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ある噂と男の決意

「お兄様、噂になっていますわよ。」

忙しかった入学式も無事終わり、ようやくのんびり過ごせるようになった昼下がりに、廊下でエリシアに呼び止められた。

「噂? 何の。」

「お兄様と女子生徒が手を繋いで歩いていたって。護衛なら手を繋ぐ必要はないんじゃなくて?」

気を付けていたのだが、やはり無理があったようだ。手を繋いで歩いている、と噂になっているならその手に口付けを落としたことは見られていない。良かった。

「前に俺が少し余所見してる間に攫われたんだ。」

それなら、シリルが目を離さなければ良い話だろう。

しかし、白く滑らかな肌。ほっそりとした綺麗な手。いつまでも触っていたいと思う。

一番触り心地がいいのは頬だ。もちもちしている。

でも、胸に顔を埋めた時は温かくて柔らかくて良い匂いもする。そして、顔を赤らめて俯いているレイラを腕の中にずっと囲っていたい。

と思っているシリルは変態なのかもしれない。

「総合科なのに自分の身も守れないなんて、おかしいですわね。」

つん、としたエリシアの声に顔を上げる。

不機嫌そうに金の巻き毛をくるくると指に絡めて弄んでいる。青の瞳がシリルの心を探るように細められた。

「相手は化け物みたいに強いんだ。姉さん並みに。」

「そうですの? それならしょうがないですわね。でも、もっと周りに気を配ってくださいませ。あの娘とお兄様が恋人同士だなんて、噂と分かっていても、そんな話聴きたくありませんわ。」

「……。気を付ける。」

まさか、恋人同士という噂だったとは。

レイラが生徒じゃなければ、早々に告白して本当に交際したかった。年齢的には問題ないだろう。二十三歳と十八歳ならよくあることのはずだ。

今は頬や首筋への口付けでなんとか抑えているが、好きな人が無防備に目の前をふらふらしていて何も思わない筈がない。

それにレイラには何故か意識されている。嫌がる様子もないから、ついつい味見するように触れてしまう。

「そうですわ。年末に会いに来てほしいと母様が言ってましたわ。」

別れ際にエリシアにそれを告げられ、手足が冷えていく。

「護衛があるから帰れるか分からない。一応理事長に訊いてみるが、多分無理だと思う。」

引き攣りそうな口元を無理やり笑みの形に変える。

逃げてばかりはいられない。それでも今はまだ弱い心を保てない。顔色の変わったシリルに気付いたエリシアはしまった、というような顔をしてから咳払いをして気まずくなった空気を濁した。

「ええ、お仕事を優先してくださいませ。お仕事を。」

最後に念を押すように同じ言葉を重ね、エリシアは女子寮のある方向に歩いていった。

(エリシアに気を使わせるなんて……。駄目だな俺も。)

無性にレイラを抱き締めたくなった。

指先に触れて離れていった体温。幸せそうな顔をして暗闇に身を投げた少女。

上位の妖魔に攫われたレイラを探しているときシリルの脳内にはその光景が延々と浮かんでいた。

だから、繋いだ手を離してしまったら消えてしまうのでは、死んでしまうのでは、と。

次は必ず護りきる。

彼女が落ちていくなら、シリルも共に落ちるだろう。

手を伸ばして届かないなんて、そんな思いをするのは二度と御免だ。


◇◆◇


「レイラ……。」

部屋に帰ってきたシリルはいつもと違って、すぐに抱き締めてきた。甘えるように首筋に顔を埋めてくる。吐息がくすぐったい。

「先生? どうされました?」

「名前呼んでくれ。」

「……。」

「レイラ? 早く言わないと……。」

シリルの言葉に不穏な気配を感じ、腕の中からの脱出を図る。しかし、力で勝てるわけもなくシリルの笑顔が近付いてきた。

「っあ…ん……。だ、駄目です。」

耳に口付けられ、耳が弱いレイラから声が漏れる。

本当にどうしてか脇の下をくすぐられても何も感じないが、耳に吐息が当たると全身に電流が走ったようになる。やめてもらいたい。

「寂しい。」

ぽつり、と耳に落とされた呟きにレイラは胸が苦しくなった。ただ、名前を呼ぶのが恥ずかしいだけなのに、そんな悲しい声色で寂しいと言われると申し訳なくなってくる。

「シ、シリル?」

「やっと呼んでくれた。」

嬉しそうに言って破顔したシリルは、腕の力を強めた。

そして、レイラを抱えてソファーに移動し落ち着いてしまった。最初は髪を撫でたり、頬をふにふにとつまんだりという触れ方だったのが、時間が過ぎていくと共に首筋に口付けを落としてきたり耳を甘噛みしてきたりと甘いものになり、心臓が持たなくなった。

