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好敵手と開けられた扉

「ねぇ、貴女。少しお話があるのだけど。」

校舎と職員棟を繋ぐ渡り廊下を歩いていると、エリシアに呼び止められた。

学院内ですれ違ったときも会釈する程度の関係だったので、話し掛けられたことを意外に思った。

「何でしょうか?」

「場所を変えましょう。ここは人の目がありすぎますもの。」

周囲を一瞥して、そう言ったエリシアは突っ立っているレイラの手を引いて職員室に向かい、外出届を書かせて提出し、街に出た。

エリシアは素朴なカフェに入ると、メニュー表から適当に軽食を注文し、レイラも紅茶を頼んだ。

注文した紅茶と軽食が机に並べられ、レイラは紅茶にミルクを淹れてスプーンでくるくるとかき混ぜながら、店に入ってからずっと無言のエリシアを見つめる。

「……。お話とは何でしょう?」

遂に無言に耐えられなくなり、口を開いた。

「お兄様と貴女の関係ですわ。」

おかしな噂が流れているのは視たことがあるから知っている。詳しい内容もドリスとエリオットから聞いて、とりあえずシリルの名誉を守るために情報操作を頼んでいる。

「実際のところどうですの? お兄様に訊いたところではぐらかされてしまうから、貴女に訊いているのですけど。」

「恋人ではありません。」

それしか言えない。恋人でもなく友人でもない、そんな奇妙な関係を巧く伝えられる気がしない。

それなら、変に言葉を重ねて誤解を生むより恋人ではない、ということだけ言えば良いとレイラは思ったのだ。

しかし、こんな答えでエリシアが納得するわけもなく、レイラの返答に眉を顰めたエリシアはレイラをキッ、と睨みつけた。

「そんなことは分かっていますわ! わたくしが訊きたいのは、貴女がお兄様をどう思っているのかですわ!」

「それは……。」

どう、と訊かれても。なんと答えればいいのだろう。

尊敬できる先生と答えるべきか。兄のように思っている。と自分の気持ちを誤魔化していた時のように言うべきか。

それとも、正直に慕っていると答えるべきだろうか。

「正直に答えてくださいませ。わたくしはお兄様をお慕いしておりますの。好敵手を把握しておきたいのですわ。」

真っ直ぐにレイラの瞳を射抜いたエリシアの青い瞳は、誤魔化しを許さないという光を秘めていた。

下手な言い訳は通用しない。エリシアの神経を逆撫でするだけだ。

「私は先生の、ことを……。その、好きです。」

初めて言葉にした『好き』という気持ち。

口に出すと思っていたより恥ずかしい。これで卒業式に告白できるのだろうか?

顔を真っ赤に染めたレイラを見て、なにを思ったのかエリシアが微笑んだ。

「そう、正直なのは嫌いではなくてよ。」

満足そうにうんうんと頷いたエリシアに面食らう。

「お兄様は素敵な方ですもの。貴女が好きになるのも分かりますわ。でも、お兄様は優しさを大安売りしていますの。誰にでも優しいから誰にでも好かれる。なのに誰も好きにならない。わたくしの想いもお姉様の想いも受け止めないのですわ。その辺の小賢しい女共を相手にしないのは分かりますわ。でも! わたくしやお姉様のような親しい者の想いすら袖にしますのよ!? 酷い方でしょう!?」

「はあ、そうですか……。」

熱く語るエリシアの迫力に気圧され、体を仰け反らせる。

「報われない可能性の方が高いですわ。それでも好きなら本気でぶつかってくださいな。中途半端な想いでお兄様の周りを彷徨かれるのは不快ですわ。」

確かに、シリルなら顔だけで寄ってくる女性も大勢いるだろう。本気で好きな人からしたら、そんな巫山戯た理由でちょっかいは出されたくない。

レイラとシリルの間にあるのは、これからたった五年間の関係だ。今のレイラはシリルに恋しているが、数年後のレイラがその想いを持ち続けているか分からない。それでも今は、そんな未来が想像できない。

「勿論です。卒業式に玉砕する予定です。」

「それなら良いですわ。わたくしも二年後の卒業式でしてよ。」

心を通じ合わせた二人は固く握手を交わした。

それから、他愛もない話をした。

エリシアの話すことは興味深い話ばかりで、つい時間を忘れて聞き入っていると、窓の外が暗くなっていた。

「まぁ、もうこんな時間ですの?」

「帰りましょうか。」

勘定を済ませ、外に出る。早足で二人は歩き始めた。

急がなければ門が閉まってしまう。

そして、人気のない通りに差し掛かったときだった。

ふいに嫌な予感がして後ろを振り返る。

後ろに居たのは長身の男だった。

見覚えのあるその姿に愕然とする。

ひとつに括られた黒髪。何を映しているのか分からない細い目。

「お久しぶりですね。レイラさん。」

「ジョシュア・オーガスト。」

咄嗟にエリシアを背中に隠す。腰のベルトから短剣を引き抜き、ジョシュアに向ける。

「どうしましたの!?」

状況を理解出来ていないエリシアを一瞥し、ジョシュアは薄く笑った。気味の悪いその笑みにエリシアの顔が強ばる。

「彼女に手を出さないのなら、話くらいは聞きます。」

おそらく、周囲は完全に包囲されていると見て間違いないだろう。レイラが戦えない誰かと二人で出てくるのを待っていたのかもしれない。

誰かを守りながら戦えるほど、レイラは強くない。

いや、正確に言えば誰かを守る戦い方を知らない。

「それでは、こちらへ。」

手を差し出される。溜め息をひとつ吐き、足を踏み出す。行きたくないが、エリシアを人質にとられるよりましだろう。嫌々といった様子で歩いているレイラにくすくすと笑ったジョシュアを睨み付ける。

