倍くらいかの。30ℓサイズじゃ。その代わり、今までとは加熱する為の燃料を変える必要があるな。その為に採取した水晶をもとに炎の術式を組み込んだ魔水晶を作成しなくてはならん」
「……あなたに可能なのかしら」
「一応な。ただ、お前の姉に手配させた方が効率がいい。それなりに儂の時間が取られる方がマイナスじゃろう」
確かに、魔導士からニース商会が買い上げた方が良いだろう。とは言え、実験段階ではなく、商品化された際……という事で良いだろうか。
「これが成功すれば、更に大きなサイズの作成に入る。まあ、蒸留所が完成するまでに時間がかかるだろうから、先ずはここからじゃな」
ドワーフは一先ず、安い赤ワインを中に注ぎ込む。そして、魔水晶で加熱を開始する。
「完成済みなんじゃが、まあ、デモンストレーションじゃな。問題なく完成するはずじゃ」
王国・帝国・法国・神国・連合王国でも蒸留したワイン自体は存在するのだが、どちらかというと医薬品扱いであり、ワインのように気軽に楽しめるものではない。それを、普及させ得るための『瓶』の工房と『蒸留』の工房の設置なのである。
「まあ、ガラスの瓶と封となる物が無ければ中身が出て行ってあっという間に抜けてしまうのがこの手の酒じゃ。蒸留だけなら昔からやっておる。それを流通させいつでも飲めるようにするのは……ある程度絵が描ける人間でないと難しい」
間接的に姉とニース商会を褒めているのだろうか。既にネデルの商人がその先を走っているが、王国内で産したワインを原料にする蒸留酒をわざわざ他国から輸入するのは腹立たしい。むしろ、自国のブドウで作ったワインを素材とする蒸留酒は王国が売り出すべきものだろう。
とはいえ、ネデルに輸出している業者は元々連合王国領であった王国西部の地域の商人とそのワイン製造業者。国は別だが、地縁血縁でつながっている
ともいえる。
「ブルグントやシャンパー、ニース領のワインで作る蒸留酒も、ギュイエ公爵領のワインで作る蒸留酒もあって良いだろうな。儂は大歓迎じゃ」
「……土夫は強い酒が好きですものね」
「おお、だから、この仕事は力が入っておる。仲間内でもとても気になるみたいでな。リリアルとニース商会の潜在的な後援者も増えておる」
王都周辺の職人にリリアルに好意を持つ者が増える事は好ましい。まして、お酒のような嗜好品なら間違いなく強い絆となるだろう。
「完成したら、お披露目に皆さんを呼ぶことを許可するわ。その為にも、しっかり進めてもらえるとありがたいわね」
「おお、一段とやる気が出たぞ。手伝わせることも考えると悪くない条件を提示できるだろう。素材関係の職人勢ぞろいじゃ」
酒飲み同士の固い絆を感じつつ、彼女は工房を後にした。
自室に戻り、王宮からの呼び出しの手紙を確認する。恐らくは事前に贈る品を見せて確認したいという事と、その為の礼言上に伺えるようにということでこのタイミングなのだろう。
工房で王宮に参内することを伝えたところ「これを持っていけ」と二本のワインのハーフボトルほどの瓶を受け取った。中身はシャンパーのワインを蒸留した『ブランワイン』つまり、蒸留したワインだという。姉がそもそも事前に指示をしていたようで、王家に献上する為にワインも特別なものを用意してそれを材料としたのだという。
『度数が70とか……どんだけなんだよ』
ワインの数倍のアルコールの濃さである。氷や果実で割るのも良いかもしれない。将来的にはオーク樽で貯蔵し度数が40程度にまで変わるのだが、それは今の時点の話ではない。
「精油と同じことね。この程度なら、消毒用にも使えそうだわ」
『確かにな。ワインだと微妙だがこれだけ度数が高ければそれもありだろうな』
水で傷口を洗い流した後、このブランワインを塗布して消毒することになるだろう。
「ワインだけでなく、リンゴ酒や杏酒でも同じように作れるわよね」
『おお、レンヌはシードルが名産だったな。そんなのがあると、姫様も喜ぶんじゃねぇか。王都土産に渡せると良いな』
婚約者であるレンヌ大公公太子殿下は、王太子殿下より少し年上であろうか。見た目は大公に似てかなりの老け顔だ。いや、貫禄がある。
「次は姉さんにその辺も薦めてみようかしらね」
『なら、あのエリクサーも再現できるかもしれねぇな』
素材が集めきれるかどうか疑問だし、添加する順番も確認しながらになるだろうが、少なくとも今のポーションを更に高めたものは作れるようになるのではないかと彼女は考えていた。
「良い考えね。レブヲで実験しましょう」
『お前悪魔だな。まあ吸血鬼は回復しないでダメージになりそうだから仕方ねぇか。後、「伯爵」にも試してみるといいかもな蒸留ポーション』
あの『伯爵』なら、ポーションで酔うのではないかと思わないでもない。




