第18話 彼女は辺境伯領に到着する
第三幕『辺境伯』
王都で有名な美貌の子爵令嬢に、「妖精騎士の姉」という価値が加わり、法国との境目の辺境伯の三男からお誘いをいただく。子爵家は乗り気で、『彼女』は姉と共に辺境伯領へと向かう。
第18話 彼女は辺境伯領に到着する
さて、山賊を討伐した後、旅程の山場を越えた一行は南都を経由して予定通りニース辺境伯領へと到達した。山賊に関しては、街道を進んだ先の村落で事情を話し、領主に後始末を依頼して先を急いだのである。というか、山賊を放置し、子爵夫人や辺境伯令息を危機に陥れたのは、山賊との繋がりを疑われかねない内容であろう。
頼んだ村の村長には狼の尻尾のチャームと、薬の詰め合わせをお礼として贈ることにしたのだが、かえって感激されてしまったのである。妖精騎士様が、山賊どもを討伐してくださったと……姉は拗ねていたが。
彼女は内海を見て思ったのは……水色って綺麗だということだろうか。王都周辺とは日差しの強さも風も全く違うのである。
「いいわね内海は明るくて、元気になるよね」
「そうね。お父様と隠居したら、こんなところで暮らしたいわね」
姉と母は相変わらずである。とはいうものの、この陽気であれば恐らく飲み物も食べ物も何でもおいしく感じる事だろう。海でとれる魚の種類も随分と違うのだろうと、彼女は考えていた。
内海沿いを2日ほど進み、見えてきた辺境伯の城館は、大きさこそさほどの規模ではないと思ったものの、背後に美しい海と港を控えさせており、その海岸の終わりと港の際となる丘の上に立つ白亜の城館であった。
「内海沿いは日差しが強いですから、王都の建物と比べると、外壁は白くして光を吸収しないようにしているんです。窓も小さめですし、庇も大きいのが特徴ですね」
令息はそう説明する。市街地は城塞都市となっており、かなりの広さが石壁により囲まれているのは、この場所に城砦を最初に築いた帝国の影響によるものらしい。つまり、その時代から、この場所にこの城館の御先祖たちは建っていたわけなのだ。
ここから法国へは船でいくか、内海沿いを東にいくかになるのだが、物資の輸送を考えると、船の方が安全であるという。盗賊や通行税をとる領主の存在があるからだ。
馬車は館の前に止まり、既に先触れにより到着が知らされていた辺境伯の方達が揃って出迎えてくれるのであった。境目を守る辺境伯の騎士団がずらっと整列している。因みに、冒険者3人は市街で宿に既に入っており、1週間ほどの滞在期間中の護衛は頼んでいない。オフである。
さて、辺境伯と侯爵の違いを確認しておこう。男爵子爵が国王の騎士の中から功績をあげたものが叙爵する直参旗本のようなものだとすれば、伯爵は譜代大名のようなものである。王国が小さかった頃の高位の騎士や名門家臣が叙爵したものだ。
では、公爵はというと、王家の分家筋か元別の王家が王国に臣従した際に任ぜられるもので、前者が御三家御三卿、後者が外様の大大名になるだろう。そして、侯爵は譜代だが国境に面して独立した軍事力を有する必要がある領地をもつものを意味する。伯爵は警察能力としての騎士団だが、侯爵の騎士団は外征能力を有すると言えばいいだろうか。
では、辺境伯とは何か。これは、侯爵家が譜代の家臣からの累代のものであるとすれば、隣国から王国に帰参したものが辺境伯となる。つまり、王国建国後に他国の貴族が王国に属した場合の存在なのだ。なので、ニース辺境伯は法国に親戚多数であり、王国には知己が少ないのだ。
故に、伯爵家程度の家の規模でありながら、侯爵家のような独自の軍事力を有し、城塞都市を支配する小国のような政治的独立性も有しているといえるだろう。子爵家が騎士上がりで王家の忠臣であり続けてきたのとは真逆の存在ともいえる。
――― 姉の性格と辺境伯家の立場はとても相性がいいだろうが
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さて、気温は高いものの湿度が低いので、それ程暑くはないものの、ニース風のドレスに着替えることになる。これは、王都に滞在中に令息がサイズを測り、事前に用意させていたものだ。
「軽くて着心地が素晴らしいですわ」
「本当に。なんて軽やかなのでしょう」
「この地にピッタリの装いですわ」
三人三様にドレスの感想を述べると、辺境伯夫人と、令嬢と嫡子夫人が笑顔で同意してくれる。やはり、笑顔の軽やかさが王都とは違うのである。まあ、ホームであることの優位性もあるだろうけれど。
「今日の夕食は、船上でのディナーにご招待させていただきますわ」
「……海の上で夕陽を見ながらでしょうか。素晴らしい夕食になりますね」
