言い訳と少しの差
「あの妖魔と何して来た?」
椅子に座っているレイラの周りを靴音を響かせながらシリルが歩く。取り調べられているような状況に、椅子の上で身を縮こまらせながら言い訳の言葉を探す。
「その、知り合いの所に行っただけです。」
知り合いといえば知り合いのアレンを殺しに行ってきました。なんて口が裂けても言えない。それにこれなら完全な嘘ではないのだ。
びくびくしながらシリルの様子を窺うと、レイラの目の前で膝をついた。近距離にある端整な顔に鼓動が早まる。
真剣な顔から視線を逸らせないレイラの首を優しく撫で、何を思ったのか顔を寄せた。戸惑うレイラを余所に耳朶を軽く噛まれる。思わず変な声を漏らしそうになって口を真一文字に引き結んだ。
「ならどうして血の臭いがするんだ?」
首筋にシリルの鼻先が当たる。匂いを確かめるように息を吸い込むシリルに、色々と恥ずかしくなって恐る恐る下にある蜂蜜色の髪を見下ろすと、橄欖石の瞳がレイラを捉えた。眼光の鋭さに身をのけ反らせ、吐息の感覚の残っている首元を押さえる。
血の臭いが分かるなんてどんな嗅覚を持っているのだ。
というか、なんでこんなに色気が駄々漏れている。
基本、笑顔か悩んでいる顔のシリルが艶のある表情でレイラを見つめている。病院の屋上で別れてからシリルに一体なにがあった。
酒なのか? 酒を呑んでいるのか? シリルはザルらしいが、やはり酒を呑むと上機嫌になるらしい。ノアのような絡み酒ではないが、酒を呑んだ日はやけにくっついてきたから、今も酒が入っているのかもしれない。
適当に誤魔化して頭でも撫でておけばバレないのでは、とすごく失礼な考えを思いつき蜂蜜色の髪を撫で回す。
「急に襲われて手加減が……。」
「俺が側にいないのに手加減もくそもあるか。確実に仕留めてるだろ。一撃で急所をざっくりと。」
レイラの言葉に被せるように言い放ったシリルに、身体の動きを止めた。やはり、今まで散々やらかしているレイラでは無理のある言い訳だったか。
しかし、今回は止めを刺させてもらせなかった。
ウィラードはなんやかんや気を使ってくれたのだろう。レイラが手を汚さなくてもいいように、先に殺していた。ジョシュアに至ってはレイラに敵わないとみて直ぐに自死してしまった。
これでは何のために行ったのか分からなくなる。
レイラの周囲をかき乱したものはレイラが潰すのが決まりだったのに、他人にやらしては意味がない。
これでは不公平だ。もう亡いものをどうすることも出来ないが、他になにか方法はないだろうか。
「どうしようかしら……。」
ぽつりと落ちた呟きに素早くシリルが反応する。
「何を、どうするつもりなんだ?」
「……ウィラードにどんなお礼をすればいいのかと。今日は私の我が儘で付き合ってもらいましたから。」
そんなことは露ほども考えていなかったが、何かを手伝ってくれた人にお礼をしたいと思うのは不自然ではないはずだ。
「全然そんなこと考えてないだろ。」
呆れたように溜め息を吐かれる。なぜ分かった。
するりと髪を縛っていた紐を解かれ、長い金茶色の髪が背中に流れる。それを愛おしげに撫でられ奇妙な感覚を覚える。背筋を這い上がるむずむずとしたくすぐったい感覚。
「っレイラ! この髪……どうしたんだ!? 誰にやられた!」
近距離でレイラの髪を弄くり回すシリルに動揺していたが、それ以上に取り乱しているシリルのおかげで少し冷静になった。
「そういえば、避けきれなくて少し切られました。」
腰まであった髪が一部だけ胸辺りまで短くなっている。
近い内にすべて同じ長さに切り揃えた方がいいだろう。このままでは不恰好だ。今の今まで忘れていた。
「あの変態妖魔。くその役にも立たないな。」
ちっ、と舌打ちをしてレイラを抱き締めた。
なんだか荒れている。こんなシリルを見るのは初めてだ。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せているシリルを宥めるように、蜂蜜色の髪を梳く。気持ちが良かったのか和らいだ表情にほっとしてレイラは頬を緩めた。
「もう妖魔と二人きりで出掛けるなよ。俺が嫌なら、せめてアルヴィンを連れて行け。」
嫌なら、の時に傷ついたような顔をした。
違うのだ。嫌なのではない。止められたくないから、普通ではないレイラをあまり見られたくないから来て欲しくなかった。
「嫌いじゃないです。私はシリルのことは信頼しているし好きです。ただ、今回だけはウィルじゃなきゃ駄目だったの。」
意味を持たせないように、さらりと「好き」という言葉を混ぜたがこれは結構恥ずかしい。尊敬している方の好きに聴こえたらいいけど、と思いながら無表情を保つ。
