落ち着きと喧嘩の開始
「あとは、これかしら。」
トランクに服や日用品を詰める。
昨日調達した念願の地味な寝間着も入れた。
ジェフリーは返事は明日までと言っていたが、時間が惜しいと思い今日にはトリフェーンを発つことにしたのだ。
気掛かりだったレイラの恋情も思っていた方向とは違うが一旦落ち着き、心に余裕が出来た。これで実の父親に会っても嫌悪感を顔に出さなくて済みそうだ。
実の母親の物だと思われる紫水晶のネックレスもハンカチで包んでトランクの隅に入れておいた。あの狂気的な実の父親に返した方が良いだろう。
「それでは行ってきます。」
重くなったトランクを持ち上げ、扉に手をかける。
すると、静かに荷詰めを見ていたシリルが口を開いた。
「俺とレイラは数時間前に付き合ったばっかりだよな?」
「? はい。そうですね。」
なぜわざわざ確認をするのだろう。こてんと首を傾げる。
あのあと、しばらくシリルの顔は見れなかったが、何度か口付けを受ければ羞恥も少しは軽減した。本当に森の中で良かったと思う。人に見られていたらと思うと恥ずかしすぎて気絶できる。
「少しくらい寂しいとか思わないのか?」
「寂しくて不安ですけど、それ以上に差し迫った問題がありますから。」
それを解決しないことには、ここには居られない。
「羨ましいな。俺はノアさんを笑えないくらい寂しい。」
ノアを笑えないくらい、なんて有り得ないだろう。
あの兄は特殊なやつだ。心の闇が深い。
「そんなに?」
「そんなにだ。想いが通じてすぐに離れるとか、次にいつ会えるかわからないなんて気が遠くなる。」
「私、シリルは恋愛とか淡白なのかと思ってました。女将さんの話とか視たときは積極性が無くて大人しすぎて振られたって。」
知られたくなかったであろう過去の話にシリルは苦虫を噛み潰したような顔をした。前は話題に出す前に口を塞がれてしまった。
どっちもどっちな感じではあったが、女性としても手を一切出されないというのは悲しいものだ。不安になって振ってしまった過去の女性の気持ちも分かる。
「……そうだな。勝手が分からなくて。なのに何故か経験豊富だと思われて期待されてたな。普通のエスコートとかは出来ても他がな。」
体目当てに告白を受け入れたと思われたくなくて、心から近づいていこうとゆっくりと段階を踏むつもりだったそうだ。その間に女性の扱いが分からないため地雷を踏んで振られ、何がいけなかったのか友人に相談しようにも、その頃の仲の良い同級生は盛りのついた猿だけだった。と遠い目でシリルは語った。
「レイラが俺を意識しているのは気付いたんだ。その頃には俺も意識していたから。前までなら最低でも半月交際してからキスするんだが、嬉しくてつい手を出してしまった。ごめんな。」
「……今まで付き合った女性の事をどう思っていました?」
なんだか、今までシリルと交際してきた女性たちに罪悪感が湧いてくる。下手したら最低男と呼ばれるだろう。好きでもないのに付き合うとは、逆に不誠実になるだろう。
ただ、最初は好きではなくとも徐々に好きになることもあるだろう。それを待つことが出来なかった彼女たちも彼女たちだが。
「なんて言えば良いんだろうな。自分から交際を切り出したことはなかったし、自分から触れたりもしなかった。でも……。」
言葉を止めレイラの顔色を窺うシリルに続きを促す。
また地雷を踏んだらどうしようとでも思っているのだろう。失礼な。レイラの地雷はそんなところにない。
「なんというか……。好ましくは思ってた。」
「それなら良かったです。」
良かったと言うレイラを意味がわからないという顔でシリルは見てくる。
「どういう意味だ?」
「何の感情もないのに付き合っていたら、いい加減に人を弄んでいるみたいです。そんな人だと私が好きになったシリルと別人になってしまいますから。」
レイラが好きなのは真面目で、でも悪戯が好きで、天然気味なシリルだ。
「そうだな。でも、レイラは私だけ見て欲しいとは言わないのか? 」
「ああ、それも含めて治せるか確かめてきます。」
独占欲の芽生えない心も治せるだろうか。
「え? それは……。」
「行ってきます。」
ちゅ、とシリルの頬に口付けてから逃げるように部屋を出る。とりあえず、王都に行くまでにやりたいことはすべてした。
(早く終わるといいけれど。)
簡単な問題ではないが、早く解決してシリルに会いたい。
◇◆◇
学院を出ると、どこからともなくウィラードが湧いて出た。王子の居場所は分からなかったが、街の『記録』を視て歩いた。やはり力が増してからというもの、以前のように触れなくてもはっきりと視える。
辿り着いた先は、何故かウォーレンの家だった。
ウォーレンから鍵も渡されているので勝手に開けて入った。何度か来たことのある場所に王子がいるとは思わなかったが、自称ウォーレンの親友のジェフリーなら有り得なくもない。
家の中には長椅子に寝ているウォーレンと、その横で楽しそうに筆を取るジェフリー。そして我関せずとばかりにお茶を飲んでいるアドルフがいた。
