考える男の尽きない悩み
レイラの兄ウォーレンが病院に運ばれたと、わざわざメリルが部屋までやって来た。話の内容が内容だったから一緒のベッドで寝ていることについて突っ込まれなかったが、お前は何をしているのかと視線で伝えられた。これには深いわけがあると言いたかったが、メリルが何も言わない以上シリルも口を開かなかった。
レイラは色々なことが雑だ。服を考えるのが面倒だからと大抵ワンピースを着ているし、鬱陶しい男に絡まれると、とりあえず眠らせておくかと懐から物騒なものを取り出そうとする。
しかし、どうせ寝ているからと男の前で平気で着替えるなんて馬鹿なのかと思った。
彼女の半裸なんて何度か目にしているのに、心の準備無しで見れるほどシリルは年をとっていない。
気まずそうなレイラが部屋を出ていった後も悶々と考えて眠れず、仕方なく身体を起こした時にレイラが帰って来た。
出来るだけ今まで通りに対応したつもりだが、若干人が違うような気がしないでもない。ただレイラに「可愛い」と言えば良い反応をしてくれるので、それはいつも欠かさず言っている。
あまり言い過ぎると軽い言葉になってしまいそうだが、別に嘘ではないのだからいくら言っても軽くならないと考えている。
だからなのかしくじった。睨んでくるレイラをいつも通り抱き締めて、からかうつもりで一緒に寝るかと言ったのに、すんなりと頷いた彼女に選択を間違えたと猛烈に後悔した。そんなの絶対に眠れないに決まっている。
こんなことなら、一緒に寝るかではなく明日一緒に外出しよう。と言えば良かった。最近レイラと一緒に居られなかったから、こんな間違いを犯してしまったのだ。
ふわふわなレイラが隣で寝ている中、シリルは必死に意識を別のことに集中させてみたが、不可能だった。
一睡もできないまま朝を迎え、未だに顔を合わせられない従妹の話で落ち込み、レイラの胸に顔を埋めて眠りこけ、その現場にメリルがやって来る。という大人としてはあるまじき話を四連発だ。
すぐに冷静になれたのは、ウォーレンが意識不明だと聞いたレイラの様子がおかしかったから。初めて会った時のような人形に見えたのだ。
心配になって病院にも付き添い、病室の外で待っていると、暫くして医者と看護婦が出てきた。話を聞くと原因が分からないと言った。こういう時は傍にいた方がいいのだろうか、それともそっとしておいた方が……と悩んでいると、中から何か重いものが倒れる音がして確認のために扉を開けた。
部屋の中に人影はなくレイラは何処に行ったのだろうと視線を落とせば、長い金茶色の髪が床に広がっていて、レイラが力なく目蓋を閉じていた。慌てて駆け寄り口元に手を当てた。呼吸はない。
心音を聴こうと胸に耳を当てても鼓動は感じられず。
おそらくまた力を使ったのだろう。そう結論付けて目を覚ますのを待った。しかし中々目を覚まさないレイラの様子に怖くなった。頬をつついたり耳朶を引っ張ったりして覚醒を促してみる。それをしたところで何も変わらないが、気持ちの問題だ。
読み通り彼女は力を使った反動で眠っていた。
目を開いて神秘的な紫色の瞳が見えた時、思わず詰めていた息を吐き出した。シリルを見とめたレイラはふわりと花が綻ぶようにはにかんで、その初めて見る表情に思わず見惚れた。
すぐに無表情に戻ってしまったのが惜しかった。
完全に目を覚ましたレイラはまた『言葉』を使ってウォーレンから何かを取り出し、そこからシリルには視えない何かと会話していた。
何度も力を使っても倒れないくらいの力を手に入れたと寂しそうに言うレイラが、何だか遠くなった気がして不安になったシリルは抱き寄せた。
彼女はどうしてシリルに砕けた物言いをしてくれないのだろう。名前では呼んでくれても敬語で話すことを止めない。それにレイラから積極的に触れてくることはない。なぜ一線を引かれているのか、シリルが教師だからというのは理解している。しかし気持ちは割りきれない。
やはり教師はやめて侯爵位を継ぐしか、真っ当に手に入れる術はないのだろうか。しかし、領地経営がシリルに出来るものなのか。一応侯爵になるための勉強はさせられていたが、ほとんど頭から抜け落ちている。さてどうしようか。悩みは尽きない。
