第126話 彼女は『兎馬車』を試乗する
第126話 彼女は『兎馬車』を試乗する
姉と会話した数日後、荷車を改造した『兎馬車』の試作第一号が完成し、テスト走行を彼女が実施することになった。
二輪の馬車、王国では『シャリオ』と呼ばれるそれは、古の帝国時代は競技場で『戦車レース』に使われた『チャリオット』に似ている。
「……これに試乗するのが今日の私の仕事なわけね」
「院長ほどの魔術の腕前があれば、事故が起こっても何とかなるじゃろ」
老土夫も武器でないので槍投げだ。いや、投槍だ。今日のところは学院手前の街路で練習することになっている。今は丁度鍛冶工房の前なのだ。
「強度は問題ないんでしょうね」
「荷車本体はトネリコで粘りのある材質、車軸は中をくり抜いて芯金を入れて強度を出しているので、ただの木軸よりはしっかりしているはずだ。余り重たいものをのせると折れる前にたわんで車軸が回転しなくなるだろうがな」
車輪の受けにも金属の輪を嵌め、獣脂を入れる事で回転抵抗を減らすなど、凝った作りだ。荷車は市販品を買い込んで工房で金属部分を加工し追加した物なので、消耗品は購入できるのだという。
「最初は魔力を通さずに、その後、魔力を通しながら速度を上げてみてくれ。その場合、街道に出てある程度走ってもらえるか」
「了解したわ」
彼女は至って真面目な顔で老土夫の言に頷く。老土夫も当然、完成後試乗しているものの、自分の評価だけでは十分ではないと考えている。
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兎馬車の御者台に座った彼女が、パシッと手綱を叩き兎馬は前に進み始める。小さな荷車とはいえ、スムーズに前に動き始めるのは車軸に工夫があるからだろう。動き始めの抵抗が小さい。
『お、車輪の大きさの割に安定感があるな』
二輪馬車の場合、車輪が車体の中央にある。また、四輪よりも大きな車輪があるので車体の前後の動きが大きく基本的に乗り心地が良くない。チャリオットのように車輪の大きさ=車体のような場合はそうでもないが、2mの長さの中央に1m程の直径の車輪があるのであれば、御者の座る場所が前後に動いてもおかしくない。
『そうでもないでしょう。車輪を中央にシーソーのようになりますが、兎馬と肩掛けの牽綱と荷車の受けが固定されているので、ある程度動きが緩やかです。速度が上がらなければでしょうが』
速度を上げる……彼女は魔力を車輪と車軸に通す。これは手元の手綱が魔装綱でできており、そのまま車体にも同じ綱で車軸まで魔力が伝わるよう細工されている。車軸を通し車輪にも魔力が伝わることで、少ない魔力で結界に似た車輪周りの魔術が展開する。
『お、回転が滑らかになったな。速度を上げて見ろよ』
手綱を動かし兎馬に合図を送る。後ろが軽くなった兎馬は元気よく前へと加速し始める。本来なら速度の増加に比例して激しく振動したり、小さな路面の凹凸も拾って跳ね上がったりするのだが……
『滑らかですね。船で川を移動するような……心持です』
『魔力はどんな感じだ』
「ほとんど、そうね気配隠蔽程度の消費だと思うわ」
兎馬車は街道を爆走していき、はっと気が付いた彼女は慌てて学院に向けてきた道を戻るのである。
「どうだい、魔装馬車の効果は」
「私の魔力では問題なかったのですが、少ない人でも対応可能かどうか、人を変えて試乗してみたいのですが」
魔力の多いものはある意味少なく、魔装馬車の使い手となるには役不足だ。本来の意味で、その人にはこの程度の役ではもったいないという本来の意味での役不足である。
孤児院で残っている女性で魔力を少々有する程度のものでもある程度、使いこなせなければ、意味がない。
「じゃあ、次は私じゃない? 魔力少なめだからね」
「……同行してもいいかしら」
「ええ。途中で魔力不足でリタイアするかもだから、当然ね!」
伯姪は出会ったころと比べると魔力は増えているが、中クラスに届かない程度である。それでも、孤児院から来たばかりの魔力の少ない子よりは随分と多いのだが。
「じゃあ『ちょっと待ってください。人数、少し載せた方が良いですよね!』
……そうね。いいわ、何人か乗りなさい」
赤毛娘に黒目黒髪、碧目栗毛と藍目水髪……全員女子なのだが。
「では、出発!」
皆、荷台の縁や隣の子につかまり、ゆっくりと馬車が動き出すのにもおっかなびっくりだ。