「お祖父様。会いたかった。」
「ああ、久しぶりだなレイラ。元気にしていたか?」
本当に久しぶりだ。頭を雑に、優しく撫でるアドルフの手に目を細める。
「視ているから知っているでしょう?」
空間を視られるアドルフなら、レイラがシリルと交際を開始したことも、アレンをさくっとやって帰ったことも、レイラの力に変化があったことも筒抜けのはずだ。
「……。あまり、羽目を外すな。年相応の関係を築け。」
「勿論よ。」
「えー。なになに? 何かあった?」
「貴方には関係ないわ。」
なんで、わざわざウィラードに言わないといけないのだ。シリルとの関係についてからかい倒すに決まっている。
「ま、オレがお嬢さんについて知らないことなんて無いけどね。」
つー。と肩を撫でるウィラードの手を抓る。
どうせ使い魔か何かをレイラに付けているのだろう。
ウィラードが執着しているのはシャーロットのはずなのに。どうしてレイラまで付き纏われているのだろう。意味がわからない。
「レイラ。お前はどうしてそう変なものに好かれるんだ。」
呆れたように言うアドルフに血筋だと言いたい。
ウィラードにはシャーロットの孫ということで付き纏われている。ということはシャーロットの子供になるアドルフのことはどう思っているのかと思うが、様子を見る限り大して思い入れはなさそうだ。基準がいまいち分からない。
「オレのことかな?」
にやにやとレイラの顔を覗き込んでくるウィラードの顔を片手で押し退ける。変なものと呼ばれて笑っているなんて、変な性癖でもあるのだろうか。
飄々としているウィラードの様子に、アドルフは忌々しそうに舌打ちをして後ろを指差す。
「それもだが、なによりジェフリーだ。」
はぁ、と深い溜め息を吐くアドルフは寝ているウォーレンの顔に落書きをしているジェフリーを見て、眉間の皺が深くなった。
「そろそろ送らせろ。無理を言って抜けて来てるんだ。」
「忙しいのにすまないね。アドルフ。」
そう思うならさっさと立て、と思っているだろうアドルフにひらひらと手を振ってジェフリーは筆を机に置いた。
億劫そうに立ち上がりレイラの前まで歩いて来て、とても満足そうな顔をした。『お願い』という名の『要求』を受け入れてくれたと思っているのだろう。
「思った通り受け入れてくれたね。リリスは。」
「いえ、私は違う用事で向かいます。」
は、と唖然としているジェフリーを見て、入学してから練習してきた笑顔を張り付ける。シリルを元にした晴れやかな笑みを。
今から敵地に乗り込むようなものだ。それなら、
「それと、私はレイラ・ヴィンセントです。特別難しい名前ではないと思っておりましたが、殿下には些か難しかったようですね。」
と王子に喧嘩を売った。性格に難があるのなら、さっさと本性を出してもらおうではないか。それによってレイラの対策も変わる。
反応を待たずに『移動』と呟いてレイラとウィラードだけ王城の中に飛ばした。アドルフの服を視て大体の位置は把握していたからか、なんとか王宮の正面に出ることができた。
少し待てばアドルフがジェフリーを送ってくるだろう。
五分後にジェフリーが送られてきた。
その顔から胡散臭い柔和な笑みが消え、代わりのように愉しいものを見ているような、愉快そうな表情が浮かんでいた。
◇◆◇
レイラとウィラードが消えた部屋でアドルフは唖然と消えたレイラのいた所を見ているジェフリーを見つめる。
僅かに震えている体に、溜め息を吐きたくなった。
こうなりそうだったから、セオドアはジェフリーにレイラの居場所を教えなかったのだ。今でこそ大人しくなってはいるが、本来のレイラはあまりにも気が強すぎる。例えるなら女王。今はお姫様くらいに戻っているだろう。
最近は同室の教師の影響か、表情も出てきたようだ。
先程レイラが浮かべた笑みは艶やかで華があった。
昔から成長を見つめているアドルフでさえ息を呑んだのだ。ジェフリーには刺激が強かっただろう。初めて己を真っ直ぐ見据えた自信に満ちた強い紫の眼差しを。
ジェフリーは外面こそいいが、中身は、
「はははっ! なんだあいつ。この俺に喧嘩売ってきやがった! まあ、これでしばらく愉しくなるか。俺が考えついた方法しかないっていうのが理解できねぇのかな。どうするか……。心を蹴散らして、堕ちるとこまで落としたら諦めるかな。」
蹴散らされて、落とされるのもジェフリーだと思いながらも、アドルフは何も口にしない。
気の強さは同格で、方や王様気質。方や女王気質。
どうなることやら。王城での面倒はセオドアが請け負ってくれるはずだ。アドルフはこれから組織の撲滅のために逃亡したあと十六人を始末しないといけないのだ。王城くらい王がなんとかしろ。
ジェフリーの笑いが落ち着いた頃を見計らって言葉を紡ぐ。
『移動させる』
くつくつと笑っているジェフリーの姿が消え、気が軽くなる。持っているふきんを濡らしウォーレンの顔の落書きを拭い始める。
さて、レイラのためにも家で待っている妻セレスティアのためにも仕事を終えなければ、自分から抜け始めた月の力が尽きる前に。




