狂人と甘酸っぱい何か
ウィラードの話によると、アレンは元々人間だったようだ。最初にいた理の神アメシストが、自分探しの旅に出るにあたって神籍を押し付けたのがアレンらしい。
そのアレンが初めてシトリンを目にした瞬間、恋に落ちてしまい強引に契ったという。まったく、どいつもこいつも身勝手すぎる。人の気持ちを考えないのか。
「ほぼ強姦だよね。シトリンの瞳が金色と紫色なのは、アレン・シアーズの思いが強すぎてシトリンの魂まで犯したんだろうね。てなわけで、その二人の間に生まれたのがオレの愛しのシャーリーだよ。」
にこにこと喋っているウィラードは、シトリンの話をする時は怖いほど冷たい瞳をしているのに、シャーロットの話をする時は蕩けるような瞳をしている。その差が怖い。ウィラードは確実に心を病んでいる。
シリルはシリルで物騒な顔をしている。人一人殺って来たみたいな顔だ。女性が乱暴された話を聞くと、とんでもなく凶悪な顔になる。彼のトラウマに関係するからだろう。
「何かの記憶を視れるのは神様の血だからだね。神様は過去と現在を視て、そこから未来も視てるから、その血を持ってるここの王族は少しだけだけど過去を視れた。んで、理の神の血が流れたシャーリーには言霊が使えたから、お嬢さんも言霊使えるんだよ。」
なるほど、言霊とやらを使えたのは理の力がもたらすものだったのか。通りで、話に聞く神の一族の力と大分違っていたわけだ。
「でも、そのアレンは人間だったのでしょう? それならどうして……。」
「段階踏めば人間の体を作り替えて、神様に出来るんだよ。作り替えるのに数百年は必要になるけど。」
長い。しかし、作り替えるというならその年月が必要なのにも頷ける。ヒトと神は細胞から違うのだから。
「シトリンの血は何の力なの?」
「陰気を操って世界の調整するのが月の力だからね。薄まった王族は少ししか操れないんじゃない? お嬢さんでも精々、短時間雨を降らすくらいかな。」
雨を降らす力なんてそんなの要らない、雨は嫌いだ。
「本当の神様には、ヒトみたいな独占したいみたいな感情は生まれないらしいね。ほら、あのペリドートさん。気に入ったヒトの子孫なら男でも女でも、同じように愛せると思うよ。その人に伴侶がいたって平気みたいだし。気に入ったのがヒトでなくて犬なら、形を犬に変えるんじゃないかな。」
さすが神様、一般的なレイラにはよく理解できない。
若干、ウィラードの話に引いた顔をしているシリルをちら、と見上げる。横顔ですら惹き付けられるシリル。
レイラは独占したいと思ってしまうだろう。
愛しい人の身も心も、すべて縛ってしまいたくなる。
今のところシリルを縛りたいと思ったことはないが、想いが育てばどうなるのだろう。身勝手で最低な人、アレンやウィラードの様になるのだろうか。
まず、その前に付き合ってもいなければシリルの心の在処も分からないのだが。
「シトリンがこの国の最初の王様を愛したのは、神としての魂が完璧ではなくなったから。でなけりゃ、実の娘を踏み台にしてまでその王様と幸せになろうとしないよね。神様が。」
剣呑な光を秘めた緋い瞳がレイラを射抜く。
よほどシトリンの所業が腹に据えかねたのだろうか。
「なにがあったの?」
シトリンを殺してしまいたいほど憎んでいる理由が分からない。ただ、哀しくて苦しそうなウィラードが心配になった。彼は元気が有り余っているくらいが丁度良い。
「シトリンはね、調整する力をメリルに、純粋な神力はシャーリーに移したんだ。でもシャーリーが死んだ後は力が戻ってしまうでしょ? だから彼女に子供を十六人産ませたんだ。彼女は純粋に神の血で出来ていたから手っ取り早かったんだろうね。で、十六人の子供は巫女と呼ばれてて神力の器として機能させてた。死ぬと次の器が目覚めるようになってたんだけど、途中でオレがシステムを壊したから最後の器が早く目覚めてしまったんだよね。あ、最後の二人がアリアとアドルフね。」
馬鹿な、十六人も産めるものなのか。
それにしても、アリアもアドルフもそんな昔に生まれていたのか、今いくつなのだろう。何故かどうでもいいことが気になる。もう話の内容に付いていけない。
「時間さえ掛ければ二つに別ける必要がなかったのに、ヒトである王様とすぐに一緒になりたかったから、そんな馬鹿な方法をとったんだよ。許せないよね。よりによって娘を同じ目に合わせるなんて。」
昂ぶるウィラードの感情に当てられて、目には見えない何かが壊れていく。それはおそらく、精霊や人魂という形なきモノ。強い力をもったウィラードが荒ぶると周りにも影響が起きるようだ。
「オレが傍にいたなら、ずっとシャーリーの傍にいたなら守れたのに。母親への愛情には勝てなかったんだよなぁ。ああ、悔しい。」
何かが爆ぜる気配がする。なんとなく、このままではまずいと感じた。空間のようなものが欠けていっているような、そんな感覚がするのだ。明らかにまずい。
「抑えて、なにか壊れてるわ。」
「ん? あ、やばい。メリルに怒られちゃうね。」
