面会と余計なこと
「何?」
あまり好きではない書類仕事をこなしながら、右腕であるコナンから報告されたことにセオドアは己の耳を疑った。
「ですから、ウィラード・シャルレがまた城壁の辺りを彷徨いていたと。アドルフ殿を呼んで消してもらいましょう。」
「それではない。伝言の方だ。」
あの妖魔は害にならない。逆に幸運をもたらしてくれるだろう。彼についてはアドルフから色々聞いている。
「伝言とは、誰もが求める至宝の紫水晶を持って来た、ですか? これに一体なんの意味があるというのです? なにか特別な力のある宝石なのですか?」
「いや、そうではない。」
「それなら一体なんだというのです?」
怪訝な顔をするコナンを納得させるためには、諸々の事情を明かさなければならなくなる。胃痛持ちの彼には明かせない。ただでさえ、放蕩息子の分の負担を強いているのに、そんな鬼畜な真似は出来ない。
この国は不安定な土地と神の恩恵によって出来ている。
彼女が来ているのなら時間がないということか。
「コナン、その二人を私の前へ連れてこい。」
「ですが、これから……。」
「伯爵にすまないと言っておいてくれ。こちらが先だ。」
それなりに重要な予定ではあったが、ルークに見つかる前に保護しておかなければ。囲われてしまって彼女とまともに話なんて出来ない。
このまま、彼女は外で自由に育ってもらいたかった。アリアの娘である彼女には。しかし、この辺りが限界だろう。
ここに来たということは彼女も感じているのだろう。
この世界のバランスが傾いていることに。
関係はあっても、所詮セオドアは傍観者にしかなれない。調整することも出来ず力を溜める器もない。
ただ、その二つを繋ぐ役割だっただけだ。
傍観者のセオドアが思い付いた世界の末路は二つ。
このまま何もせずに世界が消えていくのを待つのか、どうやっても消えてしまう世界の寿命を少しでも伸ばすかの二つだ。
アリアの娘の彼女なら、寿命を伸ばそうとするだろう。代償は彼女の心。それなら、セオドアは彼女の負担が軽くなるよう己の心を配るだけだ。
◇◆◇
二、三日は面会出来ないと思っていたが、半日も待たずに王の側近と思われる男性が直々にレイラたちを迎えに来た。
その男性はウィラードとレイラを見て眉を顰めたが、そこでは何も言うことなく王の元まで連れて行くから着いてこいと言った。
迷いやすそうな廊下を歩き回り通されたのは、王の執務室であろう場所だ。扉の両脇には兵士がいる。ここまでの道のりは覚えられなかったが、壁を触れば迷わないだろう。
部屋の中には六十を超えているはずなのに、輝きを失わない銀色の髪に、金色の瞳の男セオドア・シトリンが窓際に立っていた。
その威厳溢れる姿に、これが王様なのかと納得した。
ネックレスを視た時は、王様らしくなかった。
息子の暴挙を必死になって止めている、ただの父親のようだった。
結局、暴走するルークを止めきれていなかったが。止めきれなかったことでレイラが存在しているから文句は言えないが。
「コナンご苦労。下がっていい。」
「は。」
コナンと呼ばれた男性は一礼して下がっていった。
「よく来たな。」
「本当、ここまで来るの大変だったんだよ?」
トリフェーンから一瞬で移動したくせに大変だったとは。
大変だったのはウィラードの記憶を頼りに森を歩いた時くらいだろうに。なるほど、最初から王様の元に来れば良かったという意味か。それはそれで腹が立つ。
「貴様には聞いていない。だが、彼女をここまで連れて来てくれたことには礼を言う。」
「お嬢さんの頼みだからね。王様に頼まれたって連れてこないよ。オレの望みはお嬢さんを守ることだから。」
望みがレイラを守ることなんて、こいつを病院に連れて行くべきか。駄目だ前の世界からこれなのだから治らないだろう。
「例えば、そうだね。もし王様がお嬢さんの望まないことを強いたとしたら……この国壊しちゃうかも。」
器用に目を眇めてみせたウィラードをセオドアは鼻で笑った。
「馬鹿なことを。」
「もう片方の孫にも釘は刺しておいてね。下手するとオレだけじゃなくて、あの侯爵家の長男坊も怒るから。」
「侯爵家……。フィンドレイか?」
「なんだ。面白くないな。知ってるの?」
見るからにがっかりした様子のウィラードに溜め息を吐きたくなる。すべての事柄が面白くなると思ったら大間違いだ。ウィラードの為に世界は廻っていない。
「彼女の周囲にいる人間は調べてある。その中で侯爵家の長男は彼だけだ。」
