小僧の挑戦と急な来訪
こんこん、と扉が叩かれる音がしてルークは溜め息を吐いた。何度も叩かれる扉を無視して机に伏せる。
愛娘に近付く害虫の話を聴いて神殿から出てきたはいいが、父と弟に捕まってしまい二月も王宮から出られていない。
流石に見た目が実年齢より若いルークを表に出すつもりはないらしいが、代わりのように諸々の仕事を任されている。明らかに王太子の仕事である仕事をだ。
本当なら弟の次辺りに王位を継ごうと思っていた。
神殿にある扉の時間を操れば若い姿のまま王になれる。それに、純血はこの場所に存在しておかなければならない。
五柱のひとつが欠けている今、調整者と器を繋いでいるセオドアに何かあれば、その次はルークだ。そしてルークが最後になる。もう役割のない純血はルークとリリスしか居ない。
現状、調整者はアリアに入っている意識。
器は六十代のアドルフ。
それらを繋いでいるのも六十代のセオドア。
かなりガタガタな状態だ。
意識は終わりが見えればリリスがすべてを請け負い、リリスの意識が耐えられなければ意識が『リリス』に成ると言っていた。
そんな戯れ言を現実にするわけにはいかない。
本当なら、ルークとアリアの元で大切に育てようと思っていたリリスを神殿から引き離すために、嫌々アドルフに預けたのだ。
それもこれも、意識がリリスの中に棲んだのがいけない。
意識が侵入した場所から、強大な神力が大きな器を持つリリスに入り込み神殿の空間が壊れかけた。
その上、ルークの元から逃げ出そうとしてヒトを神殿に引き入れた。誰にもアリアとリリスの姿を見せるつもりもなかったのに。挙げ句、最悪なことに数人取り逃がしてしまった。
リリスの天使のように美しい姿を、醜い貴族共が口にしていると聞いた時は意識を消す方法を本気で考えた。
しかし、その頃に愛しのアリアが意識とリリスの力を封じると言い出して、それを止めるのに必死で意識にかまけている時間なんてなかった。
結局、彼女の思いを止まらせることは出来なかったが。
元が純血だったとしても、それを無理やり神様にすると欠陥が出来る。元の人格なんて一切残らない別人になってしまうのだ。
だから王族は純血を残すために力の強い者同士が結ばれた。
女神はこの終わりが見えていたから、最終的に神様に出来るベースを残すために純血という存在を作ったのだろう。
純血も大概どこかが壊れている。
アドルフは姉アリアと妻セレスティアを馬鹿みたいに愛しているし、セオドアも前妻と後妻を同じように扱っていた。そしてルークの頭のネジも吹っ飛んでいる。
執着と束縛が強いのが純血の特徴だろう。
神様は大して執着心も束縛もないと言うのに、神の一族と呼ばれる王族は純血らしく、愛するものを束縛しないと生きていけない。
「もう僕にはリリスしか居ないんだね。」
アドルフからリリスを取り戻したら、誰にも邪魔されない場所で父娘二人きりで生きていこう。嫁になんて行かせるものか。アリアは誰か優しい男と一緒になって欲しいと言っていたが、そんなのルークが許さない。アリアの望みなら何でも叶えてあげたかったが、これだけは譲れない。
がちゃり、と音がして扉が開かれた。
面倒だから無視していたのに、待ちきれなかったようだ。
「なんだ。いるなら返事くらいしてくださいよ伯父上。」
銀髪に金色の瞳をした青年が勝手に部屋に侵入してきた。
「ああ、ライアンの息子だったっけ。何か用?」
王宮に連れ戻されてすぐの頃にライアンに紹介された。
それ以来、会うこともなかったが何か用だろうか。
「いえ、ただ伯父上に許可を頂きたくて。」
「許可って何の?」
嫌な予感がしてジェフリーを見つめる。
「伯父上の宝を頂きたい。」
含みを持たされたその言葉に半眼になる。
どいつもこいつもルークから大切なあの子を奪おうとは、身の程知らずが。消え失せろとしか思えない。
「絶対嫌だね。王位ならいくらでもあげるけど、あの子だけはあげられない。僕とアリアのものだから。」
「しかし、このままでは彼女が五柱の一角を担わなければならなくなりますよ? それくらいなら、混血とはいえ血の濃い僕と純血の彼女の子供でしたら貴方の心は痛まないと思ったのですが。」
ジェフリーの提案に片眉をぴくりと上げた。その方法を考えたこともあるが、不愉快になっただけで考えるのをやめた。しかし、その方法なら普通の女性として生きて欲しいというアリアの願いは叶えられる。
ただ、リリスが己の子供を犠牲とすることを許すはずがない。
「ならあの子を口説き落としてから出直しなよ。まぁ無理だろうけどね。」
「ありがとうございます。今はそれで充分です。」
満足そうに微笑んだジェフリーは一礼して部屋を出ていった。
ルークは時間をかけてアリアを口説き落としたのだ。
心を手に入れたのは一年後だった。
あんな小僧が短期間でリリスを手に入れようなんて甘い。
◇◆◇
「面倒なことになった。」
書類の上に拳を叩き込みながら、メリルは吐き捨てるように言った。こんなに苛立っているメリルは久しぶりに見た。
「何かあったんですか?」
「明日にジェフリー王子が、この学院に視察に来るらしい。」
「明日! 急ですね。連絡はいつ来たんですか?」
「さっきだよ。アドルフが伝えに来た。王子のくせに礼儀がなってないね。というわけで、王子の案内はフィンドレイに頼んだよ。」
「私よりサンドラー先生に頼まれた方が良いのでは? 私は若輩の身ですし……。」
