07
次の日、目を覚ますと時刻はとっくに昼間を回っていた。
内装も、寝泊まりしていた宿屋の部屋とは若干違う。
白塗りの染み一つない壁。天井には灯りの消えた大きなランプがぶら下がっている。
服は亜麻色のシャツとズボンになっていて、袖をまくると斬られた傷が消えていた。
状況が全く飲み込めない。もしかして、昨日の出来事は全て夢だったのだろうか。
「目が覚めましたか」
そんなことを考えていると、突然部屋の扉が開いた。
「ミックさん?」
金髪碧眼の少女が入ってくる。
彼女は神聖教会に勤めるシスターだ。
ということは、ここは教会なのか。
「昨夜オーク達を撃退した後、女の子が一人で教会にやってきて。オークが宿を襲い、冒険者の方が一人で戦っているとの事だったので、こちらで保護させて頂きました」
リーアちゃんか。
彼女が無事だったことを知り安堵する。
「昨日の夜、亜族はどれくらいの数で町を襲ったんですか?」
「それほど多くはありませんでした。町全体を暗闇にした後、十に満たない数で手あたり次第破壊を働いたと聞きます。半分が倒れると、町の外へ全て逃げていきましたが」
「……そうですか」
しかし、とミックさんは表情を暗くしながら続けた。
「あの宿にいた者の中で生き残ったのは、恐らくあなたと彼女だけです」
彼女のその言葉を聞いて、ロビーに広がっていた凄惨な光景を思い出す。
惨殺、という言葉が最も的確な表現だ。
宿を経営していた夫婦は首を落とされ、集まっていた他の客は腹部や首を裂かれたリ、胸から血を噴き出していた。
そういった世界を目の当たりにしたリーナちゃんは、一体どんな思いをしたのだろう。
「あの子はどうなるんです」
「宿屋の娘さんのことですか?」
「はい。ご両親が亡くなって……」
「彼女は――」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
教会の門の辺りで、幼い少女の声が俺の足を止めた。
振り返ると、そこにはリーナちゃんとミックさんの姿がある。
彼女はこれから、神聖教会でシスターとして育てられるらしい。
『それって、あの子のためになるんですか?』
家族の仇を討つために、いち早く力をつけて亜族を倒すのだと意気込んでいた。
『私たちは、あの子の意思を尊重したに過ぎません』
俺は彼女に手を振り返して、ミックさんに会釈をする。
『親の仇だと言っても、あんな小さい頃からそんな風に育てられるのは……』
『いけない事ですか?』
まだ、ミックさんのあの沈んだ声が耳に残っている。
穏やかな印象を持っていただけあって、中々強烈だった。
『敵討ちをしたいから、強くなりたいって思うのは、悪いことなんですか?』
悪いかどうかなんて、分かる訳がない。
人生経験の浅い若造が、そんな人の気持ちの善し悪しなんて判断できてたまるか。
ギルドへ足を運ぶと、何やら掲示板の前で冒険者たちが賑わっていた。
後ろの方で椅子を足場にしながら、上から覗きこむ。
そこには大きな貼り紙がしてあって、明後日の拠点襲撃の報酬に関することが記載されていた。
「すげえ、持ち帰った亜族首一つにつき賞金が出るんだとよ!」
「ゴブリンが一ゼインズ、オークが十ゼインズ、トロルが二十五ゼインズか」
「うおー! 燃えて来たぜ! 殺して殺して殺しまくってやる!」
「待ってろよ亜族共ーッ!!」
椅子から降りて、席に着いてりんごジュースを注文した。
「すみません、私にも一つ」
そう言って向かいの椅子に腰かけたのは、先日のカエル頭の店員だった。
今日は上にローブではなくジャケットを着こんでいる。
「こんにちは、昨日ぶりですね」
「……そうっすね」
「いやはや、昨晩の亜族の襲撃にはびっくりしましたよ。ウチは被害に遭いませんでしたが、お亡くなりになられた方もいたようで」
「ええ」
運ばれてきたジョッキを両手で持って、口をつける。
水面に映る自分の顔を覗きこみながら、ちびちびと啜る。
「昨日、亜族と初めて戦ったんです」
「ほほう、防衛隊に参加を?」
「いえ、宿泊していた宿が襲われたもので」
「なるほど」
カエルの店員はぐびぐびとジュースを口の中に流し込む。
一口で八割ほど減っていた。
「それで、どうかされたんですか?」
「いや、戦って勝ちました。傷も教会で治して貰ったんです。でも……」
ちらりと掲示板の前の人だかりへ視線を移すと、彼は「ははあ」と察しのついたような顔で、
「あなた、えっと……」
「リアです」
「リアさんは、嬉々として命を奪う事に違和感を覚えていると?」
