かみつく
ぶりっ子。女子からは嫌われるワードだ。
でも、彼女の隣には彼がいた。それだけで理由は十分だった。
金曜日は一刻も早く帰りたい。金曜じゃなくても仕事を終わらせてさっさと帰りたい。
1階に降りるためのエレベーターに乗ったとき、私――雪村 瑞帆は声を掛けられた。
「雪村さん、お疲れ様」
閉、を押したかったが慌てて開ける。同じ部署の男性、千冬さんだ。
「おつかれさまです、千冬さん」
ぶりっ子モードに切り替える。出来るだけ甘ったるい声になるように気をつけて彼を見て微笑む。会社を出るまでの辛抱だ。次の瞬間、私の努力もむなしく冷たい声が落ちてきた。
「こういうの……ぶりっ子って言うんだっけ?似合わないよ。気持ち悪い」
ぶりっ子はモテるって誰が言ったんだよ。腹が立ったので盛大に舌打ちしたい気分になったけど、なんとか思い止まる。
けれども、このままぶりっ子を続けるほど私の神経は図太くない。
「そうですか。似合ってない上に気持ち悪くてすいませんね。千冬さんも口が悪いですね」
思わず自嘲的な笑みで相手を見る。相手が冷たい視線なので、こっちも冷たい視線で返す。
負けてたまるか。視線が絡んで少しして、彼の目が笑った。
「お互い様。俺のは素直って言ってくれない?」
「無神経とも言いますけど」
私が不機嫌さを隠そうとせずにそう言うと、彼は声を出して笑った。睨み返す気満々だったのに、
なんで笑う。
「その顔、いいね」
「顔ですか?」
「うん、嫌そうな表情が好み」
「……変態さんですか」
「うーん、どうだろ。他の表情も見てみたいけど」
わからん。全然分からん。まったく相手の意図が見えない。普通はさ、「ぶりっ子って、ないわー」
って言って会話終了なんじゃないの。女性にだったらそう言われると思ってたけど、男性だと違うとか?
そんなことを考えているとエレベーターが1階についたことを知らせたので、早足で会社を出る……はずだった。
「雪村さん」
「なんですか」
「お腹空かない?」
「空いてます。ぺこぺこなんで帰ります。お先に失礼します」
「いや、そうじゃなくてさ」
そのまま流れるようにお疲れ様です、と続けようとしたのに言葉がかぶせられた。「ご飯一緒に食べない?」と付け加えて。
*
なぜなのか。ちょっと声を掛ければ軽く2、3人は寄ってきそうなイケメンがどうして私と2人で焼き鳥を食べてるのか。
ご飯に誘われて断る気満々だったのに、奢りだからと、強引に腕を引かれてムカついたので「私、食べますし飲みますよ」
と言っても全然効果はなく「何が食べたい?」って聞かれたので、イケメンが女性と焼き鳥に行かないだろうと思って「焼き鳥」と言ってみたけど、やっぱり効果はなかった。
女子力高いぶりっ子ちゃんが言わないようなとこ言って、、引かれたら誘われることもないだろうと思ったのに。
前の彼氏には「デートで焼き鳥って、ないだろ」って言われたのに……。
遠くでBGMのようにガヤガヤと話し声が聞こえるだけで、席ごとに区切りがあり、他の客の顔は見えない。
向かい合わせに座っていると必然的に目の前を見るわけで……。
ハイボールを飲みながら、テーブル越しに座る彼を改めて見た。
千冬 澄弥
男性にしては少し線が細い体で社内でも人気のある方だ。
サラサラの髪だって触り心地がよさそうだし、ちょっと釣り目がちなとこも猫みたいで可愛いとか、かっこいいとか言われてる。
性格だって誰にでも人当たりもいいし、女性うけも良いと思う。
でも、さっき私に冷たい爆弾を落としてきたので性格なんてわからない。
イライラをぶつけるように机にグラスを置くと、その音で彼が視線に気付いた。
「なに?」
「いいえ、なにも」
ちなみに、私の前にはハイボールが2杯置いてある。千冬さんの前には日本酒だ。
別に私が2杯一気に頼んだのではない。
最初に私がハイボールを頼むと、真似したのか彼もハイボールを頼んだ。
一口飲んで私に押し付けたけどね。なんですか、お気に召さなかったですか。
