閑話 Ⅰ 妖魔の執着
気が付くと奇妙な森の中を彷徨っていた。
最初にいたところは真白な雪が積もっていて、少し移動すれば雪の絨毯は消え、若葉の隙間から太陽の光が溢れていた。
気味が悪いことこの上ないが、不思議と恐怖は感じなかった。この森を包む空気がどこか自分の妻の奏に似ていたからかもしれない。
ここは死後の世界だろうか。だとしたら奏もここにいるかもしれない。
そう考えたら、走り出していた。白い六花の舞い散る中、時間の感覚がないまま月が昇れば体を休め、太陽が昇れば森の出口を探すために走っていると、何日めかに澄んだ歌声が聴こえてきた。
死後の世界の案内役かもしれないと思い、歌声のする方へ向かった。
歌声の主は白金色の髪の女性だった。横顔だけでもこの世のものとは思えない美しい相貌をしていることが分かる。
「あの?」
ここはどこなのか、何処に行けば会えるのか。
声をかけると、女性は御門の気配に気付いていたのか、驚くことなくにこりと笑った。邪気のないその笑みに目が奪われる。
「私はシトリンというの。」
まじまじとシトリンの顔を見つめる。右目は紫水晶のような紫色で、左目は黄水晶のような黄色だ。オッドアイの人間なんて見たことがない。珍しくてまじまじと見つめる。
「貴方のお名前は?」
「僕は……。御門。篠宮御門。」
「東洋の名前かしら。馴染みのない響きだわ。」
「ここはどこだ?」
「名もない荒野だった場所よ。今は私が緑を増やしているの。」
太陽の光に照らされてシトリンの髪がきらきらと輝く。
彼女の放つ神々しい雰囲気に気圧されながら、御門は状況把握のためだと自分に言い聞かせシトリンに話しかける。
「えっと、僕は何に見えます?」
鏡がないから己の姿を確認できない。人型なのは分かるが、なになのかは判断できなかった。
「妖魔、かしら。」
「妖魔……。違ってはないか。」
自嘲気味に呟く。死んでも御門はそっち側なのか。
「ねぇ、ミカド。貴方どうしてこんな所にいるの?」
「分からない。気づいたらこの森にいた。」
真っ赤に染まった、奏の身体。御門は温もりが消えていく身体を掻き抱いて、懇願した。奏は億劫そうにゆるゆると首を振って、涙の流れる僕の頬に手を添えた。
『私ね。とっても……幸せだったの。御門と会えて、結婚して、可愛い子供だって生まれて……。』
『そんなこと言うな。そんな……。』
遺言のようなことを。
『愛してる。ううん、愛してた。ありがとう……。御門。』
漆黒の瞳が閉じられ、力を失った腕が地面に落ちる。
『嘘だ……。死ぬな……。僕を置いて行かないでくれ!』
呆然と奏の顔を見つめる。
もう、この顔が微笑むこともないのか。
愛らしい唇が御門の名を呼ぶこともないのだろうか。
『見つけた。』
『……。また、お前か。』
『どけ、篠宮。貴様に骸は要らんだろう。我に寄越せ。』
『わ………さ…い。』
『なんだ?』
『お前になんか渡さない。骸であろうが僕のものだ。誰にも渡さない。』
瞬間、御門と奏の周りを白い焔が囲む。
『馬鹿が! 死ぬ気か!?』
『残り少ない命。僕がどこで棄てようが自由だ。』
元々、御門と奏の相性は最悪だった。
御門が『黒』だとしたら、奏は『白』。
そんな二人が交じりあえば、反発が起こるのは必然。
二人の身体は徐々に蝕まれて行き、数年後には命も尽きていたことだろう。その覚悟も準備も既に終えていたが、こんなに早く終わりが来るとは思わなかった。
子供も出来ないだろうと思っていた。それでも三人の子宝に恵まれた。
御門と奏の子供達は兄が育ててくれるはずだ。面倒見のいい兄なら立派に育ててくれる。
せめて、長女の成人まで生きていたいと奏と話していたが、奏が死んでしまった今になってはその話も意味を持たない。
それに一緒に死ねたなら、同じ場所に居れるかもしれない。
『最期に謝ろうと思ってたのに。お前のせいで台無しだよ。』
地面に散らばった奏の黒髪が白い焔に焼かれていく。
それを見るともなしに見ながら御門は喉元に刃物を呼び寄せ、一息で掻き切った。ばたりと奏の上に折り重なるように倒れ込む。御門の血が奏の服をさらに赤く染め上げる。
黄泉の国で一人なんて奏は寂しがるだろう。
と覚悟して死んだのだが、目覚めてみれば一人ぼっちだ。
ふう、とため息を吐く。顔を上げると左右の色の違う瞳が御門を見つめていた。作り物のように綺麗な顔がすぐそばにあると落ち着かない。
「なるほど、落ちてきたのね。」
「え?」
「勝手に視てごめんなさい。」
「いや、え? 何を見たって?」
何もかもを見透かすような瞳に、御門はぞくりとする。
今、御門が思い出していたことを見たのだろうか。
