口溶けの良いまろやかな。
結城からく先生の殺戮企画に便乗しました。
要素は薄めです。
用意していたチョコレートは、カバンの奥に入れたまま出番は無かった。
夕暮れ中トボトボ歩く私の姿は、きっと「バレンタインデーに告白して振られた哀れな美少女」のように見えるだろう。それは正しいとも言えるし、間違っているとも言える。
「高嶺の花と言われて、嬉しい女子がいるとでも思っているのか」
独り言が多くなる。そうやって精神安定を図っている時の私は色々と危険だ。
普段なら笑って流せる事も流せないし、一晩寝たら忘れて新しい一日を過ごすことも出来なくなる。
『バレンタインデーにチョコレート? お前みたいな高嶺の花はそんなもん用意してないだろ?』
私好みど真ん中だった爽やかなイケメン風の幼馴染みは、そう言って爽やかに笑った。
その手には『今日』彼女『になった』という女子から貰ったらしい、食べかけの手作りお菓子。それってアレだよ。混ぜて焼くだけのタイプのだよ。まぁいいけど。
「バレンタインデーなんて、聖バレンチヌス様への冒涜だ」
そう言いながらも今日はお昼から夕方まで、チョコレート作りの為にテンパリングしまくったんだけどね。
きざんで、湯煎して、ちょっとずつ生チョコ加えてひたすらテンパテンパした。ラム酒だって入れちゃうよ。大人の味だよ。
「さてと」
もう太陽は見えない。夜の濃紺と夕焼けの名残のオレンジが溶け合って黒になるその瞬間、生温かい風が私の顔を撫でていく。
「ん?」
何か感じた気がするけれど気のせいだろう。それに今日はバレンタインデーだ。きっと色々な念が渦巻いているに違いない。今日は気合が入っている人が世の中に大勢いるだろう。
私は超常現象とか怪奇現象とか、現実主義だから信じていない。
そんなものは現実からの逃げだ。
逃げれるものなら私だって逃げたいよ。現実はいつだって厳しいものなのだから。
「ただいまー」
家に入る時に習慣となっている「ただいま」に「おかえり」と応える声はない。分かってはいるけれど、習慣は早々変えられないものだ。
靴を乱雑に脱いで靴下になった足の裏に感じる、ザリザリとしたフローリングの感触に顔をしかめる。
「掃除しなきゃなんだよね。面倒……まぁ、私しか居ないから良いか」
母が聞いたら怒るだろう事をわざと声に出す私。長期旅行で不在の両親に対するちょっとした嫌がらせだ。
夕飯はコンビニ弁当で良いかなと考えていると、玄関のチャイムが鳴った。インターホンのカメラに映っているのは同級生の女の子だ。
赤く光る額を手で押さえているけど、漏れ出る光を隠しきれていない。
「あれ? えーと、どうしたの?」
『上がっていい? お願いです、少しだけなんで』
「いいけど……」
知っているけど話したこともない女の子だ。同じクラスでも話さない子はいる。私はコミュ障ではないけど、無駄な交友をしない面倒くさがりな人間なのだ。
そんな彼女が、なぜ自分の家に来るのだろうか。よりにもよって二月十四日の、今日という日に。
爽やかイケメン風な私の幼なじみと「今日から」付き合うことになった泥棒猫が、どの面下げてここに来たのか。
「あの、まーくんの幼馴染みさんですよね」
開口一番彼女から出た言葉に、私は思わず出そうになった「アンタ馬鹿なの?」という台詞を飲み込む。
うん。別に構わない。私のことを幼馴染さんとか、そういう訳の分からない呼び方してくるのならば、私はアンタを混ぜて焼くだけの女……混ぜ焼き女と呼ぶ。
「それが何か?」
「まーくん政治とか法律とか、興味ないみたいで……いくらなんでも命に関わることはちゃんと知っててくれないとって……」
「ああ、バレンタインデーとかのイベント日に制定された『一人一殺条例』のこと?」
ちなみに混ぜ焼き女が先程から「まーくん」と連呼している私の幼馴染みの名前は「雅美」と書いて「みやび」と読むのだが、まぁ今はどうでも良いことだ。
「結婚してるか婚約してるかなら大丈夫なんですよね? このままだとまーくんも私も殺されちゃいます!」
バレンタイン、クリスマスなどに行われる「リア充撲滅運動」は国を動かした。
籍に入っているか、婚約届けを役所に出していれば対象外。しかし十五歳以上の男女の付き合いは、国の定めた日までに届け出がないと「対象者」となってしまう。
対象者はどういう原理か、おでこの部分が赤く光る。それが目印になるので外出を避ければ乗り越えることもできる。そのくらいのものだ。
バレンタイン、ホワイトデー、クリスマス等々、その「対象者」は、「独り身」の人間に何をされても文句の言えない存在となり、要は狙われる。殴る蹴るは当たり前で、ひどい時は死ぬこともあるのだ。
ただし一人一回だけ。無差別にやってはいけない。そこはしっかり守る必要がある。そこ大事。
「えーと、二人は届け出を出していないの……みたいだね。光ってるし」
「そうなの! まーくんテレビも観てなくて、ネットニュースにも載ってるし去年もあんなに騒ぎになっていたのに、この法律ぜんぜん知らなくて信じてくれないんです!」
「そうでしょうねぇ」
「そうでしょうねって、そんな他人みたいに言わないでください! 幼馴染でしょ!?」
だんだん混ぜ焼き女の声も大きくなり、キンキンと高い声が耳に響いてうるさい。あと他人みたいじゃなくて他人だ。日本語は正しく使いたまえ。
そもそも私の爽やかイケメン風の幼馴染は、私の言うことだって聞かない。昔から私が的確なアドバイスしたりすると、それが正しかったりするほど嫌がる困ったちゃんなのだ。
「そう言われても、私にはどうすることも出来ないし、手間が省けて何よりだよ。うん」
「手間?」
「うん。アンタを探す手間。昨日近所の工事現場から一日だけ借りたこれが役立つ。良かった」
私はおもむろに部屋の隅に移動し、壁に立てかけてあった大きいハンマー(工事現場のおじさんはスレッジハンマーだと教えてくれた)を気合を入れて持つ。かなり重いし、鉄の部分にこびりついている乾いた土がボロボロと床に落ちる。ああ、フローリングのザリザリはこれが原因だったか。
「な、なんで、なんでそんなの持ってるの……?」
「そんなフワフワした気持ちでいるからこうなるのよ。ちゃんと役所に婚約届けを出せば良かったのに」
「それは! まーくんが知らなくて!」
「別に離婚みたいに傷つくわけじゃなし、適当に誤魔化して名前書いて出しちゃえば良かったのに。残念だよね」
「ねぇ、待って、え、やだ、本気なの!?」
目の前の女は怯えた顔をしているみたいだけど、赤い光が眩しくてよく見えない。まぁいいや。上げて落とすだけー。
「まーくんだって『対象者』なのに! なんで私だけっ……」
「え、だって片方消えれば『独り身』でしょ?」
えいっと振り下ろした時に、床を傷つけたくなくてちょっと浮かそうとしたのが悪かったのか、うっかり手首を痛めて全治二週間になった私なのでした。
チョコレートは自分で食べました。
美味しかったです。
お読みいただき、ありがとうございました。