高熱と下手な誘い
次の日の朝、目が覚めると視界が昨日よりも霞んでいた。悪寒がして意識もぼんやりとし、目にも涙がたまっている。関節は痛み頭もずきずきとして身動ぎひとつ出来ないくらいだ。
それを窓際にいる花瓶のウィラードに億劫に思いながら大きな声で伝えると慌てて元の姿に戻り寝台に寝ているレイラの額に手を当てた。
「うわ熱い。もしかして風邪?」
「分からないわ。喉は痛くないけれど身体がとても怠いの。」
ウィラードはレイラの額に当てていた手を離す。代わりに冷たい氷嚢を喚び出してレイラの額に乗せた。ひんやりと気持ちよくて目を閉じる。
風邪を引いたことなんて数えるくらいしかなかったのに、何故こんな時に限って熱が出てしまったのか。今日はようやく案内してもらえると聞いていたのに。
「とりあえずお嬢さんはゆっくり休んでて。今日は無理だって伝えてくるから。」
「ごめんなさい。」
「なんでお嬢さんが謝るの。誰も迷惑なんて思わないから早く元気な姿を見せてよ。」
謝るレイラに微笑みかけた。そんな表情のウィラードは初めて見る。今まではからかわれる事が多かった。何かあったのだろうか?
そんな事を考えている間に使い魔を置いてウィラードは部屋を出ていった。その背中が扉の向こうに消えると濡れた瞳から涙が零れた。こめかみを流れるそれを乱暴に拭う。鬱陶しい。
風邪を引いた時に一人は寂しい。レイラ以外に誰もいない部屋は空虚で悪寒が酷くなった。寒さに己の身体を抱き締める。
こんなときは暖かなシリルの腕の中にいたい。
兄たちの腕の中もそれなりに落ち着きはするが、シリルの腕の中は別格だ。落ち着くというよりそこにいるのが当然のような気分になる。
愛しているから、という理由だけではないだろう。
太陽の祝福を受けているシリルと月の女神の血を引いているレイラは太陽と月のように正反対にあって、共にいると欠けているものを補っているような感覚になるのかもしれない。
だから共にあるのが当たり前のように思ってしまう。
だから今ウィラードと共にいて不安は感じなくても、何かが足りないと感じてしまう。シリルと出会うまでは何も感じなくて何もかわらなかったのに、今は世界が変わって見える。
「は…やく終わらせ…ないと……。」
『そんなに早く終わらせたいの?』
早く終わらせないとシリルに会えない。長く会わないと忘れられてしまう。レイラにはシリルしか考えられないが、シリルにはレイラなんかよりもっと素敵な女性がいる。その人をシリルが見つける前に帰らないとレイラは橄欖石の瞳で見てもらえない。
それなのに、手掛かりのありそうな神殿に行く日にこうして高熱を出してしまった。厄介な風邪ならしばらく動けない。その間に忘れられてしまう。
『そうか。それなら今すぐ終わらせてあげるよ。』
「え……?」
今レイラは何の声を聞いていたのだろう。聞いたことのあるような声だが何だったのかを思い出せない。
『今は不安定になっているけど、元のように安定すればすぐに帰れるようになる。なに、少し変わってしまうところもあるが心配はいらない。女神の末裔の君なら何とかなるだろう。』
なんというか、すごく胡散臭い誘いだ。興味はあるが変わってしまえば元も子もない。レイラが『レイラ』だからシリルは交際してくれたわけで、変わってしまえばそれはレイラではなくなる。
「変わるのは嫌なの。だから他の人を当たって頂戴。」
どうせ妖魔の類いだろう。嘘をついて契約させて人から力を根こそぎ奪おうとでも考えているような。
『そうかい。それなら……か………う。』
妖魔が何かを言っているようだったが、無視して眠る。
魔物には耳を貸すだけ無駄だとウィラードが言っていた。
それに身体は休息を求めている。さっさと眠ってしまおう。目が覚めたら頭の痛みも少しはましになっているだろうから。
◇◆◇
廊下の窓から庭を見下ろす。ウィラードがいた頃はただの森だったのに千年以上経つとこんなに変わっているのかと感動した。