不思議な空気を纏ったシトリンに初めて恐怖を感じた。
「上の世界から落ちて来たみたいね。ふふっ。私はこう見えて神様なのよ。だから過去も現在も未来だって視える。勿論、ミカドのいた世界もミカドの死んだ理由も、今誰を探しているのかもね。大丈夫、彼女とは未来で必ず会えるわ。それがいつかは教えられないけれど。」
なるほど神様か。シトリンの持つ独特の空気に納得できた。
「落ちるってどういう意味?」
「この世界は第一三六位の世界で、ミカドが居たのは一一三位の世界よ。自殺なんて馬鹿な真似をしたから下の世界に落ちたのよ。彼女は貴方の呪いに近い願いに引きずられて、この世界に落ちて来たみたいだけれど。あ、何処にいるかは教えられないわ。私が罰せられるから。」
自殺をしたら地獄に堕ちると聞いていた。おちるにはおちたが、下位の世界に落ちるとは。世界はそんな仕組みだったのか。興味深い。
この世に奏がいることが分かっただけでも収穫だ。
魔物なら寿命も充分だろう。この世界のどこかにいるのなら、必ず探し出せる。御門が手を伸ばせば届かないものなど何もない。
「お母様!」
突然現れた十歳くらいの小さな少女が、勢いよくシトリンに抱きついた。金茶色の髪は膝まであり、邪魔そうだなと御門は思う。
「どうしたの?」
「だれ? このひと。」
御門に怯えた様子の少女の瞳は紫色だった。
この少女はオッドアイではないようだ。
小さな少女はシトリンの腕の中から御門の様子を窺っている。
「この人はね、その辺から湧いて出たの。」
湧いて出たとは、確かに湧いて出たも同然だが子供にそれが理解出来るのだろうか。
「妖魔だから?」
「あら? シャーロットは分かるのね。偉いわ。」
小さな頭を愛おしそうに撫でている。母親に頭を撫でてもらえてご満悦なシャーロットは、警戒が緩んだのかひょこひょこと御門の前まで歩いて来て、御門の顔を探るような目をして見つめている。居心地が悪くなってきた。
「この子はね、シャーロットって言うの。可愛いでしょう?」
「僕の子供の方が可愛い。」
しゃがんで、シャーロットの髪を掻き回すように撫でる。
少女は楽しそうに笑って手を伸ばしてくる。脇の下に手を差し入れ抱き上げた。御門の子供には負けるが、子供は可愛い。ちょうど小三の次女と同じくらいの年頃だろう。
「あら、この子には負けるわ。可愛いけれどシャーロットの方がお利口さんよ。親の靴下に『百足』なんて入れないもの。『ケータイ』の電話帳のデータを全削除もしないわ。」
「ここにも携帯あるんだ。」
「残念ながらそこまで科学が進んでいないの。会議の度に上位世界から馬鹿にされるわ。勿論、ミカドのいたところにもね。」
「へぇ~。」
シャーロットを腕に抱きながら生返事している御門にムッとした様子のシトリンは御門の腕からシャーロットを奪い抱き締める。
「ミカドは子供好きなの?」
「子供は可愛いから。それに僕の子供と年が近そうだからね。おいでシャーロット。」
御門はシャーロットを手招きする。
するとぱあっ、と顔を輝かせ胸に飛び込んでくる。
「おにいさんのお名前は?」
「御門だよ。」
「格好いい名前ね! 王様をあらわす名前でしょう?」
「そうだけど、どうして知ってるの?」
『御門』は『帝』で国の頂点に立つ者を意味する名ではあるが、この世界でも『帝』と同じ名前であるのだろうか。皇帝の方がしっくりする。
もしかしたら、御門のいた所のように色んな国があるのかもしれない。それでも幼い少女にしては、やけに物知りだ。首を傾げる御門に気づいたシトリンが口を開いた。
「純粋に。ただの一滴もヒトの血が混じっていないからよ。」
平坦な声で喋るシトリンが、昏く澱んだ瞳でシャーロットを見つめる。先程までの慈愛に満ちた表情は掻き消え、憎々しげに娘を見つめるシトリンに背筋が寒くなる。
「えっと、シトリンさん?」
「なぁに? 」
「いや、僕これからどうすれば良いのかな?」
昏い表情から、柔和な表情に変わったシトリンに何も聞かず、違うことを話した。この人はヤバい。奏を殺した奴よりも。
「私たちと一緒に行く? シャーロットも懐いてるみたいだし、ミカドにこの世界のことを教えておきたいもの。落ちてきたミカドは、まずこの世界に慣れた方が良いでしょう?」
この世界のことを御門は知らない。慣れるまでは彼女の傍で様々なことを学びたい。そして必ず奏を見つける。
「そうだね。しばらく世話になります。」
「御門が付いて来てくれるの? 嬉しい!」
「良かったわね。シャーロット。」
嬉しそうにはしゃぐシャーロットにシトリンは慈愛に満ちた微笑みを向けた。




