父との話と揺れた感情
「ねぇ、純真無垢なリリスに男がいるなんて……。そんなはずないだろう? それ以上この子を貶めるようなことを言うなら殺すよ。」
顔から表情が消え失せ、ルークは殺気を放ち始めた。
なぜ、こうもレイラの周りにいる人間は頭が沸いているのだろう。純真無垢とはどういう意味だったろうか。世の中に純真無垢な人間などいないとレイラは思っている。勿論レイラも純真でも無垢でもない。腹の奥底に黒くてどろどろした物を抱えている。
そんなレイラの思いを代弁するようにウィラードも呆れ顔でルークに言い聞かせる。
「いやいや、貶めるって……。お嬢さんにだって恋情くらいはあるからね。親が勝手に決めたら駄目だと思うなぁ。」
「そんな問題ではないよ。リリスにはまだ早い。」
レイラは戸籍では十七歳でも、本当は十八歳になる。
貴族がいるこの国では十六歳から嫁入りする者もいる。そして成人は十八歳だ。となるとレイラは成人なのだが、恋人を作ることすらルークの中では早いのか。王子のくせに一般常識に疎いなんて、この国は大丈夫だろうか。
「王子の気持ちは分かるよ? かくいうオレも奏を五年かけて口説き落としてから、奏からオレとの交際を父親に報告したって言われた時は耳を疑ったけどね。二十歳くらいだったのに親に報告されて驚いたよ。まぁ、そこは各家庭の決まりだけどね。」
五年も口説いた相手よりシャーロットを取ったということか、ウィラードの思考回路は未だに謎だ。
父や兄にシリルとのことを報告すれば、シリルの命が危ないから報告するつもりはない。ルークの方には報告する必要性さえ感じない。
言い争うルークとウィラードを無視して、黙り込んでいるセオドアに話しかける。
「陛下にお願いがあります。」
「なんだ?」
「神殿への行き方を教えていただきたくて。」
それだけ分かれば怖い人達のいる王宮から退散できる。
それを聞いたセオドアは訝しそうにレイラを見る。
「……なぜ神殿に?」
「世界の機能を戻す手掛かりを探しに。このままだと私は愛しい人と同じ時間を過ごせません。そして、同じ時間を過ごそうとしても私に流れるこの血ではあまり無責任なことは出来ないので、一族の誰かとの間に純血を一人二人は作らないといけません。それは避けたいので、他の方法を探しに来ました。」
ウィラード曰く、レイラが月の神様になるか、レイラが誰かとの間に純血の子供を作って今の状態を保って少しでも時間を延ばすか、何もせずに見ているかの三択らしい。
出来ることなら何もしたくないがそうはいかない。
純血を作るだけなら、レイラでなくとも母アリスがいる。
アドルフの娘の彼女なら一族の誰かとの間に純血を産むことは出来るだろう。問題は年齢だ。四十二歳のアリスではあまりにリスクが高過ぎる。それに、仲睦まじい夫婦生活を送る両親にそんな残酷なことは出来ない。
腹を括ってここまで来た。ただで帰るつもりはない。
「そう……か。君がいるなら何か他の方法も見つかるかもしれんな。少し待ってくれ二、三日は誰も手が空いていない。それでも構わないか?」
「はい。ありがとうございます。」
「部屋を用意させる。」
王宮に泊まることが出来るなんて、もう二度とないだろう。今の内に楽しんでおこう。
「あ、オレとお嬢さんは同じ部屋でいいから。」
ルークと揉めていたのにレイラたちの会話は聞こえていたらしい。わざわざ二部屋も用意してもらう必要はない。レイラもウィラードの言葉に同調しようとするがその前にルークが眦を吊り上げ叫んだ。
「ダメだ! 男がリリスと同じ部屋なんて!」
抗議するルークに可哀想な子を見るような視線を送るセオドアは、レイラが学院で男性と同室だったことを知っているのだろう。挙げ句にその男性と恋仲であることもウィラードの所為で気付いている。
「オレは王宮の人間を信用してない。お嬢さんを守るのがオレの望みで、ここだとたった一時でもお嬢さんを一人に出来ない。危ないからね。」
ウィラードはレイラがジェフリーに手籠めにされてしまうかもしれないと思っているのだろう。可能性はあるが、レイラが抵抗すれば人間のジェフリーでは歯が立たない。
