五柱の神と温度差
世界には数多の神がいる。水神、炎神、土神、風神、雷神などの神によって世界は廻っている。そして、その頂点に立つ五柱の神がいた。
太陽を司る神、月を司る神。始まりを司る神、終わりを司る神。それらを纏める理を司る神。の五柱だ。
月の神は神籍を放棄した時、力を入れる器と世界を調整する器を分けた。
調整する器は誰でも良い。しかし、力を入れる器は強大な神の力でも壊れない、神の血が流れている器でなければ駄目だ。
それなのに、年月が経てば経つほど力を入れる器の一族の人数が少なくなった。それにより、太陽の力の割合が増え、少しでも太陽と月の力のバランスを保とうとした太陽の神は己の身体に満ちすぎた力で身体を壊した。
それでも世界はなんとか廻ってきたが、数十年前に器の一族はヒトの争いで少なくなってしまった。
このままでは増えすぎた陽気の所為で世界が涸れてしまう。
シトリンの創ったシステムの限界が近いことを悟った他の三柱の神は世界のバランスを保つ方法を考えた。
器の一族の純血に『神の祝福』を授けるという方法を。
そして、器と調整者をひとつにする。
調整者は神罰を受けた咎人。そんな者にいつまでも神籍を持たせているのは間違いだ。あるべき姿に戻さなければ。
神の祝福を受けたものは、祝福を授けた神に近付く。
身体能力は勿論、身体も細胞から変化してしまう。
神達は、既に月と理の祝福を受けていた胎児に太陽と始まりと終わりの祝福を授けた。その器が産まれた時に神の造った『意識』を植え付けるために。
◇◆◇
ぱちりと瞳を開けると見慣れた天井がレイラを迎えた。
寝返りを打とうとして、首に引き攣るような痛みが走る。痛みに詰めていた息をゆっくりと吐き出す。首元に手を当てると包帯が綺麗に巻かれていた。服もワンピースから白シャツに変えられている。
病院ではなく自室のベッドに転がされているところをみると、さすがに歯形のついた傷痕を診せるわけにはいかなかったようだ。
それにしても傷が痛む。幼い頃は木登りしている時に落ちて、下にあった切り株でざっくりやられていたが、ここ数年は肉が抉れるような怪我をしていなかった。
「痛いわ。」
ぼそりと呟く。すると応えがすぐ隣から上がった。
「ごめんな。」
驚いて声の上がった方を見ると手の届く位置に頭があり、蜂蜜色の髪にそっと触れてみるとシリルはびくりと肩を揺らした後、ゆらりと身体を起こした。
橄欖石の瞳は濁り、暗い顔をしていた。相当、落ち込んでいるようだ。
「大丈夫ですか?」
「俺は無傷だ。それよりレイラ気分はどうだ? 欲しいものはあるか? して欲しいことは? あと言葉遣い。」
「……。何も。」
語尾に言葉遣いと名前を付けるのをいい加減止めて欲しいのだが。羞恥で血の巡りが良くなって傷口から血が噴き出したらどうしてくれる。
「悪い。油断した。」
「いえ、私も油断してました。兄には決して目を合わせるなと言われていたのに。」
上位の妖魔には催眠という能力があるらしい。
肩を叩かれて顔を上げれば妖しい光を放つ瞳がレイラを見下ろしていた。その瞳に囚われたように身体の自由を奪われ、路地裏まで連れ込まれた。
もう外に出るのは止めておこうか。そうすれば、面倒に人を巻き込むこともない。士官科に戻って、総合科から籍を抜いたほうが良いだろう。
本当はいっそのこと故郷に帰ってしまえば良いのだろうが、折角仲良くなった友人と離れるのは辛い。
我が儘なのは百も承知だ。だが、これを最後の我が儘にするから許して欲しい。
「総合科から士官科への移籍って認められますか?」
「どうした急に?」
怪訝そうな顔をしたシリルがレイラの真意を問うように真っ直ぐ見つめてくる。そんなに見つめられると恥ずかしくなるからやめてもらいたい。
「学院に引きこもろうと思いまして。痛いのは嫌いなんです。」
「士官科に行かれると俺が護りにくいから却下だ。」
そうは言われても、人に迷惑を掛けるのも痛いのも嫌だ。
「どうしても駄目ですか?」
