妖魔の力と呆気ない最後
しばらく山道を歩き続けると、廃れたお屋敷が見えた。
門は開け放たれており見張りも居らず、簡単に侵入できてしまった。いつもぞろぞろと大勢の男を連れていたのに、本拠地がこんなので大丈夫なのか。
レイラが少し気を抜いたところで男が曲がり角を曲がってきた。
「あなた方は……。だ、誰だ……ですか?」
お客さまが来るなんて聞いていない。と首を捻っている隙だらけの男にすたすた歩み寄り、鳩尾に剣の柄をめり込ませた。
倒れた男を見つめながら首を傾げる。この男は何者だ。護衛には見えない。
「ここはヒトが迷いやすい森だからね。滅多に襲撃なんて受けない。だから、こんな紙切れみたいなのしかいないと思うよ。雇われてる使用人だろうし。」
だからお客さまと言っていたのか。咄嗟にざくっと剣を使わなくて良かった。
「出来たら、私に無関係な人は殺したくないです。」
無関係な人間まで殺してしまったら、本当の化け物になってしまう。殺されそうだから、殺す。というのがレイラの理念だ。それを覆すようなことをしたくない。
「じゃあ、外から狂人を探そうか。」
手慣れたように抱えられ空中を歩くウィラードと一つ一つの窓を覗いていく。しかし、どこも空き部屋で調度類はどれも埃を被っている。
「いないなあ。気配はあるんだけど。」
「どこにいるか分からないの?」
「この辺、ぐらいしか分かんない。面倒くさいし向こうから来てもらおうよ。こうやってさ。」
指先を外壁に当てるとそこからボロボロと腐ったように崩れ始めた。初めてウィラードが妖魔だという実感が湧いた。今まで霧になるくらいしか妖魔らしくなかったのだ。それを除けばただの軽薄男だった。
あっという間に一面の壁を取り払ったウィラードはいきなり大声を上げた。煩くて耳を塞ぐ。
「すいませーん! アレン君の友達なんですけどー。遊びに来ましたー!」
それなら正面玄関から入れば良かっただろうに。ウィラードはこれがやりたかったのだろうか? 理解不能だ。
「何奴だ!」
「この屋敷になんか用か!」
「か、壁がねぇ! おまえらの仕業か!」
ぞろぞろと筋肉の鎧を纏った男たちが湧いて出た。
やはり、アレンとジョシュアといえばこのガタイの良い男たちがいないと物足りない気がする。
「アレン・シアーズに会いに来たんだ。彼に伝えてくれるかな。レイラが来たって。それで通じると思うよ。」
宙を浮いているウィラードに恐怖があるのか男たちはみんな硬い表情だ。顔を見合わせひそひそと囁きあっている。
いつまでも動こうとしない男たちに業を煮やし、ウィラードは室内に降り立った。
「あの狂人に伝える気も、オレらを案内する気もないなら……。殺しちゃっても良いってことだよね?」
そう言って笑ったウィラードは、手の平に彼の瞳と同じ緋い炎を浮かばせて男たちに投げた。空中を舞う炎に意識が逸れた瞬間、レイラが視線を戻すと男たちはバラバラになっていた。
いつかの情景が頭に浮かび、レイラは目を伏せる。
「なにをしたの?」
「オレの武器は血液だからね。糸みたいにしてみじん切りにしたんだ。お嬢さんは目を閉じてていいよ。運んであげるから。」
「大丈夫。行きましょう。」
「いや、靴汚れるからオレに任せてって。」
「……そうね。お願い。」
大人しくウィラードに掴まって綺麗な床まで運んでもらった。後ろを振り返り真っ赤な床を見たあと、溜め息を吐いた。これを見てなにも感じないなんて、レイラはちっとも変わっていなかったということだ。
「これはまた。派手にやらかしてくれたな。」
低い男の人の声がして振り返ると、そこには三十代くらいの男性が腕組みをして立っていた。見覚えのない顔に首を傾げる。これは誰だろう。
「あれがアレン・シアーズの本当の体。」
薄暗くてよく見えないが、確かにレイラと同じ色彩だ。暗い金髪と紫の瞳。ということは白髪の方は違う人物だったのだろう。前に会った時と大分雰囲気が違っていたから。
「さっさとリリスを渡せ。私が飼う。」
偉そうに上からものを言うアレンに眉を顰めた。
レイラは愛玩動物ではない。それに最後はシトリンを埋め込むつもりだろう。それだけは絶対にお断りだ。
さっさと始末をつけてジョシュアを探して、ケントについて吐かせて始末して帰ろう。早く帰らないと、シリルが気を揉んでいるはずだ。
「どうして兄様に手を出したの?」
「リリス・シトリンの代わりになれるか試しただけだ。」
「どうして? 兄様は普通の人間なのに……。」
「なにを言っている。ノア・ヴィンセントは充分純度が高いはずだ。」
「貴方こそ何を言っているの? 神霊が埋められていたのはウォーレン兄様よ。」
しばしの時間お互いが見つめあう。相手が嘘を付いていないかどうかを確認するように。そして、どちらともなく目を逸らした。
アレンは考え込むようにこめかみを押さえる。
「すまなかったな。部下が間違えたようだ。」
「そうだったの。それなら私はもっと許せないわ。」
どこを間違えればウォーレンとノアを間違えるのか。