「行く必要はないですよ。先輩。」

だから、その声が響いた瞬間、レイラはほっとした。

「クライヴ。どうしてここに?」

ジョシュアとレイラの間に現れたクライヴは怠そうにジョシュアを見ている。初めて会ったのは暗殺者のニコラスとしてだったが、今では立派なメリルの手足だ。一体、どんな風に躾けたのだろう。

「シリル先生が先輩を見れないときは俺がしてるんです。」

「そうだったの? ありがとう。」

「そういう風に抜けてるから変なのに絡まれるんですよ。俺が面倒くさいから学院から出ないでください。」

そうは言われても、いつもはシリルなしで街に出たりしない。今日はエリシアに誘われたから出ただけだ。

「護衛が居ましたか。それなら仕方ない。」

ジョシュアがぱちん、と指を鳴らすとぞろぞろと男たちが湧いて出た。これだけの大人数が一体どこに身を隠していたのだろう。

「エリシアさんを守れる?」

「別に問題ないですけど、先輩は大丈夫なんですか?」

「なんとかするわ。それにこの場から逃げるだけだもの。」

逃げるだけなら、なんとかなるかもしれない。

簡単に逃げられるとは思わないがやるしかない。

「わたくしも逃げ足だけは早くてよ。情報科を舐めないでくださいな。」

「期待してます。俺は先輩の命を守るように言われてるんで、最悪見捨てることになりますんで。」

「ええ、それで良いですわ。」

絶対にそんなことにはしない。覚悟を決めて、短剣を持ち直す。

「それじゃあ行きますね。着いてきてください。」

クライヴの言葉を皮切りに男たちが飛び掛かってくる。

男の剣を受け止め、手が痺れる。男の一撃、一撃に重みがある。それでも、隙を見つけると男に飛び込んで腹に剣を突き立てる。崩れ落ちる男には見向きもせず、クライヴの方を見ると既に他の男たちを沈めていた。

「すごいわ。」

「ちまちま戦うなんて面倒くさそうですね。」

倒れた男たちの体には斑点が浮かび始めている。

なるほど、毒針を使ったのか。狡い。レイラも短剣でなければもう少しましな戦い方ができるのに。

じとり、とクライヴを睨んでいると驚いたような顔をされた。

「先輩! 後ろ!」

後ろ? 特に人の気配もしないが、と思いながら振り返ろうとして、白い何かが見えた。そう白髪の子供が。

なぜ子供がこんな危ないところに、と考えたところでどす、と背中に衝撃を感じた。

「い……っ…。」

痛みを感じた胸から赤く染まった何かが突き出ている。呆然とその何かに触れる。ぬめりとする温かくて赤いもの、銀色に光る冷たい剣。

「すまない。お前に恨みはないが、私のために……。手段を選べないのだ。」

沈痛そうな面持ちでそう言った白髪の少年は剣を握るジョシュアに手で合図を送る。それに頷いたジョシュアは剣をレイラの体から引き抜いた。力を失った体はばたりと地面に崩れ落ちる。エリシアの悲鳴が通りに響く。

あまりの激痛に意識が遠退く。それでも、なんとか意識を失わなかったが、痛みで息が出来ない。喘ぐように呼吸するレイラの傷口に少年は手を差し入れた。

「やっ…あ……。」

胸のなかに何かが入れられた。そんな奇妙な感覚がする。

熱い塊がほろりとレイラの体のなかで融けていく。

体に熱い何かが巡っている。血ではない他の何かが。

「すまない。」

何度も謝る少年は誰なのだろう。謝るくらいなら酷いことをしないでもらいたかった。

「だ……れ…………。」

掠れた声を絞り出す。泣きそうな顔をしてレイラを見た少年は青白くなった頬に手を添えて唇に口づけた。

「きっと、思い出す。その時、貴女が私を見る目が怖い。」

少年はレイラに話しているようで、他の誰かに語りかけていた。

左目に浮かんだ涙を優しく拭われ、瞼に口づけを落とされる。

「くそっ! 先輩!」

遠くでクライヴが叫んでいる。彼には申し訳ないことをした。レイラが死んでしまったら彼がメリルに怒られてしまう。レイラが少年の存在に気づけなかったのがいけないのに。

死んだらシリルも悲しむだろうか。少しの間だけでもシリルの頭の中がレイラで一杯になるのならそれも良いかもしれない。この傷だ助かる気がしない。

こんなことなら、卒業式などと言わずさっさと告白しておけばよかった。

そんなことをぼんやり考えていると、頭が割れそうな痛みを感じた。もう、どこが痛いのか分からない。体に怖いほど強い何かが生まれていく。

頭のなかを様々な光景が流れていく。ほとんどレイラの知らない光景だ。高野、雪原、幸せそうに笑う家族、屍の山、窓のたくさんある大きな建物。その光景が途切れると青い薔薇園に辿り着いた。見慣れたその世界の真ん中に白金色の髪を靡かせる誰かが背を向けて立っていた。誰かの目の前には何の変哲もない木製の扉。

ただ、その扉は大切なものだとレイラは思った。

どうしてそう思ったのか分からないが、それは開けてはいけないものだと。そう本能が訴えてくる。

白金色の髪をした誰かは扉に手を伸ばす。

(やめて!)

『大切な扉』を無理矢理抉じ開けられ、レイラは意識を手放した。

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