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探偵は王女と踊る  作者: 角増エル
[第1章] 呪術師殺人事件 問題編
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雪と氷の町

「旦那、旦那ってば。起きてくだせえ」

「んあ……」


 野太いおっさんの声で目が覚める。素敵な寝覚めだ。たとえそこがガタゴトと揺れる馬車の中であってもぐっすり熟睡できるのが私の数少ない長所の一つだが、どうやら寝すぎてしまったらしい。外を見れば、すでに目的の街の外壁がうっすらと見え始めていた。小さな街だときいていたが、意外と外壁はしっかりしていそうだ。


「近道しますから、あと一つ小せえ森を越えればすぐに到着ですぜ、旦那」


 気のいいおっさんではあるが、その「旦那」ってのはどうにかならないものだろうかと心の中で呟きつつ、「どうも」とだけ答えておく。彼は私のそんなすげない態度にも気を悪くした様子など微塵もなく、「しっかし――」と人好きのする笑顔と共に訊ねてくる。


「旦那みてえなお方が、なんだってあんな辺鄙な町に? これといって面白れえもんもねえ、普通の街ですぜ」

「今更ですね」

「そりゃねえぜ旦那。旦那ったらいつもちょっと話すとすぐに寝ちまうから、訊くに訊けなかったんですぜ?」

「な、なるほど」


 それはちょっと、悪いことをした。

 と反省すると同時に、もう少し私も危機管理意識を高く持った方がいいのかもしれないとも反省させられる。何か不穏な気配があればすぐに飛び起きる自信はあるし、いざというときすぐ対処できるよう、常に腰には短剣を差している。とはいえ、いささか不用心だったかも。というかそれ以前に、仮にも男性の前で寝顔を晒すなど、花も恥じらう乙女としては、少しはしたなかったのでは。

 そんな恥じらいを悟られぬよう、私は努めて平静を装う。


「まあ、ちょっと調べたいことがありまして」


 私の言葉に、おっさんは手綱を握る手を少し強張らせる。真っ直ぐ進行方向を向いてはいるが、その表情もどこか不安気だ。


「するってえと、やっぱり、あの『呪術師』のことですかい?」

「ええ、そうですが……何か知ってるんですか?」


 私がそう訊ねるのと同時、馬車の外の景色が、牧草が首を揺らす平地から林道へと変わる。近道だと言う森に入ったらしい。

 方向から察するに確かに近道ではあるらしいが、獣の被害などを嫌ってあまり使われない道なのだろう。あまり整備が進んでおらず、鬱蒼と生い茂る木々に日の光は遮られ、まだ日が傾いたばかりだというのに辺りはすっかり薄暗闇だ。

 北へ向かうからと外套を羽織ってきてはいるが、それでもうっすらと肌寒さを感じる。御者を勤めてくれている彼なら尚更のことだろう、少し身を震わせている。


「いやなに、ちっと小耳に挟んだだけでさ。あの町にゃあ今、自分でかけた呪いを莫大な報酬と引き換えにして解呪する、恐ろしい魔術師が滞在してるとかなんとかで」

「……なるほど」


 商人たちは常に情報を交換しあう。時には自慢話を交えつつ。


「具体的には、誰が言ってたんです?」


「ええと……」と彼は一瞬逡巡したのち、「まあ、旦那なら大丈夫でしょう」と一人得心して続ける。


「商人ってやつは次に向かう予定の町の『今』の情報を仕入れておかねえと気が済まねぇ生き物でしてね。あっしも例にもれず、王都の商人が集まる酒場で情報を仕入れてたんでさ。いろいろきいて、今あの街じゃ宝石商を狙った盗みが横行してるとかで、犯人は毎回顔を見られてる――っていうか、自分から見せていくらしいんですが――、だってのに一向に捕まる気配がねえってんで、それも気にはなったんですが……。それ以上に興味を引いたのが、クランブルクから来たっていう羽振りの良さそうな商人が自慢してた呪術師の話しでして」


 商人が自慢……あまり接点はないように思えたが、続く彼の説明で合点がいった。


「なんでもそいつぁ奴隷商もやってやがるらしくて、『奴隷のための腕輪を呪術師に作ってもらったんだ』ってしきりに自慢してやがりましてね。王都の方じゃ奴隷商なんてもう珍しいですし、でももしかすると近々奴隷制が復活するかもなんて噂もあるもんだから、みんな興味津々で」

「……奴隷、ですか」


 確かに、宰相が実質的に政権を握って以降、奴隷制復活の噂は方々で実しやかに囁かれている。


「ええ、この辺りじゃあ、まだ奴隷市も普通に開かれてるみてえで。……そういやあの奴隷商も、次の満月が沈む頃には戻るって言ってたっけなあ」


 奴隷――。

 この国では、前王の前王のそのまた前王の時代に奴隷制自体は廃止、及び禁止されている。周辺諸国、特に北に国境線を引く隣国の「クリュニア」との争いが、ある一人の辺境伯の尽力によって少なくとも表向きは沈静化、停戦となり、奴隷の供給経路が断たれた時期であったため、大きな反発はなかったと聞く。……しかしそれが遵守されている範囲はあくまで、王都を中心としたその周辺都市にとどまっているのが現状だ。国の端とまではいかないものの、クランブルクもまたその範囲からは外れているのだろう。