そもそも見た目からして違うだろう。身長はウォーレンの方が高く、髪色も違う。間違いでウォーレンが死にかけたというのが許せない。剣を強く握り締める。
それに、次はノアに埋め込まれる可能性がある。
いくらノアの純度が高くても耐えられるか分からない。
それなら、今のうちに元凶を潰しておかなければ。
剣を鞘から抜き放ち、床を蹴る。じっと突っ立って逃げようともしないアレンの身体を横一文字に薙ぎ払う。
が、キィンと音が鳴って腕に痺れが走る。
手元を見ればレイラの剣をアレンが幅広な剣で受け止めていた。貧弱そうに見えても人は見かけによらない。ぎりぎりと競り合っていると、アレンが急に力を抜いた。驚いて前のめりに倒れそうになる。
アレンが皮肉げな笑みを浮かべレイラを見た。
咄嗟に横に飛び退く。切り落とされた髪がはらはらと落ちていく。結構な量の髪が切られてしまった。
「私はこれでも元兵士だ。」
「……。」
「あまりその体を傷付けたくないのだ。大人しくしてくれ。」
「嫌よ。」
もう一度アレンに突撃した。何度も何度も切り結ぶ。
剣戟の音と二人の息遣いだけが廊下に響く。
一時も気を抜けない。元兵士というのは嘘ではないようだ。ただ、実力的にいえばアレンの方が上だろう。それなのに、レイラ程度に手こずっているようだ。
額に滲む汗と荒い息遣い。極めつけにあの顔色の悪さだ。放っておいても勝手に消えるのかもしれない。
とはいえ、放っておく間にノアに手を出されると面倒だ。体調が悪いのに無理をさせてごめんなさい。と謝りながら、隙のできた脇腹を突く。そのまま刃を横に払う。
「う……ぐっ……。くそが。体が……動かん。」
脇腹を押さえて膝をついたアレンは忌々しそうに舌打ちをした。ぼたぼたと大量の血液が床に落ち、絨毯に染み込んでいく。
「神籍を手離してから、これだけ長生きできれば充分でしょ。頑張っても五百年くらいの寿命をさ。」
「ふっ、確かにな。だが私は……まだ死ねない。シトリンに……会わな……っ。」
ごほごほと吐血して、力を失くした体が床に転がる。胸元を押さえ、立ち上がろうとするアレンの前に今まで黙って見守っていたウィラードが立った。
「シトリンさんを殺すのはオレの役目だから。それ貰うね。」
アレンの胸元で握り込まれた手を抉じ開けようとする。
体を捩って逃れようとするが、弱った体でウィラードの馬鹿力には勝てない。徐々に開かれていく拳にアレンは悲鳴のような声を出した。
「これ……だけは駄目だ…っ!………。私の……ものだからっ……な…。」
「おやすみ。可哀想な神様。ヒトで終われたならキミは狂わなかったのにね。まぁ、僕も他人のこと言えないけどな。」
ウィラードはアレンの顔に手を翳し『何か』をした。レイラには分からない『何か』を。ただ、怖いものではなく、暖かいものだったから黙って二人を見つめていた。
「よっしゃ! シトリンさんゲットしたよ!」
はしゃいだ声を上げたウィラードは、自慢げにアレンからぶん取った紫黄水晶を見せてくる。こいつはアレンの持っているシトリンを手に入れて、自分の手で殺すために付いて来たのかもしれない。
「次は糸目野郎だよね? 用事があるの。」
糸目野郎。確かにジョシュアは糸目野郎だ。
出てくるとしたら先にジョシュアかと思っていたが、なぜか最初から主が出てきた。もしかしたらウォーレンを襲った子供を迎えに行ったのかもしれない。
「ジョシュア・オーガストもおかしな気配がするの。あのぐるぐるした変な気配を追えないかしら。」
「糸目野郎はマゼモノでしょ? ヒトの体に狂人が純血を混ぜてる。それで色々身体能力の底上げしてるみたいだね。神様じゃなくなったら、もう自分の肉体しか特別じゃないからね。」
「それで、結局追えるの? 追えないの?」
「無理。だからここで待ってようよ。オレも久々に力使って疲れた~。」
ウィラードはそう言って、近くの扉を開き勝手に中に入って行った。ここはどうやら客室のようだ。
後に続いて部屋に侵入する。埃っぽくはなく、きちんと清潔にしてある。明らかに誰かの使っている部屋だろう。
レイラが部屋を観察していると、ウィラードはつかつかと歩き、遠慮なく天蓋つきの寝台に大の字で寝そべる。
「糸目野郎が帰ってきたら起こしてね! じゃ、おやすみ。」
「おやすみなさい?」
レイラが問うと、すうすうと寝息が返ってきた。
なんて自由なやつなんだ。人様のお屋敷で、扉の向こうには大勢の遺体があるのに。レイラも気味が悪いとは言わないが、さすがに妖魔なだけあって大物だ。
無防備に伸びているウィラードを見習い、レイラも寝台に座った。さすがに寝転ぶのは無防備になりすぎだ。主人が殺されたことに激昂したジョシュアに寝込みを刺されかねない。
今日の話を帰ったらシリルにどう説明しようか。
無言で俯いていたシリルの姿を思いだし、胸が苦しくなる。心配させたかったわけではない。
(ウィルに何か考えてもらいましょう。こういう事には知恵が働きそうだもの。)