王都の子爵令嬢如きには絶対不可能な状況である。やはり、この地を長年にわたり統治する「殿様」故の演出なのだろうが、この地における『王』は王都の陛下ではなく、辺境伯なのだろう。
昼食は軽いもので済ませると、一旦部屋に戻り湯あみをそれぞれがする事になる。その後、涼しくなるまで『お昼寝』をするのが習慣らしい。やはり王都とは文化が違うと感じる。
『なんだか子供みたいだな』
「暑い昼間に無理をしない工夫でしょう。あなたも知っているでしょ?」
『ああ、その昔、この辺出身の魔術師と組まされてな、王都でも昼寝するんで頭にきたことを覚えているぞ』
『騎士の鎧も金属の部分を減らして革との組合せも多いようです。海の上で金属の鎧は落ちたら浮かびませんからね。その辺は陸地の上だけを想定した王都の騎士とは少々違うようですね』
魔剣は魔術師の視点で、猫は騎士・兵士の視点で話をする。確かに、重い金属の鎧は海の上もそうだが、暑い場所では向いていない。カナンの地では騎兵も革鎧なのは、砂漠で戦うことが多いからだと聞いている。とはいえ彼女の部分鎧くらいなら、さして障害にはならないだろう。
天井も高く、風通しの良い部屋で、ベッドも肌触りのさっぱりした織の布で覆われている。床は板とサラッとしたジュートの織物で毛織物などは見当らない。これは、王都に持ち込んでも需要がないだろうが、この地ではとても似合っている。
素足になり、その上を歩いて窓際に立つと、目の前は水色の海が彼方まで広がっており、眼下の砂浜が西に向かってずっと伸びている。
「あの海岸の先からずっとやってきたのよね」
『なんだ、もう帰りたいのか』
「いいえ、帰るのを考えると、気が重いのよ」
帰りは辺境伯令息はいないだろう。騎士は送ってくれるだろうが姉と母の相手をするかと思うと気が重い。猫に頑張ってもらうか、なにかお土産に時間が潰せるものをお願いしたいとは思うのである。
『法国で流行りのタロットカードなどは如何ですか』
「何かしらそれは」
木版画で刷られたカードを組み合わせるゲームで、幾通りにも遊べるので、良い時間潰しになるようである。従軍中の貴族が嗜むこともあるらしいのだが、王国ではまだ普及していないのだ。
『それも、商売になるかもしれないな』
「ええ、いい考えだわ。王国への手土産には手頃かもしれないわね」
ドレスなどは女性しか好まれないが、新しいゲームということであれば、老若男女問わず楽しめる可能性がある。それに嵩張らない。
「令息に聞いてみましょう。揃えていただけるかどうか」
社交家である姉が茶会などで知らせ、実際に遊ばせてみれば恐らく、しばらくの間王都で独占的に扱えるだろう。簡単に木版を仕上げるのは難しいだろうし、法国と比較すれば王国は印刷技術が低い。それは、法国が御神子教の写本を作成するため、職人を育てていることが背景に存在する。
もしこの城館にタロットカード一揃いあるのなら、是非とも教えてもらいたいと彼女は思うのである。帰路の心の平安のためにである。
夕食はシーフードメインのコースである。船は商船でも軍船でもなく、来客を接待するための専用船で、デッキが広くとられている幅広な船であった。浜焼き風のグリルも備えつけられており、目の前でシェフが調理してくれる
のだ。
「ワインの果実割が美味しいわね」
フルーツポンチ風になっているのだが、暖かい場所で度数の高いワインを飲むのは体に悪いのか、氷で割ったり果汁で割る飲み方をするのがニース流なのかもしれない。他の内海領は知らないので分からないと彼女は考える。とは言え、13歳の未成年ではグラス半分程度で限界かもしれない。
「こんな素晴らしいディナー初めてですわ」
海の上で波に揺られながらの食事は、ほとんど揺れていないので問題ないのだが、揺れて居たら酔いが激しくなりそうと王都出身の女性たちは思うのである。
食事をしながらお互いの腹の探り合いなのだが、今のところ姉と令息の利害関係は一致しているとみていいだろう。侯爵もしくは辺境伯の次男か三男で王都で婿をする気があるヒトという条件に、ニース辺境伯令息はピッタリと合うのである。
子爵家の王都での存在と、辺境伯家の王国における立場はネガポジの関係であり、王都の外に知己を持たない子爵家と、王都に知己のない辺境伯家
はもっとも補完が成立する関係と言えよう。
姉の年齢的にも今が最高値の売り時であり、令息もここで決めなければ、部屋住み確定かもしれないのである。そもそも、辺境伯の三男を婿に望む家自体が希少価値であり、姉は選べる立場なのである。
それに、ここにきて妹の付加価値は急激に上昇しており、子爵家の婿を望む高位貴族の子弟はとても多いのである。
「王都での事業、子爵家でもご協力いただけますのでしょうか夫人」
