第94話 彼女は『魔装ビスチェ』を装着する
第94話 彼女は『魔装ビスチェ』を装着する
『伯爵』との会談は続き、彼の持つ帝国内の情報網にまで話が広がった。帝国内には「自由商業都市」というものがかなり存在する。
元々は諸侯の干渉を嫌った都市が皇帝に直接的に臣従する「帝国都市」と、司教座のある独立した都市がその性格を有する。「帝国都市」が皇帝に対する軍役など封建諸侯と同じ義務を課せられるのに対し、司教座のある都市は教皇に支配されていると言い換えても良いだろうか。半ば独立的存在だが。
『商会はメインツに本部を置いているんだけどね』
メインツは王国にほど近い帝国内を流れる二つの大河の合流点にある古の帝国時代から存在する都市であり、法国と海国・帝国・連合王国との重要な貿易ルートとなっている。王国が小規模であった頃は、シャンパーやブルグントを経由していた時代もあったのだが、現在は帝国内を主要な通商路としている。
『基本的には、サラセンやルーシェとの交易の仲介などの仕事をしているね。南北ではなく、東西の商品の供給というのかな。あまり大量の物は運べないから、小さくて単価の高いものが多いね』
「……陸路での輸送ということですか。困難ではありませんか?」
『ん? 生身の人間ならね』
ああ、なるほどと各員が納得する。貿易の主体も恐らくはレヴナントなのだ。レヴナントが昼夜を問わず、また、非常に困難な山岳路などを走破する。人力で運べるものであまり嵩張らないものなのだろう。貴金属や宝飾品、高級な織物なのではないかと察せられる。
『西帝国の帝都だったサラセンの帝都とかね。商材はたくさんあるからね』
「現地で直接買い付けて、帝国内を通過して王国に持ち込むということですか」
「その辺りは企業秘密だね。そういう意味では、自由商業都市の商会と帝国の伯爵という肩書は役に立つんだよね」
内陸河川交通などを利用し、サラセン商人とかち合わないルートを活用しているのだそうだ。時間は少々かかるが、帝国内はストレスフリーに移動でき、王国にも同様に入国できるため、内海でサラセンや法国商人の妨害を受けるよりは商品さえ選べば問題ないのだそうだ。
『真珠……とか扱ってるよ。今度、王妃様と王女様にも献上できるようなものが手に入れば、紹介してもらえるかな』
「……その時は相談に乗ろう」
『そうだね。まあ、先々の事だから、一応口頭で話しておくよ。私は、王国も王都も気に入っているからね。なにより、折角改宗した御神子教徒の国に住みたいしね。帝国も連合王国も原神子が多いし、商人は特にそうなんだよ。まあ、仕事には余り持ち込みたくないんだけど、無理やり勧誘されると……殺したくなるからね』
『伯爵』はごく軽い口調で述べたのだが、過去を知る者にとっては単なる冗談とも受け止められないのだった。
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『伯爵』を見送り、再び席に着く。宮中伯が口を開く。
「騎士団長としては、どのように感じられました」
「穏やかさの中に隠れた殺気とか強い意志を感じるな。あれは、構うと面倒な相手だが、取引はできるんじゃないか。そういう意味では、同じ御神子教徒というのは悪くない。原神子の場合、何かと自分たちの正当性を認めさせようと寛容の精神に欠けるからな」
王国にも一割ほどの原神子教徒がおり、主に都市に住んで商業に従事したり、王家に逆らう為に入信し信徒の片棒を担ぐ貴族も少なくない。但し、王家は王妃が元々御神子、国王が原神子から御神子に改宗した上で、両派の立場は対等であると王命を出しているので、それに表立って逆らうものはいない。
御神子への改宗も、連合王国と帝国への牽制、それまで争っていた法国・神国との和解の為でもある。全方位戦争していた過去の王国から、主敵である連合王国、そことランドルの商人経由で繋がる帝国皇帝と対立する為の手段なのである。
信仰はあくまでも方便というのが王家のスタンスだ。
「スラム街に関しては、再開発するよりはリノベーション中心に進めていく予定ですので、かの御仁の要望はかなえられると思われます」
「王都の歴史的景観を守りつつ、城壁の外側に新街区を開発するという計画と合致するということかな子爵」
「はい。騎士団の王都外部への本部施設の一部移転含めて、計画の俎上ですが、今回の件を踏まえると進めるべきかと思われます」
「旧街区に新住民が移住するよりは、低所得者向けの街区を王都の南側に設け、管理しやすくするのは良い策だと思うな。騎士団としても入り組んだ街では警邏もしにくい。通りも広くとり、直線的な道路の組み合わせで見通しのよい街づくりをすることで、犯罪も減らせるだろう」
王都の南、リリアル学院方面の開発を王都の防衛含めて整えるということなのであろうか。外敵は王都の北もしくは東から接近してくるので、西もしくは南側に新街区が広がるのは悪いことではないだろう。西側に墓地を開発するということで、南に新街区を設けることにするのだと彼女は考えた。
