ナルだった攻略対象に、執着を見せる王太子の狂気。
───リォエイラによるリォエイラのためのリォエイラ・シルヴェイシアス・フェードアウト計画。
まずその一。実家は頼りません。
その二。それなりに会話をしていた王太子と関わることを辞めます。
その三。弟と顔を合わせることも極力減らします。むしろ王太子と弟を互いに押し付ければいいのでは?
その四。ナルシストであることを辞めます。代償行為はもう必要ありません。
その五。ヒロインとの接触は出来得る限り避けます。巻き込まれたくありません。
その六。平民、庶民と呼ばれる人々の暮らしを学びます。
その七。天井に潜む使用人を撤去させます。幸いにも気配には鋭いのでとことん追い出します。
その八。いずれ長ったらしい髪を切るのでその練習も兼ねて、剣による鍛練に一層の努力をします。
それらを、王太子──リュージィン・ヘルヴェイシアスは知らない。知り得ない。何故ならリォエイラ・シルヴェイシアスは口にすることなく心の裡で、誰に相談することなく決めてしまったことだったから。だから、リュージィンは知り得ない。知ることは出来ない。しかし。
彼には言動を分析し、観察を基にある程度推測する頭脳があった。使えるものは使う。それが自分の脳であるならば尚更。王太子という身分、同世代の憧れと尊敬と──時には畏れで濁る眼差しを集める智能と実力。それらはリュージィンを王太子としてだけではなく、どこにいっても孤高させる原因であるとともにリュージィンにとって何より信の置ける対象だった。それらは人ではない。それらは他ではない。それらは自分であり、自身である。
そうして何よりも扱いやすく、制御しやすいそれらを最大限に活用した結果。それは少しばかり信じられないことだった。しかし疑うことはない。それらを疑えば、リュージィンにとって今後一切信じられないものになる。ただ、そうして自分の結論に蹲って他を拒絶するのは愚かだ。それだけは理解している。そして、疑うことはしないが、否定されれば考えることはするのである。自分が本当に完璧だとは思っていない。むしろ、自分は欠陥品である。この十三年生きてきた中でリュージィンが自身を評価した結果だ。それを口にしたことは一度だけ。そしてその一度は、相手にやんわりと否定されることで終わった。
否定したのはリォエイラ・シルヴェイシアス。リュージィンの四つ上の従兄弟である。彼の母親が王妹で、つまりはリォエイラもまた、王位継承者だ。当人にその自覚があるかは微妙なところであるが。ちなみに、リォエイラの五つ下、リュージィンの一つ下であるラィアウス・シルヴェイシアス──リォエイラの弟は疾うに放棄している。とは言っても公の場での宣言ではないが、国王とその正妃、ならびに宰相が揃っている場で宣言したのだから公言とほぼ変わりはないように思える。ついでにリュージィンも宣言してしまおうかと思ったが、それは流石に許可されなかった。当たり前である。残念ながらリュージィンは王太子を降りることは赦されない。国の──延いては民のために生き、民のために死ぬ。それがリュージィンに課せられた人生である。定められた将来で与えられた世界だ。
リュージィンに不満はない。ならば何故放棄しようとしたか。単純に、リォエイラが王として起つ姿を見てみたかっただけである。つまりは好奇心。おそらく汲み取っていただろうラィアウスは呆れたように苦笑していた。リュージィンの、リォエイラに対する異常な思慕は周知ではなく、リォエイラ自身でさえも気付いていない。気付いたのはラィアウスだけで、だからといって彼に心開くなどということはなかった。リュージィンの心はいつだってリォエイラにしか開かれていない。例えリォエイラが気付いておらず、まるでその他大勢に対する態度に切り替わっても、リュージィンにとって唯一無条件で信じられるのはリォエイラだけである。
さて、何故、リュージィンがリォエイラにここまで信を置くようになったか。
それは然して難しいことがあったわけではない。とても些細で、リォエイラ自身、覚えているかも定かではない。けれど、たったそれだけのことと言ってしまえばそれだけのことだけど、リュージィンにとってはリォエイラを信じる切欠になったことだった。だからリュージィンは覚えている。出来の良い脳裏に、そして瞼の裏にまで刻むようにリュージィンは視界の邪魔になるからと瞬きさえせずにじっと見詰めていたから。途中からは無意識に、瞬きをすることすら忘れて刻み込んでいたから。
ただ、じっと。
彼が、リォエイラが、夕日が注ぎ込む窓辺で窓に口付けていた。それはほんの一瞬のことで、その後に愛されたいと、声もなく呟いた彼だけを見詰めていた。
