疑わしきを
私の宣言に、店主は大いに戸惑った。
「じゃ、じゃあ一体、俺が見たのはなんだったって言うんです!? 昨日、俺は確かにこの娘ちゃんの顔を見た。店から出て行く前、一瞬だがこっちを振り返って、しっかり顔を見せていったんだ。あれは他人の空似とかそういう次元じゃなかった!」
「まずそこがおかしい。食い逃げ犯が一瞬振り返って、顔をしっかり見せた? そんなことをする必要がありますか? ……ちなみに、おじさんはその食い逃げ犯の後をもちろん追ったんでしょう?」
「当たり前です、追いましたとも。でも、店を出てすぐ、そこにいたはずのその娘はもうどこにもいやしなかったんですよ」
「普通なら身なりや体格で分かりそうなものですが……この町ではそれも厳しいですかね」
「そうです。この町じゃあ、ほとんど全員が同じ外套を羽織ってる。体格もほとんど隠れちまうし身なりでは判別できねえんで、その時その場所にいた全員の顔を見ました。でも、そこにいた誰も、同じ顔じゃなかった」
そこで店主は、店内にいた赤髪の客に「なああんた、昨日俺が最初に顔を確認させてもらったよな」と声をかけ、その客も「あ、ああ」と応える。
「食い逃げ犯が出て行ったほとんど直後に外に出たんだが……まあ、身体能力が普通じゃねえやつなんてざらだし、魔法だってある。その一瞬で、俺の目の届かねえ所にいっちまうことだって、不可能じゃねえかもしれません」
「ふうん……」
まあ、身体能力の強化も魔法も、店主が思うほど便利な代物ではないんだけれど。
「ちなみに、その食い逃げ犯の髪の色はどのような色でしたか?」
「あー……っと。ああ、丁度、そこのお客さんみたいな色でしたね」
店主は、先ほど声をかけた男性に顔を向けた。
……ひとまずこれで、状況証拠はほとんど揃った。
私たちが話を始めてからずっと、彼は店内で、その動向をずっと伺っていた。そして、「疑わしきを罰せよ」のルールを野次に乗せて説いても見せた。
私はその客にもはっきり聞こえるように、声を張った。
「この世界のルールは、『疑わしきものを罰せよ』でしたね。……であれば、例えばこの状況で、『顔の造形を自由に変えられる特異体質』を持つ人物が、昨日、おじさんが声をかけた中にいたとしたら……? そしてその人物の髪色が珍しいもので、食い逃げ犯のものとも符合していたとしたら……?」
「なっ……!?」
店主が驚きと共に一瞬私の顔をみて、次いでその目を、昨日最初に声をかけたという客に向ける。
「か、仮にそんなことがあったとしたら、そりゃあもう……」
「まあ、身辺の調査くらいはさせていただくことになるでしょうね。食い逃げの証拠なんかは出てこないでしょうけど、もしかしたら、余罪があるかもしれない。……そうですね、例えば……宝石商から盗んだ宝石類とか――」
この街では今、宝石商ばかりを狙った盗みが横行していると、私をこの街まで運んでくれたおっさんが言っていた。その犯人は逃走の際、わざと顔を見せていくのだとも。
それは、今回の手口と同じだ。
男の肩がびくりと震える。
私はその客の元へと近づき、こう声をかける。
「――あなたは、無実を証明しなければならない。そのためには、私の眼で、あなたの能力を調べるのが最も確実です。もちろん、あなたが無実ならば快諾してくださるはずだと思うのですが……どうです?」
私のその問いかけに、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。そして次の瞬間、彼はいきなり立ち上がり、駆けだした。だが、私の横を通り過ぎていこうというところで、私は彼の腕を掴む。彼はそれを必死に振りほどこうとするが――
「……っ!?」
いかんせん、力が足りない。
私は女だが、たいていの男よりも身長があるし厳しい修練にも励み身を鍛えている。並みの男性が相手であれば地の膂力でも劣ることは少ないだろうと思う。しかもそれに加えて私は今、ある「魔法」を使っている。この状態の私の手を振りほどくことは彼には到底できないだろう。
探偵は、他者の秘密を暴く。
そして秘密は常に、暴かれたくないからこそ秘密にされるのだ。だから、探偵の秘密を暴くという行為には常に、一定のリスクが孕んでいる。それを阻止すべく実力行使に訴えられることもしばしばだ。それゆえ探偵は、そのリスクにも対応出来うる「力」がなければならない。私はそれを、「血縁の加護」の魔法に恃んでいる。血縁の加護は、ある条件を満たしたあるものを食することよって習得できる魔法だ。そしてその効力は、「一時的な身体能力の向上」。私はそれによって、狼男を相手にしたときでさえなんとか暫くその猛攻を耐え忍び、結果的に生き延びることができた。
「ここで逃げたら、罪を認めることになりますよ? ……それとも本当にあなたは、『変相』の特異体質持ちなのですか?」
私の言葉に、
「クソッ――てめえ、なんでこの体質のことをそこまで知ってやがる――ッ!?」
そう叫びながら、彼は腰から短剣を引き抜いてひらりと閃かせた。「あっ」と店主が声をあげ、フィリアさんが反射的に両手で顔を覆うのが見えた。
確かに、完全に不意を突かれたかたちであれば完璧に避けることは難しかっただろう。しかし私は、こうなることをある程度予感していた。だから、軽く上体を反らすだけで男の凶刃は空を切る。肩透かしを食らった男は体勢を一瞬崩す。その隙を逃さず、短剣を握る彼の腕に掌底によって打撃を入れて短剣を手から落とさせ、私はまだ落下中の短剣をもう一方の手で素早く回収する。
「なっ……!?」
その一瞬の出来事に男が声をあげ、店内の誰もが目を瞬かせる。とはいえ私にとってはいつものことなので、さして緊迫感などはない。この程度のことができなければ、到底王女の探偵は務まらない。
「私のよく知る方に、あなたと同じ体質を持つ方がいるんです。だから、あなたの体質のことはよく知っていますよ。……これ以上抵抗されるなら、もう少し痛い目に遭っていただくことになるかもしれませんが……続けますか?」
私がそう諭すと、男は逡巡ののち、観念したように体の力を抜いて呟いた。
「……ちくしょう…………なんでこんなところに、王族の狗なんかが……」
男はその言葉を最後に、騒ぎを聞き駆け付けた衛兵たちによって連行されていった。