「もっと可愛くおねだりしてくれるなら、考える。」
たまにシリルが途轍もない変態に思える。これがシリルの性癖というやつなのだろうか。
でも、それでシリルが喜ぶのなら少し試してみようか。
こほん、と咳払いをしてからシリルを見つめる。
「お願いシリル?」
思っていたよりきつい。恥ずかしすぎる。
なにより、無表情で見下ろしてくるシリルが怖い。
何を考えているのか分からない。冗談のつもりだったのに何本気でやってるんだこいつ。と思われていたらどうしよう。やはりロードナイトに帰るべきか。
ちらちらとシリルの様子を窺いながら、頬を赤く染めていると、無表情のシリルがレイラの頬を両手で包んだ。
(顔が近いわ。)
せめてもう少し離れてもらいたい。心臓が保たない。
「どうしようか。俺はどうしたら良いんだろうな。」
約束は守ってもらえたようだ。あれだけ恥ずかしい思いをして無視されたらレイラも立ち直れない。
「先生はどうお考えですか?」
「出来たら俺の傍から離れないで欲しい。今度は必ず護る。もう二度と外で手を離さない。」
手を離さないと言われても、学院の生徒にその様子を目撃されたらどうなるのだろう。
ただならぬ仲だと勘違いされればシリルが困るだろうに。
「これ以上、先生に迷惑を掛けるわけにはいきません。故郷に帰ればお見合いの一つや二つくらいあるはずですし、今後はその人に守ってもらいます。」
「それは……。嫌だな。」
明らかに機嫌の悪くなったシリルは、傷に障らないようにしながらレイラの胸に頭を乗せた。よりによって暴れ狂う心臓のある場所に頭を乗せないで欲しい。せめてお腹で、とお願いしたい。
「あと五年だぞ? その間くらい俺に護られてくれないか?」
「先生が『妹』に現を抜かして婚期を逃してしまってはいけませんから。」
「俺なら三十超えても嫁は探さなくても来る。父上が適当に連れてくるだろうから心配はいらない。」
「でも……。」
「これ以上なにか言うようなら、前みたいに今から着せ替えしてみようか。服、剥くぞ?」
そう言ってシャツのボタンに手を掛けられ、レイラは早々に白旗を上げた。
前に妖魔の所為で破れた服の代わりを探しに街に出たとき、着せ替え人形のように様々な意匠の服を着せられ、途中からは無心で着て脱いでを繰り返していた時に、はっと正気に返るとシリルがレイラの着替えを手伝っていた。
裸を見られたわけでもなく、叫ぶことはしなかったが恥ずかしかった。色気の欠片もない下着を見られたのだと思うと更に。
着せ替えに疲れ、意識を服の『記録』に向けて鮮明に周囲の声が聞こえず生返事をしていたレイラがいけないのだが、表情ひとつ変えずにレイラを着替えさせていたシリルは女性経験が豊富なのだろうなと思い、さすがに数日間は落ち込んだ。
着替えといえば、今レイラが着ている服は誰が着替えさせたのだろう。第六感はこの上にいる男だと言っている。
「……。着替えは誰が?」
「俺が。」
なにも躊躇することなく言った。年頃の娘の着替えを眠っている間にして何か思うところはないのだろうか。
人工呼吸した時はあんなに動揺していたのに。
今はレイラのことを『女』とも思っていないということだろうか。なんとも腹立たしい。
「先生、変態ですか?」
「人間は皆、変態なんだろう? あと名前。」
「シリルの変態。どこまで見ましたか?」
自棄になってシリルを貶す。せめて恥じらってくれ。レイラだけが意識しているようではないか。
「ちゃんと胸を隠してから目を開けて血を拭いた。」
「っ……。そ、それなら良いです。」
良くはないが、半裸を眺めながら拭いたと言われるより良いだろう。シリルの自己申告だが、生真面目なシリルのことだ言葉通り見ていないだろう。
今度、もう少しましな下着を探しに行こう。
人生なにがあるか分からない。三度目に備えて良い物を探そう。
シリルの髪を少量だけ手に取り三つ編みにする。
朝、櫛で梳かすときに引っ掛けて髪が抜けてしまえばいい。固く編みながら呪いを込めた。




