閑話 拾われた白い獣
暗い狭い冷たい空間から解放され、明るい広い暖かな場所に降りた。何もない風景を無感動に眺めていると、視界が閉ざされ見えない力に引っ張られる。
次に目を開けたとき、まず白いものが見えた。
「あ、目が開いた。」
白い子供が緑玉髄の瞳を真ん丸にして、寝台に寝転がされているアレンを覗き込んでいる。
「ジョシュア~。アレンさま目ぇ覚ましたよ!」
まだ完全には覚醒していないアレンがぼんやりと天井を見ていると、白い子供は楽しそうに隣の部屋に駆けて行った。それを見届けてから、魂が身体に馴染んできたのを確認して起き上がる。
バタバタと慌てたような足音を立てて、子供がジョシュアを連れて帰ってきた。はしゃぐ姿は年相応だ。
ジョシュアはというと寝台の上に身を起こしているアレンを見て、安堵の表情を浮かべた。
「ひと安心だね!」
「静かに! アレン様は目覚めたばかりです。黙りなさい。ユリアンはいつもいつもいつも、少しは大人しくなれないのですか!? 黙ったとしてもアレン様の足下にも及ばないでしょうが。」
「万年下っ端オーラ出してるジョシュアにだけは言われたくないよ~だ。」
「下っ端?! 私は産まれた時からアレン様の側に使えているのですよ? ユリアンのように気まぐれに拾われた訳ではありません!」
「ジョシュアはお父さんの後継いだだけでしょ~?」
会話を弾ませているユリアンとジョシュアを見て、昔ヒトであった頃にいた顔を思い出せない親友を思い出す。
幼い頃からの付き合いだった彼とは、本気でぶつかって本気で語り合える仲だった。親には言えないことでも彼には言えたのだ。
お互いにとって唯一無二の存在だった。
そんな彼は二十歳になると結婚し、アレンがあてられるくらい甘い幸せの真っ直中にいた。しかし、戦争が始まった。
最初は強国と謳われていた祖国だから心配なんてしていなかった。それなのに、戦争が半年、一年と続けば兵隊が足りなくなり年若いアレンは彼と共に徴兵された。
必ず帰るからとアレンは親兄弟に、彼は妻と子供に約束した。その約束を守るためにアレンも彼も死に物狂いで戦った。
アレンたちが徴兵されてから半年後、敵国から停戦が申し込まれた。もう戦わなくていい。生き地獄のような戦場で生き延びたのだと泣いて喜んだ。
なのに、彼もアレンも故郷に帰ることは叶わなかった。
彼の最期はあっけないものだった。
指揮官のテントから私物が消え、それが彼の鞄から見つかった。彼もアレンも指揮官の私物がなんであったのかすら聞かされなかった。勿論死んでからも。
共に死線を潜り抜けた仲間だと思っていた兵士たちは、盗人だと濡れ衣を着せられた彼と、彼の無実を訴えたアレンを散々痛めつけた後、道端に打ち捨てた。
兵士たちが去った後、アレンは彼に話しかけたが応えはなかった。おそらく暴行を受けている最中に死んでいたのだろう。
隣の彼の死体が腐っていくのと同じ速度で、アレンも衰弱していき、いよいよ死ぬのかと覚悟した時に先代の理の神が現れた。
奔放な女神は身体を造り換えるからと数百年アレンを連れ回し、アレンの髪が黒色から金茶色に、瞳が翠色から紫色に変わった頃、理の役割について雑な説明だけして行方を眩ませた。
彼女の見る目のなさに溜め息を漏らす。
「どしたの? アレンさまお疲れなの?」
不思議そうにアレンの顔を覗き込んでくるユリアンを手招きする。にぱっと笑ったユリアンは寝台の上に乗ってきて、きらきらとアレンを見上げてくる。
「リリス・シトリンの兄にこれを埋め込んで来い。」
寝台の横にある引き出しから琥珀を取り出し、ユリアンに持たせる。
