神々と男の関心事
妙な焦燥感を抱きながら、時計を見つめる。
シリルは職員室で今後の授業の進め方についての話し合いをしていた。総合科の選定も圧倒的な力を見せたクライヴに決まり、あとは授業の枠組みについてだけだが、それが中々決まらない。
朝から落ち着かない。本当なら今すぐ部屋に帰りたい。
張り詰めた空気の中、話し合いは続いていく。
早く終わらないのかと苛々している時だった。
がら、と扉が開く音がして皆が一斉に扉の方を見る。
「フィンドレイ!」
「理事長?」
理事長室から出てこないと思っていたメリルが職員室の入り口にいた。室内が騒がしくなる。一部の人間の前でしか姿を現さない理事長がいるのだ。
「話は後だ! さっさと付いてこい!」
相当、焦っている様子のメリルに嫌な予感が生まれる。
失礼します。とシリルが職員室から退出するとメリルは走り始めた。思ったより足の早いメリルに追走する。
「一体、何が?」
「私から力が消えた。」
「それは……どういう意味ですか?」
「私に預けられた調整者の権利が消えたんだ。だから、その力が向かう先は彼女かアドルフのどちらかだ。器であるアドルフの方が可能性は高いが、念のためヴィンセント君を探す。」
意味が分からない。聞いたことのない単語ばかりが並び、メリルが何を言いたいのか理解できない。
ただ、レイラに何か善くない事が迫っていることは分かった。
「その調整者って、その力がレイラに向かったらどうなるんですか?」
「この世界が続く限りすべてを視ていないといけない。まあ彼女の力なら調整者と器、二つの力でも耐えられるだろうけど。」
門に着くとメリルは足を止めた。辺りを見回してから溜め息を吐き、シリルを見上げる。
「彼女の居場所わかるかい? 『フィンドレイ』なら掴めると思うんだけど。」
「え? 多分、あっちです。」
いつもより冷たい気配のする方向を指差す。
「急ごう。」
再び走り出したメリルと共に気配のする場所に急ぐ。
そして、冷たい空気が近付いて来たときだった。
「どうして!?」
叫び声が聞こえた。よく知る少女の声。
声を荒らげることなどなかったレイラにしては感情的すぎる。そう思いながら角を曲がる。
「私の身勝手な望みのためだ。」
どこかで聞いたことのあるような少年の声。
そこにいたのは地面に倒れた数人の男、なぜかエリシアとクライヴ。血に塗れた剣をもった黒髪の男、白髪の少年。そして、衣服を赤く染めた少女。
白髪の少年は踞っている少女に手を伸ばす。
「 触らないで! 消えて!」
そう言って身体を震わせる白金色の髪をした少女。
声はレイラのものなのに、少女が纏う空気はどこか神々しく。静謐という言葉の似合うレイラとは程遠かった。
「誰だ?」
びく、と肩を揺らした少女が振り返る。
少女の瞳に息を呑む。左右の瞳の色が違う少女はレイラによく似ていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私の所為で。ごめんなさい。」
ぽろぽろと涙を零す少女は何度も謝罪の言葉を口にする。
「貴女の所為ではない。すべては私の為に私がしたこと。」
白髪の少年が少女を抱き締める。それを抵抗もせず黙って受け入れ、少女は口を開いた。
「黙ってて。どこかへ消えて。でなければ貴方の力を使って貴方を殺すわ。この娘の力なら今の貴方でも太刀打ちできないでしょう?」
「ああ。今の私では、な。この身体も窮屈だと思っていたところだ。また迎えに来る。愛しい人。」
頤を持ち上げられた少女は顔を背けた。代わりのように少年は首筋に唇を寄せる。僅かに顔を顰めた少女は、何も言わず。ただ遠くを見つめていた。
「ジョシュア、引き上げるぞ。」
「よろしいのですか? 彼女を連れていかなくて。」
「不安定な時に本気で抵抗されると、空間が保たない。」
後を追うべきか追わざるべきか悩む。
レイラがおかしくなっているのは十中八九、彼のせいだろう。
「ちょっと待って。そこのちびっこ君。」
聞いたことのある声に近くの建物の屋根を見上げる。
そこには短い黒髪に緋い瞳をした妖魔。ウィラード・シャルレがいた。
