足りない力と庭園の意味
沈痛そうな面持ちで、原因が分からないと言う医者の声を聞きながら、力なく瞳を閉じているウォーレンを見つめる。
身内が重体だというのに無表情で取り乱す様子もないレイラを医者や看護婦は得体のしれないものを見るような目でみていた。
「運ばれて来た時、兄が身に付けていたものはどこに?」
「え? あ、こちらにあります。」
怪訝そうな顔をしながらも、寝台脇にあった衣服や杖を手渡される。ずっしりと重みのある冬服はいつもウォーレンが着ていたものだ。
「ありがとうございます。」
看護婦にお礼を言ってから、服を視てみる。
『ま、いっか。口で。』
そう言ってウォーレンの口に何かを入れる少年。
白い髪に緑玉髄の瞳をした幼い少年。
忘れもしない。レイラも彼に酷い目に合わされた。
なんだか大分雰囲気が違うように見えるが、子供の成長は早いというし、気のせいだろう。
小さな身体で、シリルが言うには強いらしいウォーレンの顎を蹴り上げ、鳩尾に拳を叩き込んで気を失わせるなんて、彼は一体何者だ。
とりあえず、白い子供から首謀者を割り出して目的を吐かせてから消さなければ。レイラの大切なものに手を出してただではおかない。
しかし、その前にウォーレンをなんとかしなければ。
前にレイラにしたように『何か』を埋め込もうとしていたのなら、それを取り除けばなんとかなるはずだ。ウォーレンは心臓を刺されていない。
「あの、兄と二人にしてください。」
医者と看護婦は何かあれば声をかけてくれ、と言って病室から出ていった。最期の時間くらい兄妹二人に、と思われていそうだがこれを最期にするつもりはない。
じっとウォーレンを視る。すると、ぼんやりと何かの姿が重なって視えた。琥珀色に光る人形の何か。何だろう神霊の類いだろうか。レイラはシトリンの魂だった。
『形を与える。』
試しにアレンが言ったのと同じ言葉を使ってみる。
しかし何も起こらない。ウォーレンは目蓋を閉じたままだ。
「あ……。兄様?」
そっと頬に触れてみる。まだ温かい。胸に耳を当ててみる。心臓は動いている。
次は抱き締めてみる。いつもは優しく頭を撫でてくれるのに応えがない。
レイラと身体の造りが違うからなのか。この状態は死んでいるのだろうか。どうして目覚めない。
『混ぜられたわけでもないのに。』
頭の中で、青い薔薇園の棲む少女の声が聞こえた。
辺りを見回してみる。が病室にはレイラとウォーレンだけだ。シリルは外で待っている。
他に何かないのか。ウォーレンを助ける術は。懸命に思考を働かせてみるが思い付かない。時間はないはずだ。しかし、そんな時に力を使った反動で視界が霞みはじめる。
どさり、と身体の自由がきかなくなり床に倒れこむ。
「兄様……。」
不安そうな自分の声を最後に意識が途切れた。
◇◆◇
「お久しぶりね。」
艶やかに微笑む自分の容姿と瓜二つの少女は、青い薔薇園にやって来たレイラの手を引いて歩き始めた。有無を言わさない空気を放っている少女を不審に思う。
「どうしたの?」
「だって貴女が必要としているでしょう?」
「なにを……。」
言っているの、と続けようとして気づいた。
いつか見た大きな扉があることに。手前にある木製の扉は開け放たれたままで、ここに辿り着くまでに視た世界を思い出す。
「貴女の器は空っぽだわ。封じがあって少しの力しか許されないんだもの。だけど、貴女が望めばすべて手に入るわ。私も『私』も貴女だもの。助けたいでしょう? 殺したいでしょう? 躊躇うことは何もないわ。今使わなくても、いつかは要るのに今やらないなんて『私』らしくないもの。」
「そうね。」
いちいち『言葉』を使って倒れているようでは、また守れない。
人工物を視ても倒れないのは、それが流れる血によってもたらされるものだから。『言葉』を使って倒れるのは、言葉を使う権利と方法を知っていながら、その権利と方法を行使するための『力』が足りないから。
だから、『月』と『理』という特殊な力を使うための力が欲しい。先程は力が足りなくて神霊の魂を形にできなかった。
「十年分の扉は壊れているから、二十年分の扉を壊せばある程度自由が利くようになるわ。すべてを壊したら貴女はここに居られなくなるもの。この扉だけ壊してしまいましょう。」
その声に導かれるようにして、大きな扉に手を掛ける。
「思ったより軽いのね。」
思いきり力を込めて押したのに、扉は簡単に開いてしまった。ぽかん、と開いた扉の先にある銀色の扉を見つめる。
「扉は貴女の意思に従うもの。彼女が嫌がっても貴女の意思なら邪魔できない。」
彼女とは誰だろう。扉を作った人のことだろうか。
そうだとしたら不思議に思う。わざわざレイラの力を封じる必要があったのだろうか。特に不便もなさそうなのに。
力が手に入った事だし、そろそろ帰ろうとレイラが踵を返した時だった。
「何をしているんだ! 君は!」
