気の迷いと一人の決断
(私が何なのか……。そんなの決まってる。)
少し考えればすぐに分かった。
怯えることなどない。身体の震えが止まる。
たとえこの身がヒトでなくとも、この心はかわらない。
だから、胸を張って答えられる。
「私はレイラ・ヴィンセント。それ以外の何者でもないわ。」
「格好いいー。イケメン……いや、男前だね。」
ウィラードがパチパチと手を叩いた。まるで褒められている気がしない。
「とりあえず、本当の父親には興味があるの。あと分散している月の機能をどうするか考えないといけないのだし、王宮には行くわ。」
これからどう動くか、どう動けばいいのか分からないから、学院を辞めることも視野にいれておかなければ。
そうなった時のために荷物は纏めておこう。
入学した目的、強くなるという夢は一旦置いて、世界の均衡を守るための方法を見つけるまで、それまでは王宮に留めてもらえばいい。放課後、休学という扱いに出来るかどうかメリルに聞いてみよう。
「王宮に行くならオレも付いて行こうか? オレがいた頃とあんまり変わってないみたいだし。必ず守ってみせるよ。愛しい愛しいお嬢さん。」
大げさに一礼して手を差し出したウィラードに表情筋を笑みの形に動かす。うまく笑えている気はしないが、ないよりはましだろう。
ウィラードの手に自分の手を重ねる。
「ええ、お願いするわ。」
彼が囁く言葉に偽りはない。ウィラードはレイラを愛してくれている。しかし、それは子や孫に向けるような愛情だ。『シャーリーの孫』それがウィラードがレイラの周囲を彷徨く意味だ。
彼には迷惑をかけているという罪悪感をあまり感じない。
ウィラードの寿命は無駄に長い。大切な時間を使わせてしまったと思わなくて済む。
「信頼してくれてるんだ。もしかして惚れた?」
「惚れるわけないでしょう。信頼はしているけれど。」
ウィラードの胡散臭い所だけは未だに受け付けない。
「つまんないなー。でも、そんなお嬢さんが好きだよ。」
風に靡く金茶色の髪を触り、緋い瞳がレイラを見つめる。
午後の授業の開始を告げる鐘の音が響く。
「お嬢さんみたいなのがシャーリーを忘れさせてくれるのかな。面白くて、心配で、目を離したらどっか遠くに行っちゃいそうなお嬢さんが。」
「貴方は忘れたいの?」
「どうなんだろうね。神殿から追い出されたのに忘れられないんだ。あの時、オレとずっと一緒にいることを選んでくれたら……どんな死に方をしても幸せだったのにって。どうしたらいいのか分かんない。」
滅多に見られないウィラードの縋るような瞳にたじろぐ。
「ねぇ。本気でお嬢さんのこと好きになってもいい?」
「変なものでも食べたの?」
思いのぶれないウィラードが戯言を漏らしている。
「いいや~。ふと、そう思っただけだよ。」
ごろん、と細い手すりの上に寝そべる。器用なやつだ。
最近のウィラードは不安定な気がする。記憶が戻ったと言っていたから、その戻った記憶の中に何か大切なものがあったのかもしれない。
そんな不安定なウィラードに言えることはひとつ。
「それは気の迷いよ。永い間、ずっと独りで寂しかったから、シャーロットさんの血縁である私に会って心が迷っただけ。」
千年以上も独りだと感覚がおかしくなるはずだ。寂しいという感情も薄れてしまう。そして今、昔の恋人に繋がるものを見つけただけ。それに、
「貴方は私を好きにならないもの。」
「へぇ?」
「私をシャーロットさんに重ねることはあっても、シャーロットさんの代わりになんて思ったことないでしょう?」
「はは、意外に見てるんだね。ほんとに惚れちゃいそう。」
「ごめんなさい。私では貴方を救えないの。」
そう、レイラでは救えない。ウィラードの残念な頭を。
束縛も過ぎれば恐怖にしかなり得ない。
