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時機と棄てる覚悟

地べたに座り込んでいる少女に近付く。

少女は無言で近付いてくるシリルを怯えたような目で見ている。が、そんなことはどうでもいい。

隣に膝をついたシリルに身体を震わせた少女に一言断ってから躊躇うことなく胸元を開ける。

少女の血は止まっていたが、胸には穴があいたままだ。骨も砕けているのか、所々白い欠片がある。

胸の真ん中に穴があいているという事は心臓も貫かれているはずだ。それなのに何故生きている?

地面に広がった赤黒い大きな染みは失血死してもおかしくない量だ。

開けていた胸元の服を戻し、薄手の上着を少女の胸元に掛ける。穴があいた服だと他の人にもレイラの胸が見えてしまう。中身はシトリンだとしてもレイラの身体だ。あまり見せたくない。

「レイラはどうなってる?」

「心臓が壊れて、『私』がそれを補っている状態よ。」

淡々と告げられたその言葉に血の気が引いた。

それは死んだと同義ではないのか?

心臓が壊れてしまったらヒトは生きられない。

「困ったな。シトリンさんを殺したいのに、欠片を取ったらお嬢さんが死んじゃうね。さて、どうしようかな。」

腕を組んで考え込むウィラードを睨み付ける。

口調から動作まで何もかもが道化に見えて腹立たしい。一人の少女の命が懸かっているのに、ウィラードはシトリンを殺すことしか考えていないのか。

怒りのあまり落ちている短剣に手を伸ばしそうになった。

「どうすればレイラは治る?」

「シトリンさんの魂を抜いて、心臓を戻せば治ると思うけど。」

「治せ。」

「無理だよ。僕はただの妖魔だからね。」

どこがただの妖魔だ。女神シトリンと知り合いでメリルとも知り合いの妖魔が『ただの妖魔』なわけがない。

ウィラードで駄目なら他に誰が治せる?

今ここに居るのは、と辺りを見回す。クライヴとエリシアは話に付いて来れていない。目を丸くして事の成り行きを見守っている。メリルは力が消えたというような事を言っていた。使えない。

他にと視線を巡らす。白髪の少年が緑玉髄クリソプレーズの瞳を熱く蕩けるようにしてシトリンを見つめている。子供がする目ではない。異様なものを見たと思いながらも、レイラと血が繋がっていると思われるその少年を指差す。

「あの子供ならレイラを治せるか?」

「そいつはシトリンさんの事しか考えないよ。彼女を蘇らせるためにお嬢さんを刺したんだから。」

あの白髪の子供がレイラを。少年を見る目が鋭くなる。

刺したのは糸目の男なのだろうが、あの子供のせいでレイラは死にかけているのか。こんな強い殺意を抱くのは初めてだ。

拳銃に伸びそうになる手をなんとか押さえる。

これでもウィラードがシトリンに向ける殺意に比べれば弱いものなのかもしれない。家族でも、ましてや恋人ではない他人レイラを殺されそうになっただけだ。

シリルが人を殺したいと思ったのは初めてで、たった一人の為に少年と糸目の男を殺したい。そんな風に考える己に恐怖する。元の感覚を取り戻さなければ。

「そんなに気を揉まなくてもお嬢さんなら治るよ。ヒトじゃないからね。」

「どういうことだ?」

「半分以上の神の血に加えて神の祝福を持ってるんだから、器と調整者の役割をすべてお嬢さんに持たせればいい。そしたら勝手に修復するでしょ?」

「無理よ。封じがあって力も祝福もあまり降りていないわ。この状態で移せば死ぬ。それとも『この娘』を消したいの?」

少女は胸に手を当て哀しそうに微笑んだ。儚いその笑みはレイラに似合わない。

はにかんでいるレイラの顔が脳裏に甦る。

「生きているなら良いでしょ?」

ウィラードが確認するように問い掛けてくる、しかし『レイラ』が消えてしまうのは嫌だ。

「他に方法はないのか?」

「私の魂を肉片に変換して修復してもいいけれど、拒絶反応が出る可能性があるわ。運良く心臓の修復が出来たとしても骨の修復まで出来ないかもしれない。それか、私の魂を真白にしてこの娘の記憶を繋げれば……。」

「そんなのは駄目だ! ようやく君に会えたというのに。」

狂気に満ちた少年の形相に少女は眦を決して叫ぶ。

「私は会いたくなんてなかった!」

「あの頃のことは反省している……。いや、後悔している。死んで詫びても足りないが、言わせてくれ。すまなかった。」

「それで済むわけないでしょう!? あの時も私は消えて無くなりたかったのに。ねぇ、ミカド。早く私を殺して?」

ミカド? 誰だそれは。と思ったが少女の視線はウィラードに向けられている。彼の昔の名前なのだろうか。妖魔は数百年生きると以前にメリルが言っていた。

しかし、ウィラードが娘がどうたらと言っていたから、少年とシトリンは夫婦なのかと思ったのだが、シトリアの最初の王はどこにでも居そうな地味な王であったと聞く。もちろん賢王とも呼ばれているのだが。純粋なヒトだった初代国王がこんな変な子供になっているなんて思えない。寿命的にも直感としても。

