第125話 彼女はフィナンシェを手土産に王妃様に願う
第125話 彼女はフィナンシェを手土産に王妃様に願う
水馬が完成したので早々に王妃様に伺いたい旨をお伝えすると「いつでもいらっしゃい」と返事が来て……少々驚く。お忙しいのではないのでしょうか。
彼女は姉に頼まれていたフィナンシェをニース商会経由で用意させると、王宮に参内することにした。そこには当然の如く目を輝かせた王女殿下も同席するのであった。
「ニース商会で新たに販売いたします新作の菓子でございます」
フィナンシェの甘く香ばしい香りが部屋に広がる。バターとアーモンドの香りが甘い空気を醸し出す。
「見た目も綺麗ね。香りもいいし、お味は……」
お二人同時にそれを口に入れ、更に大きく目を広げる王女様。日頃は微笑みを絶やさない王妃様が満面の笑みを浮かべる。
「ふ、フワッフワですわ!!」
「柔らかな食感に、舌の上でバターが蕩けるような感じがしますね。硬い焼き菓子とは全く違いますね。これが法国で流行りのお菓子なのでしょうか」
彼女は姉の受け売りで、その昔、法国出身の王妃様が連れてきた菓子職人が作れたのだが、定着せずに廃れた菓子であることを伝える。
「なるほど。今はなき皇太后の時代の話ですね。もったいない事をしたものですね」
法国の公爵令嬢であった当時の王妃様は、法国から様々な食文化をもたらしたという。因みに、最も王国の食文化を変えたのは「カトラリー」の導入である。それまでは……手づかみで食べるのが当たり前だったという。テーブルクロスは……ハンカチ替わりであったそうだ。
「これは是非、皆にも味わってもらいましょう。後日、茶会用に大々的に発注しましょう」
「た、楽しみですわー」
最近、王妃様と共に茶会を主宰することが増えてきた王女殿下……厳しい王妃様の指導とフィナンシェが心の天秤を大きく左右に振っていると思われる。
フィナンシェの話題が一段落したところで、今日の本来の訪問の理由である『水馬』をお見せすることにする。王家の紋章入り特注水馬である。
「これが水馬ねー」
「レンヌで使っていたものとは違いますのね?」
水馬には初期型の円形のものと、クラーケン討伐時に使用したスノーシュー涙滴型とがある。今回お二人に渡したものは後者である。
「クラーケンの討伐時に使用したものと同じ形式でございます。水を切るのに適しておりますので、スケートのように水上を移動することも練習次第では可能でございます。それと……」
万が一倒れた場合に危険となるため、今回は魔装頭巾を用意した。
「……この頭巾は何のために?」
「魔装布を用いた頭巾でございます。魔力を意識して流す、もしくは倒れた際の衝撃で硬化して頭と首を守る仕組みでございます」
「まあ、それはリリアルの部外秘の装備ではありませんか」
「左様でございます。ですがお二人の安全を守るためには必要でございますのでご用意いたしました。それに……」
「それに……何でございましょうか」
「お二人もリリアルにゆかりの方。いわば身内でございますので、問題はございません」
「ふふ、嬉しいことを仰いますね。そうだわ……」
王妃様曰く、この上に刺繍を施した布で飾り付け、外出用に見える頭巾に変えるところも提案である。
「これならば、公務の際にも着用できますし、魔装布のコルセットと合わせれば並の鎧に等しい効果があるでしょう」
魔装布の手袋とコルセットは既にお二人の外出時の必須装備なのである。更に頭巾まで被ると、ハーフプレートの戦士並みの防御力となる。見ためではわからないのだが。但し、魔力を少しずつ消費しているので常時着用するわけにもいかないのが現状なのだ。
しばらくお二人は頭巾をかぶったり、水馬を足に当てみたりとされていたが、王妃様が居住まいを正してお礼を言われた。
「私たちの身を案じてくれて、嬉しく思います」
当然の事であると彼女が答えると、何か褒美をしたいと王妃様の言。彼女は、恐れながらといいつつ、以前からの課題であったある物の採取許可をいただきたいと申し出ることにした。
「リゼル領 シェラ山系での水晶の採取許可をお願いいたします」
「……水晶なら、宝石商にあなたの望むものを誂えさせましょう」
「王妃様、水晶を用いた魔導具の開発を進めておりますので、その為の余り質の高くない水晶を現地で集めたいのでございます」
王妃様は「宝石商の手元にはそれなりのものしか集まらないでしょうから、それが直接採取する方が良いでしょうね」と言われ、後日正式な許可証をリリアルに届けさせると言われたのである。
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水晶を毒鏃の先端に嵌め込んで魔力接触型の信管として利用するというアイディアは水晶の入手が困難であるという事で断念されていた。水晶は法国の北西部・山国の南部などで採取可能なのだが、その山系に連なる王国南東部のシェラ山系でも産出される。