ふざけた呼び名で白髪の少年を呼びとめたウィラードに、少女は驚いたように目を丸くした。
「貴方……。」
「お久しぶり、だね。シトリンさん。」
にこりと笑ったウィラードに、少女は肩を震わせ嗚咽を漏らした。
(シトリン? どういうことだ。意味が分からない。)
シトリンといえば、荒野だったこの場所に恵みをもたらしたという女神の名だ。王族もレイラもその血を引いている。
もしかすると、降霊術か何かを使ってレイラにシトリンを降ろしたのかもしれない。
レイラの瞳の色は宗教関係者にも大人気だった。
屋根の上から危なげなく少女の前に飛び降りたウィラードは辺りを見回し、シリルの横にいるメリルを見つけると気まずそうな顔をした。
「あと、奏も。」
額に青筋を浮かべて、唇を無理やり笑みの形に結んだメリルは聞いたことのないような低い声を出した。
「私への挨拶が後だなんて、散々待たせておいてそれはないんじゃない?」
「ごめん。色々あって遅くなった。許してね。」
「あとで『色々』について詳しく聞かせてくれるなら別に良いよ許しても。」
二人は知り合いだったようだ。それにしても隣に立っているだけなのにメリルの怒気にあてられそうになる。
一体、ウィラードはメリルになにをしたのだろうか。
「なにか用か? 妖魔。」
「いやね。王都まで行ってアドルフ・シトリンに欠けていた記憶を戻してもらったんだよね。で、ひとつ確認。」
「なんだ?」
訝しげに目を眇めた少年に真面目な顔をしたウィラードが近付いた。間に血に塗れた剣を持つ男が入る。
「シトリンの長女シャーロットの父親はキミかな?」
「如何にも。シャーロットは私の娘だが。」
満足そうに少年に笑いかけたウィラードは、憎しみという感情しか浮かんでいない瞳で少女を見つめる。その瞳に晒された少女は身体を震わせた。
「じゃあ、シトリンさんにも確認。」
「……。なに?」
「貴女はシャーリーになにをした? 推測だけど分かってる。僕は今すぐにでも貴女を殺してしまいたいんだけど。一応、確認しておくよ。」
「……。」
沈黙した少女に冷たい声音でウィラードは話しかける。
「言いたくないなら別に良いけど、僕はね出来るだけお嬢さんの身体ごと始末するような事はしたくないんだよね。シャーリーの血を引いてるんだから。」
まさか、レイラごと中に入っているシトリンを消すつもりなのか。眼光が鋭くなったシリルに気付いたのかウィラードはシリルを一瞥して肩を竦ませた。
「……。曾孫たちに娶らせたわ。」
重い口を開いた少女の言葉に驚愕する。
娘を曾孫に娶らせただと? なんて狂っている。
「それで? 彼女に何人産ませた?」
「十六人……。」
「それがシャーリーの限界だったって事?」
「ごめんなさい。あの時はどうかしていたわ。」
ウィラードは悄然と項垂れた少女をさらに追い詰める。
「それで済むわけないでしょ? シャーリーは許すだろうけど、僕は許さない。だからちびっこ君。早く魂抜いてくれないかな?」
笑みを浮かべてはいるが、瞳は笑っていない。
「お前の事情は分かった。だが、彼女と先に話がしたい。」
愛しい人と言っていたわりに、少女を簡単に差し出している。一体どんな関係だ。
「そっか、そもそも全部ちびっこ君のせいだよね。」
「ああ……。」
「本当、この世界ごと壊してしまいたくなるね。狂った神さましかいない。そうは思わない先生?」
「え……っと?」
突然ウィラードに話を振られシリルは戸惑う。
とりあえず、レイラの中に入っているのがシトリンという事と白髪の少年がシャーロットという少女の父親ということは分かった。狂った神さまというのがシトリンのことを指すのは理解できた。娘に曾孫の子供を十六人も産ませるなんて、いくらなんでも異常すぎる。
「オレ《・・》もシャーリーもお嬢さんも神さまの事情に巻き込まれた被害者なんだよね。」
こんな軽薄そうな男も苦労していたのか。
しかし、そんなことよりシリルは気にかかる事がある。
「レイラの怪我はどの程度だ?」
「先生、意外に空気読まないんだね。」
到着するまでに何があったのか知りたい。
異常な人々はどうでもいい、レイラが血塗れで糸目の男が血に塗れた剣を持っていることがシリルの一番の関心事だ。