 私も何度か、奴隷市を見たことがある。彼らは皆一様に、揃いの腕輪を付けられていた。その腕輪は「束縛の腕輪」と呼ばれ、取り付けられた手は著しくその機能が低下して物を持つこともままならなくなる(これは、逃亡や反逆を難しくするためだ)。仮に逃亡しても、腕輪に彫られた情報(勿論暗号化されている)から、それが誰の奴隷なのか一目でわかるようになっている。しかもその腕輪は、それを取り付けた者の口付けがなされるか、或いは呪いをかけた呪術師によって解呪されない限り、決して外すことができないとされている。

 呪術師にしか作ることのできない呪いの腕輪……通称「束縛の腕輪」。

 その腕輪が、この国における奴隷の象徴だった。


「……あなたも奴隷を?」

「とんでもねえ! 奴隷だって、物を食わせなきゃ死んじまう。自分が食っていくだけで精一杯な俺なんかが手を出せる商売じゃねえですよ」

「ふうん。つまり資本さえあれば手を出してたってことですかね」ジト目をくれてやる。

「ええっ!? いやいやいや旦那ぁ、言葉のあやですって!」

「ほんとかなあ」更にジト目。

「意地悪な人だなあ……」


 もちろん、彼がそんなことに手を出さないであろうことはもう十分伝わっている。が、彼が私を旦那呼ばわりし続ける以上、彼は私の意地悪を避けることはできない運命にある。

 そんな風に大人気ない意趣返しに興じていると、「お、抜けますぜ」とおっさんがおもむろに呟いた。その言葉によってというわけではないだろうが、林立する木々によって遮られていた陽光が再びまばらに差し込みはじめる。


「さっきはこれといって面白れえもんもない町だっていいましたがね、この先の丘から見える景色だけは、ちょっとしたもんですぜ」


と、なんだか得意げなおっさん。この道を選んだ理由はその景色を見せたかったのもあったのかもしれない。そんなおっさんの言葉がまだ耳に残る中、永い眠りから目覚めるように、或いは舞台の緞帳が上がっていくように、辺りがゆっくりと明るくなっていく。

 馬車はついに林道を抜けた。


 ――視界が、開ける。


「へえ、これは――」


 そこは小さな丘になっていて、決して高くはないがしっかりとした石造りの外壁に囲まれた小さな街の様子が一望できた。

 かの英雄グーダルク辺境伯の治る、辺境伯領に属する町、クランブルク。

 クリスタ王国の中でも北方に位置するだけあり既に少し積雪があって、町はうっすら白化粧。森から続く小川が、ゆったりとその身を蛇行させつつ町へと続いている。積雪の様子を見るに今朝は雪が降ったらしいが、今は天を仰げば雲一つない晴天。今日は昼夜月はくやづきさえも出ていないので、まさに蒼穹。青一色の空、白く染まった町、そして陽光を反射する川のせせらぎ――そのコントラストは、まさに絶景と呼んで差し支えないだろう。

 ここに至るまでの陰鬱な林道も、この絶景を際立たせるための前奏プレリュードだったようにさえ感じられる。

 そんな叙情的に過ぎる感想を思わず思い浮かべてしまうほど、視界に映る景色は圧倒的だった。

 こんな景色を提供してくれたおっさんにこれまでの非礼を詫び感謝を述べようとしたのだが、


「どうです、こんな景色をタダで提供する人間が、奴隷商に手を染めることなんてあるはずがないでしょう?」


 彼の得意げな表情が鼻についたので、私はその方針を転換した。


「それとこれとは話が別です。むしろ、こうやって金のかからない方法で人の信用を得ておこうというところが、計算高い商人らしいとも言えますねー」

「ええーっ!?」


 愕然とした表情と共に振り向くおっさんから私はぷいっと顔をそらして、その絶景に意識を委ねた。


「はあ……まったくもう……。じゃあ、丘を下ればすぐですからね」


 と、ため息交じりに鞭を振るうおっさん。

 私はそんなおっさんの背中に、不意を打つよう


「ありがとうございます。冗談ですよ」と小さく投げかける。

「えっ?」と振り向くおっさんに「前見てくださいよ」とすげなく返し、「い、今のもう一回お願いできますか?」とせがまれるも、私はそれ以上言葉を返すことはしなかった。


 そして私たちは、穏やかに注ぐ午後の日差しの中、その街の門をくぐった。

 後に「呪術師殺人事件」と呼ばれることとなる事件の舞台となる街。


 雪と氷の街、「クランブルク」の門を――。

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