第146話 彼女は伯姪たちと公爵邸に招かれる
第146話 彼女は伯姪たちと公爵邸に招かれる
『公爵』という身分の存在と会うのは決して初めてではない。侍女としてではあるがレンヌ大公、それにジジマッチョの盟友ブルグント公爵と会ったこともある。公爵邸はレンヌ大公の城郭ほどの兵溜まりなどはないものの、建物の格は公爵として十分な立派な作りであった。
「伯爵家から公爵となった際に改築されているのだよ。自慢された覚えがあるわ」
「あら、ニースの城館も別邸も、勝るとも劣らぬ素敵なお屋敷ですわ」
「ニースは城塞としても大きく古いものだからな。古の帝国時代から作り替え続けて今の姿になっておる。内海一の堅牢な城を持つ街であろうな」
ドロス島にはその昔サラセンへの聖征の際に築かれた島を守る巨大な石の城があるというが、あくまでも要塞として機能するそれであり、領都として機能するものではないので比較にはならないだろう。比較するのであればガイア城のようなものがドロスの要塞の対抗馬だ。
玄関を入ると、正面にはいささか略式ではあるようだが、礼装をまとった公爵閣下が出迎えてくれていた。
「ようこそ叔父上様、男爵に騎士爵も。先日のお礼に、ささやかではあるがお招きさせていただいた。今日はゆるりと振舞っていただきたい」
「感謝するぞ」
「「お招きいただき、ありがとうござます」」
スカートの裾を持ち上げ、お辞儀をする二人。久しぶりのドレス姿で緊張しているのは悟られていないと良いのだが。
食事には少し間があるという事で、応接室に通される。それほど広い物ではないのは余り来客がないからなのか、彼女たちの身分を考えて小応接室を宛がわれたのかは分からないが、座り心地の良いソファを進められる。二人は長椅子に、前伯と公爵は一人用の袖付きのソファに座る。
「広い部屋では声も通りにくいので、少々手狭ではあるがこちらを用意した。食事の前に、昨日までの礼をいいたい。サボア公爵として、領民を守ることに力を貸していただき感謝している」
公爵はしっかりと頭を下げた。
「お気になさらずに。依頼として魔物を討伐することは冒険者として当然の義務ですが、魔物に傷つけられた領民を慮るのは領主である公爵様のお仕事であると察しまして、差し出がましくもお伝えいたしました」
「男爵一人では話を聞いてもらえるかどうか難しそうであったので、同道したまでのこと。老婆心ではあるが、領民の訴えが公爵に伝わらなかったことは重く受け止めるべきだ。今回だけではないかも知れぬ」
公爵は俯き、何か逡巡しているように見受けられたのであるが、その場には使用人もいるので言葉を返す事は無く「見直しをいたします」とだけ答えるのであった。
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帝国・法国・王国の交わるサボア領故に、料理もそれぞれの影響を受けたものであった。南都とも少々異なるのである。
メインディッシュの中で魚の皿が出されたのだが、どうやら白身魚のフライにマオンソースが添えられている。このソースは卵と酢と植物油を混ぜて作るとても高価なソースである。それに、刻んだ野菜が混ぜ込まれており、彼女は初めてみるのである。
「タタルソースですわね」
「……私は初めてみます」
伯姪曰く、神国風の料理につかわれるソースで、元はサラセンからもたらされたものだという。
「白身の魚のフライにはとても合うのよね」
「肉ばかりでは飽きる時もあるでな。魚も生で食せる場所ばかりではない。油で揚げれば味も良くなり傷みも気にならなくなる。とはいえ、この魚は今朝取り立てであろうがな」
前伯の見立て通り、領内の川で捕らせた鱒であるという。先ずはソースを付けずに一口。香ばしくジューシーな味、二口目にソースをつけ口に入れる。ほのかな甘みと酸味が広がる。これは食が進みそうなソースだ。
とはいえ、油で揚げること自体が高価な調理方法であることを考えると、リリアルの子たちに振舞うのはなかなか難しいかもしれないと彼女は思う。
彼女たちの食べる姿を見て公爵は「喜んでいただけたようで何より」と言う。
「このソースはステーキの付け合わせにも良い。口の中がさっぱりする。レモンが加えてあるとなおいい」
「なるほど。リリアルで採れた卵があれば再現できそうです。猪の肉のステーキにこのソースを合わせてみたいですわ」
「なるほど。いついかなる時も、職務を忘れない……ということか」
公爵はそういうが、彼女にとって学院の皆は家族同然。美味しい物を食べたら、それを分かち合いたいと思うのは当然なのだ。
「職務ではないのよね」
「ええ。美味しい物を分かち合いたいと思える……身内ですわね」
「はは、まあそうさの。同じ釜のパンを分け合う中だ。背中を預ける者たちのことを想うのは当然だな」
伯姪と前伯は彼女の気持ちを察し、そう付け加えるのである。