目を覚ましたウォーレンに抱きつくレイラを見て、更に悩みは深まった。あんな風になるにはどうすればいいのか。
そして目蓋に口付けられたウォーレンに軽く嫉妬した。
羨ましい。兄妹だとしても羨ましい。
ぐるぐると頭の中を嫉妬の二文字が回り続けるが、ウォーレンが寝台から落ちる音で我に返った。病室からレイラの姿が消えている。
「お願いします。レイラを止めてください!」
「え! は、はい。」
ウォーレンに必死の形相で頼み込まれ、よく分からないままレイラの気配を追って屋上に駆け上がった。
扉を開いた先でウィラードに抱えられているレイラを見た瞬間。色々と我慢していた感情が爆発した。
あの変態妖魔に気を許しすぎだ。仲良さげに囁き合う姿に心が荒れていった。低い声でレイラに問えば身体を震わせ、なぜかウィラードはレイラを落とした。
難なく着地したレイラはウィラードに文句を言っていたが、シリルとしては怖くて仕方ない。数年前にニーナが飛び降りてからは、人が落ちそうになるとその時の記憶が甦り絶望と無力感に支配され身体が震える。
「私は大丈……。」
「大丈夫。オレがお嬢さんを守るから。」
ぷちっと何かが切れる音がした。なぜこの妖魔がレイラを守るのだ。こいつは神の一族の血が好物な魔物だ。ただの人間ですら魅入られるレイラに魔物が魅入られないはずがない。即刻排除せねば。
シリルの目の前で会話を弾ませている二人の間に入る。
どうやらレイラはウィラードと出掛けたいようだ。それはシリルでなくとも許さないだろう。こんなふよふよしたものにレイラを預けるわけにはいかない。
「先生も今日はオレに任せて、たまには遊んでおいでよ。ずっとお嬢さんとばっかりと仲良くしてたら、先生彼女できないよ? そろそろ他の娘の面倒もみてみたらどうかな。お嬢さんみたいなのはそうそう会えないからね。これに馴れてたら他の女の子の扱い方分からなくなるよ?」
こいつにだけは言われたくないのだが。
他の女性も別に嫌いではない。好きではないだけで。
確かにレイラは他の女性と違って、というかそもそもの感覚が常人とずれている。そんな彼女をなぜ好きになったのかと訊かれると、明確な理由は答えられない。
初めて見たとき浮世離れした姿に見惚れた。
見た目から勝手にキツい性格をしていると思えば、想像の斜め上を行く変な性格をしていた。だから構えていた分、脱力してしまった。
それからは適当に放置して今まで通り過ごしていた。
平気で人に止めを刺そうとしていたレイラを見て、放っておけないと思った。
泣いている彼女を慰めるために抱き締めて以降、あまりにも柔らかくて暖かかったものだから頼み込んで触らせてもらっている。よく考えたらあの時にはとっくに落ちていたのかもしれない。
妹みたいに可愛いから触りたくなる。ではなく惚れていたから触りたかったのだろう。
それに、シリルはレイラと誠実なお付き合いがしたいのだ。今の関係性では『誠実な交際』は出来ないから、交際を申し込めないだけで、本当ならとっくの昔に言えていた。
だから、こんな妖魔にレイラは預けられない。
帰ろうとレイラに手を差し出すと拒否された。
その時、ポキリと何かが折れる音がして目の前が真っ暗になった。レイラは毎日傍にいるシリルより、たまに会う妖魔といる方がいいのか。いや、まさかレイラはウィラードを異性として好きではない。性格は嫌いではないだろうが、シリルの方が異性として意識されている。
いや、しかし、そんな。万が一にもレイラが他の男を好きになっていたらどうする。ただ単に男馴れしていなくて、いちいち物理的に距離の近いシリルに頬を染めているだけだったとしたら……。
シリルはその男に手を出さないと言えるだろうか。
(まずいな。ヴィンセント家的な思考になってる。)
ふと風を感じて顔を上げればウィラードとレイラの姿が消えていた。辺りを見回してみるが二人の影はすでになく、先程と同じような状況に頭を抱えた。
今まで考え事をしていて人の気配を追えなくなった事などないのに、とんだ大失態だ。レイラの纏う冷たく澄んだ空気は学院方面に移動している。さすがに徒歩では追い付けない。
(帰ったら話し合いが必要だな。)




