第103話 彼女は会頭夫人一行とともに川を下る
第103話 彼女は会頭夫人一行とともに川を下る
王都からルーンまでの距離は約120㎞ほどの距離であり、丸一日見れば十分に到着することができる。旧都から公都までと比べるととても楽なのだ。
前日、王都に宿泊した一行は、船に乗り込むと一路ルーンを目指す。船は商会の誂えたもので、一行とその荷物に商会の支店を開くための道具類が乗せられている。彼女と伯姪に姉とレヴナント使用人の『アンヌ』『薄赤』パーティーの四人に、黒目黒髪、茶目栗毛、青目蒼髪、赤目銀髪、赤目蒼髪と赤毛娘が小間使い風に姉に付く。赤毛娘以外は、人間相手の討伐戦にも参加
しているので特に問題はないと思われる。
まだ川面に霧が立ち込めるような時間、船は岸を離れ、ゆっくりと川を下り始める。総勢十四人に船頭たちが加わり二十人ほどが乗り込んでいる。
「はー、船に乗るなんて、凄い!!」
「帰りは馬車だけどねー。船で遡るのは時間かかるからね」
学院メンバーが目をキラキラさせて船からの景色を見ている中、姉が言葉をかけていく。
「といっても、お姉ちゃんも乗るのは初めてかな」
「意外ね。姉さんなら舟遊びくらいしていると思っていたのだけれど」
「川はないよ。池とか湖ならあるけどね」
この場合、輸送機関としての船であって遊びで乗る船ではないのだから当然かもしれない。
「海とはやっぱ違うのかな?」
赤毛娘はやはり今日も好奇心旺盛だ。それは相当違う、何より波がない。
「船が波で上下に揺れている感じだねさらに」
「内海は穏やかだけれど、外海は波が大きいから酔うかもしれないわね。内臓が揺れると気持ち悪くなるのよね」
「鍛えているから大丈夫……かな……」
「問題ない」
黒目黒髪の不安げな言葉を、赤目銀髪がぴしゃりと抑える。揺れる船の上からいかに的に当てるかについて、薄赤野伏といきなり話し込み始めた……のは熱心と言っていいのだろうか。
「そういえば、水馬持ってきたー?」
「必要あるとは思えないのだけれど……念の為に用意したわ」
「ふふふ、良い心がけね。まあ、魔法袋にたくさん入るんだから、躊躇する必要ないじゃないの」
いやいや、あればそれがトリガーになって、使わざるを得ない状況を引き寄せる気がするので勘弁してほしい。王国の主要都市は大河沿いが多いので、使う機会はあるかもしれないのだが。
「内海なら、海でも波が穏やかだから、結構使えるんじゃないかな」
「……かなり魔力がないとすぐ沈むわよ」
「まあ、ほら、奇襲要員? あなたがガレオン船で反対舷から斬り込んだみたいなのお姉ちゃんもやりたい」
いや、護衛でも騎士でもないのだから、そういうの要らないのよと彼女は思うのである。
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船の中で彼女と姉はルーンでの行動の確認をする。
今回、ルーンに商会の支店を置くのは、商業ギルド的にはかなり難しい案件であったのだが、王家御用達でニース辺境伯の商会という事で半ば強引に認めさせている。当然、ルーンの参事会に顔を連ねるような有力商会とはかなりの摩擦がある。
「そのあたり、どう考えているのかしら」
「うーん、とりあえず硬軟両様で行くつもりかな。できれば、郊外の廃村でも王家から受け取って、リリアルみたいな拠点を作ることになるんじゃないかな」
ルーンの市街に関しては半ば王国・王家と連合王国・原神子教徒・ロマン人繋がりを使い分けるメンバーが支配している。連合王国の侵攻に協力する者が多数派であれば、あっけなく向こうの支配を受け入れるだろう。
「先々代の王様は、滅茶苦茶やって国内でも不人気だったから呼応するルーンの有力者も限られていたみたいだけどさ、今の女王になってからはわからないからね。連合王国に付けば利になると考えれば向こうにつくでしょ?」
「つまり、城塞のある村をルーン郊外に建設して、騎士団の分遣隊と商会の拠点を配置するってことね」
「そうそう。倉庫とかどの道騎士団に供給する食料なんかを保管するのに必要だからさ。帳簿の上だけ移動させれば騎士団の資材をニース商会が供給していることになるでしょ」
問題は、それに適した場所が存在するかどうかになるだろう。
「あんまりルーンから遠くて内陸でも駄目だけどさ、川が近すぎると防御も大変になるじゃない? ガイア城みたいなのはだめだよね」
ガイア城は『聖征』の最も盛んであった時代の様式の城であり、少人数での堅固な防衛を成立させるためのものだ。切り立った崖の上、そして積み上げられた幾重もの石壁で囲まれた塔壁でできている。