「分かった~。帰ったらケーキ食べさせてね。」
「ああ、ジョシュアが買ってくれる。」
「私が、ですか。アレン様がそう仰るなら……。」
窓枠に飛び乗ったユリアンはそのまま夜の闇の中に身を投じた。
「なぜリリス・シトリンの兄に?」
「純血のアドルフと、薄いとはいえ混ざっているセレスティアの間に産まれたアリスなら限りなく純血に近いが、いかんせん年齢が高すぎる。だが、その息子のノア・ヴィンセントなら若い。なにもリリスに拘る必要はないのではと思ってな。男でも馴染むなら性別はどうでもいい。この身体が保つ間に彼女に触りたいのだ。」
この前は良いところまで行ったのに馴染まなかった。
年齢か、それとも別の何かが原因で一番適応するはずのリリスの身体には合わなかった。年齢なら少し待てばいい。アレンの身体の時間を伸ばせばいいだけだ。しかし、別の何かによるものならアレンにはどうしようもない。
それなら別の代わりになりそうなものを探すしかないだろう。リリスの次に使えそうなのがアドルフの孫二人の内、力のあるノアだろうと考えている。
「ユリアンで良かったのですか? あのおっちょこちょいはしくじったとしても笑って帰って来ますよ。」
「別に構わん。どうせ何処にでもいる精霊の魂だ。」
とはいえ、精霊は精霊でも神の領域に近い年嵩の精霊だ。無駄遣いはしないでもらいたい。
◇◆◇
「ねぇねぇおじさん!」
ユリアンは街で見つけた茶髪の男を追い掛ける。
「おじさんってば!」
迷惑そうに振り返った男はユリアンを見て更に眉を顰めた。
「なんだ迷子か。母親はどこにいる?」
「おじさんがリリス・シトリンのお兄さん?」
瞬間、僅かに目を瞠った茶髪の男は仕込み杖の柄に手を掛ける。
「……。なんだお前は?」
「あはは、驚いた顔してる!じゃあおじさんで間違いないね! 今日は早く帰れる! やった!」
拠点に帰ればジョシュアがケーキを用意しているはずだ。そしてアレンも喜んでくれる。
奇怪なものを見たかのようにユリアンを見つめている茶髪の男の懐に飛び込む。
「なんだ。」
「おじさんに内緒の話があるんだ。少し屈んで!」
はぁ、とこれ見よがしに溜め息を吐いた男はユリアンと同じ視線まで身を屈めた。思わず笑みがこぼれる。うれしくてうれしくて仕方ない。
これなら簡単に埋め込んで帰れる。きっとジョシュアとアレンは褒めてくれるだろう。男の胸に隠し持っていた短剣の切っ先を向けた。
それを思いきり前に突きだそうとして、
「馬鹿が。お前が普通じゃないことくらい気付いている。」
短剣を持っていた手を捻り上げられる。
痛みで短剣を取り落とし、地面にざくと音を立て刺さる。
「痛い! 痛いよ!」
「大人しくしろ、喚くな。」
男に腕を吊るされ、痛みから逃れようと無茶苦茶に暴れる。
「もう許して! 二度としないからっ!……なんてね!」
男の顎を蹴り上げる。軽い脳震盪を起こしたのか、男はゆらりとよろめいた。体勢を立て直そうとする彼の腹に拳をめり込ませる。小さな子供の力とは思えない重さの攻撃で男は地面に頽れる。
「これ、どこに埋めればいいのかな?」
力なく地面に横たわる男の身体を見つめる。
「ま、いっか。口で。」
アレンに託された琥珀を男の口に捩じ込む。意識のない男では飲み込めないだろう。男の頭を何度か振った。口の中から琥珀が消えたのを確認してから、未だ意識のない男の身体を見つかりやすい表通りに放置する。
「やっぱりケーキよりクッキーが食べたいな。」
ユリアンが食べなかったケーキはジョシュアにあげよう。