「寝ます。離してください。」

「そうだな。寝るか。」

ようやく離してくれる。と思っていたレイラを軽々と抱き上げたシリルは、そのまま寝室にずんずんと歩いて行き、レイラをベッドに寝かせた。そう、シリルのベッドに。

「な、何を……。」

布団からシリルの匂いがする。いつも、抱き締められたときに香る柔らかい匂い。ベッドに転がされたレイラはじっ、と見下ろしているシリルに狼狽える。

心臓がどくどくと大きな音を立てて脈打つのが聴こえる。

シリルがベッドに片手をついた。固唾を呑んでそれを見つめる。一体、何をするつもりなのか。

脳内に『記録』を視た記憶が駆け巡る。あり得ないと分かっていても想像は止まらない。

(まさか……。いや、そんなはずはないわ。)

近付くシリルの顔を直視できず、瞳をぎゅっと閉じた。

「おやすみ。」

ちゅ、と音を立ててレイラの頬に口付けたシリルは、もそもそと毛布に潜り込んで、レイラを抱き寄せた。

「ん、良い匂いがする。」

すんすんと匂いを嗅がれ、レイラは固まった。

「へ、変態……。恥ずかしいです。」

何とでも呼んでくれ、と笑ったシリルは、それから数秒も経たずに気持ち良さそうに寝息を立て始めた。

レイラは緊張して眠れそうもなくなったのに、どうしてシリルは眠れるのだろう。女性との同衾なんて慣れているのだろうか。そう思うと苛々としてくる。

幸せそうな寝顔にムッとしたレイラは頬を指でつついてみる。

起きる気配のないシリルの顔を見ていると、悪戯心が湧いてくる。

「おやすみなさい。シリル。」

耳元で囁くように言って、そっとシリルの頬に口付ける。

そこではっと正気に返り、茹で蛸のように真っ赤になったレイラは急いで毛布に潜り込む。

遂にやってやった。やってしまった。と矛盾する心を抱えながら、どきどきとシリルの様子を窺う。目覚める気配はない。良かった深く眠っていたようだ。

寝入りばなは案外起きないものだな。と思いながらレイラは眠りについた。


◇◆◇


(反則だろ。)

すやすやとあどけない顔をして眠っているレイラを見つめながら、口付けられた頬を撫でる。

眠っていたところ、耳に囁かれ目を覚ましたシリルは、次に頬に触れた柔らかな感触に寝たフリを決め込んだ。

今、レイラが浮かべているであろう恥じらっている表情を見て、理性が保つとは思えない。

きっと、瞳を潤ませて頬を染めシリルの様子を窺っているだろう。

レイラがシリルを意識しているのは、今回のキスで確信した。もう五年待ってでも、あの柔らかな感触を手に入れたい。頬だけでは足りない。もっと深く。もっと強い繋がりが欲しい。

その為にシリルが出来ることは、嫌われないこと、他に好きな男が出来ないようにレイラの心をシリルに繋ぐこと。そして、

(我慢だな。)

今すぐ手を出すのは駄目だ。彼女は不誠実な男が大嫌いなようだし、シリルも不誠実な男に育った覚えはない。これまでの恋人とも誠実に付き合ってきた。彼女らには求められなければ触れなかったが、レイラにはずっと、触れていたいと思う。

だから、誠実にレイラとの関係を進めていかなければ、後で必ず後悔する。

(まずはレイラの兄弟の攻略からだな。)

外堀から埋めて、逃げられないようにしよう。

気持ち良さそうに寝ているレイラの唇を親指でなぞる。ん、と甘い声を漏らしたレイラに決意が揺らぎそうになる。

あと五年。あと五年待てば疚しい思いをすることなく手に入れられる。

レイラがシリルを意識しているのなら、淡い想いだったとしてもずっぽりと深いところまで嵌めれば良いだけだ。他の男が目に入らないくらい深いところまで。

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