第15話 彼女は辺境伯領へと姉に誘われる
第15話 彼女は辺境伯領へと姉に誘われる
素材採取も充実した彼女は、ダンスにマナーにたまにお茶会の練習をする傍ら、魔力の錬成とポーション・薬の生成に精を出していたのである。前半部分が余計な気もしたのだが、本来、貴族令嬢としては義務の範囲内であり、遅まきながら身につけていると思えば納得できる。
「猫のおかげで母さんと姉さんの気分も良くなっているようだし。猫には悪いけど、恩返しの一環だと思って欲しいわね」
『大丈夫だろ。結構馴染んでるし、姉は魔力持ちだから、つまみ食いしてるぞあいつ』
そんなことだろうとは思っていたのだが、今まで疎遠であった母姉とは猫のおかげで共通の話題もでき、姉の婚約者選びも佳境になりつつあり、少し落ち着いてきているように思われるのだ。
子爵は姉も妹も幸せになってくれそうで、ほっとしている。実は親バカであったことが最近分かってきたのだ。
「父さんは……母さんを見て、豊かな男爵家か大商人の正妻に私がなった方が娘にとって幸せだと本当に思っていたようね……」
姉にある魔力が母にあれば、母は侯爵夫人も望めたという事。それが、歴史と名誉があるとはいえ子爵夫人にしかなれなかったことは、母に影を落としていたことを、彼は結婚当初から気が付いていたのだそうだ。
『姉と妹が同じ道を目指すより、最初から違う目標を持っていた方がいがみあわずに済むと本気で思ってたんだろうな』
父も母も自分の価値観の中で娘二人の幸せを最大限考えてくれていたことを、今になって気が付いた彼女なのである。
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「……なぜ私が、姉さんの婚約者候補の方の領地へ行かねばならないのかしら……」
「あら、辺境伯領なんて早々行けるものではないでしょう。それに、あちらは暖かいし、果物や海の幸も豊かなのだそうよ」
「ワインもね、フルーティーなんだよ。女三人旅も一度くらいいいじゃないね」
最近、姉がグイグイ来るなと思うのではあるが、恐らく、護衛役として頼みたいのであろう。子爵家は領地らしい領地もないため騎士を抱えていないのである。冒険者を雇うなら、彼女の伝手を使いたいのだろう。
「いいわ。村でお世話になった方達にお願いしてみるけれど、依頼料は相場で構わないかしら」
「ええ、辺境伯様の案内人の方も来て下さるのだけれど、子爵家で誰も同行させないというのも問題になるので、お願いしたいのよ」
知らない間に彼女が訪問する前提であったのだいつの間にか……降ってわいた話に慌てて冒険者ギルドに『薄赤』のメンバーが参加可能かどうか問い合わせることになったのである。
子爵家は代々王都に関わる家柄である事と、王都周辺の代官地の管理が主であるところから、辺境伯領に行くことなどここ数世代経験のないことである。ニース辺境伯領は南に国境を接する法国に所属していた小国であったのだが、百年ほど前に王国に帰属し、辺境伯となった家系である。
「あまり王都に縁故がないということで、子爵家を通じて友誼を結びたいお家なのだそうよ」
法国は文化的先進国であり、また、この世界で主な宗教であるところの御神子教の教皇座のある法都を有しているのだ。王国の教会も法国の教皇から指名を受けた大司教により運営されているので、教会は王国と冒険者ギルドのような関係にあると言える。
とは言え、司教座のある場所では多少の政治的影響力はあるものの、権威ではあっても権力を持つことは今のところ少ない。政治は暴力に担保されているからだ。司教座では自衛を越える武力を有していないのだ。
「法国との交流や貿易で豊かな領都だそうよ。風光明媚で、美味しいものも沢山あるのだと聞いているわ」
王国の抱える料理人や芸術家は本人かもしくはその師匠筋が法国で修行していた者たちなのである。そういう意味でも、文化的先進地域であることがわかるだろう。
「カナンとの交易は法国の商業ギルドが掌握しているのだから、食べ物が美味しいのは当然よね」
カナンとは、海の向こうの異教徒が住む地域で、香辛料が手に入ることで有名なのだ。それも、カナンの商人がどこからか仕入れてくるのだそうだが、とても高価な品で、子爵家でも特別な時にしか使えないものとなっている。
「じゃあ、お願いね」
