欠けているもの
扉の外から気配が消えたのを確認してから、そっと扉を開き顔を出す。人影はない。
考えを纏めるため、屋上にでも行こうかと部屋から一歩踏み出す。
「どうするつもりだ?」
「っ!」
聞きなれた声と共に腕を掴まれる。あやうく馬鹿みたいに大きな悲鳴をあげるところだった。
じとっ、とレイラの腕を掴むシリルを見る。
この部屋は外開きの扉だ。どうやら半開きの扉の後ろに居たらしい。
気配を消すのが暗殺者並みなのだから、もっと見えやすい場所に居てほしかった。
「 驚かさないでください。」
心臓が止まるかと思った。まだ心臓はばくばくと暴れている。
「悪かった。つい癖で。」
変わった癖だ。どんな生活をおくってきたのだろうか。
扉を閉めレイラとシリルの他に誰もいない廊下を眺める。
「王子殿下はどうされました?」
逃げたレイラを追っていたのはジェフリーとシリル。
まさか王子が方向音痴とは思わないが、案内なしで大丈夫なのか。
「今日は帰るそうだ。目的は果たしたからだと。」
苦い気持ちで中庭の出来事を思い出す。
ジェフリーには目的を果たさずにお帰り願いたかった。
「大丈夫か? あんな大勢の生徒の前で…。」
心配そうな声色と頭を撫でる大きな手に心がふわりと軽くなる。
「大丈夫だと思います。殿下は推測でここまで突き進んできたみたいですし、兄が漏らさなければ私だとは分からなかったはずです。違うと説明すれば、みんな信じないと思います。」
学院に居づらくなるが、しばらく経てばみんな忘れてくれるだろう。
最悪は学院を辞めて実家の仕事を手伝えばいい。
そして、適当な時期に父に紹介された相手と結婚すれば家のためにもレイラのためにもなる。老後に独りは寂しい。
それか、いっそのこと王子と結婚するのもいいかもしれない。怠惰な引きこもり生活ができる。公務さえこなせば、だろうが。
「なら断るのか? あの……結婚の話。」
「今のところ断る予定です。」
「今のところ?」
「はい。今のところ。」
「そうか。」
そう言ってシリルは疲れたように眉間を揉んでいる。
月の機能がバラけているのがよろしくないらしいことは理解できた。そしてその機能の限界がきていることも。
(ウィルに相談してみようかしら。)
シトリンと面識があるくらいだ。なにかこの状況をひっくり返すための情報を持っているかもしれない。そうと決まればさっさと呼んで相談しよう。期限は二日だ。
それじゃあ、とシリルに言って屋上へと歩き出す。
「待て。どこに行くつもりだ?」
「相談に行こうかと。」
「誰に?」
少し低くなったシリルの声に小首を傾げる。
「ウィルに。」
「どうしてあいつに。前も変なこと言われてただろ。俺じゃ駄目なのか?」
不満そうな口ぶりで気付いた。
どうやら、妹分が自分でなく他の人を頼っているから拗ねているらしい。大人だろうに呆れてしまう。が、可愛らしくも思えるから不思議だ。
「昔の話を聞きたいだけですから。シリルは千五百年前には生まれていないでしょう?」
くすくすと笑いながらシリルでなくウィラードを頼る理由を伝える。他のことならウィラードでなくシリルに相談している。
「他のことならシリルに相談しますから、拗ねないでください。」
「……。」
返事がない。どうしたのかとシリルを見上げると、ぽかん、と口を開けてレイラを見つめていた。
「どうしました?」
「いや、そんな風に笑った顔なんて初めて見たから。」
シリルは赤くなった顔を隠すように片手で覆った。
なぜ、そんな反応をするのだ。まるで……いや、深くは考えるまい。勘違いして痛い妄想をしてしまう。
「そのですね。そういう訳なので少し話してきます。」
気まずい空気に堪えきれず、じりじりとシリルから後退する。
「分かった。ちゃんと周囲に気を配って攫われないようにしろよ。俺の寿命が縮まるからな。」
「はい。行ってきます。」
おどけたように笑うシリルに、気まずさも少し紛れる。
勝手にレイラが気まずく思っただけだが。
◇◆◇
「なるほどねー。王子様も色々考えてるんだね。てっきり頭の中すっからかんだと思ってた。」
「いつかウィルは不敬罪で罰せられるわ。」
手すりの上に座っているウィラードを睨む。
人が真剣に話しているのに茶化してくる。これがウィラードの通常運転なのだが、今のレイラは苛立つだけだった。
「王様優しかったよ? 忍び込んだのが見つかって捕まった時、オレだって気づいて牢から出してくれて、しかも記憶が欠けてるのにも気づいてくれた。 だから、優しい陛下は不敬罪なんてオレには使わないと思うなぁ。」
「そう、陛下は貴方にも慈悲を与えてくれるのね。それで、何か手立てはないの?」
神様になるのも、王子との間に子供を作って、その子供を神様にするのも御免だ。そして、このまま世界が壊れるのも嫌だ。
諸々から鑑みて、一番避けなければならないのは世界が壊れることだ。次は自分の子供を犠牲にすること。それなら、
「お嬢さんが神様になれば? 身体も心も準備出来てるでしょ。調整すれば使えるはずだよ。」
まるでレイラの思考を読んだかのような言葉に息を呑む。なんだか嫌だ。
「準備? どうして?」
確か、神様になるには永い時間が必要だったはずだ。
「そうだね。お嬢さんに質問。お嬢さんの好きな人は?」
「……。その質問に意味はあるの?」
「意味あるから訊いてるの!」