「ロマンデの一年分の税収額と同じだけ建築にかけたらしいよ」
「戦争馬鹿も極まれりね」
落ちない城はない。防衛して時間を稼いでいる間に主力が攻囲軍を野戦で倒す必要がある。ガイア城はそれに何度も失敗してその都度主を変えている。
「王都から二日もあれば増援が来るから、その間だけ持てばいいくらいの感じだよね。あんまりしっかりしていると、取り返すのも大変だしね」
『ロマン人の手先のルーンの都市貴族と魔物、連合王国の先遣隊くらい阻止できれば十分だろうな』
『ロマン人に協力する商人を炙り出すのも大事です。主に期待されているのはその辺りの諜報活動でしょう』
それは姉の仕事じゃないかと彼女は思う。ルーンに情報収集の為の人間を配置することが今回の最大の仕事なのだから。
「なんてね。まあほら、最近、王都の社交も一通り終わったから、近場の都市の夜会に『王家御用達』商人として営業するのが私の仕事だからさ。その先の事は他の人が考えればいいんだよ」
素敵な割り切り、さすが姉である。祖母の話も社交の武器になるところは受け入れ、そうでないところはスパッと切り捨てる柔軟性というか、肝の太さは彼女とはいささか異なる性格だろう。貴族や政商に向いた資質だともいえる。
「お姉ちゃんが社交で頑張ってる間に、妹ちゃんは拠点の場所探しとギルドの依頼をチャチャっと片付けて、ルーンの夜を大いに楽しもうではないか!!」
仕事の中でも楽しみを忘れないところは見習わなければと思いつつ、それは伯姪に任せたいと彼女は思うのである。
「まあ、王都の夜会よりは商売関係の顔つなぎとか、派閥の示威行動みたいな側面があるから、そういう意味では見ていて面白いかもね外野はさ」
「接触してくるものがいるのかしら」
「いるいる!! 両天秤にかけたい、王家に取り入りたい、王家に取り入るふりをして情報を引き出したい……色々あるに決まってるじゃない。予習もしてきたから、その辺は任せておいてちょうだい☆」
完全に敵地なのにもかかわらず、アウェイ感がないのは流石王都の夜会でたかが子爵家の娘にも関わらず高位貴族にも一目置かれる姉なのである。
「まあ、チクチク行くわよ。ふふふ、楽しみだわー」
夜会と依頼、全く違う場所であっても、そこに赴く高揚感は姉妹して同じなのはやはり血筋というか家柄なのかもしれない。逆風を恐れない性格なのだ。
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船は夕刻近くに途中の「ヴェノン」に到着する。明日の朝ここから発てば、午後遅くない時間にルーン市に到着する。そうそう、ギルドや市庁舎には挨拶に行くべきであるし、彼女たちは冒険者ギルドで依頼を探す予定なので
ある。情報収集の一環としてだ。
ヴェノンの街はその昔、ロマン人の建国王が城塞を築いて以来、王都に対する守りの要として機能してきた時代が続いた。とはいえ、現在ではその役割をやや低下させているのは、ロマン人の国が海の向こうに退いているからである。
「なんか、王妃様に悪いことしちゃったかなー」
「……そういうレベルではないでしょう。とは言え、好意を無にするわけにもいかないもの。有難く受けましょう」
ヴェノンの街の対岸に築かれた城塞と城館はガイア城の建設時期と軌を一にしている。小さい円塔を壁でつないだダンジョンを形成しているのは「タレット城」と呼ばれる街の防衛拠点でもある。
「まあ、誰かたまに使わないと傷んじゃうってのもあるからね。最近、誰も来ていないからたまには使ってあげなさいって事みたいだね」
総勢二十人の一行なら、使用人含め十分に宿泊できる。それに、ここで経験しておくのはこの「ダンジョン」の構造を理解することにもある。
「ほら、ガイア城も調査の対象なんでしょ?」
「……聞いていないわね」
「ギルドに行くと多分依頼されるよ。そういう手配だからさ」
本格的な規模の城塞を探索するのは初めてなので、その練習台になればというのがここに来た一つの理由でもあるのだ。
夕食をそれぞれに分かれていただく。流石に、彼女たちと使用人が一緒に食事することはないのは、王妃様の招待だからであって彼女がそう願っているからではない。やはり、立場の差は明確にされている。
「ダンジョン、早速、食後の散歩にリリアルのメンバーは参加してもらうわ」
「お姉ちゃんも行きたい!!」
「……断っても参加するのでしょう? 無駄なことはしないわよ」
「うん、いい心がけだね。流石、男爵様だよ」
「生まれたときからの付き合いですもの、慣れたものだわ」