食後のお茶の後、邸内を案内したいという公爵の好意から、三人は連れだって邸内を歩く。小さいとはいえ王の居城である故、リリアルの館並みに立派な作りである。ニースと比べると窓が大きく、そこに厚手のガラスが嵌め込まれているのは山国で寒さ対策からなのだろうか。
「以前伯爵家であった時は十分な広さであったが、トレノ辺境伯領を加えて今の公国となってからは、政庁としては不十分なのだ。来客用の迎賓館兼、私の居城といった使い方になっている」
「では、政務はトレノでとられるのかな」
「ええ。定期的に領内を行き来しております。大きな仕事は家宰たちが担ってくれているので、私はその確認が主な仕事です。なので、日ごろはこの館で過ごし、トレノにいない際はあまり政務も来客も無いのです」
トレノが経済の中心であることを考えると、父祖の地であるからといってこの地に留まることに不安を感じているのかもしれない。事実、居城をトレノにあるいくつかの城館の一つに移してはという話もあるのだという。
「トレノは経済的な求心力もあり、また帝国の影響があるとはいえ今は平和に交流している。こちらは、そうではない。今回、魔物の救援要請もギリギリまで為されなかったように、領民が公爵家を頼らぬようになっている。これで、居城まで移してしまえば、山国や帝国に靡く者も増えるであろう」
居城を移せない理由は、伯爵家時代の領地の農村との関係が希薄になり、不安定であるからという事なのだ。確かに、生死が関わる状況でもギリギリまで救援依頼を出さず、受けた方も即動けないのではお互いにお互いをどう思っているのかが薄っすらと透けて見える。
「ご心配ですのね」
「ああ。父祖の地の領民から慕われていないのはな。それでも、今回の事を機会に、あの村とは交流を続けるつもりだ。縁を大切にしたいのでな」
何かせねばならぬが、何を成せばよいのかわからないと言ったところに公爵の不安があるのだと彼女は推測した。
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居館のあと庭園を案内され、三人は四阿で午後のお茶を楽しむこととなる。茶葉と山羊の乳を煮込み、砂糖や蜂蜜シナモンで味と香りを整えたサラセン風の飲み物である。
「さあ、どうぞ」
お茶を飲みながら、今回の魔物討伐の件について話が始まる。公爵は当然初めてのことであった。
「初めて……領主らしいことができたと思う」
「はは、領主と言うよりは騎士であるかな。馬に乗る戦士が騎士。その昔は海賊どもが領内に現れれば、領民を守るために馬で駆け付ける主従がいて、当たり前の事であったからの」
「お爺様とて、サラセンの海賊相手に駆け付けられていたではありませんか」
内海にはサラセンの海賊が出る。ニース領内の海に近い村を襲う海賊もいたのだという。沖に投錨し小舟で武装した海賊が現れた時点で村は救援の使者を辺境伯騎士団に送る。
「陸と海とで挟み撃ちじゃよ。その為の快速船も仕立てておる。逃がすところなどないのだ」
陸伝いに騎兵を派遣すると同時に、海上で投錨する船にも向かうのだという。万が一海の上に逃れても、船ごと捕らえるので逃げることはできないという。
「おかげで、ニースの周りには海賊は寄り付かなくなりましたわね」
「ああ。サラセン人に高値で奴隷として売りつけてやるからの。お宝もガッポリ奪わせてもらってウハウハだな。船も手に入り良いことずくめじゃ」
つまり、海賊の上前を撥ねる領主の海賊と言うわけだ。連合王国のガレオン船を奪った彼女が言える立場ではないと思うのだが。
貴族とはその昔、全ての民が『戦士』であった時代、戦いが得意な者またはその一族郎党を専業の戦士とする代わりに、狩猟採集や農業牧畜をさせず一定額を皆で支払うという契約で成り立った存在をいう。
――― イメージで言えば用心棒だ。
皆の代わりに一定の報酬をもらい専業の戦士となった一族がいつの間にか身に着けた武力で他の者を支配し、それをより上位の存在に認めてもらう代わりに税なり賦役なりを行う。これが王-貴族-民の関係の基本なのだ。王も貴族の一人であり、どの王に従えばより自分の権威が高まるかを考え行動するのが専業戦士である貴族の価値観となる。
では、このサボア公国における公爵とその配下の貴族、民との関係がどうなのだろうか。従っても貴族の権威は高まらない王。税を支払っても自分たちを守ることのできない貴族。故に、従わない民。善し悪しの問題ではなく、契約が守られていないから従わないだけのことなのだ。
故に彼女は思う。
「公爵が民を守らねば、貴族も民も従う理由がありません。また、公爵に従っても己の権威が高まらず民が従わないのであれば、貴族が公爵を尊ぶ理由はありません。公爵に生まれたから従えるのでは本来ないのです。みな、良き自分の世界を作る為、世界を変える為に従っていることにお気づき下さい」
