前兆と虫退治
背を向けて寝ころがっているシリルを見つめる。
眠くて眠くて仕方ないが、一睡もできなかった事を気取られたくなくて、誤魔化すようにレイラは口を開いた。
「あのエリオットのことなんですけど、おめでとうございます。」
「知ってるのか?」
驚いた声を上げ、くるりとレイラの方に寝返りを打つ。
急に近くなった端整な顔に鼓動が跳ねる。
それを宥めながら、黄緑色の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「昨日、行った先で婚約発表をしていましたから。」
いろいろあって、本人たちに言えなかった。
年が明けて学院に帰って来たときにエリオットに言おう。
「……。ニーナは元気だったか?」
「はい。エリオットの隣で笑ってました。」
会場を出る直前にエリオットの方を見たときは、二人ともいちゃついているようだった。学院では楽しそうに男女の泥沼話をしているから、なんというか面白かった。
その時の光景を思い出してほっこりしていると、辛いのを堪えるような表情のシリルに抱き寄せられた。
シリルの胸に頭を押し当てられ、どくどくと他人の心臓の音が聞こえる。ついつい温かなシリルの腕の中で眠ってしまいそうだ。
「ニーナが落ちてからずっと会ってないんだ。」
はて、それは一体どういうことだろう。
飛び降りるほど精神が追い詰められていたニーナは、その後どうやって回復したのだろう。従妹ならエリシアのように可愛がっていたはずだ。
お見舞いすらしないとはシリルらしくない。
「駄目だよな。守るって言ったのに守れなくて、合わせる顔がなくて……。未だに怖くて会えない。だから、エリオットがニーナの傍に居てくれて良かったと思う。ニーナは繊細な奴だから。」
成程それが、エリオットとニーナの馴れ初めか。
責任感が強いのも考えものだ。過去に囚われすぎて現在に影響を及ぼしている。それでは逆にニーナが罪悪感を感じてしまうだろう。
不器用すぎるだろう。気持ちは分からないでもないが。
「私、勝手に視た光景でニーナさんが死んでいるのかと勘違いしてました。落ちた所しか視てなくて。だから昨日会ったとき驚いてしまって……。」
重くなった空気を払拭するために、レイラなりにおどけてみせる。中々難しいものだ。巧くできない。
くす、と笑ったシリルは優しくレイラの頭を撫でた。
これは馬鹿だと思われているのかもしれない。
「もしあの時ニーナが死んでたら……。多分ここにいないな。俺はいろいろ引き摺る人間だから。周りの奴らが面倒くさくなるぐらい。」
確かに、シリルがニーナのことを引き摺っているようだったから、レイラも落ちた光景だけでニーナは死んでしまったのだろうと思ってしまった。大分固執する性格のようだ。それでも、
「ニーナさんが生きていて良かったです。それでシリルに会えましたから。私を雑に扱ってくれるのなんて貴方しかいないです。」
腫れ物のように、壊れ物のように扱うか、異物を見るような目でしか見られたことがなかった。普通に接してもらえたのなんてシリルが初めてだ。
「雑? 俺、レイラを雑に扱ってるか? 大切にしてると思ってたんだが。」
愕然としたような声と共に大きな手で頬を包まれる。それから流れるように上向かされ、揺れる瞳に見つめられる。
「た、大切に甘やかしてもらってます。」
「良かった。ちゃんと伝わってて。」
ぱあっ、と太陽のような明るい笑みを浮かべたシリルから視線を逸らす。こんなに近くで綺麗な笑顔になられたら心臓がもたない。
「二度寝するか。」
真顔でそう言ったシリルは、のそのそとレイラの胸元に顔を埋めた。疲れたときは大抵この体勢をとる。シリル曰く、良い匂いがして落ち着くらしい。なんとも恥ずかしい理由に恥ずかしい体勢だが仕方ない。これも惚れた弱み。レイラの胸くらい貸すしかシリルの疲れを癒す方法を知らない。
「シリルお仕事は? 昨日も隈がひどかったのに。」
「仕事は終わったんだ。仕事は。でも問題が起きてな。それを解決するために寝不足だった。」
大人は大変だな。と思いながら蜂蜜色の髪を指に絡めて遊ぶ。相変わらず柔らかくて気持ちがいい。
暫く蜂蜜色の髪で遊んでいると、すうすうと寝息を立ててシリルは眠りについた。気持ち良さそうなシリルの様子に誘われるようにレイラも瞳を閉じた。
「ヴィンセント君! 起きて!」
眠りはじめて数分もしない内に、慌ただしい声と共に揺すられる。昨日は一睡もできなくて先ほど寝たばかりなのに、と思ったが瞳を開いた。
「んぅ。ん? メリルさん?」
久しぶりに見たメリルの姿に驚いて飛び起きる。
隣で寝ていたシリルも、橄欖石の瞳をぱちくりと瞬かせながら、メリルを見つめている。
「良いかい? 落ち着いて聞くんだ。住の区画、三番通りでウォーレンが意識不明でいるのが見つかった。今病院に運ばれてる。」
言葉の意味が理解できない。ウォーレンが意識不明?