食事の後、冒険者の装いに改めたメンバーは、ダンジョン前に集合することになっている。
この城塞は壁の厚さが1m強、場所によっては2mに近い厚さの場所もある石灰岩の石造構築物だ。高さは14m、その円塔の直径は6mほどであり、螺旋階段で中のほとんどが占められている。
「うーん、二人一組、バディでいいかしら」
「そうだね。妥当じゃない」
内部に灯りの無い状態で気配隠蔽を行い侵入、階段をのぼり、塔上部の回廊を半周して戻ってくるだけの簡単なお仕事だ。
「では、最初のペアは……あなたと姉さんでお願いしようかしら」
「OK、お姉ちゃんに任せなさい!!」
「行ってくるわね……」
伯姪の勢いを完全に上回る姉、何故か冒険者用の軽胴衣を着用している。なにやら「こんなこともあろうかと今回の旅の為に新しく用意したんだよ!!」と混ざる気満々である。めんどくさい。本当にめんどくさい。
その様子に気が付いたのか、『薄赤』メンバーがやってきて、自分たちもダンジョンに入りたいという。今後の参考にしたいというのだ。
「前衛・後衛で別れましょうか」
「そうだな」
「……俺と戦士ってこと?」
『薄赤』パーティでは、前衛の戦士と剣士、後衛の野伏・女僧がバディになるだろうか。何やら剣士は不満げであるが、ダンジョンはお化け屋敷でも肝試しでもないので、女の子と組みたいのなら余所でやれと思わないでもない。
リリアル組のあと、渋々の態で剣士はダンジョンに入っていく。
「アリー!! あなたも入っておいた方が良いわよ!!」
「昔から暗い所と狭いところが苦手だから、無理しないでいいんだよ☆」
「……いつの話……小さなころの事でしょう。紛らわしいことを言わないでちょうだい」
姉は「まだ小さいじゃん、胸」と小声でいうのがうっとおしく忌々しい。
さて、彼女の順番である。ダンジョンの円塔……内部の螺旋階段に足を踏み入れると、ところどころに設けられた狭間から月明かりが差し込み全くの闇夜ではない。
『防御に専念した施設ですね、これでは上で待ち構える側が圧倒的有利です』
『猫』がバディの彼女であるが、予想以上の急こう配であり、登る側からすれば上で待ち構える側の足元しか攻撃することができないほどなのだ。槍や両手剣のようなものは無理であり、片手剣が適した装備になるだろうか。
上で待ち構える側は、相手の上半身を攻撃することになり、どちらがダメージを負いやすいか論ずるまでもない。
「少人数で多数を防ぐための設備ね」
『ああ、ただし人間同士であればだな』
『魔剣』曰く、閉所は例えば火炎などを下で発生させると煙突効果でかなりの熱が上に上がるだろうという。
『こっちは魔力で結界張ってそのまま上まで行けばいいしな』
「相手が魔力持ち、魔術師でなければそれで問題ないのでしょうね」
『こっちは魔装鎧装備して、盾でも装備していれば問題ないだろうさ』
彼女が思うのは……
「身体強化と結界の組み合わせで、壁の外側から登れるのではないかと思うのよね」
『……やってみろよ』
魔術師からすれば、あまり考えたことのない結界の利用法なのだったようで、『魔剣』は呆れたように答えるのであった。
ダンジョンから戻った彼女は、メンバーに先ほどの提案を説明する。
「では、やって見せるわね」
目の前の高さ数mほどに1m四方程度の結界を展開する。大猪の突進を受け止めるほどの強度がある結界を維持するのは、彼女にそれほどの問題もなく、同時に複数展開も可能なのであるから……
「あっという間じゃない」
「城壁の無力化……さすが院長」
「先生!! すごい!!」
「あきれるほど優秀な妹ちゃんだね……まあ、想定内だけどさ」
伯姪も院生たちも、そしていつもウザい姉もさすがに驚いている。というより、魔力持ちであれば、城壁関係ないんじゃないのか?
躊躇なく壁から飛び降りた彼女に少々呆れながらも、皆がどんな感じなのかを聞いてくるので彼女は説明する。
「結界の展開と何ら変わらないのだけれど、最低二枚の同時展開ができなければならないでしょうし、飛び上がるなら身体強化、更に気配隠蔽まで行うなら四つの魔術の発動を継続しなければならないわね」
「……うーん、私には無理だね」
「結界を展開する人と忍び込む人で別れれば問題ないんじゃない?」
「「「「それだ!!!」」」」
何も、彼女のように一人で全部行う必要はない。黒目黒髪娘が結界で階段を形成し、赤毛娘がそれを足場に身体強化と気配隠蔽で侵入。その後、上からロープを降ろして引き上げてもいいわけだ。
ルーンでの情報収集が少し気楽になったのは言うまでもない。