嬉々として、とまでは考えていないが。
「そこまでは。でも、まあ、そんな感じです。すすんで殺しをすることに」
カエルの店員は残りのりんごジュースを全て口の中へ放り込んで、言葉を続けた。
「勿論、戦いたくて戦う人もいます。殺したくて殺す人もいます。でも、この町や、誰かを守りたくて戦っている人だっているんです」
「……」
「あそこにいる人たちだって、戦いたい訳じゃなくて、自分が生きる為にお金を稼ごうとしているんです。まあ、結局そういう風に分けて考えましょうって事ですよ。ごめんなさい、偉そうに語っちゃって」
照れ臭そうにぺこりと頭を下げるカエルの店員。
俺は「いえ」と首を横に振った。
気に入らないと言っても、結局俺も既にオークを三匹殺している。
動機がどうであれ、己の都合で命を奪ったことには変わらない。
だからという訳ではないが、自分が生き残る為には割り切るしかないのだ。
「多分、初めて戦って嫌な物も見たから、ネガティブになってたんだと思います。ありがとうございます、少し気分が晴れました」
「いやいやー」
カエルの顔も、照れると紅くなるのか。
「名前を聞いても?」
「ああ、こりゃ失礼。エミリーと申します。以降、お見知り置きを」
丁寧に自己紹介をするエミリーさん。
声からは判断できないが、もしかして彼ではなく彼女なのだろうか?
やんわりと性別を尋ねると、エミリーさんは頬をぽりぽりと掻きながら答えた。
「一応、生物学的にはメスでございます。まあ、こんな形をしていますから、どう扱ってくれても構いませんよ」
「ごめんなさい、人以外はあまり見分けがつかなくて」
「この町にはエルフもドワーフもいませんからねえ。南の温かい町には、半獣人の方が大勢住んでらっしゃいますよ」
「半獣人……えと、エミリーさんも?」
「いえ、私は違います。まあ、色々と事情がありまして」
「は、はあ……」
ジョッキに口をつける。
冷たいりんごの甘味が舌を撫でた。
話し込んでいる内に時間はいつの間にか夕暮れ時を示し始め、窓から差し込む光の色が茜色に変わっていた。
「今更ですけど、エミリーさんも冒険者として働いているんですか?」
「ええ。今日はもうお客も来そうになかったので、何か良い依頼でもないものかと掲示板を覗きに」
しかし、とエミリーさんは掲示板の方を眺めながら、苦笑する。
「あれではちょっと難しいですね。それに、今は冒険者が砦襲撃に集中するので、依頼の貼り出しも減らされている筈です」
「エミリーさんも討伐隊に?」
「いえいえ。あまり長い間、店を空ける訳にもいきませんので。リアさんは?」
「俺も断っておきました。まだ戦い慣れしてないので」
そうですか、と言った後に、エミリーさんが「あら?」と首を傾げた。
「もしかしてリアさんは……男性なのですか?」
「? ええ、そうですけど」
エミリーさんの薄い瞼が、今までにないくらい大きく開いた。
その後、ぱちぱちと何度も瞬きをして、机に乗り出した。
鼻が触れそうな距離にまで、巨大なカエルの顔面が俺に迫る。
思わず仰け反った。
「み、見えない。もしかして、私をからかってはいませんか? 私が女に見えないから、自分も……」
「疑う気持ちも分かりますけど、残念ながら事実です。ちょっと待っててください」
そう返し、俺は壁沿いの装置、能力値発行機を使用して出て来た羊皮紙を一枚手に取る。
そして、それをエミリーさんの目の前にひらりと置いた。
「え、えー、えー」
エミリーさんは何故か残念そうな声を漏らしながら、
「私より全然女の子なのに男だなんて、酷くないですか?」
「そんなことを俺に言われても」
むむむ、と彼女は穴が空くほど、男性であることを示すそのマークを睨んでいた。
先程ちらりと数値を流し見たが、またレベルが上がっていた。
これで力仕事は大方受けることが出来るようになった筈だ。
気になるのが、呪術吸収が『小』から『中』となっていた事。
スキルはレベルの変動によって、その効力の強さを変化させるらしいのだが、得体が知れないだけにちょっと怖い気もする。
服従魔法に関しては変わっていなかった。これは自力で会得した物じゃないからだろうか。
それなら呪術吸収も同じか。
「はあ……目一杯落ち込んだことですし、そろそろ私は帰ろうと思います」
「あ、はい。って、もしかして俺のせいじゃありませんよね」
「どうでしょう。冗談ですよ。ですから、そんなに不安そうな顔をなさらないでください」
エミリーさんはそう言ってにこりと笑顔を浮かべ、「それではさようなら」とギルドを後にした。