変人たちと盲目な老人
「まあ、レイラさんはミラお姉様みたいな人かと思っていたのに。想像と全然違ったわ。」
くすくすと花がほころぶように笑うニーナを愛おしそうに見つめているエリオットを見て、レイラはなんとなく察した。これでも見る目はあるのだ。生まれてから今まで色々なものを視てきた。
エリオットはニーナはそういう関係なのだろう。
貴女は死んだはずでは、という陳腐な台詞を吐かずに済んだのは、よくよく思い出せばシリルは一度も彼女が死んだとは言っていなかった。視るだけでは正確な情報は掴めないと分かっていたのに、あの光景だけで死んだと判断してしまった。
しかし、あの高さから落ちて生きているとは思えなかったのだ。もしかすると、途中で木に引っかかったのかもしれない。
「先輩もレイラもこんな所にいるとは思わなかったよ。」
「たまたま手に取った招待状がここだったんだ。」
「はは……。先輩らしいですね。」
「ふふ、面白い方ね。」
「ニーナ。これ面白いかな。」
アルヴィンの感覚は誰にも分からない。
天才というやつの脳みそは常人と違うものだ。
そして、ニーナも思っていたよりふわふわとしていた。
青紫色の瞳は意思の強そうな印象を見る者に与える。それなのに彼女自身は優しい、ほんわかとした雰囲気を放っている。
天然が一人に変人が二人。唯一正常な感覚を持つエリオットは大変だな、とレイラが薄ぼんやり考えていると、金髪の美少女がかつかつと踵の高い靴で颯爽と歩いて来るのに気付いた。
「お姉様そろそろ時間でしてよ……なぜ貴女がここにいるんですの!?」
ニーナを呼びに来たらしいエリシアは、大きな目が飛び出るのではないかと思うほど、青い瞳を見開いている。猫のように威嚇され、苦笑した。
「色々ありまして、アルヴィン先輩に頼まれてここに。」
そうレイラが説明すると、なぜかキッと睨み付けられて腕を引っ張られ露台に連れ出された。
会場から死角になる位置まで来ると、レイラの腕を離し威圧するように腰に手を当てた。それに顔を真っ赤にしている。相当頭に来ているようだ。なにかレイラは粗相をしただろうか。
特に問題はなさそうだが、と全身を確認する。
そのレイラの様子すらエリシアの癪に障ったようで、キッと眉を吊り上げ、拳をぷるぷると震わせ始めた。
「貴女は、どうしてお兄様以外の男に色目を使っているんですの!? こんなパートナーがいないと入場できないパーティーなんかに来て! 貴女のあの言葉は嘘だったんですの!?」
盛大な勘違いをされたようだ。とはいえアルヴィンとこのパーティーに来た経緯は説明しづらい。ここは、アルヴィンには決まった相手がいるが今日は予定が合わなかった。これにしよう。間違いではないのだから。
「いつも連れ歩いているパートナーの女性と予定が合わなかったらしくて、急遽私になりました。私が好きなのはシリルだけです。」
「シリルぅ?」
「……先生だけです。」
「一体いつから名前で呼ぶようになったんですの?」
すう、と深呼吸して気持ちを切り換えた様子のエリシアは、容疑者を取り調べる取調官のような冷めた瞳でレイラを見据えた。レイラの背中を冷や汗が伝う。
「そう呼べと言われて呼ぶようになりました。」
真実を言わなければ殺される。そんな殺気に満ちた瞳に素直に答えた。エリシアが逆上しかねない内容になるが。
「な……な、なんですって? お兄様が貴女に?」
「本当です。嘘じゃないです。」
「なんてこと……。」
ふらり、とよろめいたエリシアを咄嗟に伸ばした腕で支える。そしてぶつぶつと何事かを呟いている彼女を見つめていると、会場から歓声が上がった。
「どうしたのかしら。」
なにか楽しいことでもあったのだろうかと、歓声に沸く会場を眺める。
「お姉様とエリオットが婚約の発表をしたのよ。」
なるほど、通りで二人はお互いへの想いを隠そうともしていなかったのか。今度エリオットに婚約祝いの物品を贈ろう。アルヴィンとウィラードからの依頼料でレイラの懐は潤っている。ノア辺りに何か送ってもらおう。
「おめでとうごさいます。」
「何故わたくしに言うの。あとで本人たちに言ってくださいませ。」
不機嫌そうに眉を顰めたエリシアはレイラから離れると、取り乱したことを誤魔化すように咳払いをした。