「やっぱりこの人数だと狭いねー」
「うん、荷物とか考えると三人くらいかな」
遠征時は魔法袋も多用するので人と個人装備の武具くらいで問題ないだろうが、クッション代わりにマントをたたんで下に敷くなど、工夫がいるかもしれない。
「多少座れる高さの台が欲しいわね」
「床にじかに座るのは長い時間は無理かもですね。長椅子みたいなもので、ちょっと柔らかい座面のものが良いですね」
やはり長時間この床のような板の上に座るのは疲れるだろう。
「荷台の四隅に箱型のスペースを設けて、中は収納、上は座面にするのはどうかな?」
碧目栗毛がアイデアを出す。確かに、そのくらい離れていれば、中央に荷物をおいて、後部は見張、前部は御者のサポートと役割分担できるだろう。
「四隅に柱を建てて幌を掛ければ、柱が背もたれになるかもです」
「それいいね」
赤毛娘の提案に誰かが乗っかる。なかなかいい関係なのではないかと彼女は思う。自分の子供の頃にはなかった関係性だ。
結果として、四隅の収納は馬車の荷台枠より少し低めとして、その段差が腰当てになるように調整することになる。その段差と座面の部分にマントを当ててクッション代わりにすることで長い時間でも疲れにくい場所にする事になったのだ。
ニ十分ほど街道を魔力を用いて兎馬車を進める。速度は多頭の四輪馬車並の速度で、馬で移動するよりも早いかもしれない。
「猪村まで学院から三十分もあればついちゃいますね」
「なら、王都はそれより少しかかるくらいだね。めちゃくちゃ早いね」
「兎馬なのにね」
「兎馬ですけどね」
あはは! と楽しそうで何よりだ。帰り道は、赤毛娘、碧目栗毛、藍目水髪の三人が交互に御者をこなす。魔力の少ない碧目栗毛には少々厳しいかと思ったものの本人は……
「多分大丈夫です。兎馬さんが休憩する時に休憩すれば半日くらいなら大丈夫だと思います」
とのことだった。遠征で長距離乗る場合は数人で交代しつつであるし、王都近郊なら魔力を使って移動する時間は一時間程度で済むだろうから、魔力切れの心配はない。
「御者の間は自分の身を守るために、魔装布のマントで自衛する必要もありそうね」
「それ以前に、先に魔物や敵を見つければいいだけだけどね」
御者は一番狙われる存在なので、万が一も考えてという事は必要だろう。数台で移動するなら中央に魔力の使えない御者を配置し、先頭と最後尾にある程度魔力量のある魔術師の御者を配置するのが賢明だろうと彼女は考えていた。
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何人かで交代で魔装馬車の試乗を行い、先ほど気が付いた追加の荷台の改修を老土夫に説明する。
「なるほどの。では、遠征用に仕上げる物はその用途に改修するとしよう。確かに、何日も移動するのに床に座るのは若者でも大変じゃろうな」
老土夫はすっかり忘れているようだが、自分も水晶採取の遠征に参加する事になっているので、自分の為でもあるのだが。
「実際、五人乗車で全力走行してみた結果はどうだった?」
癖毛も製造にかかわっており、テスト走行も行っているので気になるのだろう。彼女は「問題ないと思うが、数日は走らせ続けて見なければ分からない」と答えた。
兎馬が何日も連続して走るとも思えないという事もある。最初の遠征でいきなりではあるが、余裕をもって行動することになるだろう。
「とはいえ、普通の馬車の速度で歩く程度でもかなりの走破力を発揮するじゃろうな。二輪は四輪より小回りが利く」
「向かう水晶の取れる場所は山の中なのよね」
「そうさな。鉱山そのものに入るか、露出している場所で丹念に採取するか。最初は採取、だめなら鉱山に入るか。許可ももらえたのなら、両方試みるのも悪くない」
老土夫と癖毛が二人残るという選択もあるのだという。野鍛冶程度のことは残った孤児出身の鍛冶師でも問題ないという事なので、それはそれで構わないのだという。採取から採掘になれば学院生総出というわけにもいかないだろう。
今回の兎馬の旅には、魔術師の一期生以外に、兎馬の御者と採取・行商の訓練を兼ねて、リリアルの施療院で活動する既卒の薬師見習いの中で希望者を募ることにしている。
魔力が無くてもある程度魔物と対峙しなければならないだろうし、兎馬車で延々と移動するのは行商の希望がない場合意味がない。