悪戯っ子のように笑うウィラードはからかう気満々だ。
そうはいくかとすっぱり答える。
「シリルよ。」
「相変わらず潔いねー。面白くない。」
ぶーぶー文句を言うウィラードを睨めつけた。
「それで?」
いちいち話の脱線するウィラードに話の続きを促す。
「独占欲はある? 先生が他の女子と話していて嫌な気持ちになったりする? 昔に恋人がいるって知ってどう思う?」
矢継ぎ早に問われ目が据わる。
「そんなの当たり前だわ。独占欲は誰にでもあるものでしょう? それなら私にだってあるわ。」
「ほら、そこだよ。自分で言ってて気付かないんだもんなぁ。」
こりゃだめだ。と目を覆っている。
「何が言いたいの? 回りくどいのは嫌いだわ。」
「はいはい。で、誰にでもあるものって言うけど、お嬢さんは独占欲を抱いたことなんて一切ないでしょ。」
「ええ。だって先生は私のこと大好きだもの。」
ぶっちゃけ独占欲を抱く隙すらない。
「うわー。すごい自信だね。」
「異性としてとは言ってないわ。そこまで自意識過剰にはなれないの。でも、先生が私を特別に可愛がってくれるのは分かるから。」
ついに、呆れて物も言わなくなった。ウィラードが黙るなんて珍しいこともあるものだ。暇になって中庭を見下ろす。午後の授業まで余裕はあるが、昼食が途中だった為お腹が空いている。午後の授業、保つといいが。
「じゃ次の質問。なんでお嬢さんは『こうしないといけない』『そうなるもの』って言うの?」
「?」
こてんと首を傾げた。なにかおかしいのか。
「なんで自分の手で殺さないといけないの? 昔に殺されそうになって力で殺したから? その人たちに不平等だから、殺そうとした人は全員お嬢さんがその手で殺さないといけないの? それはどうして?」
どうして? と訊かれても、そうしない方が変だと思う。
「不平等だと思うのだけれど。おかしいかしら?」
「いや、普通に殺す方がおかしいでしょ。」
馬鹿にしたような口ぶりにむっとする。
「最初は殺して他は殺さないなんておかしいわ。そうね。私はおかしいけれど、人を好き好んで殺したいなんて思ったことはないわ。殺人鬼ではないの。」
不平等になるから仕方なく殺しているだけで、殺人を楽しんだことなど一度もない。肉と骨を断つあの感覚は嫌いだ。
それなのに、はあっ、とこれ見よがしに溜め息を吐かれ眉を顰める。
「それともうひとつ。本当に先生のこと好きなの? 思春期にありがちな憧れじゃないの? 独占欲が他の人にあるならお嬢さんにもある、なんておかしいでしょ。他の人と同じようにある。が普通だ。気付いたら好きな人に近付く全てに嫉妬するんだよ。」
「貴方の言うことはよく分からないわ。それに、たとえ勘違いだったとしても、シリルといると幸せな気持ちになるの。触れられるだけで心が満たされるの。それで充分だわ。」
それ以上なにを望めというのだろう。
シリルの横にレイラがいても何か特別なものを渡せるわけでもない。シリルが幸せなら他の女性と笑っている姿でもいい。
「これで、はっきりしたね。」
「何が?」
「女神シトリンはね。アレン・シアーズに壊されて不完全になったんだ。」
いきなりシトリンのことに話が飛んでしまった。
何を言いたいのだろう。ウィラードは話が回りくどくて面倒だ。女性のように。
「でね、神様としては不完全になっても、ヒトとしては完全なものになったんだ。じゃないとヒトと契ろうとはしないよ。結婚は相手を確実に繋ぎ止めるものだからね。神様として不完全ならヒトとして完全だ、なんて面白いよね。前に神様に独占欲はないって言ったでしょ?」
シリルと同じ橄欖石の瞳を思い出す。
あの太陽の神様だという彼は、シリルの先祖に一目惚れして祝福を授けたという。彼らを守るために。
そして子孫であるシリルにも祝福を授けている。
好きなら独占欲が出る、というなら、一目惚れした先祖の女性を独り占めするために動くはずだ。間違っても、頼まれたとしても、女性の婚約者に祝福なんて授けない。ということは、
「なに? 独占欲がないから、私は神様だとでも言いたいの?」
馬鹿らしい話だ。神様になんて簡単になれない。
そのはずなのに、ウィラードは驚いたように目を丸くして頷いた。そして面白そうに笑うと手を伸ばし、レイラの目のふちを指先でなぞる。
「うん。お嬢さんは欠けてるんだ。ヒトとして。」
それは知っている。誰に言われなくとも、自覚している。
「でも、神様としても不完全。身体は五つの祝福の所為でいつでも神様になれるのに、心は限りなく神様に近いだけ。ヒトとしても神様としても欠けてる。」
面白いねと笑うウィラードは、どこか悲しそうだった。
「オレはね。お嬢さんが自分で気づいてくれることを願ってたよ。だって自分でおかしいことに気付けるならヒトに近いだろう? それならオレでも介入できたのに。まあ、介入できても途中で跳ね返されるかな。君は最初からその為に祝福を授けられたんだろうし。」
最初からその為に? 馬鹿みたいな数の祝福はなんのためのものだったのか。レイラがおかしいのはその所為なのか。
哀れむような視線に身体が竦む。
最初はこんな話ではなかったはずだ。
王子からの申し出になんと返せばいいのか、それを断った場合に出てくる問題を解決するためのヒントを得に、ただ相談に来ただけだった。
「ヒトでもなくて神様でもない。お嬢さんは一体何なんだろうね。」




