閑話 Ⅱ 妖魔の執着
それから数年経ち、シトリンが一人で町に下りて行った日に、シャーロットの姿が見えなくなった。
会って数日で分かったことがある。あの子はお転婆娘だ。
御門の子供も両親に似て悪戯好きだった。電話帳を消されたときはすべての連絡先を記憶していたし、バックアップも取ってあったから良かった。しかし、奏と出会った頃からのメールデータを消されたときは暫く立ち直れなかった。
あのゴキブリのごとく嫌われていた最初から、想いが通じてから優しくなった言葉。最近の甘々な言葉。それらを消されたショックは襲撃してきた神の使いを嬲っても、治らなかった。いつもなら楽しくなるのに。
それらと種類の違うシャーロットは質が悪い。ただ好奇心のまま突き進む。怒るにも子供の興味のあることを止めるのはどうかと思いうまく怒れず、心配だからと言っても。
『私は強いから大丈夫なの!』
と聞く耳を持たない。確かに言霊を使えるのなら何者からも脅かされることはないだろう。しかし、口を塞がれてしまえばただの子供になる。その辺を理解できているのか。
「シャーロット~。どこにいるの~。」
大声で名を呼びながら森の中を歩く。
この四季の森を出ているのなら、世間知らずのシャーロットは危ないだろう。見た目もほどほど良い方だから売られてしまうかもしれない。
知り合いの妖魔に裏社会に棲んでいるやつがいた。
最悪その彼女に聞いて、売られる前に連れ戻そうと考えていた。その時、森にある一番大きな樹の下で光が見えた。
侵入者かもしれないと、木の影からそっと頭を出し光が何なのか確認しようと目を凝らす。
大樹の下には成長する兆しをみせないシャーロットの小さな姿と、光っている仙人のような老人がいた。
光っている老人の膝に頭を預け呑気に眠っている。
町に下りたわけでなくて良かった。ほっとして老人に駆け寄る。
「すいません!」
「遅いわ! さっさと見つけんか妖魔の小僧!」
なぜか物凄い剣幕で怒られた。子供を野放しにするなということか。御門は親ではない。普通ならシトリンが何とかするべきことだろう。
とはいえ、いつも面倒をみているのは御門だ。
「なんかすいません。うちの子がご迷惑をお掛けしたみたいで……。」
「早くこの小娘を引き取ってもらえんか。重くて退かせん。我らも忙しいのだ。用もないのにいつもいつも呼び出しおって。小娘のくせに。」
老人はシャーロットの頬をむにゅと引っ張って、餅のようによく伸びるのが面白かったのか口角を持ち上げた。
「ふぁ。おじいさん?」
「起きたか小娘。それならさっさと退かんか!」
「眠いの……。あと一日だけ。」
甘えるように老人膝に頬をすりよせる。
二度寝が一日とは、御門たちとは感覚が違うようだ。
「だめ。帰るよシャーロット。」
「みみみみみ御門がどうしてここにいるの!?」
飛び起きたシャーロットは御門がいることに動揺しているようだ。何か疚しいことでもあるのだろうか。
「眠気は吹き飛んだみたいだね。」
「さっさと帰らんか。」
老人が立ち上がって腰を叩いている。御門が来るまでずっと同じ姿勢だったのだろう。
「やだ。御門は遊んでくれないから!」
遊んでくれないと言われても、どういう風に遊べばいいのか分からない。仕事と襲撃のせいで育児にはあまり参加出来なかった。
「僕に何して欲しいの?」
「一緒に散歩とか抱っことか添い寝とか。あと、一緒にご飯を作りたいわ! お父様とは出来なかったもの……。」
悲しそうに地面を見つめるシャーロットの頭を撫でる。
「それくらいならいくらでもするよ。」
「本当!? ありがとう御門!」
嬉しそうに飛び付いてきたシャーロットは御門の足に抱き付いた。
詳しい話は聞いていないが、シトリンとシャーロットの父親は離婚でもしたのだろう。
あまり遊んでくれない母親に甘えられず、こんな深い森の中にいる光る老人と遊んでいたのかもしれない。
だから、たまたま落ちてきた御門という三十路を越えた男に父親としたかったことを求めている。父親になったことはあるが、シャーロットの年齢が分からない。神様の子供は成長の仕方も特殊なのだろう。
どう接したらいいのだろうと悩むが、結局は精神年齢の問題だろう。
今日は抱っこがいい。と言ったシャーロットを抱き上げ老人に頭を下げる。
「ありがとうございました。」
「これからは、小娘を野に放たんでもらえんか。」
「おじいさん! また遊んでね!」
元気よく手を振るシャーロットに呆れたような溜め息を吐き、老人を労れと呟いて姿を消した。神霊かなにかの類いだろう。嫌な気配はしなかった。
ぼんやりとしながら森の中を家のある方へ歩く。
その時、桃色の花弁がひらひらと舞うのが視界に入った。