このエリアは標高が3000mにもなる高山で、ニースと南都の中間にある山岳地帯なのだ。わざわざ内海まで南下してから真東に移動する理由はこの高山があるからである。
「シェラねー スキーとかで有名な場所だけど、鉱山も有名なんだよね」
「ニースでも出かける事があるの?」
「ニース領も山際は係争地でもあるし、似たような地形だからね。山の向こうとこっちって感じで交流はあるのよ」
そう考えると……
「おじい様とお婆様のロッジもあるわね。多分知れば……」
「同行を希望されるという事かしら」
「しばらくぶりにニースにも顔を出しておくタイミングにはちょうどいいとお考えになるかもしれないわね。知らせないと、後で厄介になりかねないわね。それに、リゼル周辺は大型の魔物が出るわ。おじいさまに同行していただくのは悪い案ではないわ」
伯姪曰く、飛翔系の魔物が出るのだという。また、幻獣に近いので恐らく毒は効かないか効果が薄いという。
「では、魔装縄か網で捕獲するとかになるのかしらね」
「飛び回られると厄介だから、縄付きの鏃を撃ち込んで引きずりおろすとかでもいいんじゃないかな」
「それ、お姉ちゃんも行こうかな。ニースにご挨拶に行きたいしー」
姉が不意に会話に入ってくる。今日はリリアルに来ているらしいと聞いてはいたが、すれ違いだったので顔を合わせるのは初めてだ。
「お爺様に同行して私たちもニースでお披露目をしておこうと思うのよ」
「本音で言いなさい」
「でっかい水晶が欲しいんだよね。ニース商会の商会頭室に飾ろうと思ってさ」
「……本当は?」
「王妃様のアメジストの首飾りが素敵なのよー あれに似た感じの水晶を現地で採取するんだよー」
はぁぁと深いため息をつく二人であるが……
「デビュタント用の宝飾品の石ってそれで採取すればいいんじゃない?まだ間に合うし、その方が小さな石でも話題になるから、いいと思うよ」
伯姪が思い切りそれに乗る。男爵令嬢に過ぎない彼女が上位貴族の令嬢と宝石の価格やデザインで勝負するわけにはいかないのは仕方がない。いや、身に着けてはいけない……に近いだろうか。
「それなら、チープシックでもいけるわ!!」
「……黙っていても注目されるのだから、黙っていて欲しいのだけれど……」
伯姪のエスコートは辺境伯騎士団長である姉の義兄が駆けつけてくれることになっている。ジジマッチョの目の黒いうちに、王都の騎士団や高位貴族と顔つなぎをしておきたいという理由もあるのだ。伯姪はお兄様にエスコートしてもらえるだけで十分満足なのだが。
「なら、お兄様と一つの水晶から揃いの宝飾品を作ればいいじゃない」
「あの方なら魔力が少ないので『結界』か『隠蔽』を封じたものを持たれれば、継続して有効に使っていただけるでしょう。護衛役なら『隠蔽』かしらね」
「二つの石を使って二つ封印すればいいじゃない。それほど大きな術式でもないから、大丈夫だよ」
さすが、欲張り姉さんである。普通は石二つの指輪を作ろうと思わない。もしくは二つ作るだろう。
養鶏に関してはリリアルで始めるわけにもいかないので、子爵家の代官の村と猪退治の村に働きかけることにしたようだ。王都近郊で縁があるのはその二箇所だからだ。
「まあ、リリアルの子たちも軌道に乗ればそこで勉強して、自給する分くらいはこっちで飼ってもいいんじゃないかな?」
ある程度薬草が育った後の雑草を鶏が啄んでくれると、草むしりが楽になるので、その方向も検討しても良い。
「問題は、移動と輸送の手段なんだよね」
姉曰く、馬車で運ぶにしては量が少ないし、移動時間もかかるので良い方法がないかと試行錯誤中なのだという。実は、リリアルではある移動手段を開発中で、水晶採取の遠征には長期の使用テストを兼ねて使用するつもりなのだ。
「いいアイデアがあるのだけれど、一口乗せてあげてもいいわよ」
「あー あれね」
伯姪が言葉を重ね、姉は「なんなのかなー」と言わんばかりの視線である。彼女は厩舎に移動するように二人に声を掛けた。
リリアルの厩舎は未だ存在しないので、騎士団の駐屯所の厩舎の一角に間借りする形で、ある動物を飼っていく。担当は今のところ当番制なのだが、固定にすることを検討中なのだ。今日は赤毛娘がそこにいた。
「あ、先生。今日も元気そうですよ!」
毛並みを整えつつ餌をやる赤毛娘。勿論、同時ではない。
「……兎馬……なら経費は安くつくわね」
馬ではなく兎馬を使った二輪馬車を導入するつもりなのである。
「でも、なんで馬じゃなくて兎馬なんだよ」
何故かそこにいる癖毛の質問に彼女が答える前に、赤毛娘が口を出す。