呆然とメリルの言葉を聞いていると、手を握られた。
少しだけ思考が落ち着いてきて、からからに渇いた口を開く。
「……。何処の病院ですか?」
「トリフェーン中央病院。」
「分かりました。ありがとうございます。」
いつも以上に感情が消えていく。病気であればいい。しかし、レイラの直感は病によるものではないと言っている。
もし、誰かがウォーレンに手を出していたならレイラは許せない。何がなんでも突き止めて、それから倒さなければ。二度と手を出さないように消さなければ。
この思考が異常なことは知っている。だがそれしか守る方法を知らないのだ。傷付けられる前に消してしまう方法しか知らない。
それでもシリルが手を握っていてくれる間は普通の人間でいられる気がして、握られた左手に力を込めた。
◇◆◇
王城の一画にある深い森の中の洞窟。その先にある扉の向こうの世界でルークは苛立っていた。
原因は目の前にいる。愛しい妻と同じ色彩を持つ理の神と、愛しい妻の身体に棲んでいるモノのせいだ。
「調整者は私だよ。アリアの封じで弾かれた力が私に飛んできた。でも困ったね。本当なら私はリリスだったのに、これでは四柱の神の意に添えないよ。」
ルークの妻なら絶対にしない、嘲るような表情に苛立ちが増す。今すぐアリアの身体から出ていってもらいたい。
「その件に関してはぼくに関わりはない。それにリリスの身体は駄目。ペリドートが嫌がってる。だから他の方法探してる。意識には悪いけど消滅してもらうしかない。」
「嫌だね。折角この世に生を受けたのに、何もせずに死ね、だなんて身勝手すぎないかい?」
この意識のせいで愛する者と会えなくなってしまった。
まだ愛し尽くせていなかったのに、ある日意識によって開かれた扉から数人の人間が押し入った。なんとか撃退できたが意識がいる限り扉は開かれてしまう。
そう思ったアリアは我が子を守るために力を封じて、意識を引き受けた。リリスの器は規格外で依り代としては最上だった。その筋の人間からしたら、喉から手が出るくらい欲しいだろう。聖なるものも魔的なものも依りつかせてしまうほど大きな器だ。
射殺さんばかりの視線を原因である意識に送っていると、とんとんと理の神に肩を叩かれる。
「ルーク。少し前にリリスと会った。」
何度か会ったことのある理の神は、気を利かせているようで毎回遠目から見たリリスの様子や状況を教えてくれる。
「変な虫は付いてなかった? リリスはアリアに似て美人だからね。」
可憐で美しくて芯が通っていて、でもどこか抜けている愛しいアリア。彼女とルークの娘なら確実に目を惹かれる容姿になっているはず。リリスに付いた変な虫は排除しに行かなければ。
ただこの意識をどこかに預けてから、だが。
「近くに二人。あと、その他大勢に好意を抱かれているみたいだった。」
「そう。それなら暫くアリアの身体を預かっててくれる? 潰しに行ってくるから。あ、あとアリアの身体に手を出したら理の神様でも殺すからね。」
金色の瞳を爛々と輝かせているルークを無感動に見つめ返した理の神は渋々だが頼まれてくれた。
「会議までなら見ていられる。でも、それ以降も帰ってこないなら『力』で縛る。早めに帰って来てくれると嬉しい。それと、ぼくは人間に興味ない。」
「うん。それなら安心だ。じゃよろしくね。」
ルークの感覚では数年ぶりの外界だ。
泣く泣く手放した娘は十八歳になったという。
誰も彼もを魅了する女性に成長しているだろう。
今のうちに消せる人間は消しておかなければ。
そう考えながら境界の扉を開く。開けた先に暗い随道が、と思い視線を上げると見覚えのある男が二人、ぽかんとルークを見つめていた。
「お久しぶりです。父上とライアン。老けましたね。」
神殿にいたルークはまだ精々三十歳のような容姿だろう。
それに比べて父と弟は随分老けてしまった。
「誰のせいだと思ってる! この馬鹿息子!」
「まあまあ落ち着いて。そんなに興奮したら死んじゃいますよ父上。それにしても、今になって兄上が出てくるとは思いませんでした。」
不思議そうに聞いてくるライアンに、微笑んで答える。
「リリスに変な虫が寄ってるって聞いてね。潰しに行こうと思ったんだ。確かトリフェーンにいるんだよね? 遠いし義弟に頼もうかな。」
アドルフに頼めば一瞬でトリフェーンまで行けるだろう。早く娘に会いたい。そんなルークの様子に、はぁ、と溜め息を吐いた二人はこそこそ内緒話をしている。
「最初からリリスが結婚したっていう噂を流しておけば釣れたんじゃないですかね? ほらジェフリーがなんか言ってましたし。」
「言うな。アレが姉さん命だったのにそれを考え付かなかった私のせいだ。リリスはアリア姉さんによく似てるのに。」
セオドアは頭が痛いというように頭を押さえている。
「じゃあ私はこれで、リリスに会いに行ってきます。」
話し込んでいるセオドアとライアンを横目に通り過ぎようとした時、セオドアにがしっと肩を掴まれた。
「待て。お前には散々な目に合わされたからな。反省してもらうために豪華な生活を用意してやる。覚悟しろ。」
「私も兄上のせいで王太子ですよ。この恨み辛みを晴らすまで、兄上を王宮から出すわけにはいきません。」
一応、まだ王子のはずだが簀巻きにされ王宮まで運搬された。ただ娘に会うために出てきたのに、なぜこんな目に。
納得いかない思いを抱えながらルークは空を見上げた。
アリアが死ぬ前に見たいと言っていた、偽物の空ではない、本物の青く澄んだ空を。




