第174話 彼女は聖都を後にする
第174話 彼女は聖都を後にする
ギャアギャア煩い胸像女吸血鬼に猿轡を噛ませ、樽に押し込み馬車の荷台へと乗せる。余り嬉しくないのだが、歩人とツーシーターである。
あの後、情報となるようなものは何もなく、小屋に火をかけ完全にすべてを炭にしておくことにした。その後、明るくなりつつある空の下、何食わぬ顔で樽を担いだまま防護柵を乗り越え、教会の寝室に戻る。
「少々、炭臭いのは御愛嬌かしら」
「今日は宿で風呂に入りてぇな……でございますお嬢様」
「早めに聖都に戻って朝風呂にしましょうか」
この時代、パン焼きの余熱で湯を沸かすため、朝銭湯が営業しているのが普通の事なのである。つまり、朝湯が大好きでも身上は潰れない。
村人に別れを告げ、彼女は何食わぬ顔で聖都に戻る事にしたのである。
『あのアンデッドどもの事、伝えなくてよかったのかよ』
「噂を広げるのは良くないでしょう。それに、こっそり見に行ったことまで知らせるのは意味が無いわ」
隷属種の主は恐らく彼女が死んでいないので、未だその存在が制圧された事を知覚していないだろうと予想される。
「このあと、どうなさるんですかお嬢様」
「依頼された防疫担当の司祭様に面会を申し込みます。どの道、明日には王都に戻るつもりなのだから、あまり時間はないのよね」
聖都市内で二日、周辺で三日の予定であったのだが、既に吸血鬼の存在を把握した以上、彼女が取り組むことではなくなっている。調査依頼からこれ以上の討伐は度が過ぎるからである。
風呂に入り身綺麗にすると、彼女は至急の面会を願う手紙を歩人に届けさせたうえで、市街を馬車で一周してみる事にした。
『なんで歩かねぇんだよ』
「視点を変えることも必要だからかしら。それに……」
彼女の中で吸血鬼の騎士の存在が念頭にあった。二輪馬車を自分で御せる若い女……少女の存在を見せておくことも必要だと考えたのだ。
「従属種の吸血騎士は、女を魅了して利用することに長けているのでしょう。馬車を持っていて御せる女がいたら……手に入れようとするのではないかしら」
『そうかもな』
自分が美しいと知っていればいるほど、永遠に若く美しくいられるという誘惑に乗せることは容易いのだろう。あの捕まえた女冒険者も、恐らくちやほやされて稼業を続けてきたと思われる。それが、そろそろ曲がり角に達してきているのを本人も、吸血騎士も気が付いていたのだろう。
「魅力はあるわよね。永遠の若さ」
『お前もか?』
「……いやね。永遠にリリアル男爵兼副元帥やらされるなんて。勘弁してほしいわ」
『だよな。まあ、お前の場合、若く美しく楽しくない人生だもんな』
本当に、私の周りは私に優しくないと彼女は思うのである。
馬車で大通りを流していると、ひときわ目立つ商館が目に付いた。『商人同盟ギルド』の聖都支部であると思われる。
『商人同盟ギルド』は主に帝国人と帝国を中心とする排他的ギルドであり、その主な加盟対象は「自由都市」である。通常、各都市に納められる商品には一定の税が掛けられる。その分、価格は高くなるのだが、この組合に加盟している都市同士に関しては互恵関係を結び、お互いに税金を掛けないようにすることを約束し合っているのだ。
『おかげで、帝国内で商売するとか、帝国人が建設した都市では商売しにくいんだよな』
外海の航路と帝国の内陸河川を通商路として、堅固に関係を築いている同盟は、王国に対してそれなりに影響力があるのだ。
「王国近辺だと、ランドル領の『ブルジェ』に大きな商館があるので、そっちが本店扱いなのでしょうね。ここは出先の支店扱いかしら」
『あの、二階の窓から見えるやつ……』
「ええ、気が付いているわ」
派手な羅紗の緋色のマントに、如何にも伊達者の傭兵のような非対称の衣装を身に着けた浅黒い肌の若い男が、商館の上の階の窓際から少し離れた場所から彼女たちを見下ろしている。
『あれか、吸血騎士様は』
「おそらく。隠すつもりないんじゃないかしら。帝国の工作活動の拠点が『商人同盟』の中にあるという事なのかしらね」
『王都に戻ったら『伯爵様』に確認だろうな。ぼかして聞いてみればいい』
何でもかんでも本人に聞くのはどうかと思うが、さて、どうなるだろうか。
