スペース悪役令嬢 ~婚約破棄はブラックホールカノンに乗せて~
宇宙開拓の父ガイルス・R・ジブラルタルが太陽系最後の星冥王星のテラフォーミングに成功した事により幕を開けた新たな歴史は、旧時代から続く人類の争いの歴史に未だ終止符を打てずにいた。かつて第四次世界大戦で使われる武器は石と棍棒になるというある科学者の予言は外れ、今日も星の光は飛び交うブラックホールカノンの闇に飲み込まれる。
地球を中心とした太陽系内部の惑星――水星、金星、地球、火星――で結成された地球共栄圏と、土星を中心とした外宇宙に近い惑星――土星、天王星、海王星、冥王星――で構成される土星帝国連合の、太陽系最大の資源惑星と化した木星を巡る戦争は二世紀にも渡り繰り広げられ、日に日に激しさを増していた。
ガイルス歴567年9月――長きに渡るこの戦乱に終止符を打つ事となる一人の少女が、今立ち上がろうとしている。地球共栄圏の新造艦『ピジョンズフェザー』の新米艦長となったハルカ・ソラが、七つの惑星に住む七人のイケメンと恋愛して、この全宇宙に平和をもたらしちゃお! 豪華声優陣に壮大なストーリー! 初回特典、豪華添い寝CD付き!
という宣伝のせいだったのか一部のマニアにしか売れなかった恋愛ゲーム、『遥か宇宙にかける虹』……の悪役令嬢、土星帝国連合二等貴族アイルネア・ウィンドレイ・グロンシュテルズに転生したごく普通のクソゲーマニア佐伯亮子が婚約破棄するお話。
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G.C 566 9/13 15:31
艦長席で頬杖を付き、邪悪な笑みを浮かべるアイルネア・ウィンドレイ・グロンシュテルズ。切り揃えられた前髪に、腰まで伸びた後髪。宇宙の深さを思わせる漆黒の髪の美しさも、彼女の持つ武器の一つにしか過ぎなかった。黒い貴族趣味の艦長服も、大きな襟のついたマントも、腰から下げた軍刀とリボルバーも、彼女の力を示すための小道具にしか過ぎなかった。
若干十九歳にて亡き父ベルザートに代わり艦長席に座る彼女を太陽系で知らぬ物などいはしない。冷酷、冷徹、非情。二年前に他界した父の死も彼女の手によるものだという噂は帝国連合の社交界で途絶えたことはない。それでも面と向かって彼女を避難する人間は一人もいない。ただ、恐ろしいのである。彼女の力を示す、たった一つの大道具が。
イノセント・ノワール号。黒き鷹の異名を持つ漆黒の戦艦を恐れぬ物などいなかった。最新型の超長距離ブラックホールカノン二本、レーザー機銃二百七十八門、スプレッド・クラスターミサイル八百本、対小型艇ミサイル二千五百本。五百メートルの巨体にありとあらゆる兵器を詰め込んだその化物こそ、彼女の象徴だった。
「こちらブリッジ。砲術長……行けそうか?」
『はい、BH弾安定率95%、92%。いつでも打てます』
「よし」
彼女は通信機のスイッチを切り、帽子を深くかぶり直した。ブラックホールカノンの状態の確認など艦長の仕事では無いのだが、それでも彼女はやらずに要られなかった。十九年にも渡る彼女の計画の第一歩が、今始まろうとしていたからだ。
準備は抜かりなかった。豚のような父を毒殺し家督を継ぎ、この船を手に入れた。元来人望の無かったあの男の代わりとして船員達の心を掴むのは容易いことだった。そして彼女を自分の魅力で仲間にしてまおうなどと甘い考えを持った金星の青年実業家にレーザー通信で甘い言葉を返して、こんな辺境のラグランジュポイントに呼び出す事も。
「アイルネア様、向こうから通信です」
「……艦長だ」
「失礼、艦長。向こうから通信です」
「通せ」
