薄れた記憶とある案
「リリスは違う用事で来ているんだろう? 宿は自力でなんとかしてね。あ、伯父上との繋ぎも自分で取ってね。無理だろうけど。」
じゃあね、とレイラたちに手を振って正門らしき所へ歩いて行った。今の言葉で何かの片鱗が見えた気がする。
元よりジェフリーの助けは期待していない。
ここに来た目的は王宮ではなく神殿だ。
実の父親に会うのはついでだった。会えないなら会えないで別に構わない。育ての両親から惜しみない愛情をもらっているのだ。あまり気にならない。
「神殿はどこにあるの?」
「正確な場所は分かんない。入った時も出た時も意識なかったから。でもこの森の中にあるよ。」
「……。森の中なの?」
人工物の『記録』なら視られるが、森の中には人工物がないだろう。あの嫌味ったらしい王子には頼りたくない。となると頼りに出来るのはウィラードだけになる。
「大体の場所は前に術式を破壊したときに分かってる。まかせて!」
「ええ、お願い。」
◇◆◇
「ねぇ、大体の場所は分かっていると、貴方は言ってなかったかしら。」
「言ったね。言ったけどさぁ。まさか、」
ウィラードは言葉を止めて辺りをくるりと見て首を振った。
「まさか、昔と風景が変わってるとは思わなくない? こんなだったっけ。おかしいな、森の道くらいは覚えてたのに。」
茂みを掻き分けて人の踏み入ったことのない草むらに、新たな道を作り出そうとするウィラードの黒髪を引っ張る。
「貴方が変わらなくても、植物は育つわ。」
千年前の植物は枯れ、新たな植物が育っているはずだ。
あてにしていたウィラードがこれでは、先が思いやられる。絶対にジェフリーの手は借りたくないから、ウィラードの感覚か記憶が戻るのを待つしかない。
どうしようかと、思考を巡らすレイラの耳にウィラードの、あ、という気の抜ける声が届いた。
「そうだ。衛兵に捕まえてもらえば、お嬢さんの特徴から王様が牢から助けてくれるって。そっから王様に神殿の場所訊けば確実だよ。」
「その前にジェフリー殿下に助けられたら面倒だわ。」
「そんな警戒しなくても良いんじゃない?」
「メリルさんが気を付けてと言っていたの。」
「そっか……。」
メリルという名前にしゅんと萎れるウィラードの姿がいつもより小さく見えて、少しだけ申し訳なくなった。
「……でも、考えるのも面倒ね。貴方の言う通り捕まりに行きましょう。」
「じゃあ決まりだね。城壁の周りをうろちょろしてれば来てくれるから。オレに掴まって、そこまで飛ぶ。……そんなに嫌な顔しなくたって良くない?」
前に空中を飛んだときは、足場はないからウィラードが手を離したら落ちると思って怖かったのを覚えている。しかし時間を短縮すればするほど早く帰れるかもしれない。女は度胸だ。迷いを振り払ってウィラードの手を掴む。
「いえ、ありがとう。お願い。」
「それじゃあ失礼するよ。」
強ばっているレイラの体を軽々と抱え上げ、近くの木の上に飛び上がる。そして、ウィラードは辺りを見回し城壁に向けて空中を飛ぶ。ふわっとする感覚が気持ち悪い。
「お疲れさま。」
地面に足をついて、土を踏む感覚が靴底から伝わりほっと安堵する。そんなレイラの様子を見てくつくつ笑っているウィラードを睨む。こちらは慣れていないのだ。
にやつくウィラードに背を向けさっさっか歩き出したその時、離れた所から男の大きな声が聞こえた。
「おい! お前たち何をしている! 」
声のした方に目を遣ると衛兵らしき男たちが三人ほど、レイラたちに駆け寄ってくる。
「思ったより早かったね。王子が何かしてるのかな。」
それは多いにあり得る。どういう方面に性格があれなのかは分からないが、一応国を思う気持ちがあるからレイラに結婚してくれと言ったのだろう。
しかし、レイラはそれだけは全力で回避したい。
それしか方法がないと言われたらそれまでだが。
「殿下に見つかったら城内に移動すれば良いかしら。」