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アポイントの時間となったので、彼女はそのまま大聖堂に向かい防疫担当司祭と会う事になる。勿論、セバスに樽を持たせてである。
「おお、シスター・アリーお早い戻りで。何かあったのでしょうか」
「……司祭様、昨日……吸血鬼とその配下のグールを数体討伐いたしました」
司祭の顔が険しくなる。
「む、村に被害はありませんでしたか?」
「はい。恐らく、街道を移動する商人とその護衛が襲われてアンデッド化されたのではないかと思います」
村々では既に日が落ちてからの村外への移動は自粛しているらしく、なにやら夜は危険な魔物が徘徊していると察知していると伝えた。
『商人たちの断末魔の声とか意外と遠くまで響いた……とかじゃねぇか』
火のない所に煙は立たぬと言うように、危険を感ずるシグナルを受け止めていたのだろう。反対に、護衛を付けていた商人は不用意に夜間の移動を行い被害者となったのであろうか。
「それで、加害者を連れてきております」
「……その樽の中ですか。中に何が……」
「今回の討伐したグループの中にいた劣等種の吸血鬼。元は女性冒険者であると思われます。それで、司祭様は……」
「魅了に関しては護符を身に着けておりますし、無くても余程の高位のものでなければ影響を受けません」
それなら安心と、樽の蓋を外し、なかから頭と胸だけとなった吸血鬼を引きずり出す。猿轡をはめたまま、彼女は頭の後ろに銃口を押し付け女吸血鬼の耳元で話をする。
「これから、司祭様がいくつか質問すると思います。素直に答える気が無ければ魔銀弾で頭を吹き飛ばします」
そういうと、カチリと火打石を引き上げる。
「忘れないでもらいたいのだけれど……『妖精騎士』ってご存知かしら? 私は本人なの。だから、躊躇なくあなたを処分することを約束するわ。セバス……」
彼女が頭の後ろに銃口を突きつけたまま、魔装手袋を付けた歩人が猿轡をはずす。
『さあ、何が聞きたいのか、ハッキリ言いな!』
「あなたの他に、この聖都近辺に吸血鬼は何人……何体いますか」
一番聞きたいのは……その事だろうか。
「そうね、言いにくいなら私が答えてあげるわ。商業同盟の商館にいる帝国の騎士と、その従者の若い女……の二人」
『なななな、なぁんで!!!!』
「何でもは知らないわ、推測できることだけ。では、司祭様、これでよろしいでしょうか。王都にこの者は連れて行き、騎士団がさらに尋問することにしたいのですが」
「……わかりました。迅速な捜査の拡大をお願いする為にも、私から、お手紙をお渡しします。それも一緒にお願いいたします」
彼女は承知すると、再びセバスに猿轡を噛ませ、樽に押し込むことにした。何より、先ほどの騎士がこちらに感づいたとしたなら、この場所に二人で留まるのは非常によくない。
「この脚で二人とも王都に引き返します。それで……」
「ああ、聖都の警備関係に門衛、それに近隣の領主たちにも触れを出させる。夜間は魔物の徘徊が増えているのでしばらく外出は控えるように……と、領民や商人たちに伝える」
「アンデッドの存在を勘ぐらせる具体的な内容は伏せてください。少なくとも、領民の方達、特に村落に住む人々は……既に気が付いていると思われます」
司祭は黙って頷き、彼女は二輪馬車に樽をのせると、そのまま王都に向かい走らせ始めた。
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「おいおい、本当に吸血鬼なのか」
「その前に、魅了の耐性・対抗方法を持たない騎士は絶対に近寄らせないようにしてください。出来れば、尋問は同性の騎士にお願いさせてください」
「あー 女騎士か……近衛でない限りいないんだ」
警邏の中に女性騎士を見かけたことは確かにない。近衛騎士は王族の女性の身辺警護のために採用しているのであろうから、騎士団の捜査に加わるとも思えない。ならば……
「依頼を出してみるのはどうでしょう。薄赤の女僧侶なら適役だと思います」
「おお、あの真面目そうなちょっと……な娘な。騎士学校卒業しているわけだから、普通に呼び出せばいいな。冒険者ギルド経由で」
魅了は目を見つめなければかからないので、皆、目を反らせておけば問題ないだろう。また、騎士隊長クラスの人間であれば、隷属種の『魅了』は弾かれる可能性が高い。薄赤の戦士・野伏も同様だろう。剣士は危険だと思う。
