第140話 彼女はサボア公都のギルドを訪れる
第140話 彼女はサボア公都のギルドを訪れる
整った街並だが活気のない舞台の書き割りのような印象を受けるシャベリの市街同様、その街の冒険者ギルド支部も同様の雰囲気であった。
彼女たちが冒険者ギルドに立ち寄ると、未達の期限切れ依頼が山ほどあるのが目についたのだ。白・黒の採取依頼はともかく、討伐系はほとんどが手つかずである。
「山の中に入って難易度の高い魔物を討伐するのは……王都のそれとは難易度が違うものね」
「力ある奴は法国のミラン領とかで活動しているみたいね。辺境騎士団くらい戦力があれば討伐できるんだろうけど、ここの騎士団は……ね?」
皆まで言うまい。学院生たちが依頼を見ながらソワソワとしているのを感じる。理由を聞くと、自分たちでできる討伐を受けたいのだという。
「では、ここでしばらく滞在して、できる物は全て依頼を受けることにしましょう。
今日の時点で依頼の内容を確認し、素材採取なら可能な場所、討伐依頼で具体的に必要な場所があるのであればその場所を確認し、同時に処理できるものであれば地域を纏めて当たりましょうか」
「「「はい!!」」」
素材採取の依頼は最近では「魔力小」もしくは「薬師」組の仕事となっている為、薬草などは久しぶりとなる者が多い。とは言え、王都と異なる素材の採取はやはり地域柄があるという事でとても興味深い。この時期なら、山の裾野もすっかり雪がなくなり、新しく芽が出ているこの時期でなければ採取できない素材も多い事だろう。
「あなたたち、どこの所属なの? この街の冒険者じゃないわね」
「ええ、南都では護衛の依頼しかないので、採取と討伐の依頼を受けたくてシャベリ支部まで足を延ばしました」
嘘は何も言っていない。王都支部所属リリアル軍団なのだが、わざわざ説明する必要もない。
「黄色以上の依頼も多いから、あなたたちには無理なんじゃないかしら」
仕事が溜まっているにも関わらず、「受けてくれてありがとう」という空気を微塵も感じさせない受付嬢、ノーブルの一人職員とは偉い違いである。もしかすると、この冒険者ギルドも公爵家と同様の問題を抱えているのかもしれない。既に自浄作用が働かないのだ。
「一応、私は『薄赤』だし、この子たちほとんど黄色等級よ」
「えっ、た、大変失礼いたしました。それであれば申し分なく受けていただけると思います……」
伯姪がそう断りを入れると、途端に硬直する受付嬢。背後の職員の中にはガッツポーズをしている者たちもいる。冒険者より職員の方が多いギルドに疑問を持たないのかと彼女は思ったりする。
「ほお、熊の討伐か……久しぶりに腕が鳴るの!」
「毛皮を綺麗に残さないと、買取査定下がりますのでご遠慮ください」
「何、首を落とせば済むこと。胴には傷一つ付けずに済ませて見せるわい」
山国との国境周辺に生息する「ホラアナクマ」と呼ばれる種類の大型のクマは体長3m、重さは500kgを超え1000㎏近いものも生息している。雑食であるがかなり凶暴な生物であり、牧畜の害獣として認識されている。
「熊は猟師が狩る仕事なんじゃないの?」
「……熊は単独で狩るのは余程運が無いと無理……人数がいる」
つまり、熊を狩るほど人を集めることができないから依頼になっているという事なのだろう。ワルサー単位で考えると、隣の集落に追い出せば問題がないと考えるため、結局は堂々巡りなのだ。その為に利害調整をする領主がいるはずなのだが、機能していない証拠と言える。
「熊とオーガならどっちが危険なんでしょうね」
「魔獣化して体内に魔力を備えた熊でなければオーガの方が危険じゃな。熊はでかい狼程度のものだ。リリアルの皆なら囲んで首を刎ねるだけだろうな」
結界で囲んで槍で首を刺突するのが一番楽だろう。頭が大きい猪より楽かも知れない。
彼女は二つの班に分けることにした。サボア領内の情報を集める伯姪を指揮官とするグループ、茶目栗毛、黒目黒髪、赤毛娘、赤目蒼髪、青目蒼髪がメンバーである。
対して、熊狩りを行うのは彼女と前伯、赤目銀髪に藍目水髪に……
「ななな、なんで私が熊狩り班なんですか……」――― 碧目栗毛である。
碧目栗毛は本来なら赤毛の二人とともにリリアルに戻すことも考えられたのだが、今回は遠征継続に参加させることにした。その理由は……
「あなたの魔力量は決して多くは無いわ。けれど、結界を用いた『走査』の技能はかなり優秀よ。『隠蔽』もね」
「……で、でも……」
「あなたには才能があるわ。どんなに力があろうが魔力があろうが、当たらなければ意味がないのだし、それ以前に先に見つけられれば不利な戦いを強いられるわ。あなたの気配隠蔽と走査の能力があれば、敵を先に見つけそれに気が付かれる事もない」
