第154話 彼女は『魔熊使い』の話をする
第154話 彼女は『魔熊使い』の話をする
さて、サボア公国が王国の保護下にあり続けるのであれば話は簡単なのだが、それは確定事項とは言えない。実際、トレノは旧帝国辺境伯領であり、サボア公爵の影響力は余りないのが現状だ。
帝国から寝返った傭兵がサボア公国で活動しており、サボア公国が帝国に所属することになった場合どうなるか、簡単に理解できるだろう。つまり、王国の所属である『魔熊使い』を傭兵としてサボア公国に貸し出す……と言う形で守ることが彼女の提案なのである。
「正直、今回リリアルが参加して魔熊を含め十五頭の群れを討伐しましたが、不在であれば、兵士の百人二百人では太刀打ちできない戦力でありました」
並の熊でさえ、その分厚い筋肉の壁を槍や剣で貫くことは難しい。矢も刺さる事は困難で、弓銃も森の中では操作しにくい。結果、多数の兵士が槍で取り囲み力任せに倒さねばならないのだが、数が数でありむしろ、囲む前に森の中で各個に殺戮される可能性が高かっただろう。
魔装と魔力纏いで一瞬で前衛の灰色熊を屠り、結界を展開し戦意を無くす程度の打撃で抑えられたのはリリアルの大魔力保有者の大量投入があればこそである。
「……なるほど。メリッサ殿を大切にするためにはサボア公国と直接の傭兵契約をするだけでなく、王国の保証人としてリリアル男爵が王家の学院の席を用意する……ということなのだな」
「ご明察の通りでございます閣下。でなければ、再度の寝返り工作もあり得る存在です。何しろ、魔熊を使役できることは魔狼と異なりかなり偶然性の高い要件のようです」
彼女は聞き取りした範囲で、魔狼は帝国内で狩りだし服従させることで容易に『魔獣使い』の支配下に置くことができるが、オーガに匹敵するヒエラルキーの魔熊が人に従う事自体が希少なのであることを説明する。
「確かに、魔狼はゴブリンの群れに使役されることもあるから、魔物としてはその程度の存在なのだろうな。熊が狼に殺されることは聞いたことがない。それほど高位の魔物を複数使役できる彼女はとても希少なのだろうな」
「ご理解いただけ幸いです。ですので、傭兵契約に関しては、閣下とメリッサの間に結ばれる契約に私が保証人として名を連ねることをお許しください」
彼女は『王立リリアル学院長 リリアル男爵』と署名することになるだろう。つまり、王家がバックについた傭兵であるという事を書面に記すわけだから、魔熊使いに何らかの危害を公国側が行った場合、王家・王国に対する敵対行為とみなすと言われても否定できないことになる。それほど、魔熊使いの存在を彼女は真剣に守りたいと考えていたのである。
一先ず契約の話はさておき、お茶を飲みながら、彼女の人となり、今までの生活について話が為されることになる。
「ほお、何日も何週間も魔熊たちと山の中で生活することもあるのか。野宿は大変ではないのか?」
魔熊使いは狼の皮を使った狩りの小屋を持ち歩いていることを話す。決してその辺の地面に寝ているわけではない。それに、毛皮の敷物はとても暖かく、魔力のある彼女であれば小屋の中の温度も調節できるのである。
「魚を捕って焼いて熊たちと食べるのも楽しい」
「なんと、熊も焼いた魚を食べるのか?」
「美味しいっていう事が多い。それに、魔熊とは会話もある程度成り立つので一人で生活していてもそれほど寂しくはないのです」
羊飼いが春から秋の間、山の中を放牧しつつ移動して生活することに比べれば、魔熊使いはまだ魔熊と話ができる分かなり恵まれているという。羊飼いは村の人間とは数えられない余所者扱いで、村の外から雇われた人間が多い。接触も最低限に限られている。少なくとも彼女は、貴族の侍女として随行できるほどの教育は受けているのである。
「……それは素晴らしいな。魔力を持ち、貴族の傍で侍ることも可能な……」
言葉にはしないが、『美女』と口の中で呟いているのはなんとなくわかる。
通常の雇用契約書は作成されており、そこに保証人としてリリアル男爵が添え状を付ける形になるのだが、任務に関しては特約を付けさせてもらう。
「閣下の御意志とは関係なく、彼女が帝国領もしくは法国領への侵攻に利用される可能性もございます」
「……可能性は否定できない」
魔熊が自在に操れる傭兵を戦力と考える騎士団が存在しないとも限らない。魔熊が戦力として最大に活用できるのは山岳戦闘であり、騎士団が関わるようなことはまずない。鎧を着て山の中を駆け回ることなどできないからだ。