「馬鹿ですか、馬なんて燃費が悪いし高いし、死なれたり盗まれたらどうするんですか。兎馬は粗食でも耐えるし大人しいですし、何より可愛いです。馬なんて目じゃないんです。それに、駈出し冒険者や薬師が馬なんて持ってたら、盗賊に狙われるにきまってるじゃないですか!!」
兎馬は気まぐれで頑固と聞くがどうなのだという質問に更に赤娘が答える。
「半馬が本当は良いんですけどお高いんですよね。まあ、あの灰色のなんちゃらって魔法使いも兎馬に牽かせた乗り物で登場しますし、何とかなりますよ」
フィクションを参考にするのはどうかと思うが、実際、馬より安価で丈夫で出来の良いところもある。犂を引かせたり、大きな籠を左右に乗せて採取したものを運ぶ手伝いをさせることもあるのだ。
因みに兎馬車は二輪で自立できない仕様。止まって兎馬を外すと傾くので受けがないと平行にならない。大きさも幅1mの長さ2mくらいしかない余り大きいと言えないというか、すっげえ小さい。その上に荷台より一回り小さな天板と組み立て式の脚のついた頑丈そうな平台が二つ乗る。
曰く、行商する商人の陳列棚兼野営の時はベッド代わりになるのだそうだ。車輪については老土夫が説明する。
「本来、四輪馬車の方が重くて量が運べるし安定するのだが、兎馬には牽けないな。その代わり、車輪の補強金具を魔銀の合金に変えて魔力を通して使う」
木の車輪は鉄の板を表面に薄く貼り付け補強するのだが、その部分を魔銀製にし魔力を通して保護する。すると、抵抗も減り、二輪なので小回りや道の凹凸も抵抗がなくなる。
「小さいな」
「まあそうですね。兎馬が牽ける大きさって限られてますし、それに、上り下りの勾配がきついところは降りたりするんです」
魔力量はそれほど沢山消費しないし、牽かせっぱなしでは兎馬も疲れ果ててしまう。とはいえ、馬車の移動速度が郊外では6-10㎞毎時と言われている。王都内ではその倍ほどの速度が出るのだが、実際に荷馬車なら人の歩く速度と変わらない。ところが兎馬なら……
「馬の七掛けと言われる駆け足の速度ですけど、馬が全力疾走って感じなのが、兎馬なら駆け足でずっと行ける感じなんです。だから、魔法袋とか色んな工夫をすれば、素早く兎馬車で荷物が運べると思います」
魔力量の多い者が組んで大容量の魔法袋に重量物を収納し、少ないものが兎馬車の御者を務めるのが良いかもしれない。なにより……
「騎乗するのと同じ程度の速度で乗馬ができない人でも高速移動できます。小さいとはいえ御者以外に四人くらいは乗せられるから、馬鹿にできませんよ」
幌を付ければ簡易テントにもなるだろうし、少数の冒険者としての依頼にも便利になるだろう。彼女や伯姪と同行せずとも行動範囲が広がる。それに、この兎馬の馬車で小さい子がノコノコ移動していたら、まさか冒険者だとは思わないだろう。村の子供のお使いに見える。
兎馬車の導入と兎馬の飼育を行うにはそれ以外にも訳がある。それは、将来、リリアルから自立する薬師たちへの支援である。
一人で王都を離れた村に薬師として移り住む者もいるだろう。その時、輓馬代わりになり、世話をしたものに犬のように懐き、そして、素材採取で森に入る時は荷物持ち兼警戒役として同行してくれる兎馬の存在は孤独となる彼女たちの心の支えとなってくれるだろう。
兎馬の定命は20年から30年と言われている。彼女たちがその場所に馴染む時間を共に過ごしてくれるだろうし、何もない薬師ではなく輓馬である兎馬を連れてやってきた者として歓迎されると彼女は考えていた。
「兎馬って馬とは何が違うんだろうね」
「それはね……」
馬と交配できるくらい近しい関係ではあるが、性格的にはかなり違う。群れを作らないので組んで何かするのは苦手だ。犬程度に賢く、世話をするものに懐く。警戒心はそこそこで、好奇心はあまりなく同じことを繰り返すことを苦にしない。
ある意味、扱いやすく、馬よりも変化の少ない暮らしに馴染むだろう。餌を馬ほどえり好みをしないところも悪くない。カラスムギ以外でも問題無く食べてくれるし、量も少なくていい。
「刈り取った麦の茎とかでも大丈夫なんじゃないかな」
「でも、仲良くしたいなら甘い果実が良いみたいだよ」
兎馬の世話をしたことのある子が合の手を入れる。それは兎馬じゃなくって俺も大好きと混ぜっ返す癖毛。確かにお前は兎馬に似ていると誰かが弄る。
「今回は魔力量が少ない魔術師の子に一頭ずつ世話をしてもらうつもりです。素材採取にも同行させたり、兎馬車も実際使ってもらうのでそのつもりでね」
「「「はい!!」」」
冒険者登録しても依頼を受ける事が少ない子たちだが、支援担当として同行することになるだろうか。車両担当とでも言えばいいか。水晶採取の旅ではその辺りも考えたいのだ。