それなら初代国王と結婚する前の関係かもしれない。

なるほど、シャーロットとやらは連れ子だったのか。

深く考え込んでいると、シリルの耳が物騒な言葉を拾った。

「心配しなくても殺してあげるから、お嬢さんを何とかしてよ。じゃないと僕が先生に殺される。」

肩をわざとらしく竦めてシリルを見てくる。

こんな状況で笑っていられるウィラードが腹立たしい。シリルの目の前にいる血塗れのレイラを見て何も思わないのか。

「今の私は魂だけだもの。この娘の力を使えたら良いのだけど、私は使えないから。」

妖魔も妖魔なら神様も神様だ。胸の穴に手を入れながら少女は言う。傷口に手を入れるなんて馬鹿か。その身体はレイラのものだ。その身体を好き勝手するならシリルが許さない。レイラの傷口を弄くるシトリンの分まで思いを込めてウィラードを睨む。

「おお、恐い恐い。で、誰が力を封じてるの?」

「十五番目。」

「アドルフ・シトリン?」

「それは十六番目よ。その前の器だと思うわ。」

頬をぽりぽり掻きながら、うーんと唸っている。

「あんまり最近のは詳しくないんだよね。」

「アドルフの前はアリアだよ。」

呆れたように溜め息を吐いてメリルが口を出す。

驚いたように目を見開いたシトリンは呆然とメリルを見つめる。

「死んだら次に移るようにしてたのに、どうして同時期に二つの器が目覚めたの?」

「何年か前に僕が四季の森を狂わせたからね。やっぱりあれが術式の要だったんだ。良かった合ってて。」

「なんてこと……。」

唖然とウィラードを見つめる少女の仕草がレイラに似ていて動揺する。一瞬彼女が戻ってきたのかと期待してしまった。

「神の祝福だけ降ろせないかな。降りた瞬間の入り切らずに洩れ出るあれなら修復できそうだけど。」

「出来ないことはないけれど、貴方に移した祝福は上世界の祝福よ。この世界の祝福持ちでない貴方だと、上手いこと繋げられたとしても変なモノまで入りかねない。」

何を言っているのかなんとなく掴めるようになってきた。

『神の祝福』というものは万能薬みたいなものらしい。しかし、それを降ろす道がない。道が出来たとしても変なのが交じるかもしれないと。

それならどうすればレイラは助かる。シリルに出来ることならなんでもする。だが、シリルに出来ることがない。

悔しさに手のひらをぐっ、と血が滲むほど握りこむ。

「なんだ。それならフィンドレイを使えばいいんじゃないか?」

静かにウィラードとシトリンの会話を聴いていたメリルは溜め息を吐きながら、眉間を揉んだ。無駄な話に時間を費やしてしまったとばかりのメリルの様子にシリルは続きを促す。

「理事長?」

「フィンドレイ家にたまにいるよ。あの男の祝福持ちが。」

一斉に何対もの瞳がシリルを見つめる。居心地が悪い。

じろじろと舐めるようにして少女レイラが見つめている。

中身が違うと分かっていても意識してしまう。

「まさか……。彼が祝福を授けることなんてあるの?」

確かめるようにシリルの目尻を少女の指が滑る。

声も身体もレイラのもの。中身が違っていると分かっていても抱き締めたくて仕方ない。

地面に染みている赤い血のおかげで正気を保てている。

相手は怪我人。中は別人。よし、これなら理性が勝てる。

冷静さを取り戻したシリルを呆れた目で見ながらメリルは口を開いた。

「四百年位前だったかな。フィンドレイの先祖に一目惚れして簡単に授けていたよ。婚約者が戦に出るから婚約者を護ってくれと言われたらしくてね。毎回、会議の度にその娘の子供の話やら孫、ひ孫の話をしてね。面倒くさかったよ。まあ、最後にオニキスに黙らされていたんだけど。」