「故に、先般『魔狼』に率いられた狼の群れに襲われた村……この村とその周辺の国境警備に限定する……ということを提案したします」
公爵自らが救援に駆け付け、更に、対魔物に関するエキスパートである『魔熊使い』を配置してくれるとなれば、心強く思うだろう。配慮も感謝される。
「なるほど。公爵家の庇護を直接感じさせる……ということか」
「兵のようにまとめて運用するよりは、数頭いる魔熊・半魔獣を国境線の山中に配置し、警戒に当たらせる方が良いでしょう。よほどの数の浸透でない限り、あの魔獣たちで対応できるかと思われます」
「で、彼女は村に家を持たせ、山を巡回してもらう……ということか」
「はい。定期的な巡回も意味があると思われます。長く活躍してもらうには安定した生活の拠点を提供することが彼女の場合大切ではないでしょうか」
彼女はこれまで直接、金銭の授受を受けて傭兵として活動しているわけではない。里長の命で活動していたのである。今後は、彼女が生活する場所を整え、その場所を守るために働くようにすることが領民の為にもなり、公爵の為にもなるだろう。
「リッサ、どうかしら?」
「……知らない場所に行かされるのは嫌。あの子たちも自分の縄張りをもちたいと思っている。だから、アリーの提案は嬉しい」
公爵は諮詢しているが、ここで『否』と言えば、彼女は魔熊使いを連れて立ち去る可能性を考えると、先ずは契約し戦力となってもらう事が是であると考えるに至った。
今の会話の内容を書面にするよう執事に命じ、しばらく雑談をすることになる。外はあいにくの天気となってきており、庭を案内するという提案はできなくなっていた。
「こんな雨の日は、どうやって過ごすのだ?」
山の中で急に雨に降られたりすると、体も冷やすであろうし、乾かすことも難しいのではないかと公爵が問う。
「そうでもありませんわ。森の中は、木々の葉に雨が当たると枝を伝わり根のある周囲に落ちていくものです。大きな木々が生い茂る場所であれば、乾きにくく濡れにくいのです」
雨が降らずとも、落ち葉の下には沢山の水分を保っているのが森だ。余程の驟雨でもない限り、ある程度はしのげるという。
「とはいえ、天候の変化が大きい時は、尾根を避けて風向きとは反対の斜面の雨風が凌げる場所、できれば横穴や岩棚の下などに隠れます。そこで、一団となり私は狼皮の仮屋でやりすごすことにしております」
狼皮の仮屋……大風や雨でも大丈夫らしい。中は魔力で温度を上げたり空気を動かすので暖かく乾燥した環境を作ることも難しくないという。
「ぜひ試してみたいものだな」と言う公爵の言葉に、「一人用の小さなものですが大丈夫でしょうか?」と聞き返す魔熊使い……公爵閣下は騎士の修行もしておられないので、世話をする者がいないと生活できないのだから当然無理だ。
『ひひ、公爵様が山の中でお一人暮らしとかぜってぇ無理だろ?』
『魔剣』の言う通りであるが、そこは言わぬが騎士の情けだろう。
『俺は騎士じゃねぇから、問題ねえだろ?』
それはそうなのだが、そういう事じゃないよね。
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契約書は同じものを三通作成し、公爵・魔熊使い・リリアル男爵がそれぞれ一通ずつを保存するようにした。彼女は王国語も帝国語・法国語に古帝国語も読み書きができるという。もっとも、契約書は古帝国語と現地語で併記される事が多いので問題ない。
「この内容でよろしいかな。月の給与は金貨一枚。それとは別に契約金が金貨六枚を支給するものとする。支払いは……」
「冒険者ギルドを通していただきたいと思います。彼女を冒険者として登録する形で王国内での身分を整えたいと思いますので、ご了承ください」
「なるほど。魔獣使いであれば、従魔共々登録することも可能であるから、メリッサ殿を知らない者に対して身分を示すのに問題ないだろう。が……私からはこれを預けたいと思う」
サボア公爵家の紋章の入ったダガーである。武器より道具に近い小さめのものであるが、身分を証明するのに十分なものである。
「詮議された場合、サボア公爵家ゆかりの者であると証明することができるであろう。魔熊使いがサボアの守護であると認識されるまで有効に使ってもらいたい」
「……ご配慮いたみ入ります」
侍従が公爵から受け取ったダガーを魔熊使いは恭しく受け取る。
「ならば、リリアルからは、この片刃の剣を差し上げます。ミスリルの合金で魔力を纏わせ斬撃を高める効果があります。あなたの身を守ることができると思います」
「あ、ありがとうアリー。うん、こういうの欲しかったんだ!!」
