閑話 Ⅳ 妖魔の執着
「御門! ねぇ起きて!」
シャーロットの声が聞こえる。体を揺さぶられ、億劫だなと思いながら瞳を開ける。
「シャーリー?」
瞳を開けるとシャーロットが泣いていた。
「死んだかと思った!」
咄嗟に慰めようと跳ねるように上体を起こすとシャーロットに抱きつかれ、後ろに倒れそうになりながらもなんとか踏ん張る。嗚咽をもらすシャーロットの背中をさすりながら状態を確認する。
ざっと見たところシャーロットは服が土で汚れているだけで、怪我はないようだ。ひと安心してシャーロットを強く抱き締める。
「それはこっちの台詞。体は大丈夫?」
「私は大丈夫。御門は?」
頭痛はするが、他に痛みはない。
「僕も平気。ねぇシャーリー、ここはどこか分かる?」
白い壁、高い天井。見覚えがない。
シャーロットも知らないようで申し訳なさそうな顔をして首を横に振った。
「分からない。でも、私はここから出られない。」
「は?」
「私に力を容れるの。お母様はもうヒトだから。」
「シャーリー?」
要領を得ないシャーロットの言葉に、御門の頭は混乱する。力を入れてどうするというのだ。
「御門は出ていっても良いの。ここに要るのは私だけだもの。だから……。」
涙の浮かんだ瞳を誤魔化す為だろう、俯いたシャーロットの頬を両手で包んで上向かせる。
「そんな顔されて僕が出て行けるわけないよ。」
悲しそうに顔を歪めるシャーロットに微笑みかけた。
「どうせ……。」
ぽつりと呟きが落ちる。
「ん?」
「どうせ、御門はいつか奏さんを見つけて私のことなんて忘れるでしょう!? 」
キッ、と御門を睨み付け頬に添えられた手を振り払う。
「どうして、そう思うの?」
「視えるの! 前まではこんなに視えなかったのに、今は御門が奏さんと笑ってる光景が視えるの!過去も未来も全部!」
堪えられない、とシャーロットは顔を覆った。
その痛々しい姿に一年間考えていた答えを口にする。それはとても勇気がいることで、人生で二度目の告白だった。
「一年、ずっと考えてたんだ。死んでしまえるくらい執着してる奏を忘れてシャーリーを好きになれるか。」
誰かの手に渡るくらいなら、いっそ御門が殺してしまおうと思ったことも一度や二度ではない。その奏を忘れることはきっとできないだろう。
「やっぱり奏の代わりはいない。僕が奏を大切なのも変わらない。でも……。」
それでも
「僕のなかで、シャーリーは奏と同じくらい……いや、この世界で一番大切な存在になってた。好きだよ。過去やこれからの未来より今の、今ある僕の気持ちを信じて欲しい。」
御門の言葉にシャーロットは目を丸くして、意味を理解すると破顔した。昔のような邪気のない笑み。
それに吸い寄せられるようにして、口付けた。
驚いたのか変な声を上げたシャーロットは怒ったような顔で御門を睨んできた。その
「嫌……だった?」
「っ違うわ!」
「私に触れて良いのは御門だけなの。」
突然の告白に御門は硬直する。
シャーロットの真意が分からない。なにかの未来を視たのかもしれないし、それか。
「もしかして誘ってるの?」
湧き上がった衝動を理性でねじ伏せ、冷静を装って問いかける。
「違うわ! その、ただそう思っただけなの。」
恥ずかしそうにもじもじと上目遣いで御門の顔を見るシャーロットの頭を宥めるように撫でる。
「僕はシャーリーを大事にしたいから、段階踏んでからね。」
前は段階なんて特に気にしなかったためにゴキブリ扱いをされた。本気で嫌われたことも、殴られたことも、殺されかけたことも、泣かれたことも数えきれないほどある。同じ轍は二度と踏まない。
とにかく過去の御門はゴキブリ扱いだった。確かに、我ながらゴキブリ以下の所業をした自覚はあるが。
「あ、当たり前だわ!」
それから、狭く見えて案外広かった箱庭の中をシャーロットと探検し、きちんと段階を踏んだ交際をした。
ただ、愛くるしい表情を浮かべるシャーロットに手加減を忘れそうになったのも一度や二度ではない。
あまりやることがなくて暇ではあったが、幸せだった。喧嘩をしても必ずどちらも寂しくなって仲直りをして、偽物の空の下で過ごしていた。二人だけの世界でも寂しくはなく、充実していた。
そんな日々を三十年以上も続けていた。
ただ、三十二年目を超えたところでシャーロットの表情が日に日に翳っていった。色んなものが視えるシャーロットは一人で考え込むことがあった。
「シャーリー、何に悩んでいるの? 僕に言えないこと?」
露台から偽物の月を眺めているシャーロットの腰を引き寄せる。むすっとした御門の声にくすりと笑ったシャーロットは体を預けた。