「……あとは私が弓で攻撃する事も出来る」
猟師に欲しい技術において、獲物を見つけ気が付かれないように近づくことは必須であり、その能力は情報収集や奇襲などに効果がある。斥候・野伏・盗賊といった役割においてとても重要だ。さらに、碧目栗毛は人に警戒されない容姿をしており、さらに性格は細やかである。赤毛娘なら目立ってしまう事も、碧目栗毛であれば知られずに済ませてしまう事もある。
「つまり、影が薄くて目立たない私は役に立つと……」
「目立つのは工夫一つでどうとでもなるわよ。あなた、メイクしたり衣装変えて少し自信のある素振りでも覚えれば目立つわよ。可愛いのだし」
伯姪の可愛い宣言に「はわわわ」と固まる姿も実に可愛い。小動物系と言えばいいのだろうか。
「それに、今回は『猟犬』ならぬ『猟狼人』もいるので、問題ないわ」
『我に熊を探させるという事か……まあ良かろう』
右前脚が膝まで回復した三本足の子狼姿の『狼人』が答える。熊は縄張りを主張する際に、テリトリー内の木に爪痕を残したり、体を木に擦り付け自分の臭いで主張する。足跡も大切だが、匂いも重要だ。
「二人と一匹で捜索を始めましょう。目撃情報はある程度依頼書に記載してあるから、その場所まで移動し痕跡を確認……」
「あとは、儂と男爵で仕留める」
「……む、負けない……」
魔力を通した鏃を使えば遠距離からでも頭部を破壊可能な赤目銀髪は、ジジマッチョの言い草に物言いを立てる。
二台の兎馬車に分乗し、五人は移動する。熊を討伐できた場合、ギルドに買い取らせるために一台は熊を見えるように兎馬車に乗せたいからだ。
「目立ちたがりだな」
「いいえ、リリアルが活動したという実績作りの為です。兎馬の引く馬車に少年少女の冒険者の集団、そして各地で放置された依頼を片付けるという履歴を残していくことも大切です」
彼女が個人的に討伐をしていたころには必要のなかった行為だ。将来的に、様々な依頼が指名でリリアルに集まる可能性もある。その過程で、地域の問題に直接触れることになるだろう。
「王家の目と耳に必要なことやもしれんな」
「不穏な動きはそういった依頼からも予測できますから。地元で熊を討伐できないというのは、領主としての権能に齟齬が発生しているからではないでしょうか」
本来『狩り』というのは、領主が制限しているものなのだ。人を集め獣を追うという行為自体が軍事行動の予行演習に似ているからだ。『狩り』と称して人を集め反乱を起こす可能性もある。
「領主が人を集め害獣を駆除し、その獣を民に与えれば、領主の武威を示し民を従わせることも出来るだろうが、何故せぬのか」
「周りの臣が公爵閣下に知らしめないよう動いているのかもしれませんね」
「……そうかもしれぬ。いや、恐らくそうであろう」
若年の公爵が自らの存在感を示せば、周りの人間で公爵の威を借る者どもは自分に利益誘導することが難しくなるだろう。故に、甘い言葉で公爵がすべきことを他者に押し付けさせ、押し付けたように見えてその与えられた者が権威を持つようになっているのだと彼女は推測する。
「頼れる臣下がいないということですね」
「境目の領主はそういう問題を抱えているものだ」
自らの武威を示し、領内の配下の貴族や民を従えてきた前伯からすれば、今のサボア公爵の置かれた立場は自分たちの陥った可能性の一つを示すものでもある。旧友の子であり、隣接する領地の貴族が不安定になることも看過できないことだと思われる。
「まあ、難しい事は熊を倒したあとだ」
兎馬車の荷台で回りを警戒しつつ、前伯は気持ちを切り替える。既に、頭の
中は強大な熊と一騎打ちをする自分の事でいっぱいになっているように彼女
には見て取れた。
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依頼をした村を訪ねる。村で管理している放牧地に熊が現れ、時折、被害に遭うという。本来熊は雑食でも草食に近い食性を持つ。肉を食べる場合においても狼や虎のような狩りをするようなことはあまりない。待伏せするには巨大な体であり、追いかけるのもあまり得意とはされない。
『性格の悪さと凶暴さなら猪の方が危険だな』
猪は熊よりもよほど肉食だ。小動物を食べる事も当たり前なのだ。人の子も時に食い殺される事がある。『魔剣』のいう事も尤もだ。
「最近見かけたのはどの辺りでしょうか」
「はい、放牧地を囲う柵の周辺を徘徊する姿を見ました。その奥の山から下りて時折うろついております」
「家畜を襲ったのは間違いなく『熊』なのでしょうか」
「……鋭い鈎爪で殺されていましたので、そう判断しております」