「俺もレイラのこと好きだ。」
何故か太陽のように輝く笑顔で微笑みかけられ、心臓が跳ね上がる。
「……。ありがとうございます?」
一瞬、告白されたかのような感覚に陥ったが、勘違いしてはいけない。シリルは優しさを大安売りしているのだ。
だが、レイラを好きだという言葉に偽りはないだろう。
とても嬉しい。今なら妖魔が何体来ても一閃で斬り伏せられそうだ。心も身体も軽い。
(この言葉だけで私はもう充分だわ。)
「好き」という言葉は手に入れた。レイラはそれで満たされている。これ以上を欲すればバランスを保てなくなる。自制しておかなければならない。
◇◆◇
帰ってきたレイラを見て絶句した。
別に、彼女がウィラードに腰を抱かれていたことに動揺したわけではなく、仲良さそうに話していたからでもなく、ましてレイラが遠慮なくウィラードの足を踏んづけていたからでもない。
少し乱れた髪、憑き物が落ちたかのようなすっきりとした顔。片手には真剣。明らかにやってしまったと推測できる。
極めつけにレイラに近づけば血の臭いがした。
確実に殺ってしまっている。だからあんなにシリルの同伴を嫌がったのか。ようやくシリルが拒絶された理由に納得がいった。
シリルが付いて行けば、絶対にその行為を止めることは目に見えて分かった事だろう。だからか。
レイラが帰ってくるまで、悶々と机に伏せて考えていた。
勿論、ウォーレンに会った後から様子がおかしくなったから、大切な兄を害した相手をざっくり刺す可能性も考えた。しかし、レイラが視たところでその犯人が面識のある相手であるという可能性は少ないと考えた。
が、その少ない可能性の方だったらしい。
そもそもレイラの存在自体が少ない可能性から生まれたものだ。その彼女の周囲にある事象が特別にならないわけがなかった。
その特別なレイラを椅子に座らせ話を訊く。
ウィラードとの間には何もないだろうが、いつも思う。レイラはウィラードといる方が自然体のように見えた。
彼女が暴力的に接するのはウィラードくらいだ。
実に気に入らない。
言い訳を探しているレイラの様子も気に入らない。
ずっと目を泳がせている。シリルには正直に言って欲しかった。まるで、まだてめぇに懐いてなんてねぇよ。と言われているようで傷つく。
シリルが首筋に顔を寄せても、変態のように匂いを嗅いでも、更にはレイラの弱い耳を甘噛みしても抵抗なんてしないのに、適当に誤魔化せば良いだろうとばかりに頭を乱暴に撫でられ、目が据わる。
たまには乱暴に撫でられるのもいいとは思うが、適当すぎて虚しくなる。心も込めて優しくしてほしい。
ふと金茶色の髪に視線が行き、見慣れない紐で髪を括っていたから、気に入らなくて解いた。
いつも部屋で見ている姿になり、シリルも少し落ち着いた。部屋の外で見るひとつ括りの姿は誰でも見られる。しかし寝癖のついた髪型はシリルしか見られない。今の髪は戦っていて崩れたのだろうが、無防備に思える髪型なら何でも構わなかった。
何でもいい。レイラの唯一になれるならいい。
恍惚としながら金茶色の髪を撫でる。
こんな風にに触れるのもシリルだけだ。
ひと房手にとって口付けようとして、気付いた。
一部の髪が胸辺りまで切られている。
誰がレイラの髪を傷付けた。そいつは絶対に許さない。
髪であろうがレイラの一部であることに変わりない。
ウィラードという上級妖魔がいながら、なぜ傷付けられているのだ。まったく仕事をしていないではないか。
あまり気にしていない様子のレイラを抱き締める。
こんなことなら無理矢理にでも付いて行けば良かった。
それか、アルヴィンなどの魔法使い。彼なら魔法でレイラを守れるだろう。気に入らないが、レイラが傷付かない方がいい。
「もう妖魔と二人きりで出掛けるなよ。俺が嫌なら、せめてアルヴィンを連れて行け。」
これで「はい」と言われたら、寝込める気がする。
自分で「嫌」という言葉を使っておきながら、情けない。
どんどん沈んでいくシリルの気持ちを知ってか知らずか、思わぬことをレイラが口にした。
「嫌いじゃないです。私はシリルのことは信頼しているし好きです。ただ、今回だけはウィルじゃなきゃ駄目だったの。」
分かっている。「好きです。」という言葉に深い意味がないことを。それでもシリルは嬉しかった。その言葉だけで理事長応対をいつまでもやっていられるくらいに。
だから、シリルも伝えたかった。
「俺もレイラのこと好きだ。」
恋心は伝わらなくていい。
だが、せめてこれだけは伝えておきたかった。
不思議そうに首を傾げたレイラを愛おしく思いながら笑いかけた。
今度この言葉を口にするときは、想いを込めて伝えるだろう。目の前にいる、綺麗で不思議なこの少女に。