「この瞳は血が濃い証拠なの。私はお母様とお父様の子供だから。本当の『純血』で、この瞳は月と違って純粋な者にしか受け継がれない。これから先、この瞳を持つ者に外で会ったなら守ってあげて。私が守りたいけど、ここから逃げ出すことは難しいから。お願い。」
「うん。でもね。僕が外に出るときはシャーリーを外に連れて行くよ。」
ありがとう。と嬉しそうに顔を綻ばせたシャーロットは真っ直ぐに御門の瞳を見つめた。真剣な表情にどうしたの、と問いかけようとして菫色の瞳を見返せばその瞳は揺れていた。はっとして口をつぐむ。
「私の身も心もすべて御門のものだから。これからもずっと、ずっと私だけを見ていてね。いつか約束のものを贈るわ。ちゃんと捨てないで受け取ってくれる?」
「なに、言ってるの?」
別れの言葉のような、理解したくない言葉をシャーロットは紡ぐ。御門は腕の力を強めた。
その様子にシャーロットはくすくすと笑って御門に口付けた。
「冗談よ。ただの戯れ言だから。『今言ったことは忘れて』。」
瞬間、頭の中から抜け落ちていく。その違和感を御門が忘れた頃、シャーロットは幸せそうに笑って御門に唇を寄せ深く口付けた。彼女から口付けることなど滅多にない。離れていこうとしたシャーロットを許さずにもう一度御門から深く唇を重ねる。
腰を抜かしたシャーロットをベッドに寝かせ、金茶色の髪を梳く。気持ち良さそうに瞳を閉じているシャーロットに軽く口付ける。くすぐったそうにしながら瞳を開けたシャーロットは御門を見つめた。
「ねぇ御門。」
「ん?」
「ありがとう。大好き。『おやすみなさい。』」
涙に濡れたその言葉を最後に御門の意識は遠退いた。
次に目を覚ました時、辺りにはヒトが大勢いて。
あの箱庭からシャーロットに追い出されたのだと理解した。
本当に愛しさと憎しみは表裏一体なのだなと思いながら、握っていた金茶色の一房の髪を紐で巻いて懐にしまった。シャーロットなりの最後のプレゼントなのだろう。
彼女が何を考えて御門を放したのか理解できない。
奏と御門を会わせたくないのなら、ずっと傍に置いていれば良いのに。それとも、会わせようとした?
こんなに御門の心を奪っておいて、今更昔の女の元に戻れとでもいうのか。ふざけるな。
憎しみと怒りに染まる心とは裏腹に、視界は涙で滲んでくる。
どうして、信じてくれなかった。助けがいるなら助けてと言わなかった。
そんなに御門は頼りにならなかったのだろうか。
こんなに愛していたのに。シャーロットが思っているよりもっと強く彼女のことを想っていたのに。
どこか足りない最後の時間を思いながら、空を見上げた。
◇◆◇
「ぶっちゃけ王都は嫌いなんだよね。」
昔と町並みは変わっても、御門の心はあの日のまま変わらない。
彼女の言っていた約束の贈り物は最後の純血の少女だろう。記憶が戻っても御門が死なないようにと。
子供を欲しがっていた御門に、愛しいシャーロットの孫、しかも他の男との孫の面倒を押し付けるなんて鬼畜だとは思うが、彼女をシャーロットと自分の子供だと思えば愛しいばかりだった。
彼女のために動くことがシャーロットの願いなら、いくらでも手を貸そう。命だって惜しくはない。
それに彼女は面白い。側にいて退屈はしない。
『私をシャーロットさんに重ねることはあっても、シャーロットさんの代わりになんて思ったことないでしょう?』
シャーロットと同じ紫水晶の瞳をした彼女の言葉通り、誰かの代わりなんて誰にもなれない。奏は奏で、シャーロットはシャーロット。代わるものなどない。
事あるごとに奏に嫉妬していたシャーロットは可愛かった。面に出してはだめだと心のなかで葛藤しているのが。
「それに比べて、お嬢さんは全然悩まないよね。神の血だけのせいじゃなくて本質なのかもだけど。」
嫉妬もしないのに人が、シリルのことが好きなんて、御門なら自分の気持ちを疑いそうなものだ。好きなものは一人占めしたいと思うのが普通だから。普通ではない彼女には当て嵌まらないのだろう。
シャーロットは純血なのに奏に嫉妬していた。
レイラの感情の動きは祝福が関係しているのだろう。神様とヒトの間で揺れている少女。彼女がどちらを選んでも御門は支えるつもりだ。
自分だけで考えを纏めて、結論を出していた。ウィラードに王城について訊く前にシリルに相談するだけしてみれば良かったのに。
「先生どうすんのかな。お嬢さんのことだし変に割り切って王子と……有り得そうで怖いな。でも、シャーリーとの約束は守らないといけないしなぁ。」
彼女の願いは血族を、濃い血をもつ者を守ること。
シャーロットからの贈り物は受け取った。