「わが夫である子爵からは出来る限り力になるようと言われております。法国内での縁故をお持ちの辺境伯家が王都で商会を営まれるのであれば、成功は難しくございませんでしょうから当然ですわ」
「いいえ、確実にしてみせますわ。皆さま、興味津々でございましょうから」
母の言を姉が継ぐ。これで、辺境伯令息を王都に伴い、商会の開設準備の傍ら、婚約に向けての準備を進めるという内諾を与えたということになるのだろうと、彼女は理解した。同居では無いとは思うが。
「では、王都に戻りましたら子爵家の伝手を用いて、辺境伯家の商会を開設するにふさわしい物件をご紹介できるよう手配いたします」
「よろしくお願いしますよ。お前からも、お願いしなさい」
「では、お義母様、お願いいたします」
「あらあら、気が早いことですこと」
という事で、母が願ってやまなかった辺境伯家、それもニース領を有する伯家の令息を婿に頂くことはほぼ確定したのである。
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さて、商会の仕事として、法国の商会との取り決めや販売する物品の買い付け含めて、令息は王都と領都と法都をしばらく行ったり来たりする事になりそうである。
商会の開設が完了した段階で、辺境伯と嫡子とその夫人は王都に来る予定となった。一つは正式に姉と婚約を行い国王陛下に承諾いただくこと、いま一つは商会開設とその挨拶に王都の社交界に顔を出したいということでもある。
商会のトップセールスを姉の伝手のある、高位貴族の御婦人たちとの顔つなぎをするのが目的で、義姉となる嫡子夫人が姉とともに茶会や夜会で活動するというのがあるだろう。
「その顔つなぎの品が……法国のタロットカードね。いいじゃない」
「絵柄を毎年変えて、コレクション性を高めたりすると、定期的に購入する顧客も育てられそうですな」
「社交の場にふさわしい小道具ではありませんか。絵柄も素敵ですし、男性にも女性にもふさわしいのでは?」
男性が女性の茶会に参加するのは難しいが、趣味のカードで交流するというのは大いにあり得る。それに、会話をしながらカードを楽しみ、その際にお酒や菓子もつまむ。すべて、法国の流行の品を提案できる。王都の流行に聡い高位貴族の御婦人たちに、ドレスやアクセサリー以外でも喰い込むのは非常に意味があるだろう。エルメスのように。
そして、タロットに着眼したのが妹であることが会話の流れから判明し、一気に話題の中心は『妖精騎士』へと流れていく。
「王都の周辺も様変わりしているようですね」
彼女自身は、代官地の村のことしかよく知らないのであるが、その辺りの話しを伝える。
「お芝居や読み物で『妖精騎士』が話題になっておりますので、王都からわざわざ村を見に来られる令嬢や商家の娘さんもいるのです。それまで宿屋も食堂もない村でしたので、今はその為の施設と、王都で料理人を探している最中だそうです」
「わざわざ王都から女性がですか」
「はい。お芝居や読み物だけでは満足できないようでして、土産物に村で考えたウサギの足のチャームなどを売るようにしているようです」
と考えていると……
「ふむ、妖精騎士のタロットを作成しようではないか」
「……はい?……」
「いや、22枚の大アルカナだけでも、ちなんだ絵姿を刷り込んだものにすることで、かなりの販売が見込めるのではないか」
「父上名案でございます。そこに、我が商会と子爵家の紋章を入れさせてもらい、他者がまねできないようにするのはどうでしょうか」
段々雲行きが怪しくなってきたと、彼女は思っている。狼の尻尾のチャームの件は絶対伝えないようにしようと心に誓うのであった。
やがて、話は彼女の馬術や護身術の話へと移行していくのである。益々危険な空気が漂い始める。
「実際、ゴブリンの群はどのような感じでした?」
次男である騎士団長が話を切り出す。寡黙ではあるが、令息同様、陽気な空気を身にまとった男である。とは言え、かなりの剣の腕前だと思われる。
「チャンピオンと呼ばれる上位種は、オーガ並みの体格でしたし、腕力も相当のものでした」
「ほお、それでは苦戦されたのではありませんか?」
と聞いてきたので、彼女は話をぼかしつつ、丸木橋を油で焼き払い、足元を傷つけ、堀へと落としたあと足の傷のせいでまともに立ちあがれずに溺死したので、危険ではあったが何とかしのげたという話をした。
「その時の足を切りつけた技を拝見したいものですね」
騎士団長……いや、義理の兄になるだろう男性からの申し出に、子爵家も辺境伯家も大いに盛り上がり、彼女は翌日に……模擬戦をすることになってしまったのである。なぜなのか、解せない。