彼女の質問に周りの学院生たちは意外そうな顔をする。熊の討伐依頼に来ているのに、熊以外の存在を気にするのかという事をだ。
『それこそ人狼の可能性もあるからな』
『我ではない。こんな遠くまで来て家畜を襲う理由がない。ノーブル周辺は鹿や猪も豊富であるから、特に家畜を襲う必要もなかったな』
この周辺も同じはずなのだ。まして、熊は家畜を襲うという事もあまり聞かない。一度仕留めた獲物を穴を掘って埋めておいたりしてあとで食べるという習性もあるというが、家畜を襲うのはその後、麓の村も襲う為ではないかと考える事も出来る。
「あまり熊っぽくない行動だの」
「……熊狩りの経験は?」
「それなりだな。大きくなり過ぎた熊は『魔熊』となることもある。そうなると、魔物であるから、討伐対象となる。数年に一度程度は辺境伯騎士団で討伐したものだ」
それかも知れないと、彼女は思い始めていた。『魔熊』の強さはどの程度なのか前伯に確認すると……『儂とお前さんにバルディッシュがあれば釣りがくる』
と言われる。解せぬ。
手分けをし、放牧地を囲う柵の周りの痕跡を調べる。確かに、熊の爪痕、足跡が残っている。大きさも『魔熊』と言うほど大きくはないようだ。被害もさほどではない。
「……気になることはある」
赤目銀髪の呟きに耳を貸す。
「熊は確かに森の中の強者。けど、狼や猪もいるし鹿も数は多い。けれど、この周りの森にはその気配がない。まるで、なにかから逃げ出したようにある程度の大きさ以上の獣がほとんどいない」
放牧地周辺の森や草原に他の獣の痕跡を確認したところ、ものの見事に熊以外の獣が見当たらないという。可能性的には熊の縄張りから他の獣が逃げたとも思われるが、あまり考えられることではない。熊同士であれば避け合うのが当たり前だが、他の動物はそこまでではない。
山の中から獣がいなくなり、里に下りてきたとも考えられる。しかしながら、受けた依頼は「熊」の討伐であり、それを達成すれば依頼としては終了なのだ。
「それと、熊の足跡はその都度違う」
「えっ、それって熊さんがたくさんいて、毎回違う熊が来ているってこと?」
「……たぶん……」
碧目栗毛の呟きに、狩人の娘が答える。熊がたくさんいるという事も少々おかしい。熊はかなり広い縄張りを持ち、その中に他の熊が侵入すれば諍いも起こる。10㎞四方程度の縄張りが重なり合う事はあると言うが、同じ場所に何頭もの熊が現れるのはおかしい。
「熊さん……」
「熊は危険じゃぞ。それこそ、狼が群れで襲っても返り討ちにされる。分厚い脂肪を纏い毛皮もかなりのものだ。いうなれば、巨大な戦士が革鎧を着込み、剣を振るうような存在だな。顔は犬のようだが、決して可愛い動物ではない」
小熊の頃から育てられたサーカスの熊は、「人間は強い」と教え込まれているので逆らわないが、野生のそれは脅威なのだ。街の中で飼われた熊しか見たことのない彼女たちにとっては……見たと言ってもサーカス小屋に入ることはできないので、顔見世のパレードで見た程度なのだが……可愛らしく思えたのだろう。
「虎も猫が大きくなったものだと思えば可愛くないわけでもない……かも」
「……虎は危険。オーガ並みに……」
王国周辺にはいないものの、北の海国や東の果ての森にすむと言われる強大な猫のような獣は、時折王侯貴族が珍しがって手に入れる事があるが、飼育員を噛み殺すのはよくある事で、ダガーの如き爪と牙で人の体など一瞬で肉塊と化してしまう。
「昔、ぉとうさんが山狩りにいって虎と対峙したことが……ある」
木の上から飛び降りてきたと思った瞬間、仲間を銜えて駆け去ったという。
「一瞬で首を狙って噛み殺す。そのまま持ち逃げ……」
虎は結局わなを仕掛けて、森のある範囲の中に閉じ込め餌を取れ無くした後、魔術師に焼き殺されたという。
「虎より怖い魔術師……」
「お前もその端くれじゃないのか?」
赤目銀髪の呟きに、前伯が「お前が言うな」とばかりに突っ込む。熊もオーガだと思えばそれほど恐ろしくもないだろう。とは言え、複数の個体が群れていた場合、とても厄介ではある。
「……来ました。大きな獣が一頭。熊じゃないかと思います……」
碧目栗毛の『走査』 に大型の獣が掛かったという。方向は放牧地と面している山の一角から。
「どうします? 先手は譲りましょうか」
「敬老の精神か」
「いいえ、長幼の序ですわ」
彼女はわざとらしくオホホと笑い、前伯に熊との一騎打ちを譲ることにした。
「前伯様が熊を討伐するのを見学させていただきます。但し、逃げ出す可能性もあるので、弓手は追撃の用意。村の方向に逃げ出した場合、各自の判断で討伐なさい」
「「「はい!!」」」
初めての熊との対面に、彼女はらしくないと思いつつもドキドキとするのである。