最近、頻繁である家族の茶会で当たり前のように猫を膝に乗せた姉が彼女にそう念を押したのである。
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冒険者ギルドに向かい、子爵家からの依頼ということで『薄赤』の戦士・剣士・野伏の三人に指名依頼を掛けさせてもらう。報酬は1日当たり小金貨1枚である。これはパーティー単位の報酬で特に高くも安くもない。
「アリーさんも行かれるのですか」
「はい、姉の婚約者候補のお呼ばれですので、仕方ありません」
「いいですねー ニース辺境伯領~♡」
寒い王都と異なり、冬でも温暖な辺境伯領は代替わりした後、隠居先として人気のある領地でもある。危なくないのだろうか隣国近いけど。
「馬車での移動なので、馬に乗る用意をして頂きます。御者台に1名、馬車の後部に1名、乗馬1名です。馬は子爵家で手配するので問題ありません」
とは言え、荷物もそれなりに必要なので、荷物用の馬車も1台調達となるだろうか。
「では、一両日お待ちください」
ということで、来たついでにポーションを卸し、薬師ギルドにも薬を卸して帰宅するのである。
王都から辺境伯領までは10日ほどの距離である。その間の着替えや宿泊場所の確保なども事前にしなければならない。たぶん彼女がである。段々憂鬱になってきた。
『まあ、お前の夢に一歩近づいたと思ってあきらめろ』
「……そうね。良い経験だと思って割り切るわ……」
そんなことを考えつつ、彼女はふと気が付く。街道があるとはいえ、王都周辺はともかく、領邦を移動するとなれば、必ずしも1日で隣の街まで移動できるわけでもない。その場合、野宿か村落で家を借り上げることになるはずだ。
ところが、自給自足を旨とする村落で、金貨や銀貨にはそれほどの価値がなかったりするのだ。使う場所がない。と考えると、その代わりに家を借り上げる対価が必要だ。
『それなら、薬を作るしかねえだろうな』
「……そうなるわよね……」
彼女が夢想した寒村への行商。対価は彼女の作る薬であることも想定されていた。つまり、実地で検証するチャンスなのだ。
彼女は母と姉に相談し、それならばという事で、薬草を手に入れるため、少々の遠出を許可してもらえるよう、子爵に掛け合ってくれた。彼女の説明に納得したのか、また、復興途中の代官の村の様子も気になるのか、彼女が村を訪れ、薬草採取をすることを快諾したのだ。
「馬に乗る練習もしたいのよね」
『ああ、慣れねえと、ケツがしんどいもんな』
ダガーと異なり、かなりの長さの剣となった魔剣を装備して騎乗するのも慣れておきたかったというのもあるのだ。胸鎧と腕鎧も装備してだ。
翌日、ギルドに顔を出し、指名依頼の件が受諾されたことを確認。時期的には数日以内と伝え、長期の依頼は受けないようにお願いしておく。
「皆さん喜んでらしてましたよ」
「こちらこそ、助かりました」
騎士は警護役としては優秀だが、魔物相手だと戦力が半減する。剣かせいぜい槍でしか倒せないのは魔物相手には危険だったりするからだ。人間相手の騎士と、魔物相手の冒険者では戦い方が違う。
街道も王都を外れれば魔物も出やすい。数が多いのは狼と魔狼。そして、ゴブリンにオーク。オーガは拠点を構えていることが多く、遠征することはあまりない。そもそも、帝国の辺境にはいるが、王国内のそれは粗方討伐されてしまったのだ。
オーガは人に近く、腕力は人を遥かに超える。故に、古城や辺境の遺棄された城砦などに居を築き生活している。地図にない古城なんていうのは近寄らない方がいいのだ。
オークは大昔の農民が暮らしていたような竪穴式住居のような簡素な建物を建てた村を築く。簡単に建てられるので、人間の村落や野生の牛などを襲いながら移動している。とはいえ、獲物の豊富な山野に多く、数もそれ程の群にはならない。せいぜい30程度だ。それを越えると災害級の扱いとなる。
ゴブリンは数匹であれば狼のように徘徊しているし、強いリーダーが現れると数十匹の群となり、森の中の洞窟などに群を作る。森の恵みを食すこともあれば、動物の死体や人間を襲うこともある。共食いもする。人間が襲われるのは、他の動物よりも殺しやすいからである。
狼・ゴブリンは冒険者の方が討伐が得意であるし、オーガなら騎士ではないかと思う。魔術師がいるかいないかでも戦況はかなり変わるが。今回はさいわい姉もいるので、彼女は身体強化程度で済むのではないかと思う。