公爵家に生まれ、傅かれるのが当然と思い生きてきた若き公爵は、彼女の当たり前のことを当たり前と説明する言に驚く。民も貴族も己を軽んじる理由は明確なのだ。
「故に、公爵には選択肢はそれほどございません」
「……ですね。自分自身が戦い民を守り、貴族の権威を高める存在とならねば、私自身が必要とされなくなることは道理です」
ニース辺境伯が領内はおろか王国・法国でも権威を認められるのは、長きに渡り、ニース領の民を守るために大いに力と知恵を振るったからだと言える。ただ武力を誇るだけでなく、周辺国と広く交易を結び、ときには王国、時には法国の利益を代表し相手の国と友誼を結ぶことを常とした。
領内での魔物や敵国に通じるものは厳しく討伐し、領民の安寧のために領主としてあるべきことを為し続けている。サボア公爵が権威を失いつつある間も、ニース辺境伯は権威を高め続けてきた。
「では、あなたに聞こう。民を守るために私ができる事は何か?」
「自分でできないことは人の手を借りてはいかがでしょうか。それも、信用に足る外部の人間をです」
「……そのような者が……『おるわ。儂等が手を貸そう。但し、ただより高いものはないのじゃから、きちんと契約を結んで対価を支払うのが前提じゃな』……なるほど」
只で受ける好意ほど怪しいものはない。先の辺境伯曰く、騎士の一線を退いた自分たちの世代の戦巧者を「教導顧問」として雇う事から始めるというものだ。
「相談役と言うところだな。今の公爵の側近には騎士に明るい者はおらんだろう。自らの手勢を育てる事から初めてはどうかな」
既に大身の貴族自体がサボア公に距離を置いてしまっているのであれば、公爵の近衛にそうした貴族の子弟を採用することも難しい。領内に新しい公爵家の騎士団を創設するため、広く人を募集するという事になるだろう。
「ですが、全員を雇うわけにはいかないでしょうし、即戦力にもならないのではないでしょうか」
「故に、冒険者ギルドと傭兵にも声を掛ける。騎士団の育成と並行して魔物討伐も行わねばなるまい。基本的な訓練は顧問団が、実際の討伐は冒険者や傭兵を期間で雇用し、一年契約などで魔物討伐と教育を手助けさせるのだ」
年配の騎士たちには精神を、冒険者や傭兵には肉体を鍛えてもらうという事になるだろうか。勿論、サボア公に忠節を誓うのであれば冒険者や傭兵を騎士団に加える事も出来るだろう。
「資金的に……どうなのでしょうか」
「簡単じゃよ。冒険者ギルドの依頼、公の近衛にでもやらせればよい。リリアルがそうじゃろ。冒険者ギルドの依頼を受け、訓練代わりに教導してさらに報酬を得る。仮に、騎士団に残らずとも、冒険者として生きていくことも可能じゃろう」
リリアルは冒険者ギルドで資金稼ぎと経験稼ぎを行っているので、それをこの周辺で行えばいい。
「冒険者の中に身内を混ぜておけば、法国・山国で活動することで自然と情報収集も行えることになる。冒険者は商人同様国境をまたいで活動することも容易であるから、その任務にも適しているな」
ジジマッチョの献策に考えつつも頷きを繰り返す若き公爵。その中で、最もだと思われるのは、ワルサーと呼ばれる谷ごとに生まれている自治組織の存在をいかに取り込むかだ。
「貴族を橋渡し役にして公爵領を維持するのも良し悪しになってきているのでしょうね。山国の領民自治の悪いところ取りとでも言いましょうか。この限られた領内で貴族を仲介に間接的に領民を束ねるよりは、領都の機能と公爵家の直接指揮する騎士団の能力を領民たちに直接購入させる方が良いのではありませんか」
「……貴族を中抜きにするという事か」
王国では長い時間をかけて王家に対抗する貴族たちを排除し、または王家の親族へと取り込んでいった。元々は異なる戦士団の長たちが貴族なのであるから、一つの戦士団にまとまれば長は王だけで良くなるわけだ。公爵家でも同じことであろう。
「有能な者は身内と娶わせ親族とし、自らの権威を領内で高めるのが良いだろうな。とは言え、急に行えば貴族の反乱を招く。己が力を高めつつ、時間をかけて領内を統治できるようになることが優先じゃな」
「は、はい。先の不安が夜の帳のように降りていましたが、今は山際に明るさが見えてきたような気持ちです」
名前だけの公爵として常に周囲の様子を伺い波風を立てずに生きてきた。これからは、為すべきことを為し、力を蓄えることが大切なのだと公爵は理解していた。
「一度ニースに戻り、友を募るとしよう。なら、二人とも後片付けは頼んだぞ」
前伯は「またの公爵」と挨拶すると、大股に部屋を出ていった。
『サボア公とニース辺境伯、南都の王太子領がリンクするのは王国南部の統治を安定させるのに悪い事じゃねえ。王都の次は南都の育成ってのが子爵家……いや先のノーブル伯爵家の仕事になりそうだな』
「リリアル男爵だけでも手一杯なのだけれど。どうなるのかしらね……」
この後、彼女と伯姪はサボア公爵に冒険者ギルドの育成や依頼を与える優先順位などに関して説明を行うのである。