夕日を弾いているのか含んでいるのか、ただ輝かしい銀色は溢れんばかりにきらめいていたし、一瞬だけ目蓋を落としていた横顔は端正に作り込まれた人形のように綺麗だった。呟く瞳は酷く憂鬱げで、その脆さと儚さに目を奪われずにはいられなかった。息さえ、止まっているようで。
賞賛しか受けない、美しい絵画を観ているような気分でもあった。いつか、額縁の中に綴じ込めてしまいたいとさえ思った。
彼に何かを言われたわけではない。彼が何かをしたわけではない。
けれど、こんなに綺麗な彼に──リォエイラに裏切られるのならば、きっとそのときは自分が悪いのだろうとリュージィンは何の疑いもなくその勘を丸呑みした。だから、それから、リュージィンは決めている。リォエイラを欲すること、を。
だって、欲しい。手に、いれたい。
自分の側に居てほしい。自分の側に置いておきたい。自分の目を見てほしい。自分の声を気居てほしい。その目を向けて、その声を聴かせて。
リュージィンは自分でも自覚があるほど、リォエイラに落ちた。リォエイラに執着を覚えた。これはいっそ、無垢なるまでの感情だと知っている。無垢な、心臓丸出しの赤裸々なもの。
これは友情ではない。これは、恋情ではない。
これはただの、子どものような独占欲と執着心。そこに明確なる理由はなく、ただただあの綺麗な彼を独り占めしていたくて欲しくて手にいれたいから執着する。
……──その、綺麗なひと、が。彼が。
「居なくなる……?」
自身の脳が弾き出した結果に、リュージィンは冷水をぶっかけられた気分だった。
リォエイラ・シルヴェイシアス。
リュージィンにとって彼は、欠かせない相手である。唯一、自ら話し掛けに行き、ほんの少しだけ表情をくずしてしまう相手。いつもは完璧に隙のない笑みを保つリュージィンは、リォエイラに対してのみ笑みを変えた。誰に対しても向ける笑みは作られたものだが、それがすぐに分かるほどの違和感はない。むしろない。しかし、それはリォエイラに向けられたものと比べたとき、そこには確かに薄い壁が存在しているのである。
リュージィンは、リォエイラと話すときだけ、相対するときだけ。王太子ではなくリュージィンとしてそこに立てた。リォエイラは、リュージィンに王太子を望まなかった。ただ興味がなかったのかもしれない。それでも、いい。リュージィンは彼の興味を引けない王太子の自分だが、その自分は王太子としては正しいことを知っている。だからこそ、それは辞めない。辞めはしない、けれど。リォエイラが望まないのならば、リォエイラの前でまで気を張り詰めていたくはない。リォエイラはリュージィンに興味がない。そんなことは知っている。だから、気を抜いてもリォエイラは不思議そうにするだけで何も言わない。その空間が、リュージィンは心地いい。ふと、笑ってしまうくらいには。
その、リォエイラが居なくなる。それはまだ仮定で、確定では、なくて。だけど。それでも。
きっと、間違っていない。
リュージィンは苦しげに、胸元を鷲掴んだ。
駄目だった。どうしても、どうしようもなく、駄目だった。想像しただけで駄目で、息が詰まって。指先が冷えて、固くなって。終いには身体中から血の気が引いているみたいに。
なんだ、これ。笑ったつもりで、リュージィンは上手く笑えなかった。平素とは比べ物にならないほど、下手くそな笑みだった。
豪奢な自室で、リュージィンは目蓋の上に両腕を押し付けていた。起き上がる気力もなくベッドに仰向けで転がっている。柄にもなく、泣いてしまいそうだった。
このことを、ラィアウスは知っているのだろうか。ふと考えて、記憶を浚っても気付いている素振りは見受けられない。暢気か。いいな、血の繋がりがあって。リュージィンもまたリォエイラと血の繋がりはある。血縁関係では、ある。
だが、しかし。ラィアウスほど近しい関係ではない、から。兄弟という縁を持つラィアウスが羨ましくて羨ましくて仕方がない。リュージィンはリォエイラの側にいきたい。どうしてこんなに焦がれるのか、リュージィンには解らない。ただ、リォエイラが欲しい。リォエイラを手にいれたい。もっともっとリォエイラを知りたい。リォエイラの情報が欲しい。彼は何が好きなんだろう。何が好物で、何の味覚を苦手としているのだろう。どんな食感が好みで、どんな匂いを好んでいるのか。
リォエイラ──。ふと、リュージィンは笑ってしまった。
「……ああ、こんなことで。」
ひとは、狂うのか。狂える、のか。
まるでそれは、身を灼き、焦がす──。
いっそ、愛のような。
お疲れ様でした。
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