行商=ニース商家への所属という事になるので、商業のことも学ぶ意欲が必要であり、そうすると、今のメンバーの中で候補は限られてくるだろう。
魔力がゼロではないが魔術師になれるほどでもないものの、ある程度使えるようになればポーション作成まではできそうな二人。使用人としての適性も高かったのだが、本人たちの希望で薬師としてリリアルに来てもらったメンバー。
「あの二人を今回、御者見習い兼薬師として連れて行こうと思うのだけれど、どうかしら?」
伯姪は薬師一期で自分と同じ年齢の二人を適切なのではないかと答える。
「薬師のモデルケースとして二人を育成……って感じね」
「希望にもよるけれど、今回、一人だけ希望するのなら取りやめにするつもり。魔術師メンバーは遠征も討伐もある程度慣れているから、薬師で学院と施療院しか経験がない子一人だと、心理的に負担でしょうからね」
二人いれば助け合えることもあるし、分かち合うこともできるが、ただ一人の薬師では個人差なのかどうかも分からないので、負荷がどの程度なのか判断できない可能性もある。孤立することもあり得る。
「あの二人は仲良しだから、どちらかが希望すれば二人とも参加になる気がするけどね」
「それもそうね。では、話をしてみましょうか」
という事で、彼女と伯姪は薬師の二人を呼び、遠征に参加しないかと打診してみる事になった。
初めて学院長室に入る二人はかなり緊張していた。悪い話ではなく、見習い薬師の二人に提案があるという事を前置きし話を始める。
「二人とも、施療院での活動にリリアルの後輩薬師の指導の補助にはとても感謝しているわ」
「……恐れ入ります」
「妹たちみたいなもんですから、当然なことをしているまでです」
二人は年相応に無難な答えをするが、本心である事はこの二年の間の二人を見れば理解できることだ。
「それで、話というのはあなたたちが希望するのであれば、素材採取の遠征に参加することを考えています」
「……遠征……ですか」
彼女は二人に、水晶を採取する為に王都をしばらく離れる事。リリアル専用の魔装馬車の運用試験を兼ねて兎馬車で魔術師組全員と老土夫が参加することを説明する。
「でも薬師の私たちでは、あまり役に立たないと思います」
「いいえ。素材採取は恐らく二人の方が魔術師組より上手なはずよ。それに、これからは薬師の子たちもリリアルの遠征には参加してもらう機会が増えると思うの」
「どういう意味でしょうか?」
兎馬車に兎馬の世話ができる薬師の育成。将来的にはリリアルの関係者が王国内に移住し、薬師や行商、養鶏や薬草園の運営、場合によっては廃村の復興を目指す集団移住も検討していることを説明する。
「魔力が少しあるなら、魔装馬車の御者としても有望なのよ」
「でも、私たちは……」
「大丈夫、全然少なくてもうまく馬車の方で対応してくれるから。私でも問題ないから安心しなさい!」
伯姪は魔力の少ない側の意見として二人に説明する。
「兎馬車とポーションの作成で少しでも魔力が増えれば、魔術の発動は出来なくても魔力によるサポート機能のある魔道具や魔装具が使えることになるわ。それは、二人の将来を今以上に豊かなものにしてくれると思うの。遠征はほとんど魔力持ちだけで編成されることになるのだし、私や鍛冶師も同行する大規模なものだから、安心できる旅になるでしょうね」
生まれて物心ついてから王都の孤児院周辺しか知らず、今でもリリアル学院の周辺しか自分たちの世界がない二人にとって、遠征に同行するというのは新世界に向かう船乗りのような気持ちなのかもしれない。
「強制はしないけれど、時期が遅くなればチャンスは減ると思ってちょうだい。今は二人が最有力なのだけれど、後輩が育ってくればその限りではないの。なので、よほどの理由がない限り、今回の遠征は最初で最後のチャンスになるかもしれないわね」
顔を見合わせ何かを確認するように頷き合う二人は、意を決して参加すると声を発する。
「では、明日から早速、兎馬車の運行とポーション作成に専念してもらうことになります。それと、旅装用の衣類を支給することになるので、明日、朝入浴をしてから使用人頭のところに行ってください。手配をしておきます」
「「は、はい!! 頑張ります!!」」
二人は声を揃えると、勢いよく立ち上がり、彼女と伯姪に深々とお辞儀をした。二人にとって、世界を変える遠征になればいいと彼女は思うのである。