――― 最終的に、リリアル学院周辺まで王都の新街区となるとはこの時点で誰が予想できただろうか。
「で、リリアルとしては、今後どう動くつもりか」
騎士団長からの質問。彼女は、想定される人攫いの活動内容から、まずは事件を起こしている人攫いに所属するレヴナントの行動の把握、その後、実際人攫い組織に潜入し、証拠の確保と実行部隊の壊滅までをセットで行う事を説明する。
「概ねヌーベ領内での討伐と同じ行動となりますが、拠点に全てが揃っていた山賊に偽装されていたヌーベ領とは異なり、実行部隊には被害者と手下だけが存在し、差配している者は王都の商会の中に存在するので両方を同時に捉えるとすれば、少々時間をいただきたいところです」
「レヴナントを泳がせるという事か」
「はい。逃走経路は王都の下水道を使っているようなのですが、そこに至る過程が複数あるようです。王都外から攫った人間を樽や箱に詰め商会の荷馬車で王都内に集め、そこで棺桶に移して墓地へ移動。墓地内で樽に移し替え夜陰に乗じて地下下水道から川沿いに待機する船に移しそのまま川を下り、ロマンデの協力者の商会へ移動……」
「そこから、連合王国なり帝国なりに攫った民を運ぶというわけだな」
「おそらく」
そこで、ずっと話を聞いていた令息が口を開く。
「王都に穀物を運び込む商会は多いと思いますが、大手の運送業者は限られています。むしろ、商会ではなく運送ギルドの中に一味が隠れていると考える方が整合性があります」
商品の入荷時期が一定とは限らない。定期的に荷を動かすなら、商会より運送ギルドの方が問題なく対応できるかもしれない。ニースでは穀物関係の商会であったため先入観から決めつけてしまっていたようだ。
「運送ギルドですね。心に留めておきます」
「騎士団でも王都内で不審な馬車の移動に関しては止めて中を改めさせるように通達を出す。ギルド全部が一味という事は考えにくいが、規模がわからないから仕方ないな」
ギルドに協力を求めてかえって警戒されても困るからだ。先ずは、実行犯の動向を捉え、指示を出すものまで遡ることを第一義と確認した。
「焦る必要はないが、なるべくなら早く抑えてくれ」
「承知しました」
宮中伯からの確認とも願いともとれる一言を受け、話は終了した。
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王都内での探索、あまりドレス姿や冒険者姿では活動しにくい。故に、彼女は今回、思い切って男装することにする。伯姪は……身体的に無理であるので、彼女が男役、伯姪がその連れの女性という態で活動を行う予定だ。
「でも、身長が……微妙なのよね」
『ヒールのあるブーツで多少は誤魔化せるだろう』
『そういえば、良い着込みができたようです主』
ミスリルの付与した糸で編んだ縄で織った布を用いた簡易魔装鎧の試作品が完成したという。その装備はビスチェの形をした布でできた胴衣であった。
「魔装鎧の生地自体は、それなりに織れるんだがの」
老土夫曰く、糸さえあれば生地自体は1週間ほどで全員分織りあがるのだそうだ。だが、しかし……
「糸を撚るのに限界があるのでな。半年くらいは様子を見てもらおうかの」
「急ぐ装備ではないので、ある程度依頼を受ける人間からパーティー単位で作成しましょうか」
一巻(約90cm×22m)で上下で3人分の魔装鎧用の生地が取れるのだという。
「一月一巻き分くらいじゃろうな。あやつも魔力はともかく、集中力に限界があるんで、あまり根を詰めさせるのも問題じゃろ」
一日何時間も糸を撚り続けるのは、いくら機械の補助があるとはいえ、中々難しいだろう。午後の時間だけでもかなりきつい労働だ。癖毛は就寝前の自由時間も糸を撚り続けているという。
「まあ、自分の貢献できることが見つかって嬉しいというのと、目に見えて魔力の操作が上手くなれば、続けたくもなるもんだろうな」
「それほどですか?」
「鍛冶をするに必要なコントロールはできるようになったな。とはいえ、魔術の場合とは出力が異なるから、魔術も上達しているとは言いがたい」
魔力を少しずつ一定量流し込むことは慣れたという事であり、発動させたり火力を調整するようなことが難しいのだという。
「今回は、お前さん方二人分の胴衣を作成した。鎧下のようにも使えるし、普通の衣装の下にも上にも着ることができる。先ずは試着してみてくれるか」
老土夫に進められ、二人は薄手のシャツの上に胴衣を着用してみることにした。ビスチェというかベスト、ジレという感じだろうか、色合いがミスリル色なのでかなり派手な感じがする。
「上に何らかの布を被せて普通の衣装っぽくするほうがいいんじゃないかしら」
「これなら、普通の素材採取とかに着用しても問題ないのではないかしら。それに、ガントレットタイプの肘までの手袋も欲しいわね」