「あの馬鹿男か。ふむ、綺麗に色が出ているではないか。」

興味深そうに少年が見つめてくる。少年が一歩近付くと少女は身を竦ませていた。一体、何をされたのだろう。

「オレだけ知らないんだけど。」

ムスッとしているウィラードにシリルの胸がスカッとする。自分はすべて知っているのだという態度が気に入らなかった。

「じゃあ繋いでみようか。フィンドレイ。」

手を出すように言われ、左手をメリルに差し出す。

短剣をシリルの手首にあてがい勢いよく引いた。鋭い痛みと共にぼたぼたと赤い血がレイラの上に降り注ぐ。

虚ろな表情でそれをみていた少年は溜め息を吐いて首を振った。

「時期が早かったな。仕方ない。シトリン『君に形を与える』。」

白髪の少年が不思議な響きのする言葉を紡ぐと、少女は絶望の表情を浮かべた。

「やっ…め………。」

がくん、とレイラの身体が傾いだ。空いていた右手で受け止める。少年の方を見遣ると手の平に紫黄水晶アメトリンをのせていた。

なるほど、形を与えるというのは魂に形を与えるということか。シトリンは相当、確実に少年を嫌っていたが良いのだろうか。

「やはり融けていない。形、いや年齢の問題か。」

ぽつりと落とされた少年の呟きに、糸目の男が悔しそうに歯噛みする。

「戻りましょう。元の器へ。」

「ああ。」

その言葉を最後に、白髪の少年も糸目の男も。辺りに転がっていた男たちすら消えてしまった。


◇◆◇


木の扉を開けた先には大きな鉄製の扉があった。

「封じを幾重にも重ねているのね。せっかく降りられると思ったのに。」

むう、と唇を尖らせた少女は呆然と膝をついているレイラを見つめて、笑った。

「早く開けないと貴女の身体は他人のものになるよ?」

「意味が分からないわ。」

違う。意味は分かっている。だってレイラは視た。

世界の始まりから終わりを。太陽と月の危うい均衡を。世界の理を。

だから、ここでレイラは死なないことも識っている。

意味が分からないのは何故少女がそれを識らないのかだ。

「今の貴女では与えられた祝福の力すら借りられないもの。」

「それならそれが私の運命というもの。でしょう?」

挑発するように少女に告げる。あんなに強い痛みをまた味わうくらいならこのままでいたい。痛いのは嫌いなのだ。

あと少し待てば、調整者か器。どちらかの力が降りてくる。その力で理を操れば傷は治る。そうレイラは視た。

時機を間違えないように身体を巡る力の流れに耳を傾けていると、後ろから声がかかった。

「帰るぞレイラ。」

幻聴ではないかと思った。心細くなったレイラが生み出した幻だと。それを確かめるために恐る恐る振り返る。

「どうして?」

「早く来い。時間がない。」

そこにいたのはシリルだった。

淡い光を身体に纏ったシリルは戸惑うレイラに手を差し伸べる。その大きな手にレイラはいつものように己の手を重ねる。

そこで気付いた。シリルが光っているのではない。

青い薔薇園の空に太陽がある。どんなに明るくても太陽なんてものはなかったこの空に。

目を細めて眩しい太陽を眺める。

「良かった。やっぱり本物の方が可愛いな。」

腰を抱き寄せられ耳元で囁かれる。いつも通りといえばいつも通りなのだが、いつもより声が甘い気がする。

(夢だから甘いのかしら。)

夢なら、とレイラはシリルの胸に頬を寄せた。

「シリル……。」

恥ずかしさは消えなくて、蚊の鳴くような声で名を呼ぶ。

「ん? どうした?」

「私が別のなにかになってもこうしてくれるの?」

ここから出るなら微かにある普通を棄てなければならない。そうでもしないと刺されてしまった心臓は治らない。レイラの今の力だけでは足りなくて眠ってしまう。

ぎゅっとシリルの胸元の服を握る。

「当たり前だ。じゃないと俺が寂しくて死ぬ。」

「そう、私も……。その。」

夢なら告白しても良いだろうか。ジョシュアに刺された時、言っておけば良かったと後悔したから。

俯いて呼吸を整える。夢の心臓が躍り狂っているが、本物の身体の心臓は穴があいているのだ。鼓動を刻むだけましだろう。

「あの……。私!」

勢いよく顔を上げる。橄欖石ペリドットの瞳が驚いたように見開かれる。

思っていたよりシリルの顔が近くてレイラは一瞬躊躇った。僅かに目を伏せる。

その時だった。微かに唇に何かが触れた気がした。

「?」

「……。帰るか。」

ふんわりと頭を優しく撫でられる。

おかしい。レイラの想像のはずなのに感覚がある。

最初から違和感はあった。ここに居るのはレイラとレイラと瓜二つな少女だけだ。それなのにシリルが居る。ぺたぺたとシリルの顔を遠慮なく触る。

「大丈夫か?」

心配そうに見下ろされた。まるで本物のようだ。

(もしかして、これは夢ではないの?)

頭が真白になったレイラは薄れていく青薔薇を眺めながら。胸を撫で下ろした。

(言わなくて良かったわ。)

それにしても、とレイラは唇に触れる。

(医療行為はカウントしないのよね。それなら、あれが初めてなのかしら。)

そういえば意識を失う前に少年に口付けられていた。

胸と頭の痛みで何が何だか分からなかったが、何故か先ほど唇に感じた感覚と似ている気がした。

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