しかし、警戒心のない女と思われるのも癪だ。
ウィラードには申し訳ないが、護衛をしてもらおう。
レイラがぼこぼこにするより、妖魔のウィラードがぼこぼこにした方がいい。レイラもジェフリーなんかの為に罪を犯したくはない。
「分かった。ウィラード・シャルレ。」
「王様は話が早くて助かるよ。」
「父上!」
掴みかからんとするルークを軽くあしらい。セオドアは食えない笑みを浮かべているウィラードを見遣った。二人は視線で何か通じることがあったのか、次にレイラに視線を向けると顎で指した。
「ルーク。お前は彼女と話をしていろ。ウィラード・シャルレと話がある。」
「オレも最近のこの辺りの状況知らないし。情報交換はしといた方がいいよね。じゃあお嬢さん少し父娘水入らずで話しててよ。すぐ戻るから。」
「私も行く……」
初対面の『父』と会話が保つとは思えずレイラは置いていこうとするウィラードの袖を掴むが、ひょいと外されてしまう。
「リリス、僕と話すのは嫌なの?」
その『父』からは捨て犬のような縋る視線で見つめられ、ウィラードに続こうとした足が止まる。
「いえ、分かりました。待っています。」
「すまないな。」
隣の部屋へ消えていく二人を見送り、じいっと見つめてくるルークと視線を合わせる。緊張しているレイラに気付くと金色の瞳が優しく細められ、大きく白い手がレイラの頭を撫でた。
「今更なんだと思うだろうけど、君のことを忘れたことはなかったよ。でも、しばらく神殿から離れられなくて。これは言い訳でしかないけど、許してほしい。」
そう、ルークは申し訳なさそうな顔をしてレイラの前に膝をついた。慌ててレイラも同じように膝をつく。王子様が簡単に膝をついていいのものだろうか。
別人ではないのか、と思ってしまうほど雰囲気が変わってしまっている。この数秒に一体なにがあった。心境の変化か、それとも今のルークが素なのか。
「許すもなにも、私が真実を知ったのはつい最近です。何も知ろうとしなかったのは私です。私が手を伸ばせばすぐに分かったことなのに。」
そう、レイラは知ろうと思えばすぐに真実に辿り着いたはずだ。セレスティアの住む家で何かを視れば、知った欠片から真実を導き出すことだって出来たはずなのだ。ただ、怖くて手を引っ込めただけ。
「リリス、ごめんね。こう呼ばれるのは嫌なのに……。アリアと考えた名前だから君が嫌でないなら呼ばせて欲しい。」
『アリア』という名を口にする時、愛おしそうな顔をするルークに、レイラも彼女と会ってみたかったと思う。故人である彼女とレイラを繋ぐのは、内の世界の無機質なあの扉だけだ。三つあった扉も最後のひとつになっている。だから、『リリス』という名もレイラを産んだ母と繋がるものだというのなら。
「その、ですね。レイラという名前は今の両親に貰った名前で、リリスというのはアリアさんとルークさんが付けてくれたものですよね。それなら、二つとも私の大切な名前です。」
その時ルークの金色の瞳から透明な雫が零れ落ちた。
その雫が綺麗だとぼんやり見つめているとルークに抱き寄せられた。ありがとう、と掠れ声で囁かれレイラも泣きそうになる。
真実を知ってから、レイラが一人だけ神殿の外に出されたのは邪魔だったからかもしれないと思ったことがある。ルークが愛しているのはアリアだけで、彼女が死んでからは娘なんて必要でなかったから外に出されたのではと考えていた。
それでも別に構わないと思っていた。ヴィンセントの家で育ての両親と兄や姉に愛してもらったからと。
(私はいつからこんなに貪欲な人間になったのかしら。)
実の親からも愛情が欲しいなんて。この王宮に来てからどうしてこんなにも感情が溢れてくるのだろう。
愛されたい。愛したい。
誰かの特別になりたい。誰かを特別にしたい。
今まで露ほども感じたことのない思いを見つけた。
やはりこの場所は特別なのだろう。
レイラが幼い頃に忘れた感情を思い出せるのだから。