突然、男にしては高めの声が聞こえたと思ったら、強い力で肩を掴まれた。橄欖石の瞳に反射で心臓が跳ねるが、よく見れば太陽の神ペリドートだった。シリルと同じ蜂蜜色の長い髪を高い位置でひとつに括っている。
「なぜ、ペリドートさんが私の夢にいるんですか?」
「……これは夢ではない。力の溜まる器の世界。人それぞれ視る形は違うけど……。ユウは水中の世界でシトリンは森の世界だった。」
成程、レイラの器の世界は青い薔薇園ということか。
せめて赤い薔薇園が良かった。青は好きだが、青い薔薇は落ち着かない。『不可能』という花言葉が嫌いなのだ。
「君の世界にはもう一人いるはずだが?」
ぼんやりしていると、ペリドートが不機嫌そうな少女に話しかけた。先程は上機嫌だったのに、ペリドートが苦手なのだろうか。
少女は嫌そうにちら、と隣に視線を移す。
「あれなら……。」
「呼んだかしら?」
白金色の髪に金色の瞳をした女性が、レイラと瓜二つの容姿をした少女の隣に湧いて出た。こんなに自分と同じ顔、同じ背格好、同じ声をしている人が集まると気持ち悪い。
「どうして、私と同じ顔なんですか?」
疑問に思ってペリドートに聞いてみる。
「あの二つが『月』と『理』の力、権利が具現したものだ。」
月は白金色に金色と、確かに本物の月のような色彩だ。
理は金茶色に紫色と、よくわからない。
それにしても、めんどくさそうだが丁寧に教えてくれるペリドートはなんだかシリルみたいだ。授業の時のシリルもこんな感じになる。
「そういえば……。以前に幼い頃の私と同じ姿をした子供とも会いました。あれは一体?」
そういえば、あの幼い子供は何だったのだろう。
一度しか会ったことがないが印象に残っている。
「それが君にある純粋な『力』の大きさ。あの二つは『力』を『理の力』に変換する機能みたいなものってことだ。」
あの三つ四つくらいの子供の大きさしか力が無いのだとしたら、変換機能の二人と大きさが違いすぎる。あの小さい子供のを大きな二人で使うから、力が足りなくて倒れてしまうのだろうか。
「力を使うと心肺停止になるのは何故ですか?」
「この二つの力を使えば、どうしても足りない『力』を生命活動に使っている『力』で補おうとする。だから、君は心肺停止状態になってしまうんだろう。」
初めから力があればシリルとの事故もなかったのか。今は事故があって幸運だったと思っているが、思い出す度に恥ずかしさに悶えている。
ただ、他にも心肺停止状態になる日がある。
「嵐の夜には決まって心肺停止になります。それは?」
「分割しているんだろう。いくら祝福を受けていても生命活動を停止してしまっては身体が保たない。だから分割して負担を減らしてる。」
人間を挽き肉にすると大分力を使ってしまうようだ。
一瞬で何人もの人を殺してしまったのだから、今度からはきちんと怯えず受け入れよう。
そして、殺してしまった彼らのためにもレイラの大切なものに手を出したアレン達も殺さなければ。不公平になってしまう。
無表情で思考を巡らせていると、苛立ちを隠そうともしないペリドートの声、その言葉に心臓が止まったような感覚がした。
「君は分かっているのか? これはアリアが命を使って築いた仕切りだ。君の強すぎた力を封じるための。それを簡単に壊して……。前に補強してひと安心だと思っていたのに、君が壊すのならもっと強い封を掛けておけば良かった。」
命を使って? アリアということは本当のレイラの母親だ。その彼女が命を使って作った扉。それをレイラが壊したのか。
恐ろしさと申し訳なさで身体が震えてくる。
「別に責めてるわけじゃない。その辺りは君の判断に任せる。ただ、解いてしまった封じは元に戻らない。だから、上手く君のために使った方がアリアも浮かばれるんじゃないか? 彼女と面識はないが。」
「……。はい。教えてくださってありがとうございました。最後の扉は絶対に私の手で開きません。」
親の命を壊すような真似。知らぬこととはいえ、レイラのしたことは親殺しと変わらない。溢れそうになる涙を必死に堪える。
「いや、君が産まれたときに説明しておけばよかった。こちらの不手際だ。……ほら、あの子が呼んでる。早く帰ってやってくれ。」
唇を噛み締めて俯いていると頤を持ち上げられ、目の前に白い手を翳された。瞬間レイラの意識が暗転する。いつもは景色が霞んでから、元の世界に戻るのだが、現役の神様にはこんな方法で戻せるのかとどうでもいいことを考える。
あの扉が母親の命で形造られたものだったから、壊れた時にどうしようもない脱力感に襲われたのだろうか。ただ、レイラが脱力感を感じたのは最初の木製の扉だけ、先程レイラ自身の手で開いた扉は何も感じなかった。
(アリアさんの命を壊してまで、手に入れたのだもの。異物を兄様から絶対に取り除かないと。)
力は手に入れた。後はそれを上手く使えるかどうかだ。