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『主、よい考えがあります』
「なにかしら。珍しいわね」
猫が彼女に何か提案するのは珍しい。大概は魔剣が話すのだが。
『村の近くの森にゴブリンがいなくなったので、狼がやってきております。このままですと、村の家畜や村人に被害が出そうです』
縄張りが変わったという事か。村の大事な収入源でもあり、生活に必要な森が危険で入れないとなると、また同じことになってしまう。
『その狼を狩り、毛皮は売却するとして、尾を切り取ります』
「狼の尻尾。それをどうするのかしら」
村ではウサギの足を幸運のお守りとして土産物にしているのである。狼の尾ではない。
『主が宿を所望する村に、「妖精騎士」手ずからのお守りである事を伝える事にします。そうすると、ただ薬を貰っただけよりも随分と感謝されるでしょう。また、何らかの印を決めておけば、王都で頼る先として子爵家を訪ねた時、符丁として使えることになり、恩を返すことができます』
彼女はなるほどと思う。金貨銀貨を与えるよりも、縁をつなぐ方が彼らの為になる。王家の臣として、彼らと王をつなぐ仲介者となることができる。この猫はなかなかの智慧者だと彼女は思った。
馬であれば半日もかからずに村に到着する。ギルドに顔を出した後、昼過ぎには村についたのである。
村の広場には仮設屯営があったのだが、現在は村の正面の少し先に砦のような形で柵や土塁で防御された簡素な館のようなものが設置されていた。これが騎士団の施設なのであろう。
顔を出すと面倒ごとになりそうなので、彼女はシレっと村長の家を訪れる。馬を預け、宿を頼みたいからだ。
「これはこれは、お嬢。お元気そうで何よりです」
「こんにちは村長。何か困ったことはありませんか」
父の名代として、その後の復興状態を確認しに来た旨と、薬草とり含めて森に入ることを話す。それと、気になる狼の群のことだ。
「子爵様のご配慮痛み入ります。確かに、最近狼が村の周りで姿を見せるようになっておりますな。ゴブリンと入れ替わりなのでしょう」
村でも感じているようだが、騎士団も巡回しており、ゴブリンも撃退したせいなのか、危機感が低くなっているのかもしれない。
軽く昼食を済ませると、彼女は気配を消して森に入った。猫も少し大きくレトリバーほどの大きさとなり前を歩いている。かなりでかい猫だ。猫とというよりは大山猫サイズ。
『このサイズなら、狼程度は瞬殺です』
前回、弱っているところを狼にいたぶられたのが甚くプライドを傷つけたらしく、猫は非常に好戦的になっている。普通の猫が数㎏なのに対して、今のサイズは20㎏はあるだろうか。
「どのくらいまで大きくなれるの?」
『ピューマくらいですかね』
大人の成人男性と同じくらいということだろう。なんだか桁違いの強さを感じさせる。レイドくらいできそうな大きさだ。ずんぐりしているので、ほっそりしたヒョウとは言えないらしい。
森の中に少し入り、採取を始める。薬になる薬草をメインにするが、ポーションも多少作れるくらいには確保する。旅先の自家消費分としてだ。今回、回復魔術が使える女僧は騎士学校があるので同行しないので、回復薬をポーションに頼らざるを得ないからだ。
正直、対人戦闘・特に集団での正規戦では魔法や魔術は割と有効なのだと思う。目の前の集団に遠距離から魔法をぶつけるだけでいい。ところが、魔物相手で森なんかがあると……途端に魔術の命中精度が気になるわけだ。
『まあ、ぶっちゃけ油撒いて火をつけるのと変わらねえからな』
「山火事になるわよね」
『火魔法は威力はあるが使えねえ。雷は射程距離とダメージ範囲が微妙。水魔法はダメージを単体で与えにくいし、土魔法は地面が柔らかくないと魔力の消費と発動に難がある。風は良いけど、遮蔽物があれば効果が薄いし、氷はさらに土魔法と同じ問題がある』
『牙や爪、剣や槍の方が確実です。魔力も消費しませんしね』
魔剣や猫の言う通りである。要は、こけおどしもしくは抜かずの剣の様なものである。
『狼の痕跡確認できました。5-6頭ですね。狩りに行ってまいります』
猫は姿勢を低くすると、森の中を一直線に駆け出し目の前から消えた。