「「……」」
公爵の紋章入りダガーより、ミスリルのスクラマサクスの方が余程うれしかったことが部屋にいる全員に伝わってしまったのは言うまでもない。
「それと、このダガーもね。あなたもリリアルの仲間なのですもの、身に着けて欲しいのよ」
「!! ミスリルのダガー……すごく嬉しい☆」
「……」
たぶん公爵のダガーもミスリルなのよねと彼女は思うのである。
公爵閣下のお誘いがあるものの、魔熊使いを連れて一旦ギルド登録を行う事を優先する事にした。従魔と共に登録する必要があり、サボアのギルドではできないため、一度南都まで行く必要があるのだ。それと……
「『セブロ』は大きさ変えられるのよね」
「……わかる?」
『主、あれは半精霊でしょう。つまり』
『お前と同じ。ありゃ、中身……幼子だな。まさか実の子の魂じゃないだろうな』
可能性的にはないではないが、魔熊の活動時期と彼女の出産した後の子供の死亡年齢を考えると……十歳前後で生み、その後数年で死亡したとみなさないといけない。
「あの子は、私の幼いころ亡くした弟の生まれ変わり……」
「あなたの母親はあなたに良く似ているというわけね」
魔熊使いは黙って頷いた。その頃、彼女のいた里では死病が流行していた。最初に彼女の父親が倒れ、幼い弟が倒れる。二人を介抱していた母もやがて病となる。その頃母親は二十代後半であった。
「私は獣使いの修行で師匠について里を離れていたから……助かった。けれど、家族三人はだめだった」
「それで、弟さんの魂が拾った魔熊の子供の体に乗り移ったという事なのかしら」
「たぶんそう。自分が死んだことも気が付かずに、母によく似た私に纏わりついてきたんだと思う」
母親を求める魂が、母によく似た姉と共にいる魔熊の中に納まった……という事なのだろう。
『……それはあり得る話です』
『子供の魂は純粋だからな。そういうことは起こりやすい。あれだ、天国とかに行く前にちかしい者の傍に居たくなるんだろうな』
迷える魂の先達たちのいう事は説得力がある。半精霊ゆえに、体の大きさもある程度変えることができ、子熊の大きさに変わる事も出来るのだという。
「背中に乗せて走ることもできるから……意外と便利……」
「便利ね」
『主の命あらば、私も背に乗せて走ることは吝かではありません』
「いいえ、馬で十分よ。しがみつくのも大変じゃない」
獣使い・魔熊使いならともかく、騎士の端くれが大きな猫の背中に乗るのはあまりお奨めとも思えない。
「では、一度『セブロ』を連れて南都に向かいましょう」
彼女は宿に戻り、学院生に南都に一度立ち寄ることを伝え兎馬車で魔熊を回収するために移動することを伝える。
「熊の回収もしたいので、同行しますね☆」
赤目銀髪に赤毛娘と黒目黒髪がもう一台の兎馬車で同行することを願い出る。今日の仕事は残してきた熊の素材回収も必要だろうか。
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熊の素材を川から引き揚げ簡単に解体して必要な素材の形に加工している間に、二人は魔熊を回収するために尾根道まで上がっていた。魔熊は主の姿を確認したのか、ゾロゾロとその前に集まってきた。
魔熊使いは里には戻らないこと、この辺りの山をみなの縄張りとして怪しい人間や魔物がやってきたら撃退する仕事をしばらく引き受けたことを伝える。
『ミナトコノ山デクラス。母モイッショ!!』
『Gwaaa』
『Guwo?』
セブロの言葉を解釈した他の半魔獣……というよりセブロの子供たちである魔熊が反応する。半分ぐらいはよくわかっていない気がするがこの辺りを縄張りにしてもらえれば問題ない。
「セブロは小さくなってついてきてちょうだい」
『小サクナル』
家の屋根ほどの背丈の巨大な魔熊がどんどん小さくなり、やがて小型犬ほどの大きさとなる。手足も短くなり随分とずんぐりむっくりとした子熊らしい姿となる。
「「「……かわいい……」」」
「ありがとう」
『カッコイイガイイ!!』
男の子はかわいいよりカッコイイと言われたいものなのである。
リリアルの学院生と別れ、彼女は魔熊とその主人を連れて南都の冒険者ギルドを目指すことになる。恐らく、登録だけであれば夕方には戻ることができるだろうと彼女は考えていた。
「この兎馬の馬車……凄く早いのね」
「乗り心地もただの荷馬車とは思えないでしょ? 魔力を生かして走行性能を上げているのよ」
「……王国……すごい」
『母モスゴイ!』
魔熊はシスコンでありマザコンのようである。