言葉を使って牢から逃げ出せば誰にも捕まえられないだろう。その間に王様に神殿までの道のりを訊けばいい。
「最初からそうすれば良かったんじゃない?」
「眠りたくないの。どこまでこの力を使ったら倒れるか分からないもの。トリフェーンから王城までの移動で反動はなかったけれど、これで目一杯だったら足手まといになるわ。私はともかく貴方が捕まったら大変な目に合うでしょうから。」
前に捕まったときは酷い目に合ったと言っていたような気もする。ジェフリーから見てレイラの付属物と認識されているウィラードは処分されかねない。
「そんなこと気にしなくていいのに。オレはやりたいことをしているだけだよ。お嬢さんの望みを叶えることがオレの願いだから。」
「そう。」
無償で助けてくれるのはありがたいが、この恩をどうやってウィラードに返せばいいのかが分からない。訊いたところで、レイラの幸せがウィラードの幸せだと言いかねない。
近付いてくる衛兵の顔に見覚えがあったのか、ウィラードはにこりと笑って手を振った。呑気なものだ。
「久しぶりだね。おじさん。」
「お前はまた何しに来ているんだ! ここは陛下の住まう王宮だというのに。前に陛下の恩赦があったからと調子に乗りすぎだ! この馬鹿たれ! 」
眦を吊り上げ、真っ赤な顔でウィラードを罵る衛兵の男に、まあまあ、とウィラードは涼しい顔で用件を伝えた。
「その陛下に会いに来たんだけど。王様に伝えてよ。誰もが求める至宝の紫水晶をお持ちしましたって。捕まえてくれたら連絡入れてくれる? オレたち今から中に侵入しようとしてたんだよね。」
流石にそれは分かり易すぎるだろう。なんの捻りもない。 誰もが、と至宝の、を除けると分かる人にはレイラだと分かるだろう。
両手首を差し出すウィラードに青年の衛兵は怪訝な顔をする。ウィラードと初めて遭遇したのだろう。遭遇したことのあるらしい中年の衛兵はプルプルと拳を震わせている。
「どう致しますか? 隊長。」
「この男は陛下と面識があったようだからな。どう捌いたものか……。」
「早めにしないと壊れちゃうから早くしてね。ストレスで熱くなってどっかーんだよ。爆発しちゃうよ?」
それはどういう意味だ。待ちきれないレイラが城壁を破壊して侵入するとでも言いたいのだろうか。国民の血税で出来た城壁を壊すなんて真似、レイラには出来ない。
流石に政務で忙しいであろう国王陛下とすぐに会えるとは思っていない。神殿の場所だけ訊いて退散するつもりなのに。
「そういえば、隣の女性は誰だ?」
ウィラードに調子を崩されていた衛兵は仕事を思い出したようだ。
さて、どう答えたものか。
レイラ・ヴィンセントだとあのヴィンセントだと分かってしまうだろう。北と違って王都周辺は知っている者も多い。
「お嬢さん。貴女の名前は?」
適当に誤魔化してしまえと口を開こうとしたその時、ウィラードにぎゅうと抱き込まれる。あまりシリル以外に触れられたくないのだが。全力でウィラードの体を退けようとするがびくともしない。
「内緒。でもオレの持って来たものを見たら陛下は必ず喜ぶよ。陛下だけじゃなくて、王太子様も病弱だっていう王子様もね。」
王太子様はともかくとして、ルークは喜ぶだろう確実に。あのアリアへの狂気的な愛情表現を見ると、娘へもそれなりに愛情は持っているはずだろう。
アリアの命で造られた、あの青薔薇の庭園にある扉を壊したと知れば殺されるかもしれないが。
「分かった。一応報告はしておく。それまでお前たちは詰所で大人しくしていろ。特にウィラードだったか。お前がな。」
前は詰所と門が破壊されたとぼやく衛兵に、ウィラードはため息を吐いた。
「お嬢さんがいるのに暴れたりしないって。」
巻き込んで死なれたら堪らない、というウィラードから視線を逸らす。暴れるとしても限度があるだろう。死者が出るくらいなら最上位の妖魔は暴れてくれるなというものだ。