レイラはシャーロットのように重い愛を受け止められない。出来ることなら柔らかい愛で包んでもらいたい。
「そういえば、アレン・シアーズはどうしてああなったの? 段階を踏んでたはずでしょう?」
先程の話を聞いていて不思議に思った。
アメシストが数百年かけて造った神様なのに、あそこまで狂気的に他人を愛することができるものなのか。
「たかだか数百年で完全になるわけないでしょ。あの狂人はヒトだったんだよ? 限りなく近くしただけ。まぁ、シトリンさんが彼の好みのど真ん中だったんだろうけどね。感情を揺さぶられて壊れたんだ。この世界の神様って欠陥だらけだよね。ほんと面白い。」
神様の代用を作る方法をアメシストが創ったという。
理の神は世界のルールを作る。林檎は甘い。檸檬は酸っぱい。というものから、ヒトや花など動植物の倫理観まで手広くやっているらしい。
「胎児に祝福を持たせるのは負担が軽いけど、産まれてからは負担がかかり過ぎる。一応妖魔なオレも死にかけたくらいだしね。魂の分別に来てた終わりの神様が見えたよ。」
弱々しく笑うウィラードは、胎内にいても負担はあると言った。レイラには五つの祝福があるはずなのだが、その負担はどのように現れたのだろう。
「ユウだったかな。彼は胎内にいる内にアレン・シアーズが祝福を授けてるから、狂人ほど簡単に壊れないはずだよ。それに合わせて、間違いがないように外出時は始まりと終わりの二柱がユウの感情を抑制してるはずだし。」
「大変なのね。」
おかしな喋り方をしていたのは、感情を抑制されていたせいだろうか。
だから、レイラも変なのかもしれない。
いや、物心ついた時はもっと普通だった。
学校で貴族のボンボンにちょっかいを掛けられ、出来うる限りの仕返しをした。掴み合いの喧嘩は当たり前。彼によりレイラの暴力的な部分は作られた。今はウィラード限定になってしまったが。
そして、七歳で人を殺してからレイラも感情を殺すようになり、ノアが部屋から出さなくなった。レイラもこれ以上殺してしまうのも、殺されそうになるのも嫌だったからノアにされずとも自ら籠っていた。
そんな頃、あのボンボンが屋敷にやって来て「好きなんだ」や「気の強さが好みだ」、「その瞳は菫の花のようだ。きみのことで頭がいっぱいになる」と言った。今まで「馬鹿」、「女のくせに生意気だ」と言っていた男、その渾身の寒い言葉より仮面のような笑顔に寒気がした。
罰ゲームか何かで言っているとしか思えなかった。
未だにあの笑顔を思い出すだけで虫酸が走る。
胡散臭い男が苦手になったのも彼が原因かもしれない。
ある意味、今のレイラを形作ったのはあのボンボンであると言える。物心つくまでが『リリス・シトリン』というのなら、今は完全なる『レイラ・ヴィンセント』だ。
王女様が取っ組み合いの喧嘩なんてしないだろう。
王女様が陰謀渦巻く王宮にいて、いちいち胡散臭い男に鳥肌を立てているようではやっていられないだろう。
レイラはシリルのように、屈託のない太陽のような眩しい笑顔が好きだ。暗いレイラはどうしても太陽に憧れてしまうから、惹かれてしまう。
ジェフリーが求める王族は既にレイラにない。
この身に流れる血だけが王子が求めたものだ。
どう転がってもいいように、人と同じものではなくてもこの想いだけは伝えておきたい。
事が済んでこの地に戻ったとき、レイラがこの想いを抱いているとは限らないのだから。
独占欲がなければ好きでないなんて、そんなのはおかしい。レイラが神様に近いというなら、想いを伝えようなんて思わないはずだ。
かといってヒトとも思えない。せめて中間だろう。
(明日でいいかしら。今日はメリルさんに休学出来るか訊かないといけないもの。シリルも週末は忙しいはずだわ。)
明日の空いた時間に学院から少し離れた森に行ってこの想いを伝えよう。