シリルの気持ちを簡単に表すと面倒なことは御免だ。
それにレイラから離れるわけにはいかない。三月前に血臭を纏って帰ってきてから、特におかしなところはないが、いつまた血臭を纏って帰って来るか分からない以上、レイラから離れるわけにいかないのだ。
というシリルの思いもメリルは一蹴した。
「この学院にいる教員でフィンドレイが一番身分が高い。それに何度か会ったことがあるだろう? 未来の侯爵閣下。」
にやりと嫌な笑みを浮かべたメリルから視線を逸らす。
「まだ諦めたわけでは……。」
「その顔。もう諦めてるだろう。」
愉しそうにシリルの前髪を弄るメリルは頼んだよと一言告げて理事長室を出ていった。
調整者という役割がなくなったメリルは自由に外に出歩くようになった。他の教員とも交流はあるはずなのに雑用を任されるのはシリルだ。若いからと言われても釈然としない。
(それにしても王子殿下の視察なんて、なんでこんな時期に来るんだ。それもいきなり報せもせずに。)
かなり昔の夜会で見た王子は女性に好まれそうな少年だった。加えて学院には貴族も多い、顔を知っているはずだから確実に大騒ぎになる。
誰かもう一人くらい生け贄……手伝ってくれる人が欲しい。
無難なのはエリオットだろう。出来のいい弟を持ててシリルは幸せだ。決めたエリオットに手伝ってもらおう。
シリルが離れている間はクライヴとジェラルドにレイラを見ていてもらおう。総合科二人ならレイラを守れるはずだ。
◇◆◇
数日後、朝の校門前で不満そうな顔をしたエリオットを宥めながら、王子の到着を待っていた。
「なんで僕がこんな目に……。」
「理事長が俺を指名したんだ。それに、俺よりエリオットの方が会った回数も多いし、王子殿下も安心だろう。」
何年か前に王子と話した覚えはあるが、あの頃は忙し過ぎて記憶がうっすらとしか残っていない。
幼い頃は同い年ということもあり、それなりに交流があったらしい。しかし、そんな子供の頃のことなど忘却の彼方だ。
寝不足のため欠伸を噛み殺し、眉間を揉んだ。
「やあ。出迎えご苦労。」
急に何者かに話しかけられ、咄嗟に飛び退いた。
声の主を確認しエリオットと視線を交わす。
銀髪に金色の瞳。神の一族を意味するその色彩に、慌てて周囲を見回す。
いつもの生活が流れるトリフェーンの街に、豪奢な馬車や護衛の姿はない。おそらく護衛は陰に隠れているのだろうが、それにしても無防備すぎる。
(なんで王子が徒歩で来ているんだ!?)
(僕だって意味分からないから!)
「ごめんね。僕は一人の方が好きだから。」
シリルのエリオットの心の内を呼んだようにジェフリーは笑った。いや、笑えない。王子が徒歩で王都から遠く離れたトリフェーンまで来るなんて、ありえない。
まさか、昨日の内にアドルフが運んで来たのだろうか。
そうならば、突然の来訪の意味も分かる。
思い付きで行動したのかもしれない。
「今日はよろしく頼むよ。シリルとエリオット。」
「殿下に満足して頂けるよう、精一杯務めさせ……。」
「普通で構わない。年も同じなんだから折角だしジェフリーと呼んでくれないか?」
「いえ、殿下それでは……。」
貴族どもに目の敵にされてしまう。あまり会った記憶のないシリルなんかが王子を呼び捨てにしてしまえば嫉妬の嵐に揉まれてしまう。
「僕の親友は僕のことを馬鹿と呼んでいるんだ。誰か一人くらい名前で呼んでくれる友人が欲しくてね。」
馬鹿と呼ばれているとは、それは親友なのだろうか。
しかも王子を馬鹿と。親しい仲だから出来ることだろう。そんなに仲の良い友人がいるなら、是非ともシリルのことは貴族の中でもその他大勢という括りに入れてほしいものだ。
「善処します。それでは、理事長室までご案内致します。」
適当にはぐらかしてから、ジェフリーを理事長室にいるメリルの元まで連れていく。流石に王子の前で、あの怠惰な姿は見せないだろうと理事長室の扉を開いた。
「女子寮以外なら自由に散歩して構わない。あ、それと職員棟の三階ね。散歩にはフィンドレイのどちらかは連れて行ってくれ。それ以外は特に言うことはない。」
それだけ言って、メリルは机に突っ伏した。
どうやら、お眠の時間だったらしい。相当機嫌は悪そうだった。しかし、相手は王子殿下。機嫌を損ねていないか恐る恐るジェフリーの様子を窺う。
「じゃあ、理事長先生から許可も貰ったし授業風景を見せてくれないか? 一応お忍びって名目だから目立ちたくないな。」
まったく、気にしていないジェフリーの様子に胸を撫で下ろす。が、目立ちたくないなんて、そんな台詞はその輝く銀髪を隠してから言ってもらいたい。私が王族です。という名札を付けているも同然だ。
「かしこまりました。」
「ん。ありがとうシリル。」
ジェフリーは満面の笑みを浮かべ、握手を交わす。
(エリオット。確実にバレるからな。気を抜くな。)
愛想笑いのエリオットと視線で会話する。
(分かってるよ兄さん。殿下は目立ちたいんだろうね。とりあえず見つかったらここに逃げるよ。職員棟なら安全だよね。)
(ああ。最悪は教員と総合科の生徒で周りを固める。)
(分かった。後で連絡回しておくから。)
嵐が来たと思いながら、士官科の授業を受けているであろうレイラに思いを馳せる。
昨日、王子が来る話をレイラにすると少しだけ興味を示していた。やはり従兄だという存在は気になるのだろう。
(士官科の時は少しだけ足止めするか。)
レイラが王子を観察する時間を多めにとりたい。