「それだけ? もしかして王様聞いてないの? 先生は、」
「それ以上何かを言うようなら永遠に黙らせるわ。」
余計なことを言おうとするウィラードの口を塞ぐ。
やはりあの森でのやりとりを見ていたようだ。
初対面の相手にまで吹聴して回る話ではない。
母親とキャロルには手紙で報告しておこうと思っている。父と兄には何も言えない。言うつもりもない。あの兄たちが妹に恋人が出来たと聞いたら、本当に何をするか分からない。
恋人。気恥ずかしい響きだ。昨日のあれは現実だったのだろうか。告白して告白されて『恋人』になって。さらに初めて……初めてということにしよう。子供しかも中身は別人からの口付けなんて犬に舐められたのと一緒だ。
(本当にここは現実かしら。)
口元を押さえる。あの時の感覚はきちんと覚えている。
「少し赤くなったね。王様こういうことだから。」
「……。どういうことだ。」
「鈍いんだね。いや、気付かないふり?」
「黙れ。」
「お嬢さんの周りは過保護なのばっかだね。」
お兄さんにバレたらどうする? と愉快そうなウィラードの余計な言葉に気が滅入る。ノアのあれは過保護ではない、依存だ。妹に依存している。あの兄はレイラのために仕事をして、レイラのために生きていると言っても過言ではない。一体、妹のなにが心に刺さったのか不明だ。
外が騒がしくなってきた。先程レイラたちを案内した男の声と複数の声が聞こえる。まさか、ジェフリーに嗅ぎ付けられたのだろうか。王様の前で強引なことは出来ないとは思うが、さてジェフリーはどう出るつもりだろう。
緊張しながら扉を見つめていると、がちゃりとドアノブが回って気怠げな男性が部屋に入ってきた。
「父上。いい加減外に出たい……。アリア……?」
金色の瞳を真ん丸に見開いた男性が呆然と呟いた。
「お前はどうしてそう無駄に鼻が利くんだ……!」
そう言って頭を抱えるセオドアに目を遣ることなく、その男性はただ呆然とレイラを見つめている。
その男性に抱いた感想は思っていたより若いということだった。前に視た時と姿があまり変わっていない。
一歩一歩確かめるように歩いてくる男性から少しずつ後退する。この人はなんだか怖い。父娘の感動の対面という所だろうが、レイラにとって父といえばケビン・ヴィンセントなので、この人の血を引いているという事実は知っていても特に実感は湧かないのだ。
「リリスだよね? 本物だよね?」
しかし、あっという間にルークの腕の中に囚われる。
逃げることは諦めた方がいいのだろうか。久しぶりに成長した娘と会えて喜んでいるようだ。レイラも妻を殺したとルークに責められる可能性も考えていたが、この様子だと大丈夫そうだ。
「お初にお目に掛かります。レイラ・ヴィンセントです。」
挨拶をせねばと思ったが王族相手への挨拶が分からない。レイラの頭で思いつく限りの言葉をかき集めて挨拶してみたが、ルークは気に入らなかったのか顔を顰めた。やはり庶民のレイラに上の世界の人間との付き合いは難しい。
貴族だというのに貴族らしくないシリルやエリオット、ハロルド辺りは異質なのだろう。ルークを視たことはあっても会ったのは初めてだ。やはり王族相手は面倒くさいのだなと思う。
「やっぱり外に出すべきじゃなかった。どうして他人行儀なのかな。お父様って言って駆け寄ってくれる姿を想像してたのに。」
どうやらルークが気に入らないのは娘の態度についてらしい。何年も会っていない記憶もないレイラは他人と認識しているが、ルークはそうではないのだろう。
「それはお前のせいだ。この馬鹿息子。無駄な苦労をさせて……。判断を間違えたな。」
「そんなこと分かってる。僕が外に出さなければリリスをあんな目に合うことなんてなかったのに……。本当にごめんね。」
レイラを抱き締める腕の力が強まった。暑苦しい。
確かにヴィンセント家にいたことで、変なものに目をつけられたり、殺人を犯したりと散々だった。しかし、それでもその過去が無ければ『今』がない。
「いえ、外にいたことで出会えた人達もいますから。」
ロードナイトにいる家族に、トリフェーンにいる友人。
その人達に出会えてレイラは幸せだ。他にはもう何もいらない。という思いを伝えるとルークは複雑そうに微笑んだ。
「そうだよねー。外にいないと恋人の一人も出来ないもんね。ほら、お嬢さん。あれをお父さんに報告しないといけないでしょ?」
「なんだって……?」
本当に余計なことしか言わない妖魔だ。