どうやら御門の落ちた四季の森に迷い込んでしまったらしい。
辺りを見回せば何百本もの木々が花を咲かせていた。
「綺麗な花よね。お母様が世界のここにしか咲いてないって言ってたの。」
「ふぅん。桜みたいだけど、少し色が濃いね。」
シャーロットの髪に付いた花弁をつまんで観察する。
木や花弁の感じから、染井吉野かと思ったがそれにしては桃色が濃い。ただ、特徴のある幹は確実に桜だから御門の知っている桜だろう。
「桜? この花に合ってる名前ね。」
西洋な雰囲気の溢れるこの地には馴染みのない響きのはずなのに、シャーロットの発音は完璧だ。
「そういえば、シトリンさんは発音下手だよね。シャーロットは僕の名前の発音上手いのに。」
シトリンは御門を『ミカド』と外国人を絵に描いたように発音する。何年経っても発音は下手だ。
「そうね。頭の出来の違いかしら?」
「ああ、はいはい。そうかもね。」
ぽんぽんと頭を軽く撫でる。頭の出来とは違うと思う。
「ねぇ、御門はどんな花が好き? 私は紫陽花よ。」
土で色が変わるのが面白くて好きだという。
小さな花が集まってるのが可愛いとかではないのか。
「僕は青い薔薇かな。」
不可能と奇跡という花言葉、元々青色が好きというのもあるが、その可笑しな花言葉に惹かれた。次に好きだったのは竜胆だったが。
「御門の世界には青い薔薇があるの?」
「真っ青じゃなくて青紫の紫に近い方だけどね。だから、いつか真っ青な薔薇が見てみたい。」
不可能なことの代名詞でもある青薔薇。赤い薔薇も好きだが、御門の見たことのないものも、この世界なら見られるだろう。
「私が造るわ! それで奥さんにプロポーズするの!」
「え、なんで?」
「視えたの! 御門が真っ青な薔薇と御門が。だからその薔薇でまたプロポーズするのかと思ったのだけど……。」
違うの? と首を傾げるシャーロットを怪訝に思う。
色んなものが視えるとはいえ、過去と現在はともかくとして、これからの未来は過去と現在から導き出されるもはずだ。
「どうして分かるの?」
「どうしてと言われても、考えたこともないわ。」
それが当たり前のことだから、と簡単に言ったシャーロットはまるで中々良い相手の見つからない息子を心配する母親のような台詞を吐いた。
「いつか未来で会えるから、その時もう一度プロポーズして一緒になったらどう? 私に奥さんの気持ちはみえないもの。気持ちが離れてるかもしれないでしょう?」
子供のくせにおばさんみたいなシャーロット。
面倒をみているのは御門のはずだ。小さな身体を腕から肩に移動させる。軽い。まだ小学生くらいの小娘に心配されるとは。
「……。その時はその時かな。僕みたいなどうしようもないやつより、もっと良い人がいたらそっちの方が良いと思ってる。死後まで僕が縛り続けて良いわけないから。」
この世界に落ちてから十数年経ち、狂おしいほどの奏への感情が落ち着いてきた。子育てをすることで年相応の落ち着きを得たらしい。願わくは死ぬ前に落ち着きたかった。執着し縛り付けることでしか愛情を注げなかったから。
◇◆◇
それからというものシャーロットに求められるまま様々なことをしてきた。自分の子供を育てられなかったこともあり、惜しみなく愛情を込めて育てた。
初めて会った時のまま、あまり成長していなかったシャーロットの身体も御門の育て方が良かったのか、小学校低学年から小学校高学年くらいの大きさに成長し、身も心も充実した日々を過ごしていた。
そんなある日の夜、シャーロットが御門の布団に潜り込んできた。怖い夢を見たと言って泣きながらしがみ付いてくるシャーロットを追い出せるわけもなく、泣いている間ずっと頭を撫でていた。
「あのね。お母様が私の首を絞めるの。そのときのお母様の顔は私のこと嫌いって顔なの。ね、怖い夢でしょう?」
鼻声のシャーロットの言葉に、憎々しげにシャーロットを見つめていたシトリンを思い出す。もしかして、シャーロットの見たものは夢ではなく現実の……。
そこまで考えたところで思考を止めた。
子供のことを殺そうと思える親など居ないだろう。
子供嫌いだと思っていた御門も己の子供が産まれて、子供好きになったくらいだ。
「ねぇ御門。シャーリーって呼んで? お母様は呼んでくれないの。お父様しか呼んでくれなかったの。」
涙に濡れた紫水晶を見たくなくて、御門の着ている服の袖で吸わせる。
「そっか。ねぇシャーリー。さっきのは悪い夢だけど、次は善い夢が見られるよ。だから子供は早くおやすみ。」
髪の毛を丁寧に梳く。すると、悪夢でよほど精神を消耗していたのかすぐに眠りについた。
すやすやと気持ち良さそうに眠るシャーロットを見て、この娘の傍から離れてはいけないと強く思った。