「日本酒おいしいですか?」
千冬さんがグラスから口を離したタイミングで聞くと、そのグラスが私の前に差し出された。
「飲む?」
彼はいつも通りの笑顔で微笑んでいて意図が分からない。
「いいえ、結構です」
視線を落として焼き鳥を食べる。期待しなかったけど割りとおいしい。ううん。
やわらかくて、すごくおいしい。これならビールか、日本酒にした方が良かったかも。
そんなに、たくさん飲めるわけでもないけど弱くもない。
もう一口食べて、頬が緩んだ。
「可愛いね」
空耳だろうか、彼の方から聞こえた気がして顔を上げると視線が合わさった。
「ぶりっ子なんて、なんでしてたの?」
「モテたいんで」
ごちゃごちゃ理由はあるけど簡潔に言ったらこれだ。
「……モテたいね」
興味なさそうに言われたので、私の口から言い訳のような説明が出た。
「前に付き合ってた彼氏に二股かけられて捨てられたんです。選ばれたのは可愛いぶりっ子ちゃんでした」
言ってしまったところで同情もされたくなかったので次の言葉を投下した。
「男の人って可愛い子が食べたいんでしょ?」
千冬さんの目が瞬き、そしてお腹を抱えて笑われた。ひとしきり笑った後、彼は言った。
「雪村さんって、面白いね」
笑顔のままストレートに視線を向けられると少しドキリとした。
そんな気持ちを打ち消すようにわざと不機嫌をあらわにして言う。
「なんですか。私に喧嘩売ってるんですか」
「違う、違う」
二回言うと嘘に聞こえますよ。
「千冬さん、ぶりっ子見破るの得意なんですか?」
「得意と言うか……」
千冬さんは困ったように笑った。イケメンは困っても様になるな。
「雪村さんは仕事に集中してる時は淡々としてるから、違和感と言うか…」
「なるほど。そこを直せばいいんですね」
「そのままでいいと思うよ」
「そのままってぶりっ子ですか」
「違う。いま、素でしょ?」
千冬さんの言葉に頷いて、考えるように口を開いた。
「好きになってくれますかね」
「うん」
その肯定は好きだって言われたみたいで少し恥ずかしくなる。
「うん、気になった」
自分に肯定するようにそう言った彼の指が、私の指を捕らえてキスを落とした。
驚いて呆けてると、彼が席を立ってにやりと笑った。
「逃げないでね」
その余裕の顔がムカつく。グラスを一気に傾けて喉に流し込んだ。
絶対、からかわれてる。
*
「遅いですよ、千冬さん」
3杯目を飲みながら戻ってきた千冬さんに、へらっと笑う。酔いが回ってきたので顔に締りがなくなってしまう。
「って、ちょっとなんでこっち側座るんですか」
さっきは向かいに座ってたのに隣にぴったりと、くっつかれてしまった。
「近付きたいから」
と、悪びれもせず言う千冬さんの手が私の太ももに置かれので、手ではらってやった。
「セクハラですか、殴りますよ」
「短いスカートはいて来る方が悪い」
これでも膝上10cm以内ですよ。座ったら上がって短くなるだけですよ。
「理不尽です」
「なにを怖がってるの?逃げるチャンスはあったでしょ」
「千冬さんは変な人ですね」
「ありがとう」
「褒めてないです。男の人って、可愛くて女の子らしくて守ってあげたくなるか弱い子
が好きじゃないんですか?」
遠まわしに牽制してもさらりとかわされる。
「俺は面白い方がいい」
ほら、そんな悩ましげな視線を向けられると勘違いしちゃうじゃないですか。
視線をずらしても、千冬さんの視線は私に絡みついたままだ。
「からかわないでください」
逃げるように距離を空ければ、彼の手が私に伸びてきて首筋に噛み付くようなキスをされた。
彼の甘い匂いが首をくすぐる。お酒のせいなのか、彼のせいなのか体温が上がる。たぶん両方のせいだ。
「俺は本気だよ、瑞帆」
困ったな。噛み付かれたら、噛み付き返したくなってしまう。
私に向けられた視線をじっと見つめ返す。グラスの汗が私の指をつたって落ちた。
「悔しいことに千冬さんの顔、結構好みなんですよね」
'15.9.7誤字修正