「今回のことはお兄様がしたことですから何も言いませんわ。だからと言って調子に乗らないでくださいませ。お兄様は誰にでも優しさを振り撒いているのですから。貴女ひとりに甘いなんて……そんな、そんなことはありえないですわ!」
「はい。理解してます。」
「ふん。分かっているならよろしくてよ。」
生まれながらのお嬢様が鼻を鳴らしても大丈夫なものだろうか。ここに礼儀作法の教師がいたら怒られそうだ。
会場にいるアルヴィンの元に帰ると、見た目だけは良い彼は女性を大量に寄せ付けていた。彼女たちにはパートナーがいるはずなのに良いのだろうか? 随分と積極的だ。
迷惑そうに女性たちを睨み付けているアルヴィンはレイラに気付くと、適当に女性たちを振り払い歩いてきた。
「何なんだ一体。私は珍獣ではない。久しぶりに酷い目に合った。」
久しぶり、ということはこれまで確実にドリスが牽制していたからだろう。ドリスの無言の圧力に勝てる人はいない。レイラには優しいドリスも嫌いな相手には容赦はしないのだ。勿論、好きな人にも。
それにしても女性に言い寄られることを『酷い目に合う』と表すなんて、彼にとって女性とは何なのだろう。身体の形が違うだけ、みたいに思っていそうだ。
そして、ハロルドのようによく喋る生き物とも。
「君も私から離れないようにしてくれ。守れない。」
「分かりました。」
それからアルヴィンの横で大人しくしていると、不意に肩を叩かれた。気配を感じなかったことに驚いて振り返れば、呼吸も感じられる程すぐ近くに人の顔があった。
「お嬢さん、お嬢さん。名前はなんて言うのかい?」
皺の刻まれた顔を不気味な笑みの形にかえた老人は、何が楽しいのか上機嫌に話し掛けてきた。他人の顔が近くにあるのが落ち着かなくて、レイラは老人と距離を取る。
「人の名を知りたいのなら、まず貴方から名を名乗るのが礼儀というものでは?」
「これは失礼。私はケント・オーガストと申す者。」
その名を聞いた瞬間、レイラの身体に緊張が走る。
オーガスト。ということは、蛇のような目をしたジョシュア・オーガストと無関係とは思えない。というか滲み出る胡散臭さがジョシュアとケントとの繋がりを表しているように思える。確実に血縁だろう。
「さぁ、お嬢さんのお名前は?」
ケントが一歩踏み出す、そしてレイラも一歩後退る。
「私は言ったのだ。さぁ、美しい銀髪のお嬢さん?」
銀髪? 人違いしているのではないだろうか。レイラの髪は暗い金髪だ。思わずケントの薄い目を見返す。目が悪いのかもしれない。
「あの、私銀髪じゃないです。」
「それは、それは。良いことを聞いた。」
全く話が噛み合わない。変なのに絡まれてしまった。というかジョシュアと関係があるのなら危ない。もう逃げてしまおう。
ひとまず、走りづらい踵の高い靴を脱いでから、怪訝そうにレイラを見つめるケントに一礼した。
「用事がありますので、失礼します。」
そしてケントの返事も聞かない内に歩き出す。
後退りしている間にアルヴィンと少し離れていたようだ。アルヴィンの元まで駆け足で向かう。背後から足音が付いて来るが気にしない。呼び掛けられていても聞こえていないことにする。
「先輩。変なのに目を付けられました。名前は教えてませんが、逃げないと面倒な事になりそうです。」
アルヴィンの耳に唇を寄せて説明する。少しだけレイラの事情を知っている彼ならこの不十分な説明でも察してくれるはずだ。
「分かった。それなら名簿も消しておくべきだな。」
何かがアルヴィンから放たれた感覚がした。使い魔かなにかだろう。どちらにしてもレイラには視えないモノだ。
「すいません。よろしくお願いします。」
「私が君を誘ったからだ。気にする必要はない。」
今度からはドリスを誘ってもらいたいものだ。
恋人は無理ならせめて友人として、というのは不可能なのだろうか。レイラには他人の感情がよく分からない。
「お嬢さん。私と話をしないかね?」
追い付かれた。溜め息を吐きたい気持ちを宥め、声のした方を見遣る。すると、胡散臭い笑みを浮かべた老人からレイラを庇うようにアルヴィンが前へ進み出た。
「失礼。私の連れに何か用か?」
「昔の知り合いに似ていたものでね。名前を知りたいと思ったのだよ。教えてはもらえないかね?」
「彼女が口にしないのであれば私の口から喋るわけにはいかない。それにもう彼女を帰す時間だ。失礼する。」
ケントに一礼してから、パートナーらしくレイラの腰を抱きアルヴィンは出口へ向けて歩き出した。