「それも考えているが、魔力を通して硬化すると、剣なんかを握る感覚がかなり変わるので、手のひらの部分だけ革素材にするとか考えとる」
確かに、手のひらの部分は魔力の有無で硬化すると握った感じが変わって戸惑うかもしれない。
魔力を通すと、しっかりと硬化しメイルのようになる。鎖と違い輪にした鋼のリングを一つ一つつなげるわけではないので、刺突剣で輪が壊され体に突き刺さることは避けられそうである。
「どのくらいの強度なのかしら」
「同じ厚みの鋼のプレート並じゃな」
「……かなりの厚みね。2mmはあるかしら……」
フルプレートの正面で1.6mm、可動部は1mmを切る場所も多い。つまり、布の重さでフルプレート並の強度を出せているという事なのだ。
「実際試してみたのかしら」
「ああ、馬鹿弟子に着させてな。他の男にも着させてみたが、魔力の消費は瞬間的ならほとんど問題がないし、1時間程度なら中程度の魔力持ちなら問題なく硬化させられる」
「なら、問題なさそうじゃない。実際、斬り合いなんて十分程度だからね」
伯姪も自分の使い出を考えると問題なさそうだとほっとした顔だ。
「よければ、剣で突いてみてもらえないかしら」
「あなたなら、鎧がだめでも体の身体強化で問題なさそうね」
「致命傷にならないように肩の付け根辺りでお願いするわ」
「……そこだって太い血管があるから、普通に急所だよ!!」
伯姪は愛用の曲剣を構え、向かい合って立った『彼女』の魔装鎧の肩口に切っ先を突き刺す。
「うん、メイルっぽい刺突感ね。ザリッって感じで刺さらない」
「衝撃も金属の鎖より柔らかいわね。面で吸収してるからかしらね」
プレートの良いところは板全体で衝撃を捉えることにある。メイルは刺突に弱いだけでなく、鈍器による打撃の衝撃も貫通させてしまう。
「どうだ。メイスやハルバードの打撃もかなり吸収する。まあ、頭巾とかまで作れると、さらに安全性が高まる。とりあえず、首周り用にスカーフはリリアルの共有の物を作ろうかと思う」
「魔力を通せば、その布、簡易的な打撃武器になるんじゃない」
「……暗器のようにね。いい発想だわ」
布を湿らせて真冬に外に放置すると凍り付いて板のようになる。それを瞬時に発生させられるという事だ。
「ならば、幅を細目にして二つ折りで幅広の剣くらいになる幅で作るかの」
ということで、首周りに巻くスカーフのような魔装鎧も作成することになった。ビスチェ魔装鎧は二人の衣装の下に着こむとして、スカーフの用意が間に合うかどうか気になるところだが、それらしく見えるようにするには少々時間がかかりそうという事で、今回は見送ることになりそうなのだ。
「上手く使うと、盾にもなるわよね……」
「魔装布とでも言えばいいのかな。夢が広がるじゃない。例えば……馬車の幌で使えば、矢を通さないなんてことも可能なんじゃないかしら」
「それ採用じゃ!!」
「ずいぶんたくさんの布が必要になりそうね。先ずは防具から優先させてもらえるかしら」
老土夫が興奮しているものの、実際、糸を紡げるのは癖毛だけなのであるから、早々沢山の装備は一遍に揃わないのである。
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リリアル学院での仕事をある程度片付けた翌週、「一人分のスカーフだけは用意できたので持ってけ」と渡された『魔装布』製スカーフを男装した『彼女』が首に巻く。
「なんだか、普通ね」
「そうでなければ装備でばれてしまうじゃない。リバーシブルとかにすべきかもしれないわね」
これで、フードやスカーフ、マントを魔装布に変えると、フルプレート以上の硬さが出せるのではないかと思われる。魔力が続く限りにおいてはだが。
「どうじゃ、着用感は」
「悪くないわ。普通にコルセットだと思って装着できるし」
「私もです。胴衣として問題ない使用感です」
「仕立てはやはり本職にお願いするかの。鍛冶屋では仕立てをうまくすることはできそうもない」
今回は、彼女の祖母の顔なじみの仕立て屋に依頼をしたのだそうだ。
「当面そこで頼むとして、仕立て屋がリリアルにいると良いかもしれねえな。制服とか必要になるんじゃねえのかそのうち」
「……そうですね。今後の課題にします」
リリアルの使用人枠のなかで仕立て職人を目指す子がいても悪くないのではないかと彼女は思う。どの道、職人の最初は下働きで試されるのだ。関係のない雑事をきちんとこなせるという信頼を築いてから、簡単な下職から仕事を任せて貰えるようになる。
「どんな仕事でも一人前になるには十年はかかる。心当たりを当たっておくなら今のうちじゃろな」
「ええ、本当に」
目先の事件の解決だけでなく、王都の都市計画に組み込まれることがほぼ確実なリリアルの職人育成もタイムスケジュールにしなければと彼女は頭の片隅に置いておくのである。