記憶のない頃はシャーロットのことを散々人を夢中にさせておいて、いきなりウィラードを捨てた最低な女と思っていたから近寄らなかったが、シトリンの寿命に違和感を感じてレイラの視れる人工物を探しに王城に忍び込んで捕まり、セオドアが記憶が封じられていることに気づいてアドルフが記憶を戻してくれた。
憎しみがシャーロットだけに行くように、推測されそうな事柄はすべて消されていたようだった。時が来るまでに狂わないようにと配慮してくれたのだろうかとも思った。
だが、シャーロットのことだ。愛情も憎悪もウィラードの何もかもを独り占めしたかっただけという理由の方が有力だが。
記憶が戻るとシャーロットの行動の理由が分かったが、理解は出来ない。
未来が視えるシャーロットはシトリンに利用されることも視えていた。それなのにウィラードに助けてくれと言わなかったのは、どんな目に合わされても『母親』を愛していたから。シトリンの願いを叶えてあげたかったのだろう。
シトリンの願いよりウィラードの願いを叶えてほしかった。神殿の外で二人で生きていく夢。誰にも邪魔されることなく二人で自由に旅をしたかった。
レイラにシャーロットの面影を重ねることで飢えを凌いでいるが、そろそろ限界が近い。そろそろ代わりを見つけないと危ない。
レイラの元に特級の使い魔を置いて来たが人間には手を出せないように契約しているからジェフリーが来た場合はどうにもならない。体調が悪い今ジェフリーがレイラにちょっかいを出せば、抵抗しようにも思うように動かない体に不機嫌が極まった彼女に勢い余って殺されかねない。
流石に王子様を殺してしまうと庇いようがなくなるのでジェフリーが来ないことを祈る。今は一刻も早くレイラの元に帰らねば。
「入れ。」
ようやくセオドアの執務室に通された。執務室には書類を捌いていたセオドアともう一人、疲れた顔で椅子にだらしなく座るルークがいた。
「今日は神殿に行けそうにないから日にち変えられる?」
「何故だ?」
「お嬢さん高熱が出てる。オレが見た感じ力が増えてる。王様達に心当たりはある? どちらかというと月の力が多い気がするんだけど。」
額に手を当てたときに力を感じた。いつもより多く感じる力は器にすっぽりと入っているようなのに何故かレイラは熱を出していた。
「異変は特に感じないが。他に何か……。」
考え込むセオドアから視線を外して、王様も知らない何かを知っているはずのルークを見つめる。神の一族のことならセオドアの方が知識は多い。だがレイラのことならルークの方が色々なことを知っているはずだ。
「ねぇ妖魔。力は今でも抑えてあったはずだよね。封じが解かれたら僕にも分かるから。でもおかしいな。力の大半はまだ放たれてないよ。」
なるほど、ルークはレイラが封じを破ったことを知っているのか。そして最後の封じが解かれていないというならレイラから感じる月の力はどこから流れてきたものになるのか。考えられるのは器のアドルフか神の一族の末裔全てから。他には何があるだろう。
思いつかない。あとで彼女に訊いてみよう。
「神殿の外に居るのに熱出してるってことは、早く原因を突き止めないとリリスが保たないね。義弟かあの女に聞くしかないかな。」
娘が高熱を出していると聞いたら発狂するかと思っていたが、冷静に思考を働かせている。赤子の頃に高熱を出していたなら生死の境を彷徨うこともあったのだろう。今は昔より身体も育っているからルークは冷静なのだろう。
「なら原因の特定は王様と王子様にまかせる。お嬢さんの熱ならしばらくはオレでも何とかなると思うけど、オレが倒れる前に何とかしてよ?」
「何をするつもり?」
「オレは妖魔だからね。色々知ってるし色々出来るの。」
そろそろ本気で力を使っても良いだろう。
シャーロットが同じ色彩を持つ者を守れと願ったからにはウィラードはその願いを叶えなければならないのだから。手加減はしていられない。