「吸血鬼の尋問が終わりましたら、リリアルで回収してもよろしいでしょうか」
「なんだ、教材か? そりゃ、騎士団でも必要なんだが……」
「では、リリアルの駐屯地預かり……では如何でしょうか」
騎士団長はしばらく考えると、「なんかあった時に頼めそうだからそうするか!」と簡単に決めるのであった。
「取り返しに来たりするか?」
「いいえ。兵隊ですから、使い捨てだと思います。これが、直接派遣した指揮官クラスでなら可能性はあるでしょうが」
「ほお、因みにどんな感じの奴か知っているのか」
騎士団としても聖都の件を放置できず、御神子教の聖騎士の派遣を了承するとともに、自分たちもある程度の戦力を聖都に展開するつもりなので、その辺りの情報が欲しいのだろう。
「一人は指揮官クラスの『騎士』ですが、帝国傭兵風の派手ないでたちの浅黒い肌の長身の男です。聖都で見かけました。恐らくですが」
捕らえた女吸血鬼にカマをかけ、結果、推定したというところだと説明する。
「今一人は……恐らく若い娘の劣等種上がりの従属種……だと思われます」
「それは、危険かもしれないな。『魅了』の護符を肌身離さず、若い娘に言い寄られないように必ず二人一組……といったところか」
『あとは、目を合わせねぇって所だろうな。魅了は目を合わせて掛けてくるから。その対策の練習だな』
目を合わせて相手を探るのは、騎士では当たり前の事であるし、そもそも、目を合わせないのは不審がられることもあるので、要注意でもある。
「一先ず、先の女吸血鬼で練習……させましょうか」
「おお、先ずは、リリアルの少年たちからか」
「……魔力が強いので、多分弾かれますよ彼らは。試してはみますけれど」
吸血鬼の魅了も、より強い魅了か魔力を叩きつければ正気に戻る。つまり、『衝撃』を当てれば大概は改善する……はずである。
「じゃあ、早速、行くか!!」
彼女は何事かと思ったのであるが、騎士団長は『これから若い奴らに吸血鬼の恐ろしさを伝授するのだ』と大乗り気なのだ。
二輪馬車と騎士団長以下数人の幹部はリリアルにある駐屯所まで共に移動することになった。既に、夕方となる時刻であり、早くリリアルで夕食を食べたいと彼女は思っていたのだが……
「リリアルの男子を連れてきてもらえるか」
「……承知しました」
樽の中の吸血鬼と彼女を降ろすと、歩人は彼女の使いとして男子生徒を呼びにリリアルに馬車を向けた。
しばらくすると、騎士団の中が騒がしくなる。
「お帰り、吸血鬼捕まえたんだって?見せて見せて!」
伯姪が茶目栗毛と青目藍髪を連れて駐屯所に現れた。因みに、伯姪は騎士団で人気者なのである。彼女は……恐れられている。男爵であり、先日『副元帥閣下』になられたのでなお一層である。
「さて、先ずは女性から試してもらおうかな」
達磨化された女吸血鬼が樽から引き出される。猿轡に目隠しされた状態で椅子の上に魔装縄で縛り付けられる。
「ではごたいめーん☆」
軽やかなテンションで、伯姪が猿轡と目隠しを取る。
『ななな、何だあんたたち!』
「ここは騎士団の分屯所、あなたは誰?」
『誰だっていいだろ!いえ、す、すいません、ごめんなさい。だから、銃の引き金を引かないでください。お願い……』
うるさいので、短銃の銃口を後頭部に押し付けている彼女がいる。
「あのね、『魅了』ってできるよね。できるなら頷きなさい」
女吸血鬼達磨はコクコクと頷く。
「では、先ず彼女からやってみて」
「目を合わせればいいかな?」
吸血鬼は魅了を掛けるようだが、上手くいかない。
『無理だ』
「やっぱり異性じゃないとダメなんだ」
『……いや、そんなことはないよう……です』
曰く、支配種レベルの高位になると性別を問わず加護を持たない存在や魔力を持たない存在は操れるという。加護持ち・魔力持ちはその内包する物の影響で左右されると聞いているという。
「じゃあ、次は……あんたね」
「承知しました」
茶目栗毛が女吸血鬼の前に立ち、目を合わせる。吸血鬼は赤い目に力を込めているようであるが、その魅了にかかることはなかった。
『……やっぱり、『純潔』の少年は難しいかもしれない』
『純潔』というか、茶目栗毛は純暗殺者ゆえではないかと彼女は思うのである。