ひらひらとウィラードが手を振ると、形なきモノの残滓は消え、他のモノが欠けた空間を埋めた。その気配に気持ち悪くなる。
「吐きそう。気持ち悪いわ。」
「大丈夫か?」
心配してくれているシリルと違って、何故か顔を輝かせたウィラードはレイラの目の前に跪くと、満面の笑みを浮かべた。一体、なにを考えている。訝しげに見つめるレイラの手を取ると、胸の前でぎゅっと握り締めた。
「シャーリーと同じこと言うんだね。結婚しない?」
こいつはシャーロットに似ていれば誰でもいいのか。
いや、似ているだけで他の女性を選ぶとは思っていないのだが、彼の軽い態度でどうしてもそう思ってしまう。
「吐いてしまうから気持ち悪いこと言わないで。」
「レイラから離れろ妖魔。穢れる。」
ぐいと手を引かれ、シリルの腕のなかにすっぽりと収まる。不満そうなウィラードはぶつぶつ文句を言いながら、立ち上がった。
「シャーリーに似た顔で言われると、結構堪えるね。」
「それなら他に目を向けろ。妖魔はレイラに釣り合わないだろ。お前になんて勿体ない。他所で探せば良いんじゃないか? そのシャーリーとやらに似た人。」
「先生でもシャーリーって呼ぶなら容赦しないよ。」
バチバチとシリルとウィラードの間に火花が散る。
二人とも話が噛み合っていない事に気づいているのか。
それにしても、なんというか、抱き締めながら言われると恥ずかしい。勘違いしてしまったらどうするつもりだ。
既に勘違いし始めている。年頃のレイラが意識してしまうのも無理ないはずだ。こんな宝物のように抱かれて、『可愛い』なんて毎日のように言われれば思い上がってしまう。
恥ずかしすぎて俯くレイラの髪をさらさらと丁寧な手付きで梳かれる。くすぐったさと気持ち良さでシリルの胸に寄り掛かる。するとシリルがくすりと笑った。
「いちゃつかないでよ。なに? 付き合ってるの?」
「そんにゃわけ……。そんなわけないでしょう。私なんかがこ、恋人だなんて先生に失礼だわ。」
噛んだ。この妖魔、つい想像してしまったではないか。
シリルと手を繋いで街を歩く姿……。よく考えたら、街では誘拐防止のためにずっと手を繋いでいるのだった。しかし、それは甘い話ではない。妖魔に誘拐されると首に噛みつかれて血を飲まれる。人に誘拐されると良くて身代金か身ぐるみ剥がされるか、で。悪くて生け贄か奴隷だろう。そんなレイラのために手を繋いでくれているのだ。街で生徒に目撃されて噂になったというのに、レイラのために『構わない』と言うシリルに惚れない人はいないだろう。
恋人といえばキスだろうか。駄目だ。思い出してしまった。例の心肺停止事件を。いっそあれをファーストキスに据えようか。
その方がレイラの思い出も甘酸っぱい何かになる。
少なくとも、子供に意識朦朧としている間にキスされたなんていう、訳の分からない状況よりましだろう。
真顔と赤面を繰り返していると、ウィラードに呆れたように溜め息を吐かれた。シリルは無表情で感情が読めない。今の話に気を悪くしたのだろうか。
「はいはい。分かってますよ。五年後にお嬢さんに恋人がいなかったら、オレの恋人になってね。じゃあ、そろそろ子爵のとこに戻るわ。」
五年後とは、ウィラードに告白後玉砕計画を話しただろうか。まさか覗きで得た情報かもしれない。
瞬きひとつの間に黒髪から赤髪へ、体格も一回り大きくなるとウィラードは会場のなかへ歩いて行った。
「俺たちも戻るか。」
「はい。」
なんとなく、気まずく思いながらシリルに手を引かれて歩き出した。なぜ、シリルが複雑な顔をしているのかを深く考えることなく。
◇◆◇
(意識されてるのに手を出せない、って。拷問だな。)
悶々と白いうなじを見つめながら、シリルは溜め息を漏らす。ほんのりと赤く染めた頬で、潤んだ瞳で見つめられ、勘違いするなというのが無理な話だ。
(あの妖魔にだけは負けられない。他の女を忘れてない奴なんかにだけは。どうしたらもっとレイラに好きになってもらえる? 俺しか目に入らないくらいに。)
今度、好みの男性を聞いてみよう。
その通りになるのは矜持が許さないが、参考にしたい。
早くあの澄んだ声音と、どこもかしこも柔らかなレイラを自分だけのものにしたい。こんな穢れたことしか考えていないシリルを彼女は軽蔑するだろうか。
(生理現象では? くらい言いそうだな。)
くすっと笑みを漏らす。昔から色んな事柄を視ているレイラなら、シリルの抱く気持ちすら身体機能のひとつだと切って捨てそうだ。
一度だけ理性が危うくなった時、滅多に見ないレイラの泣き顔を思い出して抑えた。あんな顔をさせたい訳ではない。
急いては事を仕損じる。という言葉があるくらいだ。ゆっくりレイラの周りを囲んでいこう。逃げられないように。
(レイラのファーストキスは俺だ。)
彼女は医療行為はカウントしないと言い張っていたが、あの白髪の子供がレイラに口付けたと聞いたときは腸が煮え繰り返った。
だから、誰がなんと言おうとレイラのファーストキスはシリルの知らないでやった人工呼吸だ。