通信長に命令すると、ブリッジのモニターに金星の青年実業家、ハル・ザ・ゴールデンは随分と嬉しそうな笑顔を浮かべていた。ちなみに七人のイケメンのうちの一人である。
『やあ、アイルネア……来てくれて嬉しいよ』
「ああ、私もだ」
彼女は――正確には佐伯亮子――は笑った。このいけ好かないイケメンキャラはプレイ当初から大嫌いだったのだ。
『その、嬉しいな……僕との婚約を受けてくれるなんて。これでこの長きに渡る戦争に、きっと新たな光をもたらせる』
実際のゲームの場合、アイルネア・ウィンドレイ・グロンシュテルズはかなり頭の弱い悪役令嬢だった。大好きなパパと一緒に出撃し、無理な戦術を取らせて負けて覚えていなさいと言って帰る若干ギャグっぽいキャラ。最終的には宇宙の塵となって消えるのだが、もちろん今の彼女にそんな間抜けな面影はどこにもない。
たった一つの目的のために、彼女は太陽系一恐ろしい女となった。
「ああ、その事なんだがな……」
アイルネアは言葉を続ける。モニターに映る馬鹿な男の面を見て、つい吹き出しそうになる。この自信過剰のイケメンは、どうして笑顔一つで敵を懐柔できると思ったのかと問い詰めたい気分だった。敵同士が、宇宙の片隅で鉢合わせ。しかもこちらは完全武装、やる事はただ一つだけ。
もちろん、婚約破棄である。
「婚約は冗談だ。このまま宇宙のゴミになれ」
「……え?」
『アイルネア様、いつでも打てますぜえっ!』
「艦長だ砲術長……だが、今回は不問としよう」
そして、軽く咳払い。準備はもう整っていた。
「ツインブラックホールカノン……てえええええええええっ!」
立ち上がり、中指をモニターに突き立てて、彼女は力の限り叫んだ。狙うは自称金星の王子(笑)が乗ってきた、金メッキの玩具みたいな商用船。戦艦の真正面に装備された二門の大砲が、押し出すように小型のブラックホールを発射した。
飲み込むのは、全てだった。バレルを抜けたブラックホールは本来の力を取り戻し、周囲の空間を飲み込んでいく。左右逆回転の黒い渦は、蟻地獄のように吸い込みながらただ前へと進んでいく。
『ひっ……!? 退避、総員退避いっ!』
通信越しに聞こえる自称金星の王子の悲鳴がブリッジ内に木霊する。いい気味だと彼女は思う。実を言えば目の前の男に、直接的な恨みは無かった。アイルネア自身何かされたという事はなく、まともに顔を合わせたのも今回が三度目だ。四度目は有り得ない。今しがた一対のブラックホールによって宇宙の塵となったのだから。
それでも彼女は、これは正義の鉄槌だと思っていた。彼女にとってハル・ザ・ゴールデンは紛うことなき悪なのだ。理由は簡単である。
彼女の大好きな主人公ハルカ・ソラに金星ルートで思い切りビンタをかましたからである。そもそもイケメンではなくパッケージ裏の健気な女主人公に一目惚れしてクソゲーをフルプライスで購入した彼女がいくら後で幸せになったとは言え許せるはずはなかった。
「まずは一人……か」
独り言をこぼしながら、彼女は艦長席に腰を下ろした。
一人。彼女が殺すべき男の数が、七から六へと変わったのだ。あと六人は言うまでもなくイケメンだが、さっさとぶち殺さなくてはならない。タイムリミットは一年。ピジョンズフェザーにハルカ・ソラが新米艦長として着任する前に、悪い虫は全てブラックホールカノンで葬り去らねばならないのだ。
――待っていてくれ、ハルカ。私が君の泣かない世界を作り上げて見せるから。
決意を胸に彼女は立つ。凛と咲く黒い百合の花のように、優雅で妖しく美しく。軍刀を前に付き出し、彼女は蒼い宇宙を駆ける。
「任務完了……これより帰投する!」
この絶望渦巻く遥かな宇宙に